第10話「板歌祭と王権の影」
王都の朝は、鐘の音とともに広場へ人が集まった。
だが今日は特別だ。広場中央に掲げられた〈畑の税欄〉の前には、色鮮やかな布飾り、木の仮設舞台、街路に吊るされた灯火の列。
板歌祭――王都初の祭りだ。
民の提案でも、王命でもない。
板の前に足を止め、歌を覚え、声を重ねた人々が、自ら「祭りにしよう」と決めたのだ。
兵士たちでさえ槍を布で飾り、商人は屋台に旗型のパンを並べ、子どもは手を赤紐で結んで走り回る。
「旗◎二十束――手を重ねよ!」
「乾麺○十束――紐を結べ!」
「麦茶△一桶――灰を落とせ!」
「公共労五十人分――灯を合わせよ!」
声が波のように広場を包み、数字が歌になり、祭りの鼓動となる。
私はその報せを辺境の倉で聞きながら、胸の奥に温かい炎を抱いた。
辺境の倉にて
文吏が持ち帰った報告にはこうあった。
“板歌は祭りに昇華した。王都の民は自らの数字を誇りとし、旗を掲げて踊っている”
私は板の端に小さく書いた。
“数字は民の舞台になる”。
だが同時に、もうひとつの報せが届いた。
“影が王権を名乗った”。
王都広場に、黒衣の一団が現れたという。
口上はこうだ。
「王権の名において命ずる。板歌は廃し、王都倉の印を掲げよ。数字は余の帳簿に従え」
――剣ではなく、王権をかたり、契約を奪おうとする影。
私は震える手で筆を走らせ、板に書き足した。
〈影の狙い〉
・板を廃する
・王都倉の印を掲げる
・数字を帳簿に吸い上げる
「……来たわね」
ルディが肩で笑った。
「影が剣でなく“王権”を騙るとは。……だが、板は剣に勝った。なら王権にも勝てるはずだ」
王都広場 ― 板歌祭当日
舞台の上で読み人たちが声を揃える。
農人、兵、商人――三つの立場が同じ数字を歌う。
人々は手を重ね、紐を結び、灯を掲げる。
契約の歌は、広場を大きな一つの倉に変えていた。
だがそこに、黒衣の一団が歩み出た。
胸に銀の徽章を掲げ、口々に叫ぶ。
「王権の名において命ずる! この祭りは無効! 板は偽り! 契約の歌は反逆!」
広場がざわめく。
人々は動揺し、歌が乱れそうになる。
その瞬間、読み人の一人――若い兵が声を張った。
「王権が本物なら、板歌を歌え!」
広場が静まり返る。
黒衣の一人が嘲るように歌い始めた。
「旗◎三十束――手を縫い留めよ」
「乾麺○二十束――紐を絞めよ」
逆契約だ。
紐は人を結ぶのではなく締め上げ、灯は闇を呼ぶ。
囁きに似た歌に、人々の耳が惑わされかける。
契約の歌で返す
私は広場に出ることを決めた。
舞台に立ち、声を放つ。
「旗◎二十束――手を重ねよ!」
「乾麺○十束――紐を結べ!」
「麦茶△一桶――灰を落とせ!」
「公共労五十人分――灯を合わせよ!」
手を取り、紐を結び、麦茶を注ぎ、灰を落とし、灯を順に点す。
所作が揃ったとき、歌は力となる。
人々も次々と声を合わせ、逆契約は掻き消された。
黒衣の一団は狼狽し、銀の徽章を掲げて叫んだ。
「これは王権の印ぞ! 逆らえば反逆罪!」
そのとき、広場の端から若い文吏が走り出た。
赤い印を掲げ、声を張る。
「王権はここにある! ――立会印だ! 板の横で押された、この赤こそ本物!」
群衆がどよめき、黒衣の声は掻き消された。
婚礼の歌に似て
影が退いたあと、広場は再び歌に満ちた。
だがその歌には、以前よりも甘やかな調べが混じっていた。
紐を結ぶ手は、まるで婚礼のように。
灯を合わせる所作は、誓いのように。
ルディが私の手袋の上にそっと手を置き、低く囁いた。
「……アリシア。契約の歌は婚礼に似ているな」
胸が熱くなる。
けれど私は笑って返す。
「婚礼の歌は、数字じゃなくて、心の節よ」
ルディは短く頷き、視線を逸らした。
その頬に、祭りの灯が柔らかく揺れていた。
影の去り際
広場を去る黒衣の背中を、私は目で追った。
影は剣でなく、王権でなく、囁きでなく――次は何を使うのだろう。
だが一つだけ確信がある。
板と歌と契約が揃えば、影は続かない。
私は心の奥で誓う。
「――さあ、明日も畑から始めましょう。歌を板に、灯を道に、契約を心に」
夜風が返事をし、祭りの歌が、王都の夜を包み込んでいった。
(つづく)




