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大食い令嬢の幸福

作者: ful-fil

 アップルヤード男爵家の娘シャロンは重大な問題を抱えていた。


『お、おなかすいた。何か食べないと倒れそう…』


 アップルヤード男爵家は先祖代々大食いが生まれやすい一族である。

 現在、4人家族のうち父・兄・シャロンが大食い体質、母だけが普通の人だ。

 単純に一度にたくさん食べられるという大食いではなく、食べてもすぐ空腹になり食べないと具合が悪くなるタイプの大食いだ。

 生まれつきの体質なので どうしようもないのだが、最低でも一日に5食は食べないと身が持たない。

 腹いっぱい食べても、2〜3時間もすると腹が減る。

 空腹を我慢していると、だんだん目の前が暗くなったり、手が震えてきたり、意識が朦朧としてきたりするのだ。

 おそらく一日絶食したら餓死の危険があるだろう。

 シャロンはまだ餓死寸前まではいかないが、手の震えを感じ始めていた。


 貴族の若者が集まるパーティーで、朝早くから支度に追われて、軽めの朝食しか食べてこなかったのが敗因だ。

 コルセットで腹部を締め付けているとは言え、空腹感は耐え難い域に達しようとしている。

 今すぐ何か食べなくては。

 できれば糖と油脂をたっぷり使った物を!


 シャロンは開会の挨拶が終わると、ダンスや社交に興じる人々に目もくれず、軽食コーナーに突撃した。


『ケーキが、パイが、フルーツゼリーが、私を呼んでる!』


 まずは甘そうなリンゴジュースで喉を潤す。


『生き返るぅ!』


 左手に取り皿、右手にフォークを構え、いざ!

 ひょいひょいと目当ての物を皿に取り、ぱくりと口に入れ、もぐもぐと咀嚼する。

 口に広がる甘味。

 脳内に広がる陶酔感。


『満たされるぅ〜!』


 ひょいぱく、ひょいぱく、と無心に食べていると肩を軽く叩かれた。

 振り向くと友がいる。

「シャロンったらまた食べてるの?」

「『また』じゃないわ。『やっと』よ。朝食を取ってから5時間近くも飲まず食わずよ? 死ぬかと思ったわ」

 喋りながらも食べる手は止めない。

「難儀な体質ねえ」

 同情するように首を振る、心の友、アビゲイル・カニンガム子爵令嬢。

 シャロンもアビゲイルもスラリと引き締まった体型だが、シャロンは大食い、アビゲイルは少食だ。

 食べ過ぎると気持ちが悪くなるというアビゲイルは、朝食を取れば昼は紅茶だけで平気なのだと言う。

 朝しっかり食べても昼休憩まで保たず、合間にこっそりと蜂蜜を舐めるシャロンからは信じられない燃費の良さだ。

 ついため息が出てしまう。

「あなたみたいに少食に生まれたかったわ」

「何言ってるの。食べても太らない体質は乙女の憧れ、夢そのものよ」

「そういう夢を見てる人は現実に落とし込んでないのよ。ちょっと考えればどれだけ不自由かわかるはずだわ。私のお小遣い、日々のおやつで消えてるのよ。我が家は取り立てて裕福でもないのに」

「無限の胃袋はあっても、無限の財布は無いものね」

「そうよ。だからこんな時くらいしっかり食べておかなきゃ」

 軽食のテーブルにある物全部とまではいかないが、半分くらいなら食べられそうな気がするシャロンだった。

「ほどほどにしときなさいよ。おなかが膨らんでドレスの縫い目が裂けたらどうするの」

「う。それは困るわ」

 あり得ないとは言い切れない。

 渋々、皿を置く。

 まあ小腹は満たした事だし、なんとか帰るまで保つだろう。


「パーティーの趣旨を忘れちゃダメよ」

「忘れてないけど、私には無理だと思うのよね」


 このパーティーの趣旨は端的に言えば集団見合いである。

 年齢一桁から相手を決めて婚約しているカップルもいるが、16歳になっても相手が決まっていない人もいる……というか、独り身の方が圧倒的に多い。

 なんでも一昔前に思春期の婚約破棄が多発したとかで、今の若者達の親世代は幼少期の婚約を避ける傾向があるのだ。

 そんな訳で16歳になった貴族子女が一堂に会する『成人祝賀パーティー』が大々的に行われているのだが……シャロンは自分が売れ残る未来しか見えない。


「だってうち爵位低いしビンボーだし」

「それが何よ。同じハンデ背負ってても玉の輿に乗る人はいるわ」

「大食いだし胸ないし」

「やめて、後半私にも刺さるから」

 二人とも有るべき所に脂肪が無いのだ。

 体質ゆえに仕方がないが。


「胸ある人が羨ましい。一度でいいから魅惑の谷間を作ってみたい」

「言わないでよ、みじめになるわ」

 二人はいじましい視線をある一点に送った。

 胸の豊かな美少女が複数の令息と楽しげに談笑している。

 そのバストラインの美しいこと。

 まさに芸術だ。

 寄せて上げて詰め物を足してと美胸を作るテクはいくらでもあるが、いずれもささやかでも土台があってこそだ。

 余分な肉が脇や背中にすら無い場合、ドレスのデザインでカバーする以外になく、その場合、魅惑の谷間は望めない。


「人間、配られたカードで勝負するしかないのよ。諦めたらそこで試合終了よ」

「何と戦ってるのかわからないけど、貴方のその前向きさは良いと思うわ」

 アビゲイルは食は細いが肝は太く、懐の深い少女である。

 是非とも良縁を掴んでもらいたい。


 翻ってシャロン自身を客観視すると、不良債権としか思えない。

 何しろ食費がかさむのだ。

 アップルヤード男爵家の収入の大半を食費で消費している。

 父・兄・シャロンの3人が大食いなので、母は毎度10人前以上の食事を作っている。

 父と兄は軍人だが、農場もやっている。

 お金出して食べ物を買うより、畑で作る方が安くたくさん食べられるのだから、作るしかない。

 かくいうシャロンも率先して鍬を持ち畑を耕す。

 だって頑張ればイモやカボチャでスイーツを作って食べられるから!


 イモやカボチャでお腹を満たせるのはいいが、農作業で日に焼けた胸なし大食い男爵令嬢なんて、どこに需要があるだろう、いや、無い。

 物悲しい気持ちで断言できるシャロンなのだった。




 しばらく二人で会場を歩き回ったが、知り合いと言葉を交わす以外にこれと言って成果は得られなかった。

「このままでは埒が明かないわ。作戦を変えないと」

 アビゲイルが真剣な面持ちで言い出す。

「変えると言ってもどうするの? 『ハンカチを落として拾ってもらう作戦』は不発に終わったわ。『知り合いに紹介してもらう作戦』もダメだったし。『お酒を飲んで酔ったフリして隙を見せる作戦』はもろ刃の剣だからやめようって約束したでしょう。他に作戦なんてある?」

「一つあるわ。これだけは封印しておこうと思っていたのだけど」

 アビゲイルは悪巧みをするように声を潜めた。

「体調悪くて倒れるフリをするのよ」


 アビゲイルの作戦はこうだ。


1・狙い目の男性に目星をつける。

 この時、間違っても公爵家嫡男などの雲の上の人を狙ってはいけない。

 成婚率を考慮して、男爵家・子爵家・伯爵家の次男以下に的を絞るべし。


2・さりげなく近づき、タイミングを見計らってフラリとよろめいてみせる。

 この時、あからさまにもたれかかってはいけない。

 怪しまれない程度にバランスを崩すにとどめる。

 品性を失わないことが大事。


3・救護室に運ばれたら、お礼を述べ、名前を聞き出す。

 後日、家経由で謝礼を送れば高確率で交際に持ち込める。

 この時、持病有りと思われてはいけない。

 倒れた原因は昨夜の寝不足ということにする。


「……という作戦よ」

「それって騙すことになるんじゃない?」

「私もそこの所が気になって封印しようと思ってたのよ。でもこのまま成果を上げられずに終わるよりは多少ズルい手を使ってでもきっかけを作るべきだと思うの。これは駆け引きよ。出会いの演出だと思えばいいのよ。詐欺ではないわ。それに」

 アビゲイルは自嘲気味に笑った。

「私のこの細い体を見て仮病だと思う人がいるかしら?」

 アビゲイルは健康だが、襟元には鎖骨がくっきりと浮き、手足は折れそうに細いのだった。





 やる気になったアビゲイルは止められない。

 シャロンも『フラリよろめき作戦』を勧められたが、少食で青白いアビゲイルと違って色黒大食いなため、病弱を装うのは『大嘘だー』と自分で思ってしまう。

 大嘘つきにはなりたくない。

 なのでよろけるアビゲイルを心配する友人役(そのまんま)に徹する。


「目星はついたわ。行くわよ」

 アビゲイルがターゲットに定めたのは子爵・男爵・準男爵の下位貴族家男子が固まっているグループだった。

 いずれも次男または三男で、学業成績は中の中、素行は悪くなく、まだ婚約者がいない。

 身長が低かったり、ぽっちゃり気味だったり、容姿が控えめな上に言動も控えめで目立たないタイプがそろっている。

 貴族としては決して優良株ではないのだが…。

「私だって絶世の美女ではないんだもの。むしろ釣り合いが取れると思うわ。嫡男でないのも逆にポイント高いわ」

 アビゲイルは跡取り娘なのでお婿に来てほしいのだ。

 シャロンはお嫁に行かなくてはならないので、次男三男はちょっとどうかな〜と思ってしまう。

 食うに困らない高給取りならいいのだが。

 成績中の中では、どうかな〜。


 アビゲイルは背筋を伸ばし、上品な足取りで歩き出す。

 視線は敢えてターゲットからやや斜めに逸らし、さりげなく、でも確実に近づいて行く。

 そしてたどり着いたベストな位置取り。

 ターゲットは内輪の話に夢中で気づいていない。

『今だわ』

 アビゲイルはシャロンにこっそりウィンクすると、さもめまいがしたかのように手の甲を額に当て、目を瞑った。

 さあここでフラリと……。


 その時、話に夢中な子爵家令息が両手を勢い良く横に広げた。

「その魚がこーんなに大きくて」

「ブホッ!」

「「あっ」」

「アビゲイル!」


 目を閉じていたアビゲイルはモロにくらった。

 裏拳で横っ面をはたかれた格好になった彼女は奇妙な声を発し、紙のように吹っ飛んだ。

 体重41キロの軽さは伊達ではない。

 床に倒れた彼女に駆け寄る。

 怪我は!?

 意識は!?

 ああ〜、こんな事やめとけば良かった!

 せめて目を開けてればあんな裏拳、避けられたのに!

 せめて、せめて目を開けてれば〜!





 救護室。


「うっ、うっ、うっ……」

「何よシャロン、貴方が泣くことないじゃない」

「だってアビゲイルが、あんな太い腕になぎ倒されて、貴方はこんなに細いのに……ううっ」

「泣くことないって言ってるじゃない。私は平気。肌には傷がついてないもの。打ち身だけなら跡が残りはしないと思うわ」

 アビゲイルは額に氷嚢を当てている。

 手が当たった側はそうでもないが、倒れて床にぶつけた側がタンコブになって膨らんできそうな気配なのだ。

「でも、これじゃパーティーは……ううっ」

「はいはい、もう泣かないの。確かにこの様ではダンスも踊れないし、帰るしかないわね。私を床に沈めた貴方、責任持って家まで送って下さいます?」

「それは勿論! あの、本当に申し訳ない。なんとお詫びすればいいか」

「不慮の事故ですもの。咎めたりはしませんわ。不用意に立ち止まった私にも非があるのです。貴方からは死角になって見えなかったのでしょう?」

 アビゲイルが優しいことを言っている!

 これは……仕留めにかかっているのか?

 自分を張り倒した男を獲物認定したのか?

 そりゃあ最初から罠に掛ける気満々だったけど!

 乙女としてそれでいいのか、アビゲイル!


 驚きでシャロンの涙が引っ込んだ。


 まあ考えてみたら、彼女が求めていたのは異性との出会いであり、交際のきっかけだ。

 これも一つの出会いと思えば、狙い通りなのかも?


 それにしてもアビゲイルが大人しい。

 まるで聖女か天使のようではないか。

 普段のアビゲイルなら『人生は攻撃的(アグレッシブ)』をモットーとして、害されたら倍返し、害されなくても敵意を示されたら先制攻撃も辞さないのに。


 釣果を自慢するのにオーバーアクションを採用したばかりに、罠にはまってしまったお魚令息をシャロンはまじまじと観察する。

 仕立ての良いスーツにぽっちゃり体型。

 いかにも苦労知らずな感じの子爵家次男。

 まあ優しそうではある。

 頑張れアビゲイル。

 お魚令息を釣り上げるのよ!


 送迎馬車に乗って帰っていくアビゲイルとお魚令息を見送る。

 さて、パーティー会場に戻らなければ……と気づくと横にもう一人いた。

 お魚令息と友人同士なのだろう、付き添って救護室まで一緒に来た人だ。

 目が合った。

 何か言わなくてはならない。

「あの、お疲れ様でした」

「あ、いえ、そちらこそ大変でしたね」

「ええ、まあ……」

 ……気まずい。

 会話が続かない。

 よく知らない人と何を話せばいいのか。

 普段はイモやカボチャと過ごしているから、対人スキルに自信がない。

 助けが欲しい!

 こんな時アビゲイルがいれば!


 その瞬間、お腹が鳴った。

 ぐぅ~っと。


 ……気まずい。

 ちょっと、いや、かなり小っ恥ずかしい状況である。

 ……走って逃げてもいいかしら?

 令嬢としてはそれもNG?


 どうしたらいいのか分からず固まっていると、相手の方が気を利かせてくれた。

「会場に戻って何か食べますか? 疲れた時には甘いものがいいと聞いたことがありますし」

「そ、そうなんですね。じゃあ何か軽い物でも」

 もうどうにでもなれ、とシャロンは会場に戻った。





「……という訳で我が一族に連綿と伝わる体質なのです。このケーキだったら私、ホール丸ごと食べられますわ」

「それは健啖でいらっしゃる」

「私などまだまだです。父と兄など二人で魔牛を一頭一日で食べ尽くした事がありますわ」

「まさか! さすがにそれはないでしょう」

「皮と骨と頭と尾と蹄は残ってましたわ」

「冗談ですよね?」

「実は食べた現場は見ておりませんの。私と母が留守にしている間の事でしたので。でも小細工にしては手が込んでると思いません? 『魔牛にしては小さめで柔らかかった』と兄が言ってましたから、きっと本当に食べたのですわ。焼き肉にして」

「なんというか、それが本当だとしたら凄い人たちがいるものですね。魔牛は森に狩りに行くのですか?」

「狩りに出向く事もありますが、大抵は向こうから来るのですわ」

「向こうから来る?」

「畑を荒らしに来るんですの。それを駆除して食べるのですわ」

 ひょいぱく、ひょいぱく。

 ケーキを4つ5つ、6つ7つと食べながら、大食いの言い訳のように家族の大食いエピソードを語るシャロン。

 思い描いた社交とは何かが違うが、とりあえず目の前には貴族令息がいて、話は弾んでいる。

 一家の恥を公開しているとも言うが。

「畑はどのような作物を?」

「カボチャとイモとトウモロコシ、それに果樹などを少々。市場に出すほどの規模ではなくて、家庭で消費する分だけなのですけど。それなのに魔牛に荒らされるなんて許せませんわ。私の食べる分が無くなるではないですか」

 令息がプッと吹き出した。

「失礼。つい微笑ましくて」

 笑われたことを怒るべきか、笑ってもらえたことを喜ぶべきか。

 判断がつかないので、シャロンは8つ目のケーキに手を伸ばした。

 食べよう、食べれば大抵のことは解決する。

 『カロリー爆弾』なる物騒な名前で令嬢たちに恐れられているチョコレートケーキにフォークをぶっ刺した時、事件は起こった。





「何よ、バカにして!」

 突然響き渡った高い声。

 一瞬何が起きたのかわからなかった。

 え、誰か喚いてる?

 こんな気取ったパーティーで?

 特別よそ行きの顔してないといけない場所で大声でわめくって、ある?


 ケーキに刺したフォークが止まってしまった。

 令息も笑いを引っ込めて怪訝そうにしている。

「そうやって笑ってたんでしょう! いつもいつも! 私が知らないとでも思っているの!?」

 まだ喚いている。

 喧嘩かな?

 それにしては一人分しか声が聞こえないけど。


 なんとなく剣呑な感じがして、令息と顔を見合わせる。

「酔っぱらいでしょうか?」

「なんだか不穏な気配がしますね」

 声の主を確かめた方がいいのか、巻き込まれないように離れた方がいいのか、迷うところだ。

 こんな時アビゲイルがいれば、どうするか決めてくれるんだけど。

 あいにく今側にいるのはさほど親しくない令息だけだ。

 この人はどうするのかな?

 チラ、と顔色を伺う。

 視線の意味に気づいたのだろう。

「騒ぎに巻き込まれてはいけませんから、場所を変えましょう」

 安全策を提示された。

「ではこの一切れだけ急いで食べてしまいますね」

 食べ物を無駄にはできない。

 お行儀は悪いが一口で食べてしまおうとフォークで持ち上げたその瞬間。

 足元がズズンと揺れた。


 地震かな?


 だとしたらビックリだ。

 この国の地盤は大地の精霊にガッチリと守護されていて、地震はほとんどない。

 たま〜に大精霊同士の喧嘩などで揺れないはずの大地が揺れることはあるが。

 今のもそれだろうか?

 

 違ったようだ。

 綺麗なフォームで風のように走ってくる令嬢がいる。

 その後を追う令息がいる。

 更にそれを追いかけてくる牛がいる。

 獰猛そうな、極端に野性味のある牛が。


「なんだ魔牛か」

 誰かが魔牛を召喚したらしい。

 シャロンにとっては珍しくもない害獣だが、パーティー会場は阿鼻叫喚だ。

 たくさんの令嬢令息が悲鳴を上げて逃げ惑っている。


「ひどいわ、婚約者を粗末にする男なんて、愛人もろとも牛に蹴られてしまえばいいのよ! バカ! 浮気者! うわあ〜ん!」

 うずくまって泣いている令嬢が魔牛を召喚した犯人だろう。

 狙われているのは先ほどいいフォームで走ってきた令嬢と風のように逃げ去った令息か。


 こんな所で魔牛を召喚する令嬢も令嬢だけど、婚約者を泣かす令息も令息だ。

 婚約に夢を抱けなくなってしまいそう。

 現実って醜いわ。


「君、危ないよ! 逃げないと」

 歓談の相手であった令息がシャロンの背中を押して外へ誘導する。

 少なくとも自分だけ先に逃げようとはしない男子がここにいた。


「邪魔だ、どいてくれ!」

「ちょっと、通れないじゃない!」

 そして他人をかき分け突き飛ばして、我先に逃げようとする人々がいた。

 狭い出口に殺到していて、むしろ危ない。


「皆さん貴族なのだし、魔法が使えるでしょうに、逃げるばかりで捕らえようとしないのはなぜかしら?」

 魔牛はさほど手強い魔物ではない。

 魔法を使ってこないし、攻撃は突進主体で直線的だし、毒もない。

 大勢で囲んでロープでも投げればなんとかなりそうなものだけど。


 首を傾げたシャロンをドンと突き飛ばした者がいる。

 さっきの俊足令嬢だ。

 「偉そうに言うなら貴方が何とかして!」

「え」

 ひどい。

 文句を言いたいが余裕がない。

 シャロンは魔牛の前に押し出されてしまった。

 片手にお皿、片手にケーキに刺したフォークを持ったままで。


『まずい。このポーズは令嬢としてはしたない』

『このままだと私、魔牛に頭突きされるのでは?』

 シャロンは同時に2つのことを考えた。

『何もしなければ魔牛の角で串刺し』

『何かすれば令嬢として恥をかく』

 二つの道、どっちを選んでも地獄ゆき。

『詰んだ?』

 考えとは別に体が動いた。

 左手の皿を魔牛に投げつける。

 鼻面に命中したがノーダメージ。

『お皿では弱い。でも魔牛の注意は引いた』

『フォークは?』

 ケーキが邪魔。

 思わずケーキをパクリと口に咥えた。

 フリーになったフォークを魔牛に投げる。

 狙い違わずフォークは眉間に刺さった。

 が、ノーダメージ。

 魔牛は頭にフォークを刺したまま突進してくる。

『面の皮が厚い!』

 シャロンはモグモグとケーキを咀嚼しながら腰を落とし、両手を前に構えた。

 魔牛とシャロンの視線がぶつかり、火花が散った。


 魔牛の突進!


 シャロンはゴックンとケーキを呑み込んだ。

『カロリー爆弾投下! エネルギー充填完了! 勝てる!』

『でも令嬢としての評価は地に落ちる! さようなら私の名誉、私の青春』

 シャロンは瞬きもせず魔牛を見つめた。

 不思議と時間の流れが遅く感じられる。

 どうやらゾーンに入ったようだ。

 魔牛の角が、一歩、また一歩と近づいて……。


「ここだー!」


 ガシッとつかんだ二本の角をシャロンは思い切りひねった。

 アップルヤード男爵家伝統の秘技。


「魔牛の掴み取りー!!」


 再び会場がズズンと揺れた。

 並み居る令嬢令息、給仕に護衛騎士、彼ら一同が目にしたものは。


 床に脳天から叩きつけられ目を回した魔牛と。


 軽く手で埃を払い立ち上がるシャロンの勇姿であった。





「……というわけで、我がアップルヤード男爵家の体質が知れ渡ってしまったの。あの日の会場にいた同世代の令嬢令息全員に」

「私がいない間にそんなことになってたのね」

 アビゲイルは頭痛を堪えるかのようにこめかみに指を当てた。

 シャロンは落ち着き払って紅茶を飲んでいる。

「魔牛を召喚した令嬢は謹慎処分ですって」

「婚約者と愛人は?」

「婚約者の方はお咎めなしなんですって。道義的責任はありそうだけど。愛人の方は私を魔牛の前に突き飛ばしたのが悪質な加害行為と見なされて、騎士にしょっぴかれていったわ」

「ざまあって感じね」

 ホホホホホ…と二人で笑い合う。

 悪が裁かれるのは気分がいい。

「でもシャロン、貴方の家に連綿と伝わるその体質、公開してしまってよかったの? 秘密ではなかったの?」

「大食いで恥ずかしいという意識しかなかったんだけど、知られたら意外にも高く評価されてしまって、戸惑っているところなの」

 アップルヤード男爵家の体質は食べたエネルギーを魔力に変えて身体を強化する。

 その強化度合いは小柄なシャロンをして巨大な魔牛を軽々と受け止め、持ち上げ、投げ飛ばすほどだ。

 これが必要に応じてON/OFFできれば便利だが、あいにく魔法でなく体質なので、OFFにできずに24時間1年365日発動しっぱなし。

 なので常に腹が減る。

 食費がかさむ困った体質としかシャロンは思っていなかったが、戦闘職にある人々からすれば喉から手が出るほど欲しい体質であるらしかった。

「この体質を目当てに婚約を申し込まれるとは思わなかったわ」

 あの日、一緒にケーキを食べた、大食いエピソードで笑ってくれたあの令息から正式に婚約を申し込まれたのだ。

「辺境伯のお孫さんですって?」

「そうなの。魔獣と闘うお家柄なので、身体強化体質を子孫に受け継がせたいと言われたわ」

 もう自分に令嬢としての未来はないと諦めたのに。

 こういうのを捨てる神あれば拾う神ありと言うのだろうか。

 アビゲイルもお魚令息と無事に婚約を結んだというし、めでたい限りだ。

「体質目当ての婚約ねえ……。政略の一種ということかしら。甘い口説き文句はなかったの?」

「えーと、あったような、なかったような」

 シャロンは口説かれた時のセリフを思い出す。

 あれは確かにある意味甘かった。


『君に毎日美味しいものをいっぱい食べさせてあげる。五人前でも十人前でも好きなだけ食べるといいよ。お腹が空いたらいつでもお菓子を口に入れてあげる。うちにも農場があるんだ。牧場ではチーズも生クリームも食べ放題だよ。果樹園は無いけど苺畑があって、苺ジャムも食べ放題。だからシャロン、うちに嫁いでおいで』 

 シャロンが一も二もなく頷いたのは言うまでもない。

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― 新着の感想 ―
 おじゃまします!  確かに痩せの大食いという体質はありますね。  こちらの嬢ちゃんは糖尿病なのか、ラッコの精霊でも憑いているのかと思ったら、想像以上にオモシロイ体質を持っていたようで。ファンタステ…
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