エピローグ「灯の倉、二人の影」
Ⅰ 王都の朝
影が散ってから、王都の朝は驚くほど澄んでいた。
広場の板には、新しい欄が増えている。
〈名〉、〈血〉、〈時〉、そして〈影〉。
数字の横に人々の声が刻まれ、歌として残された。
文吏たちは毎朝、板を読み上げる。
「昨日の旗――二十束」
「今日の声――三十人」
「明日の契――五十灯」
群衆は笑顔で唱和し、倉へ向かう。
もう誰も「昨日はなかった」「明日は来ない」と怯えない。
歌が時を結び、名を守り、血を象徴し、影を灯に変えてくれたからだ。
Ⅱ 辺境の畑
辺境の畑にも活気が戻った。
荒れていた土地には緑が広がり、苗が風に揺れる。
子どもたちは「板歌ごっこ」と称して数字を叫び、赤紐を結んでは笑っている。
老人は麦茶の渋味を確かめ、若者は旗を掲げ、兵は槍を収めて鍬を握る。
「剣より歌が強い」――その実感が、誰の胸にも根を下ろしていた。
倉の壁には、板と並んで一枚の木札が掲げられている。
そこには大きく書かれていた。
「婚礼の歌」
名も血も時も影も結ぶ、永遠の調べ。
Ⅲ 民の祭り
やがて王都では「板歌祭」が正式な祭事として定められた。
季節ごとに広場で歌が響き、子どもも老人も、旅人すら声を合わせる。
祭りの夜には灯火が無数に並び、地面に伸びる影は互いに重なり合う。
人々はそれを見て、口々に言う。
「影はもう闇ではない。灯に寄り添うものだ」
Ⅳ 二人の静かな時間
その夜。
辺境の倉の前、白い壁に映る二つの影を眺めながら、私はルディと並んで座っていた。
「……終わったのね」
彼はうなずき、少し笑った。
「影は去った。けど、歌は残る。……それが本当の勝利だ」
私は彼の横顔を見つめ、小さな声で口ずさんだ。
「名を呼び――声を重ね
血を誓い――杯を酌み
時を結び――板に刻み
影を灯――契り続け」
彼が続ける。
「夢も記憶も――未来も死も
二人の声――倉に残す
婚礼の歌――永遠に」
歌い終えた後、長い沈黙が落ちた。
けれどその沈黙は、影ではなく、灯に包まれていた。
Ⅴ 灯と影
白い壁に映る二つの影。
寄り添いながら、ゆるやかに揺れている。
もう誰も、それを奪うことはできない。
灯がある限り、影は共にある。
影がある限り、灯は映える。
その循環こそが、この国を支える新しい誓いとなった。
私はそっと囁いた。
「……これからも、畑から始めましょう。毎日、歌と灯と影と共に」
ルディはうなずき、私の手を強く握った。
倉の灯火が揺れ、影が寄り添い、夜空には静かな星が瞬いていた。
(終)




