その27☆ゴリラの名前は神崎らしい
店を出た。
時間は朝の八時を回ったところで街には人が活動する息遣いが溢れていた。
ゆっくりとした足取りで近くのコンビニへと歩き、絆創膏と水を買う。
生々しい傷を見て店員の兄ちゃんは一瞬、ギョッとする顔をしたが俺は気にも留めず、
提示された金額、四百二十七円を支払い、外へ出た。
壁に寄り掛かり、傷口に絆創膏を貼ろうとしていた時、前を二人の男が通過した。
一人は今時流行らないマッキンキンの金髪で背は俺よりも幾らか低く、がっしりした体格。
もう一人は目を見張る鮮やかな赤い髪で、俺はあるマンガに登場する主人公を思い出した。
そのマンガの主人公同様、男の背は非常に高く、隣の男と合わせて街に二つの花が咲いたようだ。
――何となく匂いで分かった。コイツラもブラックだ。
こちらの視線に気付く事無く、二人はクラブ『j』の中に吸い込まれる。
冷たい眼差しで入口を睨んだまま、絆創膏を傷口に貼り付け、水を一口飲んだ。
キャップを閉めて後を追う。
ゆっくりとドアを開けた。
すると中から「オイッ神崎! どうした!?」と、怒号に似た声が響いた。
覗くと赤髪がゴリラに寄り添い、肩を揺すっている。
『神崎』とは、どうやらゴリラの名前らしい。
金髪は目の前の事態が理解出来ない様子ですぐ傍で立ち尽くしている。
「オイッ! しっかりしろよテメェ! 誰にやられたんだよ!?」
赤髪が執拗にゴリラの肩を揺する。ゴリラは動かない。
「俺だよ」
二人の視線が一斉に俺を捕捉した。四つの眼に疑念と怒りと少しの恐怖の色が垣間見えた。
その中の一つ、一番濃い色を纏った怒りが言葉を発露として室内にぶちまけられた。
「何だぁテメェ!! 殺すぞコラァッ!!」
叫んだのは金髪だった。同時に俺に向かって突っ込んで来る。
俺は右手に持っていた五百ミリリットル中、四百七十ミリリットルは残っていたペットボトルを金髪の歪んだ顔面、真ん中高めの眉間目がけてフルスイングで投げつけた。
矢のような軌道を描いてボトルがぶち当たり、金髪の動きを止めた。
金髪がこちらの間合いに入っている事を瞬時に判断し、左脚を強く踏み込んだ。
中腰で顔を押さえている金髪に全力の右ストレートを放った。
ボッ! と言う空気を切り裂く音。次いで金髪の鼻骨を砕く音が聞こえ、
金髪は「ギャッ」と言う短い言葉を残して後方にブッ飛んだ。
「ガキィッ!」
赤髪が叫んだ。床に転がっていたウイスキーか何かの空瓶をその長い腕で掴み、俺に向かって投げつける。空瓶は細い蓋側の方を軸に回転して飛んでくる。左に軽くヘッドスリップしてそれを躱すと、瓶は店の入り口の壁に当たり、粉々に砕け散った。
その音を合図に俺は低い姿勢で赤髪に突っ込んで行く。
赤髪が身構える。常人の一・三倍はありそうな長い腕と脚。それを器用に折り畳む。すぐに赤髪の間合いに侵入する。敵はまだ動かない。俺は小さく左フックを放つと見せかけ、右に体重移動し、右足で床を蹴ると赤髪の左脇腹目がけて突進した。
赤髪の薄い胴体にスピードに乗った俺のショルダータックルが決まりかけた時、赤髪が緩やかに左斜め後ろに動いた。
それはまるで老練な闘牛士のようで俺の身体は虚しく空を切る。
目標物を失った質量は、そのまま赤髪の後ろにあるストゥールに激しく衝突して止まった。
一瞬景色が飛び、色彩も消えかける。背後で嫌な気配がした。
俺はストゥールの脚の部分を両手で強く握り、起き上がりざまにフルスイングした。遠心力がたっぷり加味された一撃が赤髪の左ガードの上からぶち当たる。
その衝撃が赤髪の左腕の機能を剥ぎ取った。ガードが下がる。もう一度振りかぶった。
ガードが下がって開いた左鎖骨へとストゥールを振り落とした。赤髪が慌てて左へ移る。
ストゥールの先が赤髪の肩口を掠め、床を叩いた。
赤髪が俺から一旦離れ、間合いを取る。
敵は左腕を確認するように動かして顔を顰める。俺がストゥールを捨てると赤髪がこちらを睨みつける。俺達二人は再び身構えた。
赤髪の左腕はダラリと下がったまま、床を指している。
それを視認し、俺は赤髪の左サイド、向かって右へとフットワークを利かせる。
赤髪は滑らかに俺の動きに合わせて速射砲のような右ストレートを顔面に飛ばして来る。短いヘッドスリップと膝を使って躱し、俺の間合い、赤髪の懐に潜り込む。
小さく畳んだ左のショートフックを赤髪の右脇腹、肝臓へ叩き込んだ。赤髪が小さく呻く。
百九十近い大柄な相手に対して、俺は徹底的にボディ攻撃を仕掛けた。
密着状態のゼロ距離から上半身を独楽のように使い、腹筋を中心に回転させた。
連動した両拳が赤髪の左右の脇腹に突き刺さる。かなり効いたのか赤髪がバックステップして俺から離れた。
逃がすかよ。追うようにして俺は前に出る。
その時、赤髪の右手が履いていたモスグリーンのカーゴパンツのポケットの中に消えている事に気づいた。
何かヤバイ。
直感的にそう思い、俺は追うのを止めた。
止めて正解だった。
次の瞬間、赤髪の右腕が水平に薙ぎ払われ、素早く左に動いた。その手の先が妖しく光る。
ナイフだった。ナイフの軌道は正確無比に俺の首筋を狙っていた。
赤髪が小さく舌打ちをして中腰に身構える。鋭いナイフの刃と眼が俺を凝視する。
赤髪の右手の動きに全神経を集中させる。赤髪が息を一つ吸い、吐いた。
……来る。そう思った。赤髪がその長い脚を踏み込んだ。それと同時に突き出されたナイフの刃が稲妻のように走り、飛んできた。
左腕と左脚を鋭角に上げて受け止める。尖ったナイフの先が何センチか左腕にめり込んでその勢いを吸収した。相手の攻撃が届くと言う事はこちらの攻撃も相手に届くと言う事。
痛みに耐え、俺は叫んだ。
渾身の右ストレートを赤髪の顔面へ放った。拳は赤髪の華奢な左顎を捉えた。思い切り振り抜いた。
衝撃で赤髪の顎は砕け、身体はそのコントロールを失い、フラフラと辺りを彷徨ったかと思うと、突然床に倒れた。俺もよろめいて床に座り込んだ。
左の上腕、外側に突き刺さったナイフを奥歯を噛み締めて、引き抜いた。痛みと同時に血が滲み出してくる。刃が紅く染まったナイフを床へと投げる。戦闘が終わり、静寂が戻った店内にカラン、と乾いた音が木霊した。
スウェットの上着を脱いで傷を確認すると痛みの割に出血は存外少なめで、床に転がっていたペットボトルの水で傷口を洗い、持っていたハンカチで腕を強く縛った。幾らか痛みが和らいだ気がした。
俺は立ち上がった。まだ終わりじゃない。
床に倒れているゴリラに近づいて残っていたボトルの水を鼻が潰れた顔へ勢い良くかけた。
「オイッ、ゴリラ起きろ。朝だぞ」
暫くするとゴリラは薄く眼を開けた。
二、三度その円い眼を瞬かせて起き上がろうと試みたが身体のダメージがデカイのかすぐに諦めた様子で舌打ちと視線だけ俺の方へ向けた。ゴリラを見下ろして空になったペットボトルを床に捨てて、言った。
「アンタ、携帯持ってんだろ? あるなら双龍の二人呼んでくれねーか?」
ゴリラは暫く黙っていた。少しの時間が過ぎて潰れた鼻の下、無事な口を静かに開いた。
「呼んでどうすんだよ?」
ゴリラの疑念を含んだ視線が俺を照らしたが、その視線を無視して床を見る。
「決着を……決着をつけるんだよ」
そう言った俺にゴリラは強い舌打ちをして、「どうなっても知らねーぞ……」と呟いて
面倒臭そうに携帯を取り出した。




