Hi,heel!!
「くそう!!」
「ぎゃあああああ」
「覚えてらっしゃい!」
テレビの中から聞こえる悪の組織の断末魔。
子供のころから、応援するのは主人公たちヒーローではなく悪の組織だった。
その中でもセクシーな衣装に身を包んだ悪役の女性が憧れの的だった。
大人っぽい服を着て、高いハイヒールを身に着けた大人の女性になりたくて、ファッションに気を使い始めて今まで足を運んだこともないようなキラキラした雑誌コーナーに立ち尽くしたことを今も鮮烈に覚えてる。
ファッションに無知すぎた私と世間一般の隔たりがそこには確かにあった。
服選びは柄物がダメ、シンプルイズベスト。
大胆に露出するとバカな男しか寄ってこないし、子供に見えることも学んだ。
少年マンガはダメ、アクションなんてあり得ない。
映画もアニメやアメコミはもっての他、フランス映画をたしなむのが素敵。
コーヒーショップで生クリームたっぷりのフラペチーノよりホットの紅茶ラテを頼む方がスマートな女性を演出出来ることも知ってる。
音楽もジャニーズやロックじゃ子供っぽくて洋楽や古いフォークが受けがいいと聞いた。
お酒もカシオレじゃあ芸がない、スプモーニなんてカッコよく頼んでみる。
これで、19の私も28の男と並んだって劣らず大人に見えるんだと意気込んだまではよかった。
『いたくない?』
「....なにが?」
『それ』
と指差した先には私の足元を彩る攻撃的なまでの赤いハイヒール。最高にクール。
痛みはもちろんある。
かかとはきっと靴擦れしているし、外反母趾だってきっと真っ赤に腫れている。
けれども我慢してお洒落するのだって女性のタシナミで。
「痛くないよ、よく履くもん」
嘘。下ろし立てのクセに。
ヒールの中は絆創膏まみれのクセに。
それでもわたしは赤いルージュを弧に描く。
これではまるで自分のエゴ。
『ふーん、痛くなったら言って』
絶対言ってやるものか。
ふにゃふにゃとした笑顔を浮かべる28歳男性、れっきとした大人は私よりも子供に見えた。
服装も鳶職の汚れたつなぎで、髪の毛も伸びきっていてぽさぽさしている。
ファッション的にはバツ。不可ってやつ。
髭もきちんと剃ってない。
それでも見た目年齢は20代後半。
思わずしかめっ面になる私の眉間に指を突き立てぐりぐりとからかう様子は10代後半。
まるで無邪気な高校生で、それでも仕事をしている様子や私の服やご飯代をさくさく出してしむう様子をみるとそこには明らかに学生と大人の隔たりを感じる。
いらっしゃいませーーーーっ!と怒号に近い歓迎の挨拶を受け流して二人で席につく。
ご注文は?と聞くケバい化粧をした明らかに年下の店員に心のなかで不可の判子を押して、隣で大人の常用句「とりあえず生で」が聞こえたので張り合うように「同じものを」と落ち着いて注文する。
ここまでは順調、完璧に大人を演じれている。
『ビール飲めたっけ?』
「飲めるよ、当たり前でしょ?」
『未成年が何を言うかね』
笑いながら子供と大人の差を口にするこの男にデリカシーと言うものを教えてやりたい。
シュッとライターで煙草に火を着ける様が今日はやけに憎たらしく感じる。
お待たせしましたー、なんて1分も待ってないのにビールジョッキを2つ持ってくるアルバイトの男の子。
ちらりとこちらを盗み見てる。
これは私の勝ち。
『ほいじゃ、おつかれーかんぱーい』
「かんぱーい」
ゴチッとジョッキ同士をぶつける音がして前の男はごきゅごきゅとビールを飲む。
ジョッキの半分がなくなっている。
私も負けじと、一口、二口。
三口目で感じる苦み、喉を刺す炭酸、込み上げる嘔吐感を押し戻すも、思わず整った眉を寄せる。
口を真一文字に結んでごくりと嚥下したら私の勝ち。
目の前の男は呆れたような、困ったような顔で私の方を見ている。
あまりにも心情が分からないものだから不快感をあらわにして口を開く。
「なに、」
『....はぁ~』
え、なんで。なんでなんでなんでなんで、ため息なんて、吐くの。煙草の煙を吐くようにして、溜め息を吐いた?
訳がわからなくて、彼が、私から目を逸らすのも、煙草を吸いながら溜め息を吐くのも、ぽりぽりと頭を掻くのも、全ての行動の理由がわからない。
喉が、熱くて、目の前がチカチカする。
警鐘、警鐘。目頭が熱くなって、決壊寸前。
ああ、もう、まだ、子供で。
『俺は、今のままでいいよ』
「どういう意味、」
今はどんな言葉もただただ子供を泣きあやすためだけの道具に思えてしまって、何も考えられない。
飲んだこともないビールのアルコールのせいか、煙草のせいかわからないけれども頭が痛い。
視界が歪み始めた頃、目の前の男は煙草をもみ消し、私の方へ腕を伸ばす。
そんなマンガみたいに頭を撫でるなんてしないで、と睨むようにその男を見たけれど、彼の掌は私に触れることなく、私が3口目で飲むことを断念した生のジョッキを捕まえた。
彼はそれをゴクリゴクリと一気に飲み干すとすみませーん、と店員を呼ぶためジョッキを高く上げる。
「はあい!ご注文お伺いしまあす!」
『カシオレひとつ!』
「はあい!カシオレいっちょーーー!」
野太い声と黄色い声が注文を大声で復唱する怒号の中。
わたしは呆然と彼を見上げる。
彼はにっかりと歯を見せる。
『好きでしょ、甘いお酒?』
「・・・・うん」
『ビールは俺に合わせてくれたんだもんな』
「苦かった」
『今日の帰りはおんぶと抱っこどっちがいい?』
「痛くない」
『俺、ファッションよく分かんねえけど、
その靴、カッコイイし、そのズボンも好きだけど、結依ちゃんには甘えてほしいなあ』
「・・・・おんぶ」
『ん?』
嬉しそうににやにやし出した私の年上の彼氏、祥吾さんは慣れないヒールを演じるように笑みを抑えようと口元に手を添えるが、目が笑っている。
私のほうがヒールは上手に演じることができるのだ。
今しがた到着した毒々しい色をしたカシオレで喉を軽く潤すと私は一息つき、大人に戻るのだ。
「なんて言うわけないでしょ、歩けるわよ」
『えぇ~っ!!』
子供の様に頭を抱える姿はやはり男子中学生の様で、大きく口をあけて笑ってしまった。
すると先ほどまでぎゃあぎゃあ騒いでいた祥吾さんはぴたりと動きを止め、赤面している。
私も瞬きを一つして動きを止め祥吾さんを見つめなおす。
「回ったの?」
『えっと、いや、』
「顔、赤い。すみませーん、お冷ひとつ!」
「はーい!お冷いっちょーーー!」
店員さんにお冷を頼み、また視線を祥吾さんに戻すと今度は机に突っ伏していた。
ちょっと、と声をかけながら肩を突けば待って、と弱弱しいくぐもった声が返ってくる。
「へんなひと」
『結依ちゃんの所為』
「なによそれ」
『なんでもない!』
大きな声にびっくりしていると祥吾さんはグラスを引っ掴み、一気に水を煽る。
その行動にさらに驚きを隠せないでいると、彼は私の手を勢いよくつかむ。
私は思わず声を上げる。
そのまま彼は私の目を覗きこむ。
私は息を思わず飲み込む。
『怖がらないで』
「なにを・・・・」
『結依ちゃんの本心を』
「何それ、」
『甘えられても迷惑だなんて思わないから』
ああ、ずるい。
大人はほんとに狡い。
まっすぐにこちらを見つめる瞳が憎たらしい。
するりと、指先まで名残惜しげに撫でるように手を離せば、切なそうな顔をする祥吾さん。
「もう帰る」
『え』
「帰りたいの、祥吾さんの部屋に行くの」
へらりと表情を崩す祥吾さんは会計をさっさと済ます。
私はずっと祥吾さんの腕をそっと掴んでいたけど、いつの間にかその手は祥吾さんのそれに誘われていた。
店を出てから祥吾さんの家まではずっと手をつないでいた。
つながない方が相手を焦らすことが出来て、蠱惑的な女性を演出できるなんて書いていた女性誌の記事なんてもうすっかり忘れていた。
高校生の初々しいカップルの様にぎゅっと力強く握りしめていた。
玄関に座っているとハイヒールを脱がそうと祥吾さんは私の前にひざまずく。
「ズルイ」
『そう?』
「子ども扱いは嫌い」
『うん、女の子扱いするよ?』
「甘えると、子供っぽいの」
『でも、俺はそれが可愛いと思うし』
「でもね、ハイヒールを履いている女性はレディと呼んで」
祥吾さんは私を覗き込むように笑う。
なぜ笑っているのか問うよりも先に足の圧迫感がすっとなくなる。
ハイヒールが脱がされている。
『おいでよ』
そんな甘い声で呼ばないでよ、なんて悪態をつく。
たった5センチの背伸びのために履いたヒールをいとも簡単に脱がせてしまって。
私はすぐに子どもの様に甘えるがきんちょに逆行してしまって。
あーあ、きっと悪役にはなりきれない。
「しょうご」
舌っ足らずな声で彼を呼ぶ。
彼は何も言わないも目を細めて笑う。
悪役さながらのセクシーな笑み。
【Hi,heel!!】
こんにちは、悪役さん。
ハイヒールはお好きですか?