その23☆白い巨塔
商店街を通り抜ける頃、俺は街の様子がいつもと少し違う事に気がついた。
上手く言えないがどこか張りつめた、ピリピリとした緊張感が街全体に漂っている、そんな感じだ。
その証拠に普段は滅多に見かけないパトカーと、すでに三回すれ違っている。何かがあったのだろうか?一抹の不安が自転車をこぐ胸に去来する。
そんな気持ちとは裏腹に俺の脚は着実にペダルをこいで、夕陽が沈む前に病院へと到着した。
街の低いビル群を圧倒する地上二十八階建、白亜の中村総合病院。大地から天に向かって伸びる、まさに白い巨塔だ。床に伏した患者達が助けてくれと神に向かって精一杯手を伸ばしているように見えて、嫌な光景だと思った。十年前のあの日、母さんも手を伸ばしたのだろうか?
広大な駐車場の半数は県外から来る車で占められていた。何でも『高濃度ビタミン療法』という画期的な最先端医療が受けられるらしい。
『俺も近いうち、厄介になるかもな』
古本屋のタクジさんが一昨日、そう寂しそうに言っていた。
「そんな事言わないで下さいよ」
店を閉めると連絡があり、欲しい本があるなら全部持って行っていいぞと言われて店を訪れた俺は、大事な居場所を一つ失う寂しさと苛立ちでタクジさんを強く見据えた。
タクジさんはそんな俺の視線を真正面から受け止める事はなく、静かに入口の方を見つめていた。冬の透き通る光が差し込んで、外は暖かく明るかったが、こちらまでその光は届かなかった。
「ギンはまだ若えから分からねえかも知れねえが、何と言うか時代の流れってモンがあんだよ。今の言葉で言えばニーズってヤツか、そんなモンがな。全てのモノは日々変化してる。時代も人もな」
タクジさんは真っすぐ前だけを見つめ、そう言った。そして健康に悪いからと止めていた煙草を取り出し、火を点けた。もう長く生きようとは思っていないのかも知れない。
俺は無言で、持参したユニクロの袋に古本を詰め込むと店を出る。入口で振り返るとタクジさんに向かい、深々と頭を下げた。店の奥から、
「元気でな」
と、タクジさんの皺枯れた声が響いた。
不意に胸が詰まり、涙が出そうになったが何とか堪えて俺は歩き出した。
光に溢れた商店街を見ているとまた涙が出そうになったが、それは眩しさからくるモノなのか、悲しさからくるモノなのか、俺にはもう良く分からなかった。
駐車場の一番奥に設置された、安普請の駐輪場に自転車を止める。
後輪をロックし、鍵をブレザーのポケットにしまう。
「外科病棟五階の505号室……」
おっちゃんが言っていた言葉を歩きながら復唱する。広い駐車場を横切って程なく行くと正面玄関に出た。ガラス張りの広々としたエントランスは白を基調とした清潔な造りで、待合室のロビーは風邪が流行っているのかマスク姿の老若男女で溢れていた。
おっちゃんの指定する場所が良く分からなかった俺は、丁度前を通り過ぎた中年の看護婦を捕まえて訊ねた。看護婦さんは忙しいのにもかかわらず、一番向こうにあるエレベーターが外科病棟の直通になっているのでそちらをお使いください、と丁寧に教えてくれた。
俺は礼を言い、混雑したロビーを抜けると奥のエレベーターに乗り込んだ。『閉』のボタンを押して次いで505号室のある五階のボタンを押した。
扉が閉まり、ゆっくりとエレベーターが動き出す。分厚い扉で遮断された内側はざわめきとは無縁でとても静かで、その静けさが逆に気持をソワソワさせ、俺は落ち着かなかった。
五階に着くまでの短い間、おっちゃんの言っていた事を思い出していた。おっちゃんは頻りに仲間は大事だと言っていたが、俺もそう思う。
みんながいない教室は退屈の象徴でしかなくて、同じ価値観を共有出来る者がいる事の素晴らしさだったり、大切さを俺も分かっている。だけど、あの時見せたおっちゃんの鋭い眼が気になった。胸のソワソワが少し強くなった。これは胸騒ぎと言うヤツなのだろうか? 結局答えは出ないまま、エレベーターは目的地の五階へと着いた。