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影化した友人

講義棟の中庭は、異様なほど静かだった。

逃げ惑う足音も、悲鳴も、もう聞こえない。

ただ、風に揺れる木々の葉擦れと、濁った呻き声だけが残っている。

クレメンタインは足を止めた。

嫌な予感が、背骨を冷たく撫で上げる。


「……ベッカ?」


呼びかけた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。

返事がないことに、どこかで安堵しながら、同時に胸が締めつけられる。


中庭の中央。

倒れたベンチの向こうで、人影がゆっくりと立ち上がった。

最初は、誰だかわからなかった。

服は裂け、背中は不自然に歪み、影が皮膚の下を這っている。


けれど。


揺れる髪。

聞き慣れた体格。

そして、首を傾ける癖。


「……ベッカ……?」


その名を口にした瞬間、胸の奥で何かが音を立てて壊れた。


ベッカは振り向いた。

その瞳には、もう人の光がなかった。

黒く濁り、焦点の合わない視線が、クレメンタインを捉える。


「あ……」


喉から、意味をなさない音が漏れる。

否定したかった。

違うと言いたかった。


さっきまで、隣で笑っていた。

シャムスの話をして、からかって、学内カフェの新作ドリンクを語っていた。


その彼女が。


影を纏い、

人だった痕跡だけを残して、そこに立っている。


ベッカの口が開いた。

言葉にはならない呻きが、喉の奥から溢れる。


一歩。

また一歩。


クレメンタインの足が、動かない。

逃げなければならないと、頭では理解しているのに、身体が拒絶していた。


「……やだ……」


震える声が、空気に溶ける。


「こんなの……嘘でしょ……」


涙が視界を滲ませる。

瞬きをしても、ベッカの姿は消えない。

影に呑まれても、彼女は彼女のままだと思ってしまった。

助けられるかもしれないと、どこかで期待してしまった。


それが、間違いだったと、今ようやく理解する。


ベッカが腕を伸ばす。

その動きはぎこちなく、けれど確実にこちらへ向かってくる。


「……ごめん」


誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。

助けられなかったこと。

一緒に逃げられなかったこと。

そして、ここに立ち尽くしている自分自身へ。


クレメンタインは歯を食いしばり、視線を逸らした。


見ていられなかった。

友達だった面影を、これ以上壊されたくなかった。

踵を返し、走り出す。

背後で、影の呻き声が追いすがる。

涙が頬を伝い、呼吸が乱れる。

胸が痛くて、息をするたびに心が裂けそうだった。


それでも、止まれない。


生きるために。

シャムスとリナナに会うために。

そして、この絶望を無駄にしないために。


クレメンタインは、泣きながら走り続けた。

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