第19話「時を奪う影、刻む契約」
Ⅰ 時の喪失
王都の広場で、人々が混乱に陥っていた。
「昨日は存在しなかった!」
「明日は来ない!」
「今この瞬間しかない!」
影が囁き、人々の心から時の流れを奪っていた。
昨日を忘れ、明日を疑い、今日に閉じ込められた民は畑に向かわず、倉を開けず、ただ怯えるばかりだった。
文吏が駆け込んできた。
「アリシア様! 王都の板が『数字は今日のみ』と塗り替えられました!」
私は息を呑んだ。
「……影は“時”そのものを断とうとしている」
Ⅱ 倉での議論
倉に集まった人々は顔を曇らせていた。
「昨日の記録が消えたら、どう続ければ……」
「未来を疑えば、畑を耕す意味もなくなる」
ルディが剣を抜かず、低く言った。
「時は剣では守れない。……アリシア、どうする?」
私は板に新しい欄を書きつけた。
〈時を結ぶ歌〉
・朝と夜を必ず歌に刻む
・昨日を板に、今日を声に、明日を契に
・時を歌にすることで、影に断たせない
「時を数字ではなく、歌で刻みましょう。……昨日・今日・明日を結ぶ歌を」
Ⅲ 時を結ぶ歌
私は広場で声を放った。
「昨日の旗――板に刻め
今日の声――倉に残せ
明日の灯――契に掲げ
時を結べ――歌を続け」
人々が一斉に唱和し、拍を刻む。
昨日の収穫を板に書き、今日の歌を倉に残し、明日の契約を赤紐で結ぶ。
こうして時が歌の中に織り込まれた。
影の囁きが覆いかぶさる。
「昨日は幻! 明日は虚ろ!」
だが群衆が声を重ねるたび、囁きは押し返され、未来へと続いていった。
Ⅳ 影の逆襲
影はさらに巧妙に囁いた。
「婚礼も昨日限り。明日には無効」
「契約は時が断つ。続きは存在しない」
広場がざわめき、若者たちが不安の目を交わす。
そのとき、ルディが私の肩に手を置き、声を張った。
「ならば俺とアリシアが示そう! ――婚礼の歌に“時”を刻む!」
私は頷き、二人で声を合わせた。
「昨日の誓い――板に刻み
今日の契り――声に残し
明日の歩み――灯に掲げ
死を越えて――歌を続け」
声が重なり、群衆が涙を流した。
婚礼の歌が、時をも結ぶ節を得た瞬間だった。
Ⅴ 個人的な刻印
夜、倉の灯火の下で、私は小さな木札を取り出した。
そこに日付と共に、ルディと歌った婚礼の節を刻んだ。
「昨日・今日・明日……そして死を越えて」
ルディが笑みを浮かべ、私の木札に自分の名を重ねて刻んだ。
「これで時が奪われても、歌と板が俺たちを繋ぐ」
胸の奥に甘く強い鼓動が広がった。
Ⅵ 影の退き際
外で風が唸り、影の囁きが微かに響いた。
「名も血も時も守ったか……ならば次は、“影そのもの”を奪おう」
私は胸を張り、声を返した。
「影すらも、歌に変える! ――倉の灯がある限り!」
ルディが私の手を握り、静かに囁いた。
「君と俺の影を、もう影と呼ばせない。……それは“契りの灯”だ」
倉の白い壁に映る二つの影は、もはや闇ではなく、光に寄り添う絆となっていた。
(つづく)




