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ライス☆ハント  作者: 藤原ひろ
10/30

その10☆本能の向こう側

 放課後、一旦家に戻ると荷物を置いて西日が街を蜜色に染める中、俺はおっちゃんのいる公園に急いだ。入口奥の赤いベンチにおっちゃんの後姿を見つけると足を更に早める。


久し振りに見たおっちゃんの姿に胸の鼓動が身体を駆けて溢れそうになり、必死でそれを抑えると、おっちゃんに近付いた。


俺に気が付いたおっちゃんはどこか楽しそうに柔和な笑みを見せて、自分の隣りへ座るように手招きをする。

俺の顔をさらりと一瞥すると硬そうな顎髭を右手でシャリシャリ鳴らして、


「一丁、暴れてみるか? 兄ちゃん」


そう、ぼそりと呟いた。

静かな声音だった。


えっ? と驚くと、おっちゃんはまたさらりと視線を流して、


「兄ちゃんの眼を見りゃ、大体分かる。退屈なんだろ? 何か無聊を埋める物はねえか、毎日探してる眼だよその眼は」


その言葉が俺の精神に激しく浸透して胸の鼓動がまた身体を駆け抜けた。

こちらを強く見据えるとヘヘッと笑んで、


「図星かい? 兄ちゃん。前にも言ったろ、俺は北九州出身だからな。何でも分かっちまうんだよ」


言うなり、ベンチから立ち上がると、俺に背を向ける形で二三度屈伸をする。

振り向いたおっちゃんの面貌は引き締まり、いつもの柔和な感じはどこかへと消え、男の顔になっている。公園内に蔓延る夕陽を弾き飛ばすような黒い眼差しだけがゆっくりと俺を捉えた。


「俺についてくるかい? 兄ちゃん。刺激がどんな物か二人で味わってみようじゃねえか」


天下の関白、豊臣秀吉が織田信長と出会ったように浅田真央が山田コーチと出会ったように俺には今、目の前にいるこのおっちゃんが人生のキーパーソンではないのか? と、感じた。


これまでの事が頭の中を逡巡して、差し出された手を迷う事なく握った。

間違いはない、きっとそうだと心に強く思った。


「お願いします」


おっちゃんは豪快に破顔する。その笑い声が五時を知らせるメロディーと重なって公園に忌憚(きたん)なく響いていた。













「刺激を得る為に、まずは持久力だな」


おっちゃんに連れて来られた場所は電車で二十分弱北に移動した、埼玉県との県境にほど近い、人家が全くない『山』の中だった。


ほとんど人の手入れがないその山は、冬だと言うのに濃い緑の葉を纏った木々の枝が縦横無尽に伸びかい、鬱蒼(うっそう)としていて異常なほど寒くて、晴れた昼間にも関わらずその光は途中で遮断され、薄暗かった。まるで夕立が襲ってくる間際のようで精神の内側が少しざわついた。


荒れ果てた山道を一頻(ひとしき)り登り、二時間ほどかかって頂上へと辿り着く。


古びた山小屋と、それと同じくらい古びた木製のベンチしかないそこはおっちゃんが現役時代良く来ていた場所で、この山を駆ける事でおっちゃんも足腰を鍛えて強くなったのだと俺に教えてくれた。


「とにかく時間の許す限り走れ、兄ちゃん。そうすれば必ず刺激(スリル)邂逅(かいこう)する事が出来るよ」


そう言い、おっちゃんは静かに笑んだ。


その日から、俺は荒れ果てた山道を幾度も走った。


途中、砂利石や腐った木片に脚を取られて転びそうになったが、その度に大腿四頭筋に限界近くまで力を込めて踏ん張り、体勢を立て直すと今までの空虚な時間を埋めるように夢中で走った。


最初、走り出してものの十五分で息が切れていたが十日が経ち、気が付くと息は正常に整っていた。

三週間が経過した頃、俺は坂道を支配していた。


トレーニング開始時、往復で一時間半かかっていた道程を四十五分切るまでに走れるようになり、足腰が一から鍛えられたおかげで、身体のキレや強さが備わって運動能力が格段にアップした。


体重は筋肉で三キロ増え、体脂肪率は五パーセント減少し、特に太股の筋肉と背中の広背筋が発達して身体が一回り大きくなった気がした。


持久力が上がるのと並行して戦闘の基本である、攻撃と防御の訓練もスタートした。


ガードを固め、おっちゃんが投げ出す小石を身体を左右に振り、躱しながらどんどん近付いて行く。

黒のボディープロテクターを巻き付けたおっちゃんの腹に向かって左右の連打を浴びせる。

来る日も来る日も愚直にそれらを遂行した。


予定していた一ケ月の月日が流れて俺もおっちゃんも始めとは比ぶべくもないほど、精悍な顔付き、身体付きになり、自分の限界を一つ超えたような気がしていた。


「ヨシッ、段々良い感じになってきたじゃねーか兄ちゃん。あとは匂いが出てきたら完璧だよ」

「匂い?」

「あるんだよ兄ちゃん、匂いってのがな。どんなに石鹸で擦っても取れねえ、そいつ独特のヤツが」


額に浮いた汗を手の甲で拭い、おっちゃんは満足そうに言っていつもの柔和な顔を見せた。

納得し、腕をぶらぶらとストレッチする俺に、


「両腕は必ず鍛えておけよ兄ちゃん。腕は攻と防の要だからな」


頷いて、両拳を顔の高さまで持ち上げて構えた。今まで培ってきた物を忘れない為に、もう一度頭の中で思い描いて前方に向かい、全力でワンツーを放った。ブシッ! と、どこかで聴いた事のある音が俺の鼓膜に届いてすぐに思い出した。いつかおっちゃんが放った拳、その音にそれはソックリだった。


「ほう」


おっちゃんが小さく呟いて拍手をする真似をし、徐にボディープロテクターを脱ぎ捨てると何か楽しい事でも見つけた時の子供みたいな瞳で俺の顔を強く見据える。


「いつの間にか、出来上がったみてえだな兄ちゃん。……ヨシッ、最後の仕上げと行くか」


そう言うとおっちゃんは一人で歩き出す。


「どこに行くんすか?」


前を歩く、コンパクトなその背中に向かって疑問符を投げるとおっちゃんは立ち止り、ゆっくりと振り返った。底の見えない深い黒目が俺を的確に捉えて全身の筋肉が反射的に強張る。


「本能の向こう側だよ」


おっちゃんは不敵な笑みを浮かべた。




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