表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたけど畑チートで第二の人生は大豊作です!  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/21

第4話「粉と歌、国境の起工式」

 朝の共同倉は、白い壁が柔らかく光り、晒し床が風にさやさやと鳴っていた。

 私は手を洗い、石臼の前に座る。臼の縁に指を添え、ゆっくり回す――粉の香りが立つ。

 粉は土の記憶だ。雨の回数、陽の角度、鍬の重さ、笑い声の数――全部が細かく砕かれ、香りに変わる。


「アリシア、臼の目、変えてみたぞ」


 錠前師兼なんでも工房の親方が、笑いながら新しい臼の上石を持ってきた。

 目が浅く、放射状の溝が増えている。

 私は試しに回し、指先で粉をひとなで。きめは細かいが、熱は上がりすぎていない。よし。


「これなら乾麺向き。――今日から“加工ライン”を本格稼働ね」


 板に描いていた図を、もう一度大きく描き直す。

 〈粉〉→〈乾麺〉→〈薄焼き〉→〈麦茶〉の四つの台を矢印でつなぎ、それぞれの台に“歌”を割り振る。

 粉の歌は「回して、回して、息合わせ」。

 乾麺の歌は「踏んで、伸ばして、雲の薄さ」。

 薄焼きの歌は「火は弱く、風で強く」。

麦茶の歌は「湯に落とし、灰で斬る」。


 歌は段取りの刃。

 刃が鈍れば指が切れるが、歌があれば動きも揃う。


 子どもたちが目を輝かせ、台へ散った。

 “種守”の赤紐が揺れている。

 私は薄焼き台の火加減を見て、蜂蜜壺を少し高い棚に移した。甘さはご褒美、習いを身につけた後。最初は香りだけで十分だ。


 昼には第一陣の乾麺が長い棚に並んだ。

 太陽の印の日は半日で乾くが、雲の日は倉の中で扇を使う。

 扇の隊長は、先日“袋のやり直し”をした若者が志願した。

 彼の目は、昨夜よりずっと静かだ。


「アリシアさん、風はこう?」

「うん、扇は“雲”ね。太陽は皮膚を焼くけど、雲は中まで風を入れるの」


 彼は頷き、扇の角度を変える。

 罪は消えない。

 でも、習いに組み込めば、村は壊れない。

 私はその背を見て、胸の奥の小さな棘がまたひとつ土に還るのを感じた。


 午後、国境の使者の従者が再び現れた。

 埃を払い、手短に告げる。


「起工式は三日後。王都からも役人が来る。――“共同検見台”は国境の石橋の上、川風の通り道に設ける。

 ついては“倉の歌”と“色札の一式”を貸してほしい」


「貸すじゃなくて、贈るわ。国境は風が強い。札は少し重くする。石粉を混ぜた紙なら、風に負けない」


 従者は目を丸くし、それから口角を上げた。

「君はいつも“続ける”方を選ぶな」


「剣は一度、倉は毎日。――剣より倉を優先するだけ」


「剣を持つ側として、それを聞くのは、少し救いだ」


 彼は短く礼をし、走り去っていった。

 残る砂埃が光って舞い、私は“色札紙の配合表”を板に書き加えた。

 紙:石粉=4:1、糊を少し増やして耐水を上げる。

 “太陽・雲・星”の刻印も、国境版は線を太く、遠目にも読めるように。


 その夜、広場では“国境行きの前夜祭”の準備が始まった。

 と言っても、いつもの焚き火と歌、薄焼きの香りと蜂蜜水――変わらないから続く祭りだ。

 私は板の端に小さく〈国境:倉の歌・色札・半鍵(予備)・堰板模型〉と書き、荷の確認をする。

 そこに、ルディがやって来た。肩に披露用の短い外套、でも中はいつもの作業服。


「堰板の模型、兵が磨いた。子どもでも上げ下げできる重さだ。……あと、これ」


 彼が差し出したのは、薄い革の手袋。

 手首には小さな波の刻印と、鍋の影。


「“畑軍師の印”だ。国境で、君の手が“だれのための手か”を示してくれる」


 私は手袋をはめ、握って開く。

 革は柔らかく、指に馴染む。

 胸の奥で、やさしい熱が灯る。


「ありがとう、ルディ。――借りるわ。返さないでいいなら、ずっと」


「返されても困る。俺の手は、君の印を頼っている」


 火の音がぱちんと弾け、言葉がそれ以上を求めずに沈んだ。

 沈黙は、よい火加減だ。


 三日後、国境。

 石橋の上には、青と白、赤と青の旗が並び、川風が混じり合う。

 橋の中央に“共同検見台”、両側に“国別検見台”。

 その真ん中に、紐で結わえた札束と、歌の板、堰板の模型、半鍵の予備。

 人の輪の向こう、王都の役人が顎を上げ、隣国の役人が扇を軽く打つ。

 黒扇の使者は一歩後ろ――だが、目は笑っていた。


「園……いや、“畑の軍師”。待っていた」


「“鍋の盟”に“倉の歌”を足しに来たの。――湯気の次は粉と歌よ」


 彼は扇を閉じ、短く頷く。

「風が変わるたびに、紙が増えるな」


「紙は乾く。歌は覚える。……続けるために、両方を」


 起工式は、形式ばった挨拶こそあったが、中心はあくまで“手”だった。

 最初に検見台へ袋を載せたのは、国境の羊飼いの少年。

 次に、隣国側の麦袋、王都側の豆袋。

 袋を開き、粒を掌に取り、光に透かし、色札を吊るす。

 “◎”“○”“△”“×”。

 ◎は共同倉へ、○は各国倉へ、△は加工へ、×は家畜へ――板に絵で示しながら、橋の上で決める。


 王都の役人が眉をしかめる。

「民の前で“×”を出せば、不安を広げるだけだ」


「“×”は鍋の下の火よ。隠せば床を焦がすわ」

 私は穏やかに返し、麦茶を手渡した。

「飲んで。灰をひとつまみ落としてある。渋味が消える。――“見える手順”の味」


 役人は訝しげに一口飲み、それからわずかに目を見開いた。

 渋味が落ち、穀物の香りだけが残る麦茶は、喉を素直に通る。

 言葉で説得できない相手には、味に任せる。畑の外交だ。


 午後、橋の上に“堰板の模型”を据え、子どもたちが上げ下げの手順を見せる番になった。

 太陽はここまで、雲は半分、星は閉じる――刻印が光るたび、拍手が湧いた。

 隣国側の子も王都側の子も、同じように笑う。

 黒扇の使者が、私へ小声で囁く。


「国境で、はじめて“同じ笑い”を見た」


「湯気と粉と歌は、言葉より素直だから」


 彼は短く笑い、それから表情を引き締めた。

「だが、影も来ている。……橋の下、川舟に怪しい荷」


 私は合図を送り、レオンが兵を連れて橋の脇へ回る。

 舟が二艘、流れに紛れながら近づいていた。

 荷は白い袋。

 舟頭は「塩だ」と叫ぶが、袋の縫い目は“王都倉”規格ではない。

 私は川岸に降り、袋の口を切った。

 ――甘い匂い。

 指先で掬い、水に落とす。黒い沈殿。

 粗製粉。

 舞台に立つべき“道具”が、また裏から忍び込もうとしている。


「ここで、検見よ」

 私は橋の上へ戻り、舟から一袋ずつ持ち上げて台に載せた。

 隣国の役人、王都の役人、黒扇の使者、ルディ、爺さま婆さま――全員の前で。

 水、匙、落とす、透かす。

 子どもが色札の“×”を手にし、ためらい、私を見る。

 私はうなずいた。

 ――正しい“×”は、正しい“◎”への道。


 役人たちがざわめき、舟頭は青ざめた。

 そのとき、斜面の上から木杭が転がり落ち、検見台の脚を直撃した。

 台がぐらりと傾き、袋が滑る。

 悲鳴。

 私が支えるより早く、ルディが肩で台を受け、黒扇の使者が袋を押さえ、レオンが杭の元へ駆ける。

 斜面の上で、若い影が転び、逃げようとして兵に押さえ込まれた。

 私たちは息を整え、傾いた台を起こす。

 台の脚は折れていない。

 “版築”で固めた土台が、衝撃を受け止めたのだ。


「――続けよう」


 私は静かに言い、舟の袋に“×”を吊るした。

 罵声は上がらない。

 歌が、かすかに流れた。

 「湯に落とし、灰で斬る」


 橋の上に、暮らしが戻る。

 影はいる。

 だが、暮らしの側にいる人数は、もう影より多い。


 起工式の終わり、各国の印とともに、私の手袋の波刻印が“共同検見台・国境仕様”の板に焦がし印で刻まれた。

 板が風に鳴り、川面が光る。

 黒扇の使者が小さく囁く。


「君の印は、剣ではなく、歌の横に置かれた」


「私の剣は鍬。――鍬は土を斬らない。土を、ほどく」


「ほどく……。よい言葉だ」


 その夜、国境の宿で、私は板の端に今日の“段取りの振り返り”を書いた。

 ・色札:国境版は重くして正解。

 ・堰板:子どもが上げ下げできた。

 ・検見台:土台は版築、脚は太めに。傾きにも耐えた。

 ・粗製粉:舟経由。斜面からの妨害。――次回、見張りを“灯り”に。

 灯りは、歌の節に合わせて点滅させる。

 合図は「雲→星→太陽」の順。

 歌と灯りが合えば、人は間違えない。


 扉が軽く叩かれ、ルディが入ってきた。

 衣の裾が砂に汚れ、肩に砂がついている。

 彼は少し気まずそうに咳払いをした。


「……あの台を肩で受けた時、君が心配でね。

 俺は剣ならともかく、台は受けたことがなかった」


「受けてくれて、ありがとう。――土台が助けてくれたわ。あなたの肩も」


 彼は苦笑し、腰を下ろした。

 しばらく無言で、宿の窓から川の光を眺める。

 沈黙は火加減。

 やがて、彼は少しだけ照れた声で言った。


「国境の連名板に、君の印が刻まれたのを見て……誇らしかった」

「私も。――私の“今”が刻まれたから」


「“今”か」


「ええ。紙は乾いても、今は乾かない。毎朝湯気が立つから」


 彼は頷き、真面目な顔になった。

「帰ったら、領内の“畑軍師”を正式に発令する。紙も出す。君はもう、辺境の“方便”じゃない」


「紙は乾く?」


「鍋の横で乾かそう」


 二人で小さく笑った。

 外で川が低く鳴り、国境の灯りがゆっくり瞬いた。


 帰路。

 国境の市場は、もう“色札”を言葉のように使っていた。

 「この粉は○だ」「この豆は◎だ」「この干し肉は△だから煮込みへ」

 子どもが札を掲げ、老人がうなずく。

 歌は早い。

 紙より、はるかに。


 橋を渡りきるところで、黒扇の使者が扇を胸に当てた。

 目だけが少し柔らかい。


「君の“ほどく”という言葉、気に入った。

 剣は断ち、鍬はほどく。

 私の国でも、それを教える女がいる。いつか合わせてみたい」


「鍋の横で、粉の香りの中で、なら」


「もちろん」


 彼は笑い、風の方角へ消えた。

 その背に、川霧が薄く絡み、やがてほどけた。


 辺境に戻ると、共同倉の白はさらに白く、晒し床の匂いはさらに乾いていた。

 “扇の隊長”が走ってきて、胸を張って報告する。


「台の脚、太くして、土台も叩き直した。――どんな杭が来ても、もう傾かない」


「ありがとう。君の手は、もう“雲”ね」


「雲?」


「風を中まで入れる手」


 彼は照れて鼻を掻いた。

 “種守”の子たちは、灯りの点滅練習をしている。

 雲→星→太陽――灯りが歌と合う。

 歌は灯りを導き、灯りは人を導く。


 夜、倉の前で、私は小さな板に今日の締めを書いた。

 〈明日〉

 ・乾麺:太陽の印――倉内から外へ移動

・薄焼き:王都行きの規格幅で試作

・麦茶:色札“×”の見本を掲示(恐れないために)

・堰板:子ども組、上げ下げきそ

・灯り:雲→星→太陽、練習


 書き終えて振り返ると、ルディが立っていた。

 月明かりの下、影が畝の上に伸びている。

 彼は一歩だけ近づき、低く言う。


「――ありがとう、アリシア。帰ってきてくれて」


「畑が呼ぶから、ね」


「俺も、呼んだ」


 短い言葉の、短い尾。

 それ以上は、いらない。

 彼の肩の影が、私の影と重なり、白い壁にやわらかく一つになった。


「さあ、明日も畑から始めましょう」


 私が言うと、夜風が畝を撫で、乾いた麦の匂いが、ほんのり甘く香った。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ