第12話「仮初めの婚礼、真実の歌」
Ⅰ 影の仕掛け
王都の広場に、不気味な噂が広がり始めた。
「板歌を婚礼の儀に使えば、簡易に結婚が成る」――。
影が流したその言葉は、若者たちの心をくすぐった。
「声を合わせ、紐を結び、灯を掲げれば婚礼成立だ」
恋に急ぐ者、財を狙う者、軽い心で試す者。
広場では、赤紐を結んで灯を点すだけの“仮初め婚礼”が次々と行われていった。
翌朝、王都の文吏が辺境に駆け込んで来た。
「アリシア様! “婚礼の歌”が……偽られています! 赤紐ひとつで夫婦だと……!」
私は頭を押さえた。
「影の狙いは“心の空洞化”ね。……契約の歌を、ただの形式に落とそうとしている」
Ⅱ 倉での対策会議
倉に集まった人々の前で、私は板に新しい欄を書いた。
〈仮初め婚礼への備え〉
・紐は必ず“三結び”
・歌は四節を必ず全て唱和する
・婚礼には“心を証す節”を追加する
ルディが顎に手を当て、低く呟いた。
「“心を証す節”……どう作る?」
私はしばらく黙り、そして言った。
「嘘がつけない言葉を歌にすればいい。畑の収穫を偽れないように、人の心にも“嘘がつけない実り”がある」
扇の隊長が頷き、口を挟む。
「たとえば“共に食べる”だな。……一緒に口に入れれば、心を偽れねえ」
私は筆を走らせた。
“灰を落とした麦茶を共に飲む”――これを婚礼の証にする。
Ⅲ 王都広場の混乱
その頃、王都広場では仮初め婚礼が横行していた。
若者が赤紐を結び、軽々しく「夫婦だ」と叫ぶ。
だが数日もすれば揉め事が絶えなかった。
「心が通っていない!」
「紐を解け!」
広場は訴えで溢れ、板歌そのものへの信頼が揺らぎかけていた。
そこへ私とルディが到着した。
舞台に上がり、私は声を張る。
「板歌は遊びではありません! 婚礼の歌は、心を証すものです!」
群衆がざわめき、影の囁きが混じる。
「形式で十分」「心は不要」――。
Ⅳ 真実の歌を示す
私は赤紐と麦茶を舞台に置き、ルディに向かって言った。
「……試してみましょう。私たちで」
ルディが驚いたように目を見開く。
だが、すぐに静かに頷いた。
私は深く息を吸い、歌を口にした。
「旗◎二十束――手を重ねよ」
「乾麺○十束――紐を結べ」
「麦茶△一桶――灰を落とせ」
「公共労五十人分――灯を合わせよ」
そして最後に、新しい節を加えた。
「灰を落とした麦茶を、共に飲め」
杯を二つに分け、ルディと私が口をつける。
喉を通る温かな味。灰で渋味が抜け、麦の甘さが広がる。
群衆が息を呑み、そして拍手が湧き上がった。
「心が……ある!」
「これが本物の婚礼の歌か!」
Ⅴ 影の退き際
広場の端で、黒衣の影が歯噛みした。
「……心を歌にするとは……」
そして闇に溶けるように姿を消した。
だが、去り際の囁きが耳に残る。
「心を偽れぬなら、夢を偽ろう」
私は胸の奥で冷たいものを感じた。
影は次に“夢”へと向かうのだ。
Ⅵ 二人の影と光
夜、倉に戻った私とルディは、静かな灯火の下で向き合った。
彼がふと、真剣な声で言う。
「……アリシア。君と歌った瞬間、俺は本当に婚礼を結んだ気がした」
胸が震える。
私は笑みで隠しつつ、答えた。
「まだ途中よ。婚礼の歌は……明日から畑で少しずつ育てましょう」
ルディは短く笑い、手を差し伸べた。
私はその手に自分の手を重ねる。
白い倉の壁に映った二つの影が、ひとつに寄り添った。
(つづく)




