おまけ④ もう一人の私へ
おまけです。書き足りないことが多くてすみません。以前のリーナと話をしてみたかったので。
夢だと、わかっていた。
景色がない。光もない。ただ白い霧のような空間の中に、私は立っていた。足元に何があるのかもわからない。ただ、沈まない。
「……あなたが、入ってきた人?」
声がした。
振り返ると、そこに女の子が立っていた。
白を帯びたピンクの髪。紫がかった目。
私と、同じ顔だった。
でも——目が違った。強い光を持った目だった。何かを燃やしているような、このままでは終わらせないと言っているような目。
私はその目を知っていた。
ラノベの中で、何度も読んだ目だった。
「……あなたが、リーナ」
「そっちもリーナでしょ」
「うん」
私は少し考えてから、言った。
「急に入り込んでごめんなさい」
「謝るの?」
「当然でしょ」
元々のリーナが、少し目を細めた。
「変な人」
「そうかもしれない」
しばらく、沈黙があった。白い霧が、ゆっくりと揺れた。
「……私の体で、何をしたの」
「アルテア様の推し活と、嫌われ作戦と、聖女の仕事」
「意味わかんない」
「ごめん、説明すると一生かかる」
元々のリーナが、じっと私を見た。
「幸せ?」
「え?」
「私の体。私の人生。幸せ?」
真剣な目だった。炎のような目が、真正面からこちらを見ていた。
「……幸せにしてもらった、と思う」
「してもらった、って言い方するんだ」
「みんながしてくれたから」
元々のリーナが、少し黙った。
「……知ってるの。私のこと」
断定だった。質問ではなかった。
「知ってる」
「どこまで」
「だいたい、全部」
元々のリーナの目が、少し揺れた。炎が、一瞬だけ小さくなった。
「……お母さんのことも」
「知ってる」
「這い上がろうとしてたことも」
「知ってる」
「好きな人も大切な人も、いなかったことも」
「知ってる」
沈黙があった。
霧が、ゆっくりと揺れた。
「……気持ち悪くない?」
「何が」
「全部知ってるの」
私は少し考えた。
「気持ち悪くはない。ただ——ずっと言いたかったことがあった」
「何を」
「あなたは悪くなかった」
元々のリーナが、目を瞬いた。
「……は?」
「手を上げた人間が悪かった。理不尽だった。それでも前を向いて、這い上がろうとしたあなたは、正しかった」
「……嫌だったんじゃないの。ラノベのキャラに、何言ってるの」
「あなたは、登場人物じゃない。ちゃんといたんだ」
元々のリーナが、少し黙った。炎のような目が、また少し揺れた。
「……変な人」
「そうかもしれない」
「そういうこと言ってくれる人、いなかった」
「知ってる。だから言いたかった」
長い沈黙があった。
霧が、少しずつ薄くなっていく気がした。
「結果は?」
「公爵令嬢になって、王太子妃になって、アルテア様の義妹になった」
「這い上がったじゃない」
「方法は全然違うけど」
「幸せなんでしょ」
「うん」
「じゃあいい」
あっさりと、そう言った。
「よくないでしょ。あなたの人生なのに」
「本当はどうでも良かったの。こんな人生」
「……ごめん」
「謝らなくていい」
元々のリーナが、静かに言った。
「あなたが来なくても、私の終わりは変わらなかったと思うから」
その言葉が、重く落ちた。
ラノベの中でリーナは修道院に送られる。それがシナリオだった。私が来なければ、この子はそのまま、あの結末に向かって歩いていった。
「……あなたが燃やしてきたもの、私が受け取ったと思う」
「どういうこと」
「聖女の仕事をするとき、絶対に諦めないって思う。どんな重篤な患者も、どんな遠い村も。それってたぶん——あなたから来てる気がして」
元々のリーナが、少し黙った。
「……大げさ」
「本当のことだよ」
「そう」
霧が、もっと薄くなった。輪郭が、ぼやけ始めた。
「ねえ」
元々のリーナが、一歩近づいた。
「アルテア様って、ラノベで読んでた通りの人だった?」
「全然違った」
「どう違ったの」
「もっとずっとよかった。お菓子食べるの可愛くて、耳すぐ赤くなって、夜に部屋まで来て魔法の指導してくれて——」
「楽しそうに話すね」
「だって好きだから」
元々のリーナが、静かに笑った。
炎のような目のまま、でも口元が、柔らかく緩んでいた。
この笑顔は、ラノベには載っていなかった。
「よかった」
「え?」
「好きな人のそばにいられてよかった。私にはそういうの、なかったから」
「……うん」
「ちゃんと生きて」
声が、遠くなっていく。
「生きてるのはあなたでしょ」
「あなたの分も生きる」
「大げさ」
「本当のことだよ」
「……アルテア様に、よろしく」
「言う」
「あと王子。目が痛いよね。正直に言っていい」
思わず笑った。
「それ、もうずっと言ってる」
「そう。ならいい」
声が、消えた。
霧が、晴れた。
目が覚めたとき、部屋の天井があった。
朝の光が白いカーテンを透かして、床に淡い影を作っていた。
私はしばらく、天井を見つめたまま動かなかった。
夢だった。でも——夢にしては、鮮明すぎた。
ラノベの中で何度も読んだ目を、今夜初めて目の前で見た。活字では伝わらなかったものが、そこにあった。炎の熱さも、笑顔の柔らかさも、声の静けさも。
「……ちゃんと生きる」
小さく呟いた。
あなたの分も、と言ったら大げさだと言われた。でも本当のことだから、撤回するつもりはない。
窓を開けると、朝の空気が冷たく流れ込んできた。
今日はアルテア様とお茶の予定がある。
よろしく、と言われた。どう伝えるかはまだわからない。でもいつか、きっと。
「おはようございます、リーナ様」
扉を叩いてエルが入ってきた。
「おはよう、エル」
「今日は顔色がいいですね」
「いい夢見た」
「どんな夢ですか」
「もう一人の私に、会った」
エルが首を傾けた。よくわからない顔をしていたが、追及しなかった。それでいい。
窓の外で、朝の鳥が鳴いた。
ラノベの中にいた、助けてあげられなかった子に、言えた。
あなたは悪くなかった、と。
それだけで、今日はもう十分だった。
これにて完結とします!ありがとうございました。




