No.2 無言の隣人と、赤いスイッチ
記憶が1日おきに抜けるという奇妙な症状を抱えながらも、名探偵として活動している高校2年生・葛城蓮。ある火曜日、彼の机に差出人不明の封筒が届く。中には「火事は事故ではない」という手紙と、白鷺台団地で起きた火災の記事が入っていた。
火事の現場を訪れた蓮は、遺族から「事故ではなく殺人だ」と訴えを受け、独自に調査を開始する。焼け跡から発見された不審なカードキー、そして部屋のドアノブの異常――それらが警察の見解と矛盾していることに気づいた蓮は、事件の裏に他者の介在を確信し始める。
だがその夜、彼の手帳の「前日」のページは破られていた。そこには、わずかに残された「次は……」という謎の言葉。自分が知らないうちに、何者かが動いている……?
事件と、自らの記憶の欠落が、静かに結びつき始めていた――。
白鷺台高校の資料室は、冬の朝日が薄く差し込む中、ひっそりとした静寂に包まれていた。葛城蓮は、ひとけのないこの場所で古い新聞の束に目を通していた。団地火災の背景を探る中で、彼はある小さな記事に目を留める。それは、事件の三日前、1月25日の未明に白鷺台団地の配電盤に対して無許可の改修工事が行われていたという内容だった。通報があったものの、特定の業者名は挙げられておらず、警察も対応に遅れたらしい。
(配電盤の無許可工事……火災とは関係ないと言い切れるのか?)
記事の端を折り込みながら、蓮は疑問を抱いたまま団地へと向かった。土曜の昼下がり、団地の前は静かだった。廊下に足音を響かせながら、蓮は火災現場の隣室の前に立つ。チャイムを押すと、しばらくして古びたドアがきしむ音を立てて開いた。現れたのは、髪の乱れた中年の女性。薄いカーディガンを羽織った彼女は、蓮の顔を一瞥すると何も言わず、扉を半開きにしたまま部屋へ戻っていった。
「こんにちは。火事の件で……少しだけお話をうかがっても?」
返答はない。室内には暖房の気配もなく、灰色の光が差し込んでいるだけだった。蓮が一歩踏み込むと、女性は机の上のメモを指先でそっと押し出した。それには、震える文字でこう書かれていた。「赤いスイッチ さわってはいけない」。その文字には、明らかにただ事ではないものが滲んでいた。
「赤い……スイッチ?」
蓮は思わず声に出していたが、女性は何も応えず、虚ろな視線を窓の外に投げかけていた。尋常ではない、そう直感した蓮は礼を告げて部屋を後にする。彼の脳裏にはすでに、一つの場所が浮かんでいた。団地の地下にある配電室。前回の調査の際に見落としていた可能性があると感じたのだ。
団地の裏手にある非常階段を下りると、老朽化したドアがひとつだけぽつんと存在していた。鍵は掛かっておらず、蓮が手をかけると、鉄の扉は重たくも静かに開いた。中は埃の匂いが立ちこめており、蛍光灯の半分は切れていた。壁には複雑に絡み合った配線と古いブレーカー、そしてその中央に設置された、ひときわ目立つ“赤いスイッチ”。
(これが……赤いスイッチ)
スイッチの周囲には、不自然な配線の痕跡があった。テープで巻かれた増設線、別系統に繋がった謎の中継器。蓮はスマートフォンを取り出し、手際よく撮影を進める。見れば見るほど、そのスイッチは非常用というより“何かを起こすために後から設置された”ような印象を与えた。と、背後で小さな音がした。はっとして振り返るが、誰もいない。
(気のせい……か?)
だがその瞬間、背中で“カチ”という音がはっきりと聞こえた。再び振り返ると、さっきまで閉じられていた赤いスイッチの防護カバーが、いつの間にか開いていた。
「……誰だ」
蓮は声を潜めながら問いかけたが、返答はなかった。薄暗い空間には自分の呼吸音だけが響く。警戒しながらあたりを見回し、蓮は急いでその場を離れた。
帰宅後、手帳を開こうとした蓮は、見慣れない文字が昨日の日付に書き込まれていることに気づいた。
《赤いスイッチは感圧式。通電で発火可。監視カメラ無効化済》
蓮の筆跡と似てはいるが、微妙に異なる。どこか角ばった字形。それは、彼が“記憶のない日”に書いたとは思えなかった。むしろ、別人が彼の手帳に書き込んだような不自然さがあった。
(……監視カメラ無効化? 誰が? なんのために?)
自身の意識がない間に、何者かがこの部屋に入り、情報を残していったのか。それとも、――自分自身が書いたものなのか。空白の一日が、ただの空白では済まされなくなってきていた。
ベッドに横たわった蓮は、薄暗い天井を見つめながら思った。
この事件の犯人は、ただ団地の誰かではない。
では一体誰なのか。蓮は全く検討がつかなかった。
次回予告:
郵便受けに届いた黒い封筒。その中に写っていたのは、スイッチに手を伸ばす自分の姿。だが蓮は、その光景をまったく覚えていなかった。
次回「燃え残った影と、黒い封筒」へ続く。