悪夢
三題噺もどき―ななひゃくよんじゅういち。
ベランダに出ると、オレンジ色の空が視界に広がった。
9月にもなれば、さすがにこれくらいの時間になると、文字通りの夕暮れと言えそうなくらいにはなってくる。
先月まではまだまだ青空が広がっていた時間なのに。自然とは不思議なものだ。
「……」
眼下に広がる住宅街の中を、ランドセルを背負った子供たちが駆けていく。
その中、電話をしながら歩くサラリーマンも急ぎ足で歩いていき、制服を着た学生たちが仲間同士で話しながら帰っていく。
ここはほんとに賑やかな街だ。生憎昼間の姿は知らないが、夕方のこの時間でこんなに賑やかならば、もっとうるさいくらいなのだろう。
「……」
彼らの向かう先には、必ず彼らの家がある。
温かで、休むことができて、居心地のいい、彼らの家。
親がいて、兄弟がいて、ペットもいるかもしれない。
そんな、当たり前の家族の形。
―私には、望むべくもなかった家族というモノ。
「……」
空の端には透明な月が浮かんでいる。
太陽が沈むまでは息を殺すように潜み、太陽が昇るころにはもう誰の目にも止まらない。
暗い夜を照らす灯りなのに、太陽のようにもてはやされることもなく。
月は静かに、見守るだけ。
「……」
けれど私にとっては、唯一の救いのようなものだ。
1人きりで、あの塔にいたころ。
月だけが私を優しく照らしてくれていた。
―それから、救いを連れて来てくれた。
「……」
夕暮れの町を静かに眺めながら、なんとなくそんなことを思う。
らしくもなく感傷のようなものに襲われるのは、変な夢を見たからだろうか。
「……」
今日は煙草を吸う気にもなれない。
ただぼうっと、この町を眺めて居たいと思ってしまう。
「……」
夢のような、夢を見た。
月の照らす夜の中。
バスケットにサンドイッチやりんごを詰めて。
誰もいない、広い草原に。
幼い私と、あの人と、あの男と、三人で。
広げた敷物の上に座って。
和やかな空気のままで、その日の事を話したり、見つけたものを話したり。
ただただ、家族のように。
「……」
気味の悪い夢だとも思った。
三日月のようにゆがむ赤い口紅と、顔も覚えていない男。
それでも笑っていると分かる気味の悪さ。
―それを楽しいと思ってしまう幼い自分。
「……」
現実ではないと分かったときに、感じてしまった気味の悪い落胆のようなモノ。
「……、」
息がつまるような心地がした。
今は、あれ以上の家族がいるのに、どうしてそんな風に思ってしまうのだろう。
あれは、あれらは、すでに捨てたものであって、もう関りたくもないもののはずなのに。
―まぁ、そうは言っても血が繋がっている以上、切れるものではないのだけど。
「―どうかしたんですか」
「――、」
珍しく煙草も吸わずにぼうっとしているのがばれたのか。
キッチンで朝食の準備をしていたはずの小柄な青年が、ベランダに顔を出した。
夕暮れとは言え、まだ明るいこの時間だ。私は平気だが、コイツはあまり当たりすぎでもよくない。―と思ったが、ちゃっかり私で陽が遮られるように立っていた。
「……なんでもないよ」
そういいながら、部屋にコイツを押し込むように私もベランダから室内に戻る。
今日はもう、これ以上ここに居ても気が滅入るだけかもしれない。
それよりは、朝食を食べて仕事をして、いつもの当たり前を遂行した方がいい。
「……それならいいですけど」
今日は煙草を吸っていないから、風呂に入れとは言われない。
まぁ、日課になっているので入るのだけど。
「……ホントに大丈夫ですか」
「大丈夫だよ、何もない」
「……」
「何もないさ……そんなことより今日はチーズケーキが食べたい気分だ」
「……分かりました、でも何かあったら承知しませんからね」
「はいはい」
お題:りんご・バスケット・オレンジ