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婚約破棄されたけど畑チートで第二の人生は大豊作です!  作者: 妙原奇天


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第6話「任命書、街道の灯」

 白い共同倉の壁に、朝の光が薄く広がる。

 晒し床で乾く乾麺が、風にさやさやと鳴いた。

 私は板の前に立ち、〈畑の税〉の欄に昨夕出立した薄焼き旗と乾麺束の数字を記す。

 旗◎二十束、乾麺○十束、麦茶△一桶――月末へ向けた一便目。

 板の端には、王都から来た若い文吏の赤い“立会印”。

 赤は朝露に濡れて、しかし色褪せない。


「アリシア」


 背後からルディの声。

 彼は丸めた紙束を胸に抱えていた。表紙の革には、鍋の影と波型の刻印。

 彼は紙を掲げて、少し照れくさそうに笑う。


「“畑軍師任命書”。……鍋の横で乾かそう」


 胸の奥で、やさしい鐘が鳴る。

 私は頷き、倉の影に据えた鍋の蓋を外した。

 湯気が紙に触れ、繊維がわずかに開く。

 文字を受け入れる準備をする紙の匂い――これは、私が最も好きな“式の香り”だ。


「読み上げる」


 ルディの声は、剣ではなく鍬の重さを持っていた。

 “エルド辺境伯ルディオ・ヴァン・グリムは、当地の畑を守り育てる軍師として、アリシア・エルドを任ずる。以下の権限を与える――倉・街道・堰板・市民監査・色札・歌の運用。紙は鍋の横で乾かすこと。”

 最後の一行に、私は小さく笑った。

 “紙は鍋の横で乾かす”――式文にしてはあまりに素朴だ。でも、この地にふさわしい。


「署名を」


 私は指先にインクを含ませ、ゆっくりと名を書く。

 ――アリシア・エルド。

 ルディも続け、鍋の影と波の刻印を押す。

 湯気が紙に触れ、インクが定着し、紙が乾いた。


「……畑軍師、任に当たる」


「お受けします。返さないでいいなら、ずっと」


 彼は頷き、視線を一瞬だけ逸らし、それからまた私を見た。

 言葉は短く、沈黙は良い火加減だった。


 任命式の直後、丘の下から鈴が駆け上がって来た。

 扇の隊長だ。顔に埃、肩に薄焼き旗の束を一本。

「街道茶屋、設え完了! “薄焼き旗の休み処”三カ所。旗の湿りを点検し、麦茶で喉を通す仕組み、運び手が自分で使えます!」


「よくやったわ。……“雲の日”は旗を寝かせ、“太陽の日”は裏返す。切れ込みの“耳”が湿っていたら、布で拭う」


「合言葉は?」


「“雲→星→太陽”。灯りをその順に点滅させて、**“街道のあかり”**にするの。夜間は灯で合図、昼間は旗の耳」


「了解!」


 街道に灯りが点けば、薄焼き旗は道そのものになる。

 税は“見える形”を得て、人を“続ける”方へ導く。


 昼、私は板に新しい欄を増やした。

 〈街道の灯〉

 ・一の灯(谷口):点灯、雲→星→太陽

 ・二の灯(森手前):点灯、雲→星→太陽

 ・三の灯(丘上):点灯、雲→星→太陽

 ・旗の湿り報告:二束/十束(雲の合図)


 “灯の番”は、**“星守ほしもり”**という新しい役にした。

 “種守”が未来のパンを守るなら、“星守”は道の息を守る。

 子どもが「星守! かっこいい!」と叫び、婆さまが笑って星の印を縫い付ける。


「守りは続くため」

 私は板の下に小さく書き足した。

 言葉は短く、けれど日々、目に触れる場所に置くこと――それが畑の“法”だ。


 午後、王都へ向かった第一便の使いが戻ってきた。

 息は上がり、頬が火照っている。

「門を通った! 王都の門番が“王都印がない”と渋ったが、“畑の税欄”の板写しと“立会印”を見せたら、若い文吏が通した。薄焼き旗は城の兵糧庫へ。**『軽くて数えやすい』と褒められたそうだ!」


 広場に歓声が走る。

 扇の隊長が跳ねるように笑い、私は胸を撫で下ろした。

 剣より早い旗が、紙より正しい板に支えられて、王都へ届いた。

 数刻ののち、王都の若い文吏本人が、埃をまとって現れた。


「市民監査日の立会、続ける。……それと王都広場にも“畑の税欄”を作る。――見せてくれ、板の木取りと字の大きさ」


 私は図を描き、“王都仕様”の札の重さや、“人の波”の流れを読む立て位置を記した。

 王都は人が多い。数字が流れに溺れないよう、**“読み人”**を置く必要がある。


「“読み人”?」


「板の横で数字を声にして読み上げる人。――“耳への札”よ」


 彼は頷き、目を細めた。

「君の言う“耳”は、剣より強い」


「耳は鍋に蓋をしても聞こえるから」


 夕刻。

 私は“街道の灯”の一つ、森手前の茶屋を見に行った。

 粗い板壁、風が抜ける窓、梁から吊られた薄荷の布。

 棚には“麦茶の桶”と“布包みの塩”と“灰の壺”。

 壁には**“旗の耳”の絵札**――湿りの見分け方、結び目の点検、旗の裏表。

 茶屋を預かるのは、かつて袋をやり直した若者だ。

 彼は胸に“雲”の札と“星守”の印をつけ、まっすぐに私を見た。


「ここ、俺の居場所です」

「うん。ここは、誰かの次の一歩のための場所」


 彼が旗の耳を示し、私は頷く。

 窓辺に刻んだ**“雲→星→太陽”**の小さな灯の段。

 夜になれば、順に灯がともる。

 歌に合わせて点滅すれば、人は間違えない。


 茶屋を出ようとしたとき、森の影から二つの人影。

 フードは深く、足取りは躊躇いなく速い。

 レオンが半歩前へ出て、静かに手を上げる。

 「止まれ」

 影のひとつが袖から小瓶を落とした。甘い匂い。

 粗製粉。

 私は茶屋の台を指で示した。


「ここで検見。舟でも袋でも、道で見せるの」


 木皿に水、匙で粉、落とす、透かす。

 黒い沈殿。

 若者の目がわずかに揺れ、星守の灯が雲→星と点り、次の瞬間、太陽が灯った。

 レオンが二人の腕を取る。

 抵抗は薄く、足取りはほどけた。


「どうして混ぜるの」

 私の問いに、片方が唇を噛んだ。

「“王都倉が空だらけ”を埋める金が出るって……“雲の灯が三つともった時が合図”と……」


 私は息を呑んだ。

 雲→星→太陽の合図が**“雲だけ三つ”**に偽られた。

 “歌”の影を狙う手口。

 道具は、使う者を選ばない。ただ、場が選ぶ。


「今日はここで**“灯の読み合わせ”ね」

 私は板を取り出し、灯の順の図を描き直す。

 “雲→星→太陽”は“行け”。“星→雲→星”は“止まれ”。

 歌に二種の節をつけ、“行きの歌”と“待ちの歌”**を分ける。

 道で対策を増やす――これが畑のやり方だ。


 夜更け、共同倉に戻ると、白壁に灯りが揺れ、薄焼き旗の影がやわらかく踊っていた。

 私は板に〈街道の灯〉の“読み合わせ”を追加し、**“待ちの歌”**の節回しを書き付ける。

 そこへ、ルディが入ってきた。手に紙をもう一枚。


「……王都から返書。『薄焼き旗、兵糧として優良。ただし“王都印”は必要』」


「印は“立会”で押す。紙ではなく、板の横で。

 王都の広場の“畑の税欄”の前で、“読み人”が旗を数え、赤い立会印を押す。それが王都印でいい」


 ルディは薄く笑い、紙を畳む。

「鍋の横で乾く印だな」


「ええ。風にめくれない印」


 彼は少し躊躇い、それから言葉を選ぶように口を開いた。

「……アリシア。任命書を読み上げるとき、手が震えた。剣の時は震えないのに」


「剣は一度。紙は毎日。――続ける方が、怖いの」


「君は、怖くないのか」


「怖いわ。だから、歌にする。図にする。札にする。……怖さを手順に変える」


 彼は深く頷き、手袋の上から私の手を、一瞬だけ握った。

 短い、でも確かな重み。

 “任せろ”ではなく、“一緒に続けよう”の重みだ。


 翌朝。

 王都からの使いが、王都広場の“畑の税欄”の絵写しを届けてきた。

 板は高く、文字は太く、横に**“読み人台”。

 若い文吏の赤い立会印が四つ、すでに並んでいる。

 彼の書き添え――“板の前で、剣より多くの人が足を止める”**。

 私はその一行を指で撫で、胸の奥に小さな灯をともした。


「耳への札、王都でも効いてる」


 扇の隊長が肩で息をしながら走ってきた。

「街道の二の灯、狐火で紛らわされたが“待ちの歌”で止めた! 旗は濡れず、運び手は足を休められた!」


「よし。狐火も歌には勝てない」


 狐火は風の悪戯だ。

 でも、合図の歌があれば、人の足は惑わない。


 夕刻、第二便の旗束が組まれる。

 薄焼き旗◎二十五束。乾麺○十五束。麦茶△二桶。

 私は一本を抜き、**“畑軍師任命書”**の隣に立てかけた。

 紙と旗。

 どちらも鍋の横で乾いた。


「行って」


 運び手たちがうなずき、**“行きの歌”**を低く合わせる。

 雲→星→太陽。

 灯りが街道に連なる。


 レオンが私の横に立つ。

「……王都の“紙の満杯”は、君の旗で破れる」


「破るんじゃないわ。乾かすの。湿った紙は、鍋の横で」


 彼は笑い、少し真面目になった。

「君の比喩は、腹が減らない」


「なら、勝ちよ」


 夜。

 倉の前で、私は小さな板に〈明日〉を書いた。

 ・薄焼き旗:規格幅、耳の切れ込み、赤紐

 ・灯:“待ちの歌”の節回し練習

 ・茶屋:薄荷布の交換、灰の補充

 ・王都:読み人の節の送り、耳への札

 ・虫:石灰・灰・樟の配合3:2:1再確認


 書き終え、空を仰ぐ。

 星は手が届かない。

 でも、星守の灯は、手が届く。


「――さあ、明日も畑から始めましょう。旗を焼いて、灯をつけて、板を読む」


 夜風が、やわらかく返事をした。


(つづく)

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