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ライス☆ハント  作者: 藤原ひろ
16/30

その16☆ブラック・トゥループス

『血の味を覚えているか?』


夢の中、真っ黒い形をした人なのか化け物なのか分からない何かがそう言って、俺は目を覚ました。

心臓がドキドキしている。ぼんやりと霞んだ焦点が次第に像を結んで、その先にいつもと違う天井が映り、頭が少し混乱した。


急いで視線を横に這わせると白いカーテンが見え、柔らかい日差しが当たっていて室内は明るく、ほんのりと暖かかった。気づくのに数秒かかった。どうやら昨日はリビングのソファーで眠ってしまったらしい。欠伸(あくび)を放ち、時計を見る。昼の十一時を少し過ぎていた。たっぷり十時間は眠ったようだ。ゆっくりとした動作で身体を起こす。肩や膝、関節の固まりが酷い。寝過ぎの証拠だ。病人のようにそろりとソファーから降りる。二三度身体を左右に捻り、同じ回数屈伸して頭を振ると覚束ない足取りで、取りあえず洗面所へと向かった。





「おお、カッコイイ」


鏡に映る、自分の顔を見て思わずそう言葉が洩れた。

右頬には斜めに走る、焼けたような傷がくっきりとあって、その皮膚は変色している。


アフロ(マン)との戦闘(たたかい)の痕跡を見つめ、俺は嬉しくなった。

そして、痛みと言う刺激を思い出して身体がとめどなく熱くなって行くのを感じる。


「……また()りてえな」


鏡の前でそう呟くと蛇口を捻り、勢い良く顔を洗った。蛇口から吐き出される水は凍るくらい冷たかったが傷は抵抗するように熱を放つ。

身体が震えている。寒さと期待が混濁した震えだ。

ユラユラと立ち上る体温が目の前の鏡を曇らせ始めて、俺はそれを右手の掌で静かに拭った。





 また退屈を象徴するチャイムが鳴り響いている。


高校に入学して以来、何となく続いていた無遅刻の記録は呆気ないほど簡単に途切れてしまい、昇降口でそのチャイムを一通り聴くと、俺は溜息を吐きだして歩き出した。


四時限目が丁度始まり、先ほどまで休憩時間だった廊下にはざわめきが残っている。今日は天気が良いので廊下はすごく明るく、気持ちがイイ。寝起きの眼には少々沁みる南側に目を向けると、アホな鳩がガンガンぶつかってきそうなくらい汚れ一つない窓から静謐(せいひつ)を含んだ光が校舎内に降りそそいでいて本当に平和だ。何層にも折り重なった平和がここにある、二年B組以外は。


『何で俺達は、机に縛られなきゃいけないんだ!? なあ皆、自由を、生きる意味を探しに行こう!』


なんて、尾崎豊みたいな事は大不況平成の世の中、誰も考えなくなり、いつもの毎日をお勉強と言う大義名分で消費して、つらつらとあっという間に三年間は流れ、終わるのだ。


きっと赤点取ったら恥ずかしいとか、後輩と机を並べたくないとか、アイツより自分の方が点数が上だとか、そんなさもしい根性が原動力になり、若者を突き動かしているに違いない。

多分、考えた方が負けなんだ。何も感じず、何も疑問に思わず、脳みそ全部教師にお預けしてただひたすらに突っ走る。闇雲に無感情に突っ走ったその結果、未来に存在しているはずの俺達は上手く笑えているのだろうか?


 階段を昇り、二年B組の教室に着いた俺は扉を開けようと引き戸に手を伸ばした。

すると先に内側からガラガラ開けられて目の前に白帽と白衣を着たオッサンが現れ、少し驚く。そのオッサンは傍らに金属製の四角い箱(『岡持ち』と言うのか?)を携えていて、その正面には『来々亭』の文字。オッサンは俺と目が合うと申し訳なさそうに軽く会釈してきて、礼儀正しい俺も頭を下げた。


出るのに邪魔だろうとこちらが少し脇に身体をどけるとオッサンは何度も、すいませんすいませんと言いながらその場を去って行った。その様子を見ているとすごく哀しくなってしまい、日本の大人達を何がここまで弱くしたのだろうと思った。政治なのか? 社会なのか? 時代の流れなのか? 言う事聞かない俺達なのか? 自分なりに逡巡したが答えなんて出るはずもなく、寝起きの俺に頭を使わせたヤツ(出前を注文したヤツ)は一体誰だよと軽く憤慨し、教室に足を踏み入れた。


教室はいつもと変わらずに無法地帯と化していて、黒板の前では現国担当の大河内が額に汗しながら可能な限りの大声で三島由紀夫の『金閣寺』の一節を読み上げている。その形相は凄まじく、まるで三島の御霊が降臨したかのようである。


だが、本はエロか漫画のどちらかしか開かない二年B組の連中には三島由紀夫の有り難いお言葉も全く響かない。大河内は頑張って読み上げている。読み上げてはいるがそれだけだ。教室の後ろではフクちゃんとニイとヤマピー、それにカネヤンが麻雀に興じていてロン! とかリーチ! の掛け声が教室内に響いている。学級崩壊と言う言葉を良く耳にするが、これは崩壊どころではない。崩壊しきって新しい何かが生まれようとしている。


廊下側一番前の席のコーイチ(大野光一(おおの・こういち))が俺の方を振り返り、


「おおギン」


と、口をモゴモゴさせて挨拶してきた。その手には白いレンゲが握られていて、机の上を覗くと大盛りのエビ炒飯が美味しそうに湯気を立てている。


……お前か(笑)


俺はハハッと笑い、右手を上げると、


「ういす」


と挨拶を返す。


「ギンも一口食わねえ?」


とコーイチが言ってきたが、エビアレルギーの俺はその気使いを丁重にお断りして席に着いた。


「あれ? ギン、遅刻なんて珍しくね」


真後ろのタケシがそう声をかけてきた。俺はただ寝坊したと言う理由では何か面白みに欠けるな……と思い、咄嗟に体長二メートルのプードルが現れ、通学路を塞いでいてそれと戦っていたから、と0.2秒でばれる大嘘をブっこいた。するとタケシは信じてしまい、(信じちゃったよ!)


「ス、スゲーな」


と、真剣な顔で唾を飲み込みながら俺の話に耳を傾けていた。


「メッチャ強かったぜ、しかも頭パンチパーマだったし」


笑いたいのを堪え、そう言うとタケシはまた唾を飲み込みながら、


「スゲーな」


と、呟いた。そんなタケシを見て、俺はスゲーなと感じていた。



 そんなこんなで四時限目も終わり、みんなが一日の中で一番比重を置いている昼休憩がやってきた。

それで? それで? としつこく訊いてくるタケシを何とか引き剥がし、食堂へ行くと味噌ラーメンの大盛りを素早く胃袋に落として席を立った。

ラーメンで火照った身体には丁度良い、肌寒い廊下を歩き、埃っぽい階段を昇ると俺は誰もいない屋上へと来ていた。


空が見たくなった。


屋上は思いのほか寒くて、乾いた風が頬に当たり、傷がピリピリする。右手の指先に唾を付けると傷口に

無理やり擦り込んだ。鈍い痛みに耐えながら、色褪せた金網フェンスに寄りかかる。空は午前中とは打って変わって薄い雲が広がり、爽やかな青空を期待していた俺はちょっぴり残念な気持ちになり、溜息を吐いた。傷口がまた痛み、俺は昨日、アフロが言った言葉を思い出していた。


『病気なんだよ、息子が……』


確かにそう言っていた。

きっと治療費か何かで莫大な金が必要なのだろう。じゃなきゃこんな遊戯に乗ってくる訳がない。もし治療が出来なくて子供が死んだら、アフロは俺を恨むのだろうか? 俺が殺したと、そう思うのだろうか?

そこまで考え、頭を振り、ハァーッとまた溜息を吐いた。


……人間は必ず死ぬ。永遠なんてモノは無く、今日も明日になれば昨日に変わり、明日も時が経てば風化され、消えて行く。今、テレビジョンを賑わせているアイドル達も小皺が目立つおばちゃんと化し、キャーキャー言われているイケメン俳優だって腹の出た加齢臭ハンパないオッサンへと変貌する。俺達人間は変わる事へ恐怖し、変わらない事に飽和して、それらを繰り返し、人は土に還るのだ。永遠なんてありえない。そう、だからこそ俺は死ぬ時が一番強く、そして賢くあって欲しいと切に願っている。


乾燥した空気が目を刺激して、やや涙目になった視線を前に戻すと、誰かが屋上に上がってくるのが見えた。滲んだ視線の先、自己主張するみたいに尖った頭が映り、門星先輩だと分かった。着崩したブレザーを(なび)かせて、ゆっくりと近づいてくる。俺と目が合うと先輩はニヤリと笑った。


「どうやら始まったみてーだな」


先輩が自分の右頬を指先でチョンチョンと触り、分厚い唇を器用に丸めて言う。


「ああ、初恋の人と戯れてきたんだよ」


俺は笑んだ。先輩はいつものように肩を竦め、軽く首を左右に振ると小さく息を吐く。


「で、その可哀そうな被害者はどうした?」

「あ? 被害者? 先輩やっぱ分かってねーな。これは相思相愛の遊戯なんだぜ、被害者なんてどこにもいねーよ」


むくれ顔で先輩を睨んだ。先輩はガシガシと硬そうな頭皮を掻くと、気だるそうに遠くを見つめる。校庭で無邪気に騒ぐ奴らの声や、昼時のハングリーな主婦を狙った石焼き芋を販売する長閑な音声が聴こえてきて、いつか見たような光景、日常が俺の世界を取り巻き始めた。右頬の痛みだけが明らかに昨日までとは違う感覚で、それだけが今の俺を支え、そして救いだった。この痛みは放さない、放したくねえ。


「そんな睨むなよ、俺は男に睨まれると蕁麻疹(じんましん)が出んだよ」


先輩は小さく舌打ちをすると上着のポケットに入っていた煙草を取り出して火を点けた。

ラッキー・ストライク。

パッケージの真ん中に夕陽のように紅い丸が施されている。母さんの好きだった色だと、俺はふと思った。先輩は美味そうに煙を吸い込むと静かに吐き出した。紫煙が漂い、すぐにこちらまで届いてきた。


「悪かったよ。で、初恋の相手っつーのはどんなヤツなんだよ? 聞かせろよ米倉」


そう言い、今度は浅く吸い込んだ。歯並びの良い口元から煙が洩れる。


「ああ、良く知らねーけど……何かアフロヘアーのやたらデカイ兄ちゃんだったぜ」


俺の脳裏にアフロ男が蘇る。緊迫した空気、膨張する熱、戦闘が終わった時の喪失感、何もかも。


「……あ、東……東征剛(あずませいごう)


分厚い唇から、その名前が零れ落ちた。その言葉は異質な重い液体のように屋上に広がる。


「アズマセイゴウ? 何だよ先輩、知ってんのか」


先輩はかなりのショックを受けているらしく、俺が吐いた言葉は誰にも定着する事は無く、灰色の床に落ちた。少しの静寂。何なんだよ? 苛立つ俺を無視して先輩はゴクリと唾を飲み込んだ。ただならぬ気配が背中を撫でる。


「なあ、どうしたん――」


言いかけた俺の口が止まった。全ての感情を押し込めたような先輩の黒い眼が、俺を見つめてきたからだ。内臓まで見透かされそうだ。寒気がした。


「米倉、今度ばかりはオイタが過ぎたようだな。……お前ヤベーぞ」


その眼が更に黒さを増して、底知れぬ不安が身体を縛り、全身の筋肉が強張った。一体、何なんだよ?


「ヤベーって何だよ、アイツ何者なんだよ」


先輩は右手の指に挟んでいた煙草を、履いていた上履きの底に押し付けて消すとスナップを使って屋上の床に投げた。


「……お前、ブラック・トゥループスって知ってるか?」


その固有名詞が吐き出された途端、身体を激しい戦慄が走る。

黒の軍隊、ブラック・トゥループス。

去年の春、フクちゃんがいつになく真剣な顔つきで言っていた。

『奴らには関わるな』













その17に続く。。。。

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