第7話ー①
登場人物(※身体的性で表記)
・久米香月くめ かずき【17・男】・・・・大和まほろば高校3年2組・野球部主将
・縄手章畝なわて あきや【30・男】・・・久米香月のクラス副担任
・斎部優耳いんべ ゆさと【40・女】・・縄手章畝の婚約者
・木之本沢奈きのもと さわな【17・女】・久米香月の彼女
・葛本定茂くずもと さだしげ【17・男】・久米香月の幼馴染で野球部
・山本水癒やまもと みゆ【16・女】・野球部マネージャー
・久米香織くめ かおり【47・女】・・・・久米香月の母
・葛本義乃くずもと よしの【48・女】・・葛本定茂の母
・小槻スガルおうづく すがる【31・女】・・・・・・・・斎部優耳と同じ社内チーム
・雲梯曽我うなて そうが【25・男】・・・・・・・・・斎部優耳と同じ社内チーム
・北越智峯丸きたおち みねまる【15・男】・・・・・・・野球部1年生
・宇治頼径うじ よりみち【24・男】・・・・・・・・・・北越智のパートナー
・新口忠にのくち ただし【49・男】・・・・・・・・・・久米香月の父親
・ディアナ・カヴァース【年齢不詳・DQ】・・・・・・・・新口忠のパートナー
階段の隅に座り込んだまま、すべてを失った久米は、抱える膝に頭を押し当て、体を小刻みに前後に揺らしていた。
唯一の蜘蛛の糸である【ムーンライト・シャドウ】の開店を待つしかない状況に、鈍足な時間の経過は辛抱を激しく強要していた。
力の限り絞ったシャツは、それでも冷たく、久米の体温を奪っていく。雨をこれでもかと吸い込んだ靴を脱ぎ、はだしのままでうずくまる。
「ほんの少し。あと少しでおやじに会える。」
もう寝まいと、まぶたが落ちそうになる度に腕立て伏せを繰り返し、階段をダッシュで駆け上がっていた。
時々見上げる窓の向こう、黒く重量感のある雨雲は一向に立ち去る様子はなく、時刻を曖昧なものにさせてゆく。
次第に通路の照明がつき始め、街灯が灯る頃には、夕闇がこの街に迫っていることを感じさせていた。
いつしか聞こえる雑踏が増え、それぞれの店の看板に灯がつき、街が動き始める。
そして目覚めた【新宿二丁目】、仲通りを中心に人の流れが生まれた。
店の扉が開かれる音と、中から漏れる音楽が、うたた寝しそうだった久米の鼓膜に届いた。
ハッと我に返り顔を起こす。
雑居ビルに人の気配がし始めたことに慌てて靴を履き、店が開いていることを切望しながら、急いで駆け出した。
おぼろげに点灯している看板が目に入る。教えてもらった店に間違いがないか、もう一度店の名前を見つめた。「大丈夫や。やっとや…。」たった数メートルの距離を駆けただけで、息が上がる。大きく深呼吸を何度か繰り返した久米は、店のドアをノックした。
「はーい!」
扉の向こう側から微かな声がする。
久米は精一杯の唾を飲み込んだ。
・・・・・・・
しばらくして、重たそうな扉が音もなく、軽々しく開けられた。
そこには、胸元に大きなリボンが揺れるブラウス姿の女性が立っていた。
「いらっしゃい。どうぞ。」
笑顔で、カラカラにかすれた太い声をかける。
「いや・・・あの・・・・。」
メディアから学び知ってはいたものの、初めて目の前にしたそのジャンルの人に、久米は戸惑い声が小さくなってしまった。
目を反らしてしまった久米に
「あら。どうしたのかしら?」
その人はキョトンとなった。
・・・・・・・
瞬間、沈黙が襲い空白が生まれる。
「あなた濡れてるの?」
困り顔で久米のシャツを覗き込む。
「あの・・・・俺、おやじを探してまして・・・・。」
問いかけがきっかけとなり、なんとか声にできた
「えっ?パパ?まだ誰も来てないわよ。」
その言葉に、店内へ視線を振り、あっさりと答えた。
「あの・・・・違うんです・・・ここにカヴァースさんって言う方が・・・・おるって、聞いたんですけど・・・」
不思議そうに見つめるその人に、上目づかいに尋ねた。
「おやじ???カヴァース??」
その人は見る見るうちに表情が変わり、目を見開き突然絶叫した。
「ええええええええええ!!うっそ!えっ、ちょ、マジで⁈」
そのまま勢いよく振り返り
「ママーーーー‼あんた!子どもいたの⁈どーゆうことーーー‼」
大絶叫で店の奥に走り行く。
取り残された久米は唖然となり、その人の背中に視線を置いたまま、店内を覗いた。
奥から何か揉めるような声がする。聞き取れるまでになる頃には、天女のようなドレスに羽衣を纏った人が姿を現した。
「私、子どもなんていないわよ!誰よ‼」
「ほらあそこに、雨に打たれたガッチリくんいるじゃない。」
開けっ放しのドアの前に佇む久米を指さす。
天女のような人は、手に持った紙煙草を一口吸いながら近づいてきた。視線が泳がざるを得ない威圧感が久米を襲う。
俯いてしまった視線に、その人の煌びやかな足元が容赦なく目に飛び込んできた。
恐る恐る顔を上げた久米を見下げるように、ドアの上枠に手をかけ立ち塞がった。
もう一口煙草を吸ったその人は
「誰?あんた?」
煙を横に吐いた。
極まりない覚悟を決め、久米は声を張る。
「俺。久米香月と言います。」
まっすぐにその人に視線を合わせる。
「父の名は新口忠【にのくち ただし】と言います。」
ハッキリと曇りのない気持ちで伝えた。
それまで煩わしい雰囲気で満ちていた時間が一瞬に固まる。
「え⁈」
煙草を吸おうとした手が止まる。
「カヴァースさんと言う方は、ここにいらっしゃいますでしょうか?訪ねるように聞いて来ました。」
徐々に力が抜けながらドア枠にかけた手が滑り落ちる。指先から煙草が零れ落ちる。
「・・・ディアナ・カヴァースは私・・・・。」
「え・・・嘘でしょ・・・・忠くんの息子の・・・香月くんなの・・・・。」
威圧感がかき消され、表現しやすくなる。
「はい。今は久米ですが、新口忠の息子の、香月です。」
「父に会わせてください‼お願いします‼」
今までの思いを背負い、深く頭を下げた。
「・・・・・・・・」
突然抱きしめられた久米。驚き全身に力が入るが、お構いなしにさらに力強く抱きしめられる。
「そうね・・・・忠くんの息子なのね。あなたが…。大きくなったわね・・・。」
止められないカヴァースの感情は、徐々に腕に力を伝える。「苦しいっす・・・」なされるがままの久米のつぶやきに「あ・・ごめんね。」と離れたカヴァースは背を向け、目頭を押さえた。
「・・・あなた、ずぶ濡れじゃない。着替え渡すから、こっちへいらっしゃい。風邪ひくわよ。」
久米に振り返らずに、ヒールの音を立てながら足早に店内へと進んだ。
「あの・・・父は・・・・」
背中を追いかける声に
「今・・・・・・・・忠くん仕事中だから、後で一緒に行きましょ。」
カヴァースは精一杯の声で返した。
久米はその言葉に、全身の力が抜けるような安心感で満たされながらも、「早くいらっしゃい!」との催促に、「失礼します。」と頭を下げ店内に入った。
店内の壁は朱色で統一され、漆黒の床にメタリックな天板のカウンター、テーブル席が5か所、奥には重厚感漂う朱色のビロードでできた緞帳の掛かるステージが設置されていた。
その裏の控室に案内された久米は、タオル、ハーパンスウェット、Tシャツに濡れた服を入れるビニール袋を渡された。
カーペットがひかれた、一段上がった二畳ほどのスペースに、カーニバルを思わせる衣装の数々が掛けられ、多様な小道具をはじめ、女優ライトを備えた鏡と姿見が置かれていた。
「ありがとうございます。」と頭を下げ、仕切りカーテンをひき、久米は着替えた。サイズが合わず、かなり窮屈だったが、このまま濡れた服を着続けるよりましだった。
しばらく小さめのハーフパンツと奮闘していると、カヴァースが声をかける。
「どう?着れた?少し小さいかも。」
カーテンの隙間から、背中を向け必死にスウェットパンツを上げている久米の姿が見える。
「あっらっ!おしりプリプリねぇー。腕もすごいパンパン!」
ご馳走を見つけたように、たまらず傍によりボディータッチを繰り返す。
嫌気はないものの、若干のくすぐったさに身を引きながら、「高校で野球してるので。」と笑顔で返した。
その言葉に驚愕したカヴァースは、久米に触れる手を素早く放し
「え・・・・・・高校生なの⁈」
目を白黒させる。
「はい。」と元気よく頷く久米に「ダメじゃんー。ここに来たら・・・。」と大きく溜息をついた。
「・・・・なんかマズかったですか…?」
動きを止め、キョトンとする。
「本当は、十八歳未満入店禁止なのよ・・。」
やっと少しでも落ち着ける場所ができたと思っていた久米は「あ・・・そうなんですね・・・すいません。俺、外で待ってます・・・・」
知らなかったとは言え、迷惑をかけてしまった気まずさに押し潰されそうになりながら、視線を落とした。
そんな落ち込みようを見たカヴァースは
「いや、もういいわ。その代わり誰かに歳聞かれたら、二十歳って言ってね。」
何とかなるかと、両手を腰に当てながら息を吐いた。
が、ふと疑問が浮かぶ
「ちょっと待って・・・・お母さん、このこと知ってるの?」
何も言わずに首を横に振る久米。
「何も言わず、黙ってここまで来たの?」
カヴァースを見ることが出来ず、恐る恐る「はい。」と頷く。
「ああもう・・・・今日はなんて日なのよ。」
膝から崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
「ちょっと!香月くん!お母さん、絶対心配してるから、電話一本、LINEでも、とりあえずなんでもいいから連絡入れなさいよ!」
へたり込んだカヴァースは、泣きそうな目で久米を見上げる。
更に目を反らしながら
「あの・・・その・・・・・スマホも財布も・・・バッグごと失くしました・・・」
すいませんと頭を下げ小さく呟く久米の声は、情けなさと自己嫌悪に染まっていた。
「失くした⁈はぁ?ひょっとして盗まれたとか?何それーーー。」
カーペットに倒れこみ、訳が分からなくなったカヴァースは、意味不明な動きで悶える。
「すいません。」頭を小さく下げる久米の腹が、タイミングを見計らったように唸り声を上げた。
「そりゃお腹減るでしょー。」
ため息交じりに、なんとか力を振り起き上がった
「何がいい?出前頼めるから。かつ丼とか?」
久米を見る目は優しかった。
久米は、そんな優しいまなざしに、張りつめていたものがほどけていくような安堵を覚えた。無意識のうちに、目の奥が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます。定番ですね。」頭を下げ、涙が出そうになる気持ちを恥ずかしく思い、甘えるように冗談を言った。
「ここは取調室じゃないわ!」
そんな久米に微笑んだカヴァースは、もう一人のクィーンにかつ丼定食特盛りの出前と、なにか小声で少し話し、久米をカウンターに手招いた。
初めて座るバーカウンターの椅子の高さに、とまどい腰を下ろした久米の前に、緑茶が差し出される。
「はい、お茶。喉も乾いてるでしょ。今、特盛頼んだから。すぐに来ると思うわ。」
「ありがとうございます。いただきます。」
軽く頭を下げグラスに手を伸ばす。
一口含んだ瞬間、渇いた心に染み渡るような潤いが喉に染み渡る。やさしさのようなものと一緒に。
実際に、舌がカラカラで唇がくっついてしまいそうなくらいだった。大きく一口飲んだ緑茶がどんなにおいしかったことか。
久米は切れた緊張感と思った以上の疲労で、背もたれに体を預け大きく息を吐いた。
「よくここがわかったわねぇ。」
カウンターに肘を付き、久米の顔を覗き込むようにカヴァースは正面に立った。
「はい。友達のお母さんに教えてもらったんです。」
頷きながら話す。
「あっ・・・・義乃さんね。」心当たりを思い出し、ガクッと頭を落とし、
「あれほど言わないでって約束したのに・・・」ため息をつきながら、目を閉じた。
そんなカヴァースの姿を見た久米は、迷惑をふんだんにかけてしまっている状況に、何度も謝るしかなかった。
「まあ、今更何言ったとこでしゃーないわ。」
顔をあげ、肘を付いた手に顎を乗せたまま苦笑いをする。
そのまま少し久米の顔をマジマジと見つめながら「でも、本当にお肌つるつるねぇー。日焼けしてて男の子って感じ!」優しく笑った。
キラキラした瞳が恥ずかしすぎて目を反らしながら「ありがとうございます。」と反応に迷い、グラスに手を伸ばしもう一口、緑茶を飲んだ。
「・・・・カヴァースさん、めっちゃ綺麗っすね。」
更に喉が潤ったことで、褒めてもらえたお礼の言葉が生まれる。
「ありがとっ!」と首を傾けまた微笑む。
「あの・・・・」
「なに?」
我慢して留めていた訳じゃなく、動き出そうとする気持ちが、喉の奥から言葉を押し上げる。
「おやじと、カヴァースさんは結婚しているんですか?」
唐突だけど素直な声が零れた。
「そうねぇー・・・。」少し考えるように息を吐く。
「結婚と言うか、パートナーシップ制度っていうのがあってね。お互いをパートナーとして登録するんだけど。まあ、正直そんなに大それたもんじゃなくて、法的に婚姻関係にないと受けられない行政などの一部サービスが受けられるっていう・・・・ね。それに登録するためのものが、婚姻届け?っぽいから。」
「まあ、最終的には本人同士の気持ちってのかな。自己満って言われたらそうなんだけどね。」
スタッフが差し出す、ビールの注がれたロンググラスを受け取り
「良かれと誰かに与えてもらっても、幸せって感じるかどうかは、個人個人それぞれ・・・・じゃない。大きく的外れな、ありがた迷惑なことをされてもねぇ・・・・。」
視線をグラスに移し、ストローをさした。
「確かに・・・そう思います。それでも、その制度でカヴァースさんは幸せって思えたんですか?」
「そりゃあ、幸せよ。」
「よかったです!式とか挙げたんっすか?」
ビールをストローで飲み始めたカヴァースに驚きながら、久米は初めて見る飲み方に突っ込むべきか迷いながら尋ねた。
「んーー考えてなかったかな。もしやったら出席してくれる?」
「はい‼もちろんっすよ!」
笑顔で応える久米に、微笑むだけのカヴァースは、グラスを両手で包み込んだ。
「やっぱ、おやじからカヴァースさんに告ったんっすか?」
「んー。」困り顔になり、ストローを咥え、そらした視線に
「先に言っておかないといけなかったんですけど、別におやじの事でカヴァースさんを、本当に恨んでませんので。ガチで。」
言い終えたのと同時に、グラスに手を伸ばした。
「ありがとう。」視線を戻したカヴァースは目を軽くつぶって頭を下げた。
「香月くんは覚えていないかも知れないけど、忠くんと私で、香織さんに会いに行ったことがあるの。複雑な気持ちをわかってもらえるとは、これっぽっちも思っていなかったんだけど。案の定めちゃくちゃになっちゃて、大変だったんだけどね・・・。」
「あの時、香月くん、まだこんなに小さかったんよ。」
カウンターの中で、身長の高さを手で表現して微笑み返した。
「そうだったんですね・・・・。」母の激怒する姿が容易に浮かび、口に含んだ緑茶が喉に詰まりそうになった。
「本当の事を言えば、私が忠くんに告白してしまったのよ・・・・・フラれて、二・三日泣いて、ノンケに恋したおかまの笑い話に変わると思ってた。」
ビールグラスに刺さるストローを咥えた後
「東京に仕事で来ていた忠くんが、会社の人に連れられて、この店に来てくれたのがきっかけで…そこから出張の度にここに来てくれるようになって・・・」
久米に視線を合わせることなく続けた。
「だんだんお互いの事が気になり始めて・・・・いつの間にか一緒に食事するようになって・・・・」
「香月くんの事は知っていたわ。」
謝罪を込めた目で、久米に視線を合わせる。
「それを知りながら・・・・私が止められなかったの。あの時。・・・本当にごめんなさい。」
両手をテーブルに並べ、頭を深く下げた。
「いいんです。本当に。気にしないで下さい。誰かを好きになるって、そうゆうことですよね。たぶん・・・・。」
ストローでビールを飲むカヴァースの姿に別世界の大人を感じた久米もつられるように背伸びした言葉を伝え、テーブルへ視線を落とした。
「・・・・・」
言葉が止まってしまったカヴァースに
「ちょっと、なんか、変な気持ちですけど。」
だけどそんな背伸びした素直な気持ちを伝えた方が、心のままに話せると笑顔を上げた。
家族だった母と自分より大切な人が、今、目の前に立っているという現実は、若干の喉の渇きを生みだす。
『もしこの人と父が出会っていなかったら』別の未来を想像しそうになる流れを、緑茶で整えた。
「いや・・・あの・・・すいません。」
バーの空気が重くなるのを避けようと謝る久米に、
「香月くんは彼女、いるの?」
カヴァースは閉じそうだった口を開いた。
「そうっすね・・・・。」
少し考えるように沈黙した久米は、鼻をすすり
「そうあろうとした人はいます。でも・・・」
「・・・でも?」
ビールを吸い上げたカヴァースの目を見つめ
「俺、ゲイなんです。」
小さくつぶやいた。
ブッーーーーーーーーーーーーーーーッ‼
飲み込もうと口に含んでいたビールを一気に吹いた。
「いやーーーーーーーーッ‼ママーーーァ‼何してるのーーーーーーーぉーーーーーッ。」
隣でキープボトルの整理をしていたクイーンにすべてかかり、悲鳴が上がる。
「ええええッ!なんで??」
カヴァースは目をこれでもかと見開き驚いた。
「・・なんでって・・・・言われても・・・ダメっすか?」
大惨事になったカウンター内と驚愕のカヴァースを交互に視線を送り、眉をひそめた。
「いやいやいやいやいやいや・・・絶対ダメじゃないよ‼本当に‼」
「でも、めちゃくちゃ複雑な気持ちよ。」
布巾で飛び散ったビールを拭きながら、思いっきりの苦笑いをする。
そこまで驚かなくてもと、ムッとしてしまった久米に
「もう悪いおかまにいいようにされないか、ホントに心配よぉーーーー。親心がわかるわぁーーーーー」
手を差し伸べ頭をゆっくり撫でた。
心を許しきらないその手を避けようと、反射的に体が動きそうになったが、少しのあきらめを持つことで我慢した。
小さくため息をついた久米は
「おやじも、ゲイなんですか?」
撫でられている手の影からつぶやいた。
「そうね。本人はそう言ってる。」
久米から手を離し、カウンターの上で手のひらを組んだ。
「バイセクシュアルって訳じゃなくってですか?」
「そうね。」
「・・・・よくわからないっす・・・ニューハーフの方が好きってだけで、ゲイではない可能性はないんですか?」
「あら。私たちはニューハーフじゃないわよ。好きになる対象が同性って意味で言えば、私はゲイ。でも体を女性に近づけたい気持ちがあるかと言えば、それはまた別の話なのよ。」
「えええ?ますますわかんないっす・・。」
「その話をしだすと、ここのシーンがめちゃくちゃ長くなるから、また別の機会に!」
カヴァースは【こちら】を見つめ手を振る。
「誰に言ってんすか?」
久米も【こちら】に顔を向け、手を振る。
「でも、香月くんのモヤモヤした気持ちは何となくわかるわ。」
顔を戻し、小さく頷いた。
言葉が見つかりながらも口に出せずにいた久米は、グラスに手を伸ばし、残る緑茶を一口で飲んだ。
「香月くんが進む未来に、忠くんは関係ないわ。」
カヴァースは冷蔵庫からペットボトルを取り出し、空いたグラスに注いだ。
「まだ割り切れないっす。」
「香月くんは、まだ高校生だし、仕方ないことよ。」
ペットボトルの蓋を閉めながら笑う。
「・・・・・そうやって。」
「そうやって、馬鹿にするのやめてもらっていいですか。」
小刻みに呼吸し始める胸に、自分でも腹立たしく怒っている感情がわかる。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの!」
知識と経験が足りない香月に、自分が自分の人生の選択をする時、何が一番大切かを理解できないはずだと、軽んじていたカヴァースは、若い感情の揺れに、慌てて手を合わせて、なだめた。
「ここにはちゃんと覚悟を持って来てます。」
鼻孔を膨らませ久米は言い切った。
「どんなことが事実であっても、ちゃんと受け入れて見せます。だから、誤魔化さないでください。」
肩に力が入り、いつの間にか両手は握りしめられていた。
「・・・・・・わかったわ・・・。」
大きく息を吐きながら、グラスにビールを注ぎ足したカヴァースは重そうに言葉を引きずり出した。
「忠くんは幼い頃から、【男として産まれたからには、家族をつくらないといけない】という考えが刷り込まれてしまう環境で育ってきたの。昭和って時代は結婚して、子どもをつくって、家族を持つ。それが当たり前で、誰もがすることだって、全ての生命は子孫を残すために存在しているのだと思わされてきたの。だから、忠くんもそうしなければという気持ちだったのね。」
「忠くんが家族をつくるには、まず子どもを産んでくれる人が必要となるから、その役割を果たしてくれる【妻】を探したの。」
カヴァースはグラスを手に取り、ビールを吸った。
「だけど、なぜか女性に対して【緊張】が生まれて、どうしても身構えてしまう。」
「そんな中、出会ったのが、香月くんのお母さんの香織さん。【緊張】をまったく感じることなく接することができて、産まれてくる子どもの【母親としての役割】を信頼して任せられると確信できたの。だから忠くんは結婚できたんだって、話してくれてたわ。」
久米は瞬きをしながら頷いた。
「だけど、香織さんに対して、人生を語るうえで絶対に外せない性的な欲望、エロスが無かったの。香織さんには家族を構成するための、母親としての役割期待しかなかったの。」
久米は理解しようと、カヴァースの語りに何度もうなずくが、想像が追いつかず、【相手の立場】に立てなかった。ただ「そうなんだ。」と思うしかなかった。
「でも、ここは絶対に間違わないで欲しいんだけど、性的欲望がないと愛が成り立たない訳じゃない。私はそう信じてる。」
少し鼻をすすり、視線をグラスに移した久米は
「母はそのこと知ってるんですか?」
小さく息をはいたカヴァースにつぶやいた。
「それを香織さんに伝えに行ったの。」
「なるほど・・・・」と額を軽く掻き、緑茶に手を伸ばす。
「じゃあ、俺は・・・おやじが家族を持たないといけないがためだけに生まれた、子ども役ってことっすかね・・・」
一口飲んだ久米は、ため息交じりに気持ちをこぼした。
「香月くんの事は、愛しているわ。」
「だったら!なんで・・・・いや、いいです。」
おやじが愛してるはずの自分を捨ててまで、今日と言う未来を選んだ理由や、おやじが愛している人のこと、すべて受け入れて見せますと言っておきながら、ほとんど受け取れなった自分の幼さに落ち込んだ久米は、言葉を止めた。
「理解しようとしない方がいいわ。だって、自分のことさえ理解できていないのに、育ってきた環境や時代が違う人なんて絶対わからないわよ。そうだったんだ、でいいと思うわ。」
困惑している姿に優しく伝えた。
「俺はおやじに会ってもいいんですかね。」
俯いたままつぶやく。
「・・・・・・・・うん。大丈夫。」
重くなっていく空気に、話題を変えようとカヴァースは口を開いた。
タイミングを見計らったように
「こんにちは!出前お持ちしました!」
店のドアが開き、カウンターにかつ丼特盛り定食が運ばれた。
「あんた、でかしたわね!」と満面の笑みで受け取ると、「どうぞ食べて!」と手を差し出す。
「ヤバい‼めっちゃ美味そう‼」
湧き上がる香りに、声が大きくなった久米は割りばしを素早く手に取り「いただきます!」と手を合わせた。
どんぶりを手に大きく口を開け、解き卵が絡むカツと、合わせ出汁の染み込んだ白米を同時にかき込む。
ダイナミックに口を動かし「ガチうまいっす!これ最高っすよ!」笑顔を取り戻した久米に、「足りなかったら言ってね。」と一安心したカヴァースは微笑んだ。
厚いカツを頬張り「はい!ありがとうございます。」と小さく何度も頷く。味噌汁に持ち替え、勢いよく喉に流し込む。
「本当に美味しそうに食べるわねぇー、食べ方も忠くんそっくりー。」
頬が痛くなるくらい微笑むカヴァースは、グラスに緑茶を注ぎ足す。
ひたすら特盛を口に運んでは、時折笑顔でこちらを見る姿に、いつの間にかカヴァースの視界がかすみ始める。
鼻涙管を伝い落ちそうになる涙を、カヴァースはこっそりとティッシュで拭った。
「ごちそうさまでした!」
どんぶりに残る最後の一粒を口にした笑顔の久米は、手を合わせ、頭を下げた。緑茶で口の中をさっぱりさせた後、満足気に大きく息を吐き、背もたれに体を預けた。
「美味かったすーっ。本当にありがとうございます。生き返りました!」
満面の笑顔で、両手をあげて伸びをする姿に「どういたしまして。」とカヴァースは「なんだかんだ言っても、まだまだ子どもよね。」と思いながら、綺麗さっぱりになった食器を片付けた。
「香月くんは、今好きな人はいるの?」
軽くなった空気に軽い言葉が零れる。
「はい。います。」
久米は天井を見上げた視線を戻した。
「同じ野球部の人とか?」
タオルで手を拭きながら、減ったグラスに緑茶を注ぎ足す。
「違います。先生っす。」
「あーそうゆうね・・・。いつの時代も変わらないわね。」
ありがちな恋愛パターンに若干不安になったカヴァースだが、説教じみた事を口にせず、何気ない言葉を選んだ。
「そうなんですか?」
「でもまあ、教師と生徒はちょっとね。風邪みたいなものだし、キレイな青春の思い出としておいた方が、よさそうだけどね。」
「あぁ・・・・俺、もう告りました。フラれましたけど。」
「あららららら・・・。それでも今も好きなんだ。」
「はい。まあ、ちょっと色々あったんですけど・・・。」
久米はどこまで話せばいいか迷いながら、一度視線を下げた。
「本当は告るつもり、全くなかったんですけど。」
「嫌がらせ?つーか誰かのいたずらかでゲイバレしてしまったんです。でも、それきっかけで告白したんです。」
カヴァースは黙って頷く。
「入学した時から好きだった先生なんで、もう嘘をつかなくていいと思ったら、自分の感情がどんどん止められなくなって、自分が自分でないくらい、もう訳わかんなくなったんすよ。」
「で、フラれて・・・・。」
・・・・・・・・
「なんか、窓から飛び降りちゃいました。」
「えええええええ!」
カヴァースは驚き、顔を久米に近づける。
「大丈夫だったの?」
「は・・はい。正直・・・その時のこと全く覚えてないんですけど。存在理由の底が抜けたみたいな感覚になって、そしたら・・・・」
久米は体を後ろに少し引きながら頷く。
「・・・・・あ!!!それ!知ってるかも!」
何かを思い出したように、久米を指さす。
ギョッとなった顔に。
「あれ香月くんなの?」
「あ!ああああ!ほんとだ‼香月くんだ!」
カウンターの後に置いたスマホを手に持ったカヴァースは、ネット検索から表示される数々の画像を見ながら、久米と見比べた。
「これは・・・あなた、まあまあみんな知ってるわよ。」
「・・・・そうなんですか?」
「なかなかリアルタイムのBLってないじゃない・・・。」
「・・・・はあ・・・。」
ある程度の成り行きを知ってるカヴァースは、不安を抱かざるを得ず、ゆっくり視線を久米に這わせる。
「いや、あなた、これはどうなの?その先生。」
「え?どうゆう事っすか?」
少し眉間に皺をよせ、小さくため息をつく。
「香月くんのこと思ったら、ちょっと私は・・・。」
手を組みながら、憂い顔になったカヴァースを見た久米は
「好きになるって、そうゆう事だったんじゃないんですか?」
口調を強めた。
「それでも・・・」と言いかけたカヴァースに
「カヴァースさんもおやじも!そうだったから、幸せになれてるじゃないですか‼」
否定的な言葉をそれ以上言わないで欲しいという気持ちをぶつけた。
「・・・・・そうね。」
運命という錯覚に惑わされないで欲しい気持ちを押さえ、カヴァースは俯き小さく頷いた。
「やっぱり俺は、おやじの血を引いてるってことですよ。」
「じゃあ、おやじとカヴァースさんと俺の三人で、俺の恋愛話しましょう。」
「ひょっとして、人生初のおやじとの親子喧嘩できるかもしれないですしね!」
久米は自分の心を知って、口を閉じてくれたカヴァースに感謝のつもりで明るく振舞った。
―――――――――――
雨が降り続く新宿界隈を、縄手はネオンをかき分け久米を探し続けていた。
父親に会えずに、あてもなく彷徨っているんじゃないか。この街のどこかで、どうしようもなくうずくまっているんじゃないか。ひょっとしてガラの悪い連中に捕まり監禁されてるんじゃないか。
縄手は歩けば歩くほど、助けを求めている久米を想像し続けてしまい、腹の減りも忘れ、喉の渇きも打消し、足を止められずにいた。
傘の波に顔が隠れてしまう状況に、久米の体型に近い姿を見つけては、前に回り確認する。睨まれ、怒鳴られ、唾をかけられても深く頭を下げ、事情を説明し情報を求めた。
朝練後に一緒に走った校庭での笑顔。
朝の廊下で真剣に告白してきた時の顔。
テスト中に泣き出しそうな目で見上げていた顔。
勢いで抱きしめてしまった時の真っ赤にしていた顔。
「久米、どこにいるんだ。」「久米に会わせてくれ。神様!頼む!」目を閉じ、握りしめた拳を胸に当てた縄手は、大きく深呼吸し、心を静めて再び一歩足を踏み出した。
帰宅ラッシュが過ぎても、人の流れが全く減らない夜の新宿は、昼間とは全く違う顔を見せつけ、光輝く牙をむき出しに、狂暴化した怪獣の圧倒的な力でこの場所に存在していた。
【トゥルーカラーズ=僕らの家族スタイル】オリジナルイメージソングアルバム
がSpotify、Amazonmusic、YouTube、Instagram、TikTokなどで14曲配信中です。
アーティスト名に【HIDEHIKO HANADA】入力検索で、表示されます。
ぜひお楽しみください。
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