おまけ③ 綿菓子のお嬢様
おまけです。侍女のエルから見たリーナを書きました。
私の名前はエル。学園が聖女付き侍女として派遣した、平民出身の侍女だ。
辞令を受けたとき、少し緊張した。聖女というのは特別な存在だ。光の魔力を持ち、人を癒す力を持つ。どんな方なのか、きちんと補佐できるか。そう思いながら、初めてリーナ様にお会いした。
白を帯びたピンクの髪に、紫がかった目。小柄で、顔立ちは柔らかい。
「荷物を運びなさい」
第一声がそれだった。
目が——燃えていた。炎のような、強い光が目の奥にあった。何かを見据えているような、このままでは終わらせないと言っているような目だった。
「はい、ただいま」
私は荷物を持った。
リーナ様は私を見なかった。もう次のことを考えていた。
使用人というのはそういうものだ、私にはそれが相応しい、まだ足りない、という扱いだった。怒鳴られるわけでも、理不尽に当たられるわけでもない。ただ——そこにいて当然の存在として、淡々と使われる。
感じのよい笑顔は、教師や他の生徒に向けるものだった。私には向けられなかった。
この方は、何を目指しているんだろう、と思った。
あの目の奥の炎が、どこへ向かっているのかが、わからなかった。
入学式の日だった。
式が終わって部屋に戻ったとき、リーナ様が突然、ベッドの上に座って固まった。
「リーナ様? お加減が」
返事がなかった。
「リーナ様!」
「……あ」
リーナ様が私を見た。
目が、違った。
炎が——消えていた。
さっきまでとは全然違う目だった。あの燃えるような、強い光が消えて、代わりに、もっと柔らかい何かが宿っていた。焦点が合っている。ちゃんとここを見ている目だった。
「……エル」
「は、はい」
「ちょっと待って。整理する」
「え?」
リーナ様は両手で顔を覆った。しばらく、動かなかった。
私は困って、その場に立ち尽くした。
やがてリーナ様は顔を上げた。
「……はい詰んだ」
「え?」
「詰んだ。完全に詰んだ」
「だ、大丈夫ですか? お医者様を——」
「いらない。体は元気。ただ、人生が詰んだ」
「……」
「エル、一ついい?」
「は、はい」
今まで私を名前で呼んだことがなかった。
「アルテア・エーデルシュタイン様って、今どこにいる?」
目が、爛々としていた。炎ではなく——熱狂、に近い何かだった。
「え、えーと、アルテア様でしたら今頃は——」
「会いたい。どうしたら会える?」
「そ、それはまだ入学式も終わったばかりで——」
「早く会いたい」
「リーナ様!?」
リーナ様がはっとした顔をした。
「……ごめん。取り乱した」
「い、いえ……」
「落ち着いた。大丈夫」
でも目は全然落ち着いていなかった。紫がかった瞳が、きらきらしていた。
私はその日、リーナ様が何かを思い出したのだと理解した。何を思い出したのかは、わからなかった。
でも——この方が、急に別の人になった。
そして気づいた。
思い出す前の炎のような目は、どこかへ消えた。
思い出した後の目は、全然違う光を持っていた。
それからのリーナ様は、別人のようだった。
まず、私への態度が変わった。
「エル、ちょっといい?」
名前で呼ばれるようになった。用件を言いつけるだけだった口調が、話しかける口調になった。
「さっきの独り言聞こえてた?」
「……少し」
「忘れて」
「はい」
「ありがとう」
お礼を言われるようになった。
戸惑った。正直に言えば、最初は戸惑った。今まで使用人として当然のように扱われていたのが、急に人間として話しかけられるようになったから。
でも——悪くなかった。
独り言も爆発的に増えた。
「はい詰んだ」
「最悪だ」
「嫌われ作戦、開始します」
「落ち着け私」
「なんで照れてるんだ私」
「目が痛い」
一日に何度出てくるかわからない。内容は脈絡がない。でも——声に力があった。
愛想の笑顔は、すっかり影を潜めた。
代わりに出てきたのは、思ったことをそのまま言う口だった。
殿下に「目が痛いです」と言い放った場面は、近くで聞いていた。周囲が凍り付く中、リーナ様の顔は——妙にすっきりしていた。本当に思ったことを言えた、という顔だった。
入学式の前までは、あの炎のような目で何かを見据えていた方が。
今は殿下に向かって目が痛いと言っている。
何がどうなったのか、私にはよくわからなかった。
でも——笑い方が変わった。
作り物の笑顔の代わりに出てきたのは、声に出さず目元だけで笑う、小さな笑い方だった。アルテア様と話しているとき、よく出てくる。
本物だ、と思った。
公爵家の養女になる話が決まった日、リーナ様は夜遅くまで起きていた。
「眠れないの?」
「少し、実感がなくて」
「怖い?」
「怖くはない」
リーナ様が窓の外を見た。夜の王都の灯りが遠くに見えた。
「でも——よかったのかな、って」
「よかった、というのは」
「私みたいなのが、公爵令嬢になって」
私は少し考えてから言った。
「リーナ様は、入学式の日から変わりましたね」
「……そうかな」
「最初のリーナ様、ちょっと怖かったです」
リーナ様が目を丸くした。
「怖かった?」
「目が——何かを燃やしているみたいな目をしてたので」
リーナ様がしばらく黙った。それから、小さく笑った。
「そうだったかも。そのとき私、野望があったから」
「野望?」
「うん。でも入学式の日に忘れた」
「忘れたんですか」
「別のものを思い出したから」
「アルテア様のこと?」
「……よくわかるね」
「あの日、一番最初に聞いたのがアルテア様の居場所でしたから」
リーナ様がまた笑った。今度は声に出して。
「そうだっけ。まあ、そうかも」
「よかったと思います。あの目より、今の顔のほうがずっといいです」
リーナ様が少し目を丸くした。
「……ありがとう、エル」
窓の外で、王都の灯りが静かに瞬いていた。
野望を燃やしていた目が消えて、推しへの熱狂が宿った目になって、今は穏やかに微笑む王太子妃になろうとしている。
でも——目元だけで笑う、あの本物の笑い方は、入学式の日に何かを思い出したあの瞬間から始まったのだと、私は知っている。
それが、私はとても好きだった。
ありがとうございました!




