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婚約破棄されたけど畑チートで第二の人生は大豊作です!  作者: 妙原奇天


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第3話「共同倉と“種守”の誓い」

 朝露に濡れた畝の向こう、まだ新しい用水路が銀の紐のように光っていた。

 私は膝をついて小麦の葉先を撫で、黄緑から濃緑へ移ろう色を確かめる。輪作表どおり、次は豆を入れる区画を少し広げる予定だ。土の呼吸はゆったりしている。良い兆し。


「アリシア」

 背後から足音。振り返れば、鍬を肩に掛けたルディ――辺境伯の顔に、珍しくためらいが滲んでいる。


「どうかしたの?」

「王都の別の商団が来た。前の髭男より話が早いが、狙いは同じだ。――“共同倉の前に王都倉を置け、価格は王都が決める”」


 私は土を一握りして立ち上がる。指先に残る湿りを見せるように、土を開いた。

「この湿りが、私たちの“相場”よ。――保存できる力があれば、売らない選択もできる。だから共同倉を先に建てるの」


「言い返してやったが、圧力は来る。兵を回すが、倉の場所はどうする?」


「谷の中央、風が通って、川霧が上がらない小高い丘。――昨日、目をつけたわ」


「行こう」


 丘の上は、風が気持ちよく抜けた。南からの乾いた風が畝に触れ、薄い波を作る。

 私は棒で地面に丸を描き、円を四つ、重ねていく。


「円筒の倉を四基、風の道に沿ってずらし、間に“晒し床”を。床は板ではなく編み籠。下から風が抜けるようにして、日陰は布で作る」


「石ではなく、土壁か」


「ええ。外側は土に藁を混ぜた版築はんちく。内側は石灰で白く塗る。――白は熱を弾くし、害虫も嫌うの」


 側で聞いていた老大工が目を丸くした。

「そんな作り方、聞いたことがねぇ」

「前の世界で覚えたの。難しくはないわ。大勢で土を突いて、歌いながら固めていく」


「歌?」


「ええ。歌は共同作業の“刻み”。腕の振りと息がそろうと、土も強くなるの」


 ルディが片眉を上げ、面白そうに頷く。

「剣を振るのも同じだ。呼吸が揃えば、刃は曲がらない」


 共同倉の建設は、まず“歌づくり”から始まった。

 子どもたちが太陽・雲・星の印に合わせて手を叩き、婆さまたちが言葉をつけ、若者が拍を刻む。

 「土を突け、突け、突け」「ひびを見ろ、見ろ、見ろ」「水は少し、少し、少し」――拍に乗るほど、難しい指示が簡単になる。


 私は“版築の配合表”を板に描いた。

 土:藁:水=5:1:0.5(湿りで調整)。

 強い土には砂利をひとつまみ。

 層は手の厚み三枚分、層ごとに木槌で“音”を確かめる。

 「低い音はまだ柔らかい。高い音が“乾きの合図”よ」


 最初の三日、壁はまだ頼りなかった。

 だが五日目、叩く音がからりと乾いた。

 十日目、白い石灰が陽を跳ね返し、丘に四つの白い塔が立った。

 見上げた子どもが口笛を鳴らす。

 老大工はしわしわの頬を膨らませ、「こいつぁ確かだ」とうなずいた。


 共同倉に収める“初物”は、あの収穫祭で選ばれた強い畝の種だ。

 私は“種守たねもり”たち――前回役目に名乗りを上げた子どもたち――を呼び集めた。


「これから“種守の誓い”をするわ」

「ちかい?」

「ええ。種は未来のパン。――お腹がすいても、親が困っても、種袋だけは食べない。

 代わりに、**“種のパン”**を焼く。小さくて固い、保存用のパン。これは食べても良い。でも、種は来年の子ども」


 子どもたちは真剣に頷いた。

 私は木の札を手渡し、それぞれの名と、畝の印を刻ませる。

 赤い紐で袋の口を結び、白い粉――石灰を指でつけて印に“息”を入れる。


「種守は、明かり。――闇で迷ったら、この印を思い出して」


 小さな胸に札をかけた子たちが、互いの紐を確かめ合う。

 見守る大人たちの目に、静かな炎がともるのが分かった。


 共同倉の“つがい”は、村の年寄り夫婦が務めることになった。

 鍵は一本にせず、半鍵を二つ。片方は爺さま、片方は婆さま。二つが合わなければ開かない。

 鍵には波型刻印と小さな鍋の影――錠前師と商人が一緒に作った新しい意匠が光る。


「よくもまあ、こんな細工ができたものね」

 私が感嘆すると、錠前師は鼻を鳴らして得意げに言う。

「鍋の湯気が、手先を暖めたんだよ」

「ふふ。じゃあ、この倉の湯気は大切にしないと」


 その矢先、王都からの圧力は一段強くなった。

 “王都倉と価格統制”を求める書状が二通。

 「共同倉は不正の温床」「辺境に価格を決める資格なし」――文面は取り繕っているが、要は“口を出させろ”ということだ。


 ルディは短く笑い、筆を取った。

「返答は簡単だ。――“王都は王都の倉を、辺境は辺境の倉を守る”。それだけ書く」


「頭にくるでしょう?」

「昔の俺なら剣を抜いた。だが今は倉がある。倉は剣より説得力があるらしい」


「倉は“続く”の象徴。剣は“一度”だから」


 返書が出ていった翌日、王都商団が三十人で乗り込んできた。

 整った馬車、派手な羽飾り。

 中央の男――緑の羽根帽子――が、共同倉の前で声を張り上げる。


「辺境の倉番! 王都直轄の検査を受けよ。王都印のない袋はすべて王都倉へ搬入する!」


 ざわめき。

 私は一歩前に出た。

「検査は歓迎します。でも、**“開かれた検見台”**で。ここで袋を開き、湿りと粒を見て、色札を吊る。王都印は不要です。――私たちには波刻印がある」


「波刻印など玩具だ! 国家の商いは王都の印から始まる!」


 彼らの後ろで、兵の列が身構える。

 緊張がひりついたその時、共同倉の半鍵を首にかけた婆さまが、すっと前に進んだ。

 白髪を布でまとめ、皺だらけの手に、刻印の入った札を握って。


「ここは、わしらの“明日の腹”じゃ。王都の印がわしらに飯をくれたことは、一度もない。……倉を開けるのは、わしと爺さんの二つの鍵だけだよ」


 婆さまの声は大きくない。だが、石に沁みる。

 緑の羽根帽子が口を開こうとした瞬間、ルディが一歩出た。

 作業服のまま、肩に鍬。だが声は領主のそれだった。


「王都の商人よ。ここで検見するのが怖いか。――怖いなら、帰れ」


 沈黙。

 彼らは互いに目配せし、しばらくの逡巡ののち、しぶしぶ検見台へ向かった。

 袋が開かれ、粒がこぼれ、日光に透かされる。

 湿り、虫食い、割れ――“色札”が吊るされ、良否が一目でわかる。

 村の子らが「これは◎」「これは△」と声を重ね、笑いとざわめきが戻っていく。


 緑の羽根帽子は終始むすっとしていたが、最後には鼻を鳴らして言った。

「……勝手にしろ。だが、王都の印がない袋は王都市場で安く買い叩かれるぞ」


「買い叩かれないように、“売らない力”をつけます」

 私は淡々と答えた。

「倉が満ちれば、私たちは選べるようになるの。売るか、待つか、加工するかを」


 商団は罵声に似た笑いを残し、丘を下っていった。

 背中を見送りながら、私は深呼吸を一回。胸の中の怒りを、土へ落とす。

 怒りは燃料。鍋の下へ戻せばいい。


 午後、風が乾き、晒し床の上で麦がかさりと鳴った。

 私は“加工”の図を板に描く。粉、乾麺、薄焼き、麦茶――保存性と必要資材、労力と日数。

 子どもたちは“薄焼き”に目を輝かせ、老人は“麦茶”にうなずいた。


「乾麺は王都でも売れる。だが、最初の二割は村の“種のパン”へ」

「はーい!」


 “種守”の子どもたちが、袋を抱えて小さな工房へ走っていく。

 石臼が回り、小麦の香りが立ち、蜂蜜の甘さが混じり合う。

 私は手を粉だらけにしながら、心に別の“粉”のことを思い出していた。

 ――あの、甘くて黒く沈む粗製の粉。

 王都の誰かが、必ずまた仕掛けてくる。

 だからこそ、**“茶”**が要る。

 湯を沸かし、落とし、透かす。

 飲み物の方から、検見の習慣を暮らしに入れる。


「婆さま、麦茶に“灰ひとつまみ”を――渋味が落ちるわ」

「ほう、こりゃ確かに飲みやすい」


 夕方、丘の影が伸びるころ、黒い馬が一頭、土埃を巻き上げて走ってきた。

 騎手の肩には青い短い外套――国境で見た隣国の使者の従者だ。

 彼は馬から飛び降り、息せき切って紙片を差し出す。


「国境町より。――“共同検見台”の起工式の日取りが決まった。君――“畑の軍師”も来てくれ、と」


 紙には小さく、青い印。

 私は頷く。

「もちろん。こちらの“倉の歌”も持っていくわ」


 従者は目を細め、不意に笑った。

「歌か。あちらの子どもたちも、歌が好きだ」


「歌は国境を越えるもの」


「粉も越える。だが、歌なら、粉を見分ける眼を育てる」


 従者の言葉に、胸の中の緊張がやわらいだ。

 彼は短く敬礼し、北へ走り去る。


 夜。共同倉の白壁が月光に淡く光り、風に揺れる晒し布が波のように重なる。

 私は倉の前に座り、種袋の山を数え、半鍵の音を聞いた。

 爺さまと婆さまの笑い声が、若い頃のそれに少し似ている気がして、目頭が熱くなる。


「アリシア」

 ルディが木杯を二つ持って来た。蜂蜜水がひやりと喉を降りる。


「今日はよく頑張った」

「ええ。皆がね」


「皆を動かしたのは君だ。……王都の圧力は、おそらくこれからが本番だ。それでも、共同倉が立った。――俺は、誇らしい」


 珍しく感情をそのまま言葉にした彼に、私は杯を掲げた。

「“続けるために”。――乾杯」


 杯が触れて小さく鳴る。

 遠く、畑の端で“種守”たちの歌が聞こえた。

 「ひとつ、ふたつ、みっつの星」「あしたの麦は明日の子へ」――拍が夜気に吸い込まれていく。


 その夜更け――。

 共同倉の裏手、白壁の影に、人影が二つ。

 私は物音に気づき、そっと近づいた。

 しゃがみ込む影の手に、小瓶。甘い匂い。

 粗製粉だ。

 袋の口へ忍ばせ、明日検見の前に“混ぜる”腹づもり。


「やめなさい」

 静かな声で言った。

 影が跳ね起き、逃げようとする。私は足元の麻袋を――投げた。

 ずしりと重い袋が一人に命中し、よろけたところをルディの腕が取る。もう一人はレオンが足を払って地面に転がした。


「王都の商団の下働きか?」

 レオンが縄をかけながら低く問う。

 二人は首を振り、うつむいた。

 村の若者だ。

 頬がこけ、眼は乾いている。

 その瞳に、私は既視感を覚えた――飢えと、焦り。


「……誰に頼まれたの」

「お、おっかぁの薬代が……王都の薬屋が貸しで……“印のない袋は不正だ、混ぜてやる、金になる”って……」


 私は短く息を吐き、瓶を拾い上げる。

 蓋を開け、水に落とす。黒い沈殿。

 皆の前で、明日また見せることになるだろう。

 でも――今、ここで一つ、決めなければならない。


「君たちを裁くのは明日。倉番の前で、皆の前で。

 でも今夜は――“種守”の前で、袋を縫い直しなさい。

 君たちの手で、二重底をほどいて、罪を見える形にするの。子どもたちがそれを見て覚える。『混ぜる袋は、生まれない』って」


 二人の肩が震え、静かに頷く。

 ルディが目で問う。“甘くないか?”

 私は目で返す。“甘くない。続ける罰よ”


「レオン、見張りを。……私は“種守”を起こしてくるわ」


 真夜中の工房に灯がともり、小さな手が針を握る。

 ほどかれる縫い目、現れる二重底。

 若者の震える指を、子どものまっすぐな目が追い、婆さまのしわだらけの手が導く。

 袋は一枚の布に戻り、あらためて縫い直される。

 縫い終わった袋の口に、赤い紐。

 石灰で印。

 ――“やり直しの印”。


 私は胸の奥で、静かに何かがほどけるのを感じた。

 罰と赦しは、どちらも“続ける”仕組みの一部だ。

 明日の検見台で、彼らは人の罰を受け、後で法の罰を受ける。

 順番を間違えなければ、村は壊れない。


 夜明け。

 共同倉の白壁が朝日を跳ね返し、丘全体が柔らかい光に包まれる。

 検見台の前に人が集まり、色札が揺れ、半鍵が小さく鳴った。

 若者二人は自ら前に出て、袋を掲げ、声をふるわせた。


「俺たちは、混ぜようとした。……でも、袋をやり直した。――見てくれ」


 沈黙のあと、婆さまが頷き、色札の“やり直し印”に指を置いた。

 拍が始まり、歌が短く流れる。

 罰は与えられ、同時に、続け方が共有された。


 ルディが小さくつぶやく。

「壁が――人になっていく」

「ええ。倉も、畝も、歌も、ぜんぶ“人の形”になって続くの」


 私は陽に透かした種袋を掲げた。

 光の粒が白い壁を飛び、子どもたちの頬に跳ねる。

 胸の奥で、確かな合図が灯る。


「――さあ、今日も畑から始めましょう。倉は畑の隣。歌は倉の上。続けるために」


 朝の風が、やさしく返事をした。


(つづく)

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