第十三章 王子の本気
もうすぐ三年次へ進級する頃、殿下が私を呼び出した。
場所は王宮の薔薇庭園。放課後に「少し時間をもらえるか」と言われ、なんとなく断れずについてきてしまった。
王宮の庭園は、学園とは比べものにならない規模だった。
整然と刈り込まれた生け垣の向こうに、深紅と白と黄色の薔薇が競うように咲き乱れている。石畳の小道が緩やかに曲がり、その先に白い東屋が見えた。
太陽の光が庭全体に降り注いで、花びらの一枚一枚が宝石のように輝いていた。薔薇の甘い香りが風に乗って流れてくる。
今日の私はクリーム色の薄手のワンピースに白いカーデガンという格好だった。公爵家の養女になってから衣装の質が上がり、素材の滑らかさが全然違うとエルに言われた。白を帯びたピンクの髪が夕日を受けて、少し淡く輝いていた。
「きれいな場所ですね」
「リーナに見せたかった」
殿下が真っすぐに言った。
「……殿下」
「一つ、聞いていいか」
「……はい」
「俺のことが嫌いか」
「嫌いではないです」
「では何が問題だ」
「殿下にはアルテア様がいらっしゃいます」
「アルテアとは、幼い頃から決まっていた婚約だ。互いに恋愛感情はない。アルテア自身もそれを認めている」
「でも私は、アルテア様のことが好きです。アルテア様を差し置いて殿下のお気持ちを受け取ることは、私にはできません」
殿下がしばらく黙った。庭園に風が吹いて、薔薇の花びらが一枚、ゆっくりと石畳に落ちた。
「……俺は今まで、多くの令嬢と会ってきた。みんな俺に対して、王子として接してくれる。礼儀正しく、計算高く、俺の機嫌を損ねないように気を遣いながら」
「はあ」
「君は違う。目が痛いと言う。苦手だと言う。嫌われようとしてくることさえある」
「……バレてましたか」
「最初からわかっていた」
殿下が少し笑った。
「わかっていて、それでも気になった。君の言葉は全部、本物だから」
「……」
「俺には王命という手段がある。王命を下せば、断ることはできない。それを使えば、君を縛ることができる」
「……はい」
「でも、そんなことはしたくない」
殿下の声は穏やかだった。金色の髪が輝き、碧色の瞳が静かに私を見ていた。
眩しい。目が痛い。でも——なぜか、逃げる気になれなかった。
「君に選んでほしい。命令ではなく、君自身の意志で」
「……殿下は、ずるいです」
「そうか?」
「王命を使わない、と言われたら——断りにくいじゃないですか」
殿下が、今度こそ声を出して笑った。
「一年待つ。アルテアとの話が片付いて、君が考える時間として、一年待つ。それだけあれば、俺のことを少し見てくれるか」
「……一年」
「長すぎるか?」
「短すぎます」
「では二年——」
「そういう意味じゃないです」
「冗談だ」
殿下がまた笑った。
「一年でいい。一年だけ、待たせてくれ。……いいよな?」
最後の「いいよな?」が、ひどく柔らかかった。命令ではない。脅しでもない。ただ、静かに確認している。
私の顔が、じわじわと熱くなっていくのを感じた。
「……返事は一年後に、します」
「ありがとう」
殿下がほっとしたように微笑んだ。その笑顔がまた眩しくて、私は思わず視線を逸らした。
「目が痛い」
「一年後にはそう言わせない」
「言います」
「言わなくなる」
「言います」
「楽しみにしている」
帰り道、私は一人で顔を覆った。
「なんで照れてるんだ私」
「リーナ様、顔が真っ赤です」
「見ないで」
「でも真っ赤で——」
「見ないでって言ってる!!」
エルが慌てて視線を逸らした。
推しを守るための嫌われ作戦が、完全に崩壊した瞬間だった。




