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過去の歪な夢

 ガタンガタンと揺れが激しい馬車の中、僕は一人の男性と向き合っていた。

 

「すまないね。君を連れ出す形になってしまって」

 

 そう謝る男性。

 

「ああ、いえ、決めたのは俺ですし、父も母も送り出してくれましたから大丈夫ですよ」

 

「そう言ってもらえると助かるよ。……ただ、本当に良いのかい? その、お願いしたとは言え女装するのいうのは抵抗があるんじゃないかい?」

 

「しょ、正直抵抗はありますけど、仕方ないです。でも大丈夫ですか? ヒストリカさんの真似をするのは、男の俺ですよ」

 

 その男性、エオスと名乗ったこの人は俺の父の知り合いらしい。

 噂で俺の話を聞き、俺に会うためにわざわざ村まで会いに来たのだ。

 

「あぁ……大丈夫さ。わたしも、君を見ているとヒストリカを思い出すぐらいには、似ているよ」

 

 優しい声色でそう答える。

 ただ、その瞳は少しだけ潤んでいた。

 

「すまない、良く妻からも泣き虫と言われる程に涙腺が弱くてね。もう良い歳なのに情けない事さ」

 

「いえ、それだけ娘さんの事を大事に思っていたんだなと思うと、俺もなんだかもらい泣きしそうです」

 

「君は優しい子だね。……もうしばらくしたら家に着く。中々僕も言い出せなかったが、そろそろ詳しい内容を話そう。少し、長くなるけどね」

 

「いいですよ。ちゃんと聞きます」

 

 少し微笑み、唇を噛み締めてから彼は話し始めた。

 

「……わたしには娘が居た。ヒストリカと言う一人娘だ。大人しくて、あまり外に出ずに、それよりも家で本を読むのが好きな子だった。髪は妻と同じ銀髪で、いつか妻と同じ長さにするんだって言っていてね、長く髪を伸ばしていた」

 

 彼は遠い目をして、かつてを思い出しながらそう答える。

 

「丁度君と同い年だ。今年で生きていれば十二になる、背格好も、顔も、よく似ている。声だけはもうちょっと高かったかな……可愛い子どもだった。おっと、男の子の君に可愛いっていうのは失礼だったかな」

 

「ああ気にしないでいいですよ。村に居た時も女の子みたいって言われてましたしね!」

 

「ははは。それは気にしてるって言うんじゃないかな? ……うん、村で話した通り、娘は亡くなった」

 

「その、失礼ですけどご病気とかですか?」

 

「……いや違う。決してね」

 

 そこで、初めて彼の眼が強く輝く。

 だけど、それは怒りに燃えた目だ。

 

「ある日、ヒストリカを朝食に呼ぶために妻が起こしに行ったんだ。そこで、妻の悲鳴を聞いた。僕は直ぐに声が聞こえた方向、つまりヒストリカの部屋に行ったんだ、そして」

 

 拳が、強く握られる。

 見ているだけでも爪が皮膚に食い込む程に。

 

「ヒストリカの部屋の前で、崩れ落ちている妻の姿があった。見たこともない顔をしていたよ。涙を止めどなく流しながら、どこでもない虚空を見つめて、何かを呟いていた。……正直今も夢に見るほどに、衝撃的だったよ。その後の事もあってね」

 

「……ヒストリカさんの部屋で、何かあったんですね」

 

「ああ、僕が妻に駆け寄って声を掛けるその時だった、開いていた扉の先、ヒストリカの部屋が目に入って、その光景が焼き付いた」

 

 握る力は止まらない。

 既に血が流れ始めているが、俺にそれを止める勇気は、無かった。

 

「部屋の中では、ヒストリカが、血まみれで倒れていた。……僕と妻が、手を繋いだ小さなその両手が。離れた状態で」

 

 息を、飲む。

 手が、その、取れていた、ということなのだろう。

 

「不思議とね、穏やかな顔をしていた。何故か分からない。でも眠ったような顔で、血に濡れ、手が無くとも、何故か、何時も見ていた寝顔だった」

 

 ……その状態にも関わらず、そんな穏やかな顔をしていたのか。

 確かに、不思議な状態だ。

 

「その後の事は、僕もあんまり覚えていないんだ。気づいたら僕と妻はベットで寝かされていた。……そして、起きた時僕は強い喪失感に襲われた。もう、僕の事をお父さんと呼び、妻をお母さんと呼んで、本を一緒に読む様な時間は、二度と無いのかと思ってしまった。はは、すまない。今でもその、思い出すと涙が出てしまってね」

 

 涙声になったのを直しながら、眼を拭う。

 ……俺にはその感情がわかる、なんてとても言えない。

 何より、その感情は彼の、ヒストリカの父さんのものだけだとおもうから。

 

「……その後だよ。もう一つ、喪失感と、絶望感を抱いたのは」

 

 声色に、僅かな諦観。諦めが混じったような、呟くような声に変わる。

 

「妻が起きた時、こう言ったんだ。日が高いわ、大変寝過ごしちゃったみたい。ヒストリカを起こしに行かないと、ってね」

 

「っ……それは」

 

「あぁ、妻は、心を閉ざしてしまった。ヒストリカが亡くなった事を受け入れようとしなくなった」

 

 それは、防衛本能だったのだろうか。

 心を守るために、忘れてしまったのだろうか。

 

「最初は、それでも良いと思った。彼女が立ち止まっても、少しでも悲しみを消せるならと、でも……駄目なんだ」

 

 ……忘れるのは、ダメだ。

 それは、とてもとても悲しい事だ。

 

「墓参りに行った時、彼女は言うんだ。誰の墓? とね。墓にはヒストリカの名前が掘ってあっても、これがヒストリカの、君の娘の墓なんだよと、行っても信じてくれない。……一緒にね、娘を弔う事が出来ないんだ」

 

「その、ヒストリカさんのお母さんは今も、死んだことを」

 

「わかっていない。精神もね、どんどん悪くなっているんだ。僕の事はわかるし、周囲の人も覚えている。でも、段々とね、年齢が下がっていくんだ」

 

「年齢が、下がっていく?」

 

「自分のことを20代だと思って、その時の記憶になっているんだ。だから、それ以降の記憶が思い出せなくなっているんだ。無理に思い出そうとすると、酷く、暴れる。自分の身を傷つけることも厭わずにね。記憶を思い出さないようにしていたんだが、それ以外でも、色々、暴れるようになった。 ……それに娘が持っていた人形、それをヒストリカだと思って暮らしているんだ。熊のぬいぐるみなんだがね、物を、食べ物を食べさせてあげようとしたり、本を呼んでいる姿を見ると、とても僕は胸を、締め付けられるんだ」

 

「……それで、俺をヒストリカとして家に?」

 

「……そうだ。君にも、君の両親にも悪いことをしている事も。実質的な問題解決にならないことも知っている。でも、それでも僕は妻に少しでも、ヒストリカを思い出してほしいんだ。亡くなったことは悲しい、でも、忘れてはいけない。僕の、彼女の、娘を。弔ってあげないといけないんだ」

 

 彼が、俺に娘の格好して欲しいとお願いした理由。

 村に来て、家に来て、貴族にも関わらず、頭を下げて、ひたすらお願いをした、理由。

 それは、娘の姿をして、妻を救って欲しいと言う願い。

 

「……ここまで連れてきておいて、申し訳ないんだけど。君には負担をかけると思う。家では女装して暮らして貰って、可能な限り妻のそばにいてやってほしい。ただ、君には危害は加えないだろうが、妻が暴れだしたら見ている君には辛いだろう。それに、もしもバレた時、どうなるかは、正直予想がつかない」

 

「怒り狂うぐらいなら、俺としても良いんですが、病状が悪化する事もあるかもしれないですね」

 

「ああ、それでも他に手はないんだ。魔術も薬も、何ももう効かない。……色々な意味で問題もあるし、最低な事かもしれない。それでも、僕が思いつく手はこれぐらいしかないんだ……」

 

 悲しげな顔をして、皮肉げに笑うその姿は小さく見えた。

 けれど、それでも……

 

「でも、これで少しでも前に進むことが出来たら、と。僕はそう思う。かつての食卓と、会話を。もう一度取り戻したい」

 

 あぁ、この人は……歩き出すために、手を取って、一緒に進みたいんだ。

 愛した妻と、かりそめでも、娘と。

 

「どうか、お願いだ。僕の娘になって、妻と僕を、助けて欲しい」

 

「……頭を上げてください。わかりました、俺は、貴方の為に、貴方の愛する人のために、娘になります」

 

「……え」

 

 顔を上げた彼は、驚いていた。

 その驚きは、俺が了解した事ではなく

 

「はは……参ったな。今、君の事が、本当にヒストリカに見えたよ」

 

 寂しそうに、でも嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう。本当に、ありがとう」

 

「気にしないで下さいよ。それより、口調とか呼び方とか教えてもらいたいんですが」

 

「ああ、そうだね。ヒストリカは自分の事を私と呼んでいて、口調は、そうだな。今言っているような敬語みたいな口調だったよ。それを女性らしくすれば」

 

「なるほど。こんな感じでしょうか」

 

「あぁ……そうだね。うん、やっぱり似ていると思うよ。外見だけじゃなく、その優しい性格も。なにせ、いつの間にか、僕は自分のことを僕って呼んでたからね」

 

 そういえば、最初の方は自分のことをわたしと呼んでいたのが、いつの間にか僕と呼んでいた。

 

「家族の前では、そう自分の事を呼ぶんだ。僕ってね」

 

 はにかむような笑顔を見せて、彼は笑う。

 その後、俺は彼に色々教えてもらった。

 呼び方や、作法等、ヒストリカとして、私が暮らしていくために必要な知識を。

 

 ただ、俺もあえて聞かなかったこと。

 そして、彼もあえて話さなかったこと。

 

───何故、誰に、ヒストリカは、殺されたのか

夜頃に投稿します。

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