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第5話ー②

登場人物(※身体的性で表記)


・久米香月くめ かずき【17・男】・・・・大和まほろば高校3年2組・野球部主将

・縄手章畝なわて あきや【30・男】・・・久米香月のクラス副担任

・斎部優耳いんべ ゆさと【40・女】・・縄手章畝の婚約者


・木之本沢奈きのもと さわな【17・女】・久米香月の彼女

・葛本定茂くずもと さだしげ【17・男】・久米香月の幼馴染で野球部

・山本水癒やまもと みゆ【16・女】・野球部マネージャー


・久米香織くめ かおり【47・女】・・・・久米香月の母


・小槻スガルおうづく すがる【31・女】・・・・・・・・斎部優耳と同じ社内チーム

・雲梯曽我うなて そうが【25・男】・・・・・・・・・斎部優耳と同じ社内チーム


・北越智峯丸きたおち みねまる【15・男】・・・・・・・野球部1年生

・宇治頼径うじ よりみち【24・男】・・・・・・・・・・北越智のパートナー

 小槻スガル【おうづく すがる】(31)は、グループワークエリアにある、ウォールナットでできた大きめの机に陣取り、おっぴろげたノートパソコンの画面に全神経をつぎ込んでいた。


 眼鏡を頭にかけ、今にも頬を擦り付けそうになる距離へとのめり込んでゆく。

 そんな後ろ姿を見つけた雲梯曽我【うなて そうが】(25)がペットボトル片手に声をかけた。


「何そんなに集中してんすか?」

 その声に驚いた小槻は、目を見開き条件反射的に勢いよくトップカバーを閉めた。

 体で覆い隠しながら「内緒‼」と一人で興奮していた時間を邪魔された苛立ちで不貞腐れた声を上げる。


「イケメン探しっすか?」wwww

「は?あんたと感性一緒にしないで!てか、それK点越えのセクハラ発言だから‼」

 あっちへ行けと、体でパソコンを死守しつつ、片手で追い払う。

「絶対その目は自分の世界に浸ってたでしょー。」

「もういいから!あっち行って!」

「いやいや。俺らのチームに内緒ごとはナシですってー!」


 しつこい雲梯にうんざりと頭を沈める。

「小槻せんぱぁーい。」

 テーブルの対面に座り、覗き込むように肘を付く。

「もう!本当に邪魔しないで‼」

 俯いたままテーブルを指でかきむしる。

「せんぱぁーい。隠し事はダメっすよー。」

 雲梯がニヤついたタイミングで、斎部の声が右耳に差し込んだイヤフォンから響く。


「まだピューリファイプラン、2パターンしか出てないけど、いつ出すんだ雲梯‼」


「やべっ!」

 勢いよく椅子から立ち上がった雲梯は、辺りを見回しながら「今から出します」と逃げるように立ち去った。


 顔を上げ、眼鏡をかけなおした小槻は、「助かったーぁ。先輩ナイス。」と大きく溜息をつき、雲梯が走り去る姿に大きく舌を出した。


 そのまま斎部の声で仕事モードに移行したい気持ちは山々だけど、どうしても続きが気になる小槻は、パソコンを広げ先ほどまで浸っていた世界にパスワードを入力し再びダイブした。



「・・・何それ?」

 不意にイヤフォンからではなく、至近距離の背後で斎部の声が聞こえた。

「ギャー!」

 心臓が停止する勢いで、驚き飛びあがった小槻は眼鏡を床に落としてしまった。


 慌てて眼鏡を拾い上げようと、しゃがんだ隙に斎部はパソコンを覗き込んだ。


「ん・・・・これは・・・」

 手を伸ばしスクロールする。


 起き上がった小槻が、中を見られまいと画面を消そうと必死になるが、払いのけられる。

「ちょっと待て!」

 席を奪うように押しのけ座った斎部は最新情報から、過去の情報まで流してゆく。



『失意の野球部主将、元カノと復縁か?』

『恋の行方はどうなる?転落事故から復帰』

『衝撃!野球部主将、転落事故か?自殺未遂か?真相は?』

『熱愛モード覚醒!うれしい!たのしい!大好き!』

『大和まほろば高校野球部主将が男性教師に愛の告白!』

 などの見出しで、無数のコメントと加工が一切していない画像が連なる。


「・・こいつが久米か・・・・」

 スクロールする指を止め、画像を見つめたままボソッとつぶやいた斎部に、隣でおどおどと言い訳を繰り返し続けていた小槻が、

「せ、先輩も興味あるんですか?」

 おそるおそる上目遣いに尋ねた。


 学生服姿で縄手と肩を並べ、校庭を一緒に歩く笑顔の若者。

「ここまで詳しく載っているサイトがあるのか・・・・・WFF?」

 斎部は、怯えるハムスターのように見上げる小槻に眉をひそめた。

「全世界腐女子連盟です・・・」

「腐女子???」

 なんだそれ?とさらに口を大きく開けたまま見つめ返した。


「はい・・・・・男の子同士のあれやこれやが大好きな種族・・・・と言いますか、属性と言いますか・・・・・そうなんです。

 」

 目を斜め下に恥ずかしそうに反らす小槻に、「あーなるほど。」と納得したように頷いた。

「ここは始祖のサイトで、元々はヤオイオタクサイトだったんですが、全世界からアクセスされていて、登録者は三億人ともいわれてます・・・・・」


「ちょちょ・・待て。始祖はわかるが、ヤオイ??」

「今風に言えば、ボーイズラブです。」

「あー・・なるほど・・・・・で、そんなに登録者いるのか、日本人口の倍だぞ。」

「はい!」

 笑顔で顔を上げる。


「だって、比べるモノがないので、安心して見られるんですよ。」

「は?」

 不思議顔の斎部に


「普通の恋愛ドラマだと、美男美女が結局結ばれる結末が多くて。そりゃー美女だから最終的に結ばれるよねーってなってしまいます。現実の私と綺麗な女優さんとの差が大きすぎて、応援するどころか逆にみじめになっちゃうんですよね。その点ボーイズラブは私と比べるモノがないので、安心してラブストーリーを楽しめるんです。」


「あー・・・・オッケーわかった。」

 斎部は深く聞き出すと、時間がいくらあっても足りないと近未来を簡単に予想でき、片手を上げた。

「で今、この子たちの話題で世界中は持ちっきりなんですよ!」

 口数が多くなりはじめた小槻の瞳にヒカリが灯る。「それはお前たちの世界だけだろうが。」と心で思いながら、

「でも、プライバシー完全無視だな。個人名や学校名まで載ってるじゃないか。

 」

 斎部が再び画面をスクロールさせる。

「そこが行き過ぎているところなんですよね・・・・サーバーが海外なので・・・」

「だから、ここからいろいろな情報が漏洩してしまうんだ・・・・」


 縄手に背を向け、歩き出している久米と木之本の動画で指を止める。


「もう今じゃ、色んな個人のSNSアカウントで晒され続けていますけど・・・」

「私!めっちゃ彼らを応援しているんです!だって、リアルなんですよ!映画じゃないんです!すごくないですか?」

 小槻は斎部も同族だと思い込み、さらに輝き出した瞳で話し続ける。


「これ本当にある、現実社会での出来事なんです!野球部の主将と男性教師が禁断の恋に落ちて、危険だとわかりながらお互いの命を削って愛し合うなんて、もう震えが止まらないです!純愛ですよ!」

「はあ・・・・」


 小槻の三つの星を宿した瞳に、あきれ顔になった斎部は「こいつは私の前に突然現れたクソガキなんだけどな。」と視線を送りながら腕を組み、背もたれに体重を乗せた。


 そして大きく肩でため息をつき「詳しすぎるな。学校関係者でこいつらの近くにいる奴が書き込んでいるのか?」パソコンの画面を睨む。

「なんでだ?学校に恨みを持つ人間なのか?生徒か教員か…」再び指で画面を動かす。「いや…にしては批判や罵倒ではなく、ただの出来事としてニュートラルに表現しているだけだ。」

「誰だ?」斎部は顎に手を置いき、ページアドレスを自分の端末に転送した。


「いつか、私のところにも来るな。」

 小さく呟き、隣で永遠に解説を続ける小槻を無視するように立ち上がり言い放った。

「はい!バラの世界は終わり!ルート確保の手順早く提出しろ!」

「ラジャー!」



「これからが、いいところだったのに・・・でも、バラって・・・・先輩古っ!」

 小槻は立ち去る斎部の背中を、残念そうに見送りながら椅子に座った。



 ―――――――――



「さぁーこいー!さぁーこい!」

 全国高校野球選手権奈良県大まであと数日。半泣き状態の梅雨空の下、野球部の練習が繰り広げられていた。


 シートノックとバッティング練習が中心になった午後は、ボールがいくらあっても足りない。

 一人しかいないマネージャーが、ショッピング用バスケットにボールを詰めるだけ詰め選手のもとへ駆け寄る。


 何十キロにもなる重さを運ぶマネージャーの背中を追いかけ、木之本も両手でバスケットを必死で持ち上げたまま走る。指定の場所に下ろした山本水癒【やまもと みゆ】(16)は振り返り、木之本のバスケットを受け取った。

「木之本先輩、手伝っていただき本当にありがとうございます。重いでしょ、無理しないでください。」

 ペコリと頭を下げる。


 大きく息を吐いて、一息入れた木之本は

「こんなことずっとやってんの?ホンマに凄いわ、山本さん。」

 グラウンドに目を移した山本は

「野球が大好きで、中学の時も真似事ですがかじってたんですよ。」

 笑って見せた。


「この学校の野球部、強くないし、設備も少ないし、アナログで大変そうやな・・・・」

「強豪校でもやっている内容は似ていると思います。確かに仕事量は違いますが。それでもマネージャーとして同じ思いだと思います。」


「次に行きましょう」と手を差し出し木之本を誘導する。

「へえー偉いなぁ!こんな志の高いマネージャーが入ってくれたん、マジ奇跡やん?」

 歩き出しながら山本に顔を向ける。


「本当はかなり迷ったんですよ。私、選手になりたかったんで。でも高校野球では女子の選手は認めてもらえなくて。」

「えーーーーそうなん!知らんかった!なんか差別やな!」

 目を大きく開け、初耳な情報に驚く。

「うん・・・・でもまあ、やっぱりフィジカルな面で男の人には勝てへんので・・・私、ホンマに男に生まれたかったです・・・」

 悔しそうに山本は俯いた。


「んーーでも女子バスみたいに、女子野球ってあらへんの?」

「あることはあるんですけど、奈良県にはなくて・・・それに最低でも九人はそろわんと駄目ですしね。」


「少ないんや・・・」

 肩で軽くため息をついた山本は

「まあ!そう言っていても仕方ないんで、少しでも野球にかかわれたらと思って、今はここにいます。甲子園行ってみたいですよ。2022年から私たち女子もグラウンドに入れるようになりましたし。」

 作り笑顔でも、この野球部を支えようと決めている笑みを見せた。


「え‼それまで入れへんかったん⁈」

「はい。そうなんです。」

「うゎーなんか、色々あるんやなぁ・・・」


「だから、昔はボールボーイって呼ばれていたのが、ボールパーソンって名称が変わるみたいですし。」

「あーボールを拾ったり、渡したりしてる人やね。ふーーーん。」


 ややこしそうな雰囲気なので、あまりセクシャリティにかかわることは深く聞かないでおこうと木之本は、話題を絞った。


「でもなぁー甲子園かぁー。遥か遠い気がするなぁー。」

 グラウンドのところどころに転がっているボールを拾い集めながら、空のバスケットに入れていく。

「チームが充実したら行けると思いますよ。」

 自信有り気に木之本を見る。

「今年はいいとこまで行ける気がします。」

「えっ?」


 予想もしなかった言葉に再び驚く。

「久米先輩が帰って来なかったら、心配でしたけど。とは言っても、強打者の葛本先輩は第一回戦には間に合わなさそうですし。」

「あーあいつかぁ。自宅謹慎一週間やからねぇ。まぁ、ムカつくやつやけど、素人の私から見ても、あいつは上手いと思うわぁ。」

「・・・自分の気持ちの表現方法が、不器用なんですよね。葛本先輩は・・・。」

「ホンマかいな?」

「・・・知らんけど。」

 湿った生温い風が笑い合う木之本と山本の髪を揺らす。


「でも三年生が久米先輩と葛本先輩を含めて四人、二年生が高校から始めた六人、一年生が私を入れて九人。」

「三年生は全員経験者で皆さんうまいと思います。二年生は体力作り感覚の人が多いけど中にはうまい人いますし、一年生には・・・・私もびっくりして声も出せなかったんですけど、北越智くんいますよね。」


「それ!」とお互いに指を指す。


「あの子なんなの?」

「よくわかんないんです。京都の子だったみたいで。リトルシニアでかなり活躍はしているような感じなんですが、検索しても削除されてるような・・・・」

「ふーん、そうなん?」


「まあまあ、自分でも野球に詳しいつもりだったんですけど、あんな投球見たことないです・・・・でも、絶対北越智くんが、この野球部を絶対変えてくれるキーになるはずです。」

「香月も、コテンパンにやられてもーたし。かなり自信喪失したみたいやけど、部、辞めるって言い出したのは、正直私もビックリしたし・・・まぁ目ぇ覚ましてもらえたんは感謝やな。」

 グラウンドの隅で、投球練習をする北越智に視線を伸ばす。


「今やってる練習メニューも北越智くんが提案したんやろ?」

「そうなんです・・・監督さんが体調不良で顔見せてなくて、前から悪かったみたいですけど・・・・」

「あの先生、そんなに悪かったんや・・」

「はい・・・・で、北越智くんが、自分が打たせないんで、打撃練習に集中してくださいって。」

「急に本性見せましたよね。久米先輩とのあんな球を見せられたら、みんな納得しちゃいますよ。」

 山本の言葉に木之本はバッティング練習をしている久米に目を移した。


「確かに・・・で、みんなさらに力はいってるんや。」

「今まで久米先輩が引っ張って行ってくれていたから基礎がちゃんとみんなできてるんですよ。だから、今の練習ができてて、久米先輩も凄いですよ、あんな事が起こるまでは。」

 そう言いながら、山本は余計な事言ってしまったと口に手をやった。


「みんな久米先輩の熱意で入部したんだと思います。私もその一人です。」

 木之本が反応を返す前に言葉をかぶせた。


「香月はね・・・・今、本当に無理してると思うわ。」

「そうなんですか?でも久米先輩は走攻守バランスが抜群によくて、努力の賜物だけじゃないように思いますよ。」

 両手を胸の前で合わせ、山本も久米に目を移す。

「いやぁ・・・、そうゆうことやなくて・・・」

 そう言った木之本は口を閉じてしまった。



 防球ネットから後輩の投げる球を振りぬいていく。

 空へ駆け上る白球、その度に低反発バットの乾いた音が大気に溶けて行く。




 無表情なのか、楽しんでいるのか見える角度で変化する久米の横顔を、縄手は陸上部を指導しながら、時折眺めていた。


 退院してから予想通りに久米は心を失くしたように、ただ肉体がそこにあるだけの存在になってしまった。

 自分がタイミングを見誤ったせいで、窓の手すりを乗り越えて飛び降りた。


 あれは事故ではなく紛れもなく自殺行為。確実に自分の目の前で起こってしまったことだった。



 管理職との聞き取りの際、自分の思いつきの言動で、久米を最悪な方向へ導いてしまった旨を報告したが、久米本人が自己の不注意で招いた結果だと言い切っていたため、建前上、事故扱いとなってしまっていた。


 それでもどうしても守らなければならない存在を傷つけてしまった事実には変わらなかった。

 だけど、久米の望んでいると思える繋がりは想像することができなかった。

 同性同士の性行為。


 それが実社会に存在することは知識として持っていたが、身近に感じることがなかったため、口では何とでも綺麗ごとを吐くことができた。

 しかし、久米の存在が今この瞬間も目前にある。それを受け止めきれずに、いや、頑張れば出来るかもしれないがそこまでしなければならないのかという献身的な躊躇があった。


 好意を抱いていてくれることはとても嬉しい。だけど、想像できない上に、自分には一生連れ添っていこうとする相手がいる。

 そもそも教え子と不謹慎な関係になること自体、罪となる。


 どうすればいいのか、全くわからないまま、ごまかしごまかし色んな事を先延ばしにしてきた。

 そのつけが久米の心を切り裂いてしまった。


 わかっている、確かに久米に恋愛ではなく特別な感情を自分は抱いてる。

 マイノリティーという弱者だからこそ、守らなければならない対象だと感じている。

 今でも同じ思いでいる。だから余計に距離をとる久米の姿は、助けを求めているように思えていた。だけど・・・


『俺はなんでこんなに苦しくなるんや・・・・・』


 縄手は大きく溜息をつき、流れる雲に視線を上げた。



 ――――――――――



 下校途中にもパパラッチ気分の生徒たちが現れる。なんとかそれらを巻きながら自宅最寄りの駅に辿り着いた久米は、木之本を残し電車を見送った。


「じゃあ、また明日!気を付けて帰ってよ!」

 手を振る木之本に

「おう!今日は野球部手伝ってくれてありがとうやで!沢奈また明日!」

 閉まるドアにわざとらしく名前を呼びかけ、笑顔で手を振る。



 電車の最後尾が、久米の横を過ぎる頃には、駅の階段を上り始めていた。




 何が楽しいのか、薄っぺらな会話で盛り上がっている女子高生。


 スマホを耳に近づけ、何度も何度も頭を下げて、誰かに謝っているサラリーマン。


「いらっしゃいませ!何名様ですか?」トーンを高くして、客を迎い入れる店員。

 誰も彼も口を開くたびに、鋭く光る【針千本】が見え隠れする。 


 久米は大和八木駅の改札を抜け、口に針が千本刺さった人間たちと一緒に、見慣れているはずの街へ一歩踏み出す。


「嘘つきや!お前ら全員嘘つきやで!」

 睨みを効かせながら、ゆっくりとした歩幅で歩みを進める。無表情で家路につく人々でさえ、真の感情が誰かにばれないように作ったのだと、斜めに視線を当てる。


『嘘つきや!』

『こいつらと俺は同じなのか。』

『同じでなければ傷付いてしまうのか。』

『傷付いてしまわないように、嘘を付き続けないといけないのか。』

 落胆と諦めを繰り返し、街の感情を作り出す原典と戦うように、久米は眉を寄せ鋭利に視線を研ぎ、歩き続けた。




 橿原市役所、グラウンドフロアにある、ファーマーズカフェ&グリル【奈良食堂リーヴズ】。真っ直ぐに視線を上げたまま、横を通り過ぎようとした時にそれは起こった。


「おーおー、怖い顔しとるのー少年‼」

 道に面するテラス席から久米に向けて、声が投げつけられた。


 自分に向けられた罵声に、こんなところでも浴びせられるのかと、苛立ちに足を止めずに舌打ちをしながらそちらを睨む。



 夕闇が街を包み始めようとする時刻の中、サンローランのサングラスをかけたその人は、椅子にもたれかかり、スパークリングウォーターを右手にこちらに顔を向けていた。


 サングラス越しであるにも関わらず、突き抜ける気迫で、足が固まる。

「・・・は?なんっすか?」

 何故か負けじと、それを振り払いのけるように咄嗟に体を向けた。

「君が、久米香月くんか。」

 テーブルにスパークリングウォーターを置きながら、その人は視線を逸らさず、続けて声を投げつけた。

 薄く笑みを浮かべ、そのまま見据えるだけの姿勢が、余計にその人の存在を大きくさせた。


 留まってはいけないと感じる直感が、ネットで自分を知った人間が面白がっているだけだろうという安易な言い訳を作り出し、振り向いた足を踏み直させる。


「君は何かを諦めるために、今日、いくつ自分に嘘をついた?」

 背を向けようとする久米を、引き留めるような声が肩を抑え込む。


 ため息をつき眉をひそめ、怪訝そうに振り返る久米に、サングラスを外しテーブルに置きながら、その人は言葉をさらに投げつけた。

「私は、縄手の婚約者の斎部だ。君に話がある。」

 久米の左目が大きく見開かれる。耳を疑う言葉に一気に鼓動が高鳴り、息が苦しくなる。『婚約者?縄手先生の?なんでここに。』困惑した表情が凝固してゆく。


 口の中がカラカラに乾き始める。意味不明な危機を感じながらも足が動かない。

 斎部は足を組み替えながら、

「まあ、座りたまえ少年。」

 久米の全てを見透かしたように、テーブルへ誘う。

「何がいい?お子様はミルクかい?」


 余裕の笑みに

「喧嘩、売ってるんっすか?」

 震えそうになる声でなんとか反抗をする。

「ジョーダンだよ、申し訳ない。何がいい?コーヒーでいいかい?」

「俺はまだ座るって言ってないですよ。」

 更に覆いかぶさる導きを、思い通りにさせまいと撥ね退ける。そんな些細な抵抗に少し笑った斎部は立ち上がり、

「君は座るね。コーヒーを頼んでくるよ。」

 正面の椅子を引き、手招きをしながらカウンターへ向かった。




「はい、どうぞ。」

 コーヒーカップを、腕を組み、足を広げ威勢良く座る久米の前に差し出した。


 目の前に置かれたコービーの水面が、凪いでいく様子に視線だけを落とした久米は、落ち着かない心を押さえつけながら小さく息を吐き、斎部に視線を向けた。


 組んだ腕をほどく様子もなく、ただ睨みつけるように視線を合わす久米に、口元が緩みそうになりながら、

「別に喧嘩を売りに来たわけじゃないけど、ちょっとそれに近いかも。」

 夏の夜風で揺れる髪を後ろに流した。

「俺、忙しいんで、手短にお願いしますよ。」

 顎を引き上目遣いに睨む。そんな姿を見た斎部はまた少し微笑み、

「君は、嘘をつくことで諦めることができる人間なのか?」

 グラスに手を伸ばす。


「何の話っすか?つーか、馬鹿にしてんっすか?笑うんなら帰りますよ。」

 眉を怪訝そうに潜めて睨む。


「いやー、半分無くなっているのに、よく頑張るなぁーっと思って。」

「はあ?」

 意味不明な発言に目を反らし、立ち上がりかける久米に、

「本当は、今でも本気で好きなんだろ?縄手章畝のこと。」

 一口の炭酸水を飲んだ斎部は、真っ直ぐに心中を貫いた。


 縄手のフルネームが言語化され、胸のど真ん中に激痛が走る。久米は痛みを力に変えるように睨み返した。


「私はね。縄手章畝の事が大好きだ。だから、家族になろうとしている。」

 崖っぷちに立っていることに目を閉じ、いつか下層が隆起し、そこが真っ平な平原に変わることを願っている久米に、縄手のフルネームは、聴覚から痛みと共に現実を知らしめる。


「だから。もう関わらないでくれ。」

 落ち着くことができなかった心が、更に暴風雨に晒され激しく揺さぶられる。力が抜けるように椅子に座りなおした久米の口は閉じたまま。

「・・・・・」

 沈黙は胸奥を否応なしに表現化させる。


「はい、そうですか。わかりました・・・で、終われる好きだったのか?君の好きは!」

 挑発するようにグラスを持つ手を久米に向け、指をさす。


「好きじゃないですよ。ただのクラスの副担任ですよ。何言ってんっすか。男同士で惚れた腫れたなんか気持ち悪い。」

 否定ではなく、無として沈黙をなんとか破壊する。

「あいつはな!学校の話をすると必ず一番に君の話をしたよ。楽しそうにな。婚約者の私の前で、最高の笑顔を作って話していたよ。」

 久米の言葉を無視し、瞳の奥に語りかける。

「結婚するんですよね。おめでとうございます。お幸せになってください。」

「私は嫉妬したね。私以外の存在が、あいつの中にあることが。」

 外そうとする視線が外せない。久米はせめて瞼を閉じようと試みる。

「私にここまでさせてしまった君はどうなんだい!」

「だから!俺は!・・・・・」

 抵抗する久米の言葉を消去するように、斎部は大きく首を振る。

「ハッ‼ジョーダンじゃないよ!こんな弱っちいお子様に、私がなんでこんな場所までに来て、ここに座らされてしまって、あげくの果てに待たされるなんて!」

 大きく仰け反り腕を組み、久米を見下げる。


「・・・・・」

 何一つ嘘のない斎部の言葉に、言い返したい思いが渦を作り、頭の中をかき混ぜ始める。息が苦しくなる。

「縄手のことが本気で好きなんだろ‼その思いのたけを婚約者の私に聞かせて見ろよ‼」

 こもり始めた耳に、体が浮くような感覚が押し寄せる。



『やばい・・・・負ける・・・・』



 ぼやける視界に次々に投影される景色は

 忘れたくて、忘れようとした時間。


 もう夢見ないようにと、突き放そうとした感情。


 最初から無いものは無いと、払い落した温もり。


 頭上斜め近くから声がする。

『この女を・・・・ころ』

 瞬時に見逃さない。

「本当のお前はどこにいる‼」

 斎部は素早く、立てた中指と人差し指に息を軽く吹きかけ、久米の歪む目先を横一文字に走らせた。


 青銅に輝く右半分の仮面が真っ二つに割れ、ゆっくりと力を失くすように剥がれ落ちて行く。


 ハア・・・・ハア・・・・・ハア・・・・


 瞼を何度も大きく動かし、胸を激しく上下させ荒い呼吸のまま、久米は景色を取り戻した。

「・・・俺は・・・俺は・・・・俺は・・」

 震える声が徐々に溢れだす。斎部は待ち構えるように身を乗り出し笑顔で頷く。


 久米の右頬を一筋の涙が伝う。


 諦めたくなんかない。辛いこともあったけど今思えば、本当の姿でいることがあんなに楽しいとは思わなかった。喜怒哀楽すべてを素直に受け入れて、表現することができた。もっともっと先生の傍にいたい。


 先生と新しい未来を見たい‼


「俺は!俺は縄手先生の事が、本当に大好きなんですよ‼」

 大声に、道行く人が振り返る。

「でもどうしようもないじゃないですか‼俺にどうしろって言うんですか‼」



「やっときたか!」

 斎部は、両目から止めどなく零れる涙を拭い、下を向き叫ぶ久米に微笑んだ。

「俺の気持は先生やあなたに迷惑をかけてしまう・・・やから、全部忘れようと・・・・なかったことにしようと・・・なんで、このままいかせてくれないんですか。」

 俯いたまま訴える姿に

「まあ、とりあえずコーヒーを飲んで、落ち着きたまえ。」

 コーヒーカップを近づける。


 目を真っ赤に腫らした久米は、導かれるまま顔をあげ、一口飲み込んだ。


「アッチー‼」

 思った以上に冷めていなかったコーヒーに驚き、テーブルの上に置いてある斎部のグラスをつかみ取り、冷えたままの炭酸水を一気に飲んだ。


「あ‼・・・すいません・・・飲んじゃいました。」

 思わず吹き出し、口元に手を置き笑う斎部は先程までの気迫が無く、夏夜のそよぐ風に髪を揺らすただの人として映っていた。


 思わぬアクシデントに救われた久米は急に恥ずかしくなり、帽子を脱ぎ、頭をかきむしった。

「難しい話は置いておいて、君は縄手のことが好きで仕方がないんだよな。」

 緩んだ口元のまま足を組んだ。

「・・・・は、はい。」


「そりゃそうだ。私が選んだ男だ。そんじょそこらに転がっている男とは違う。君は人を見る目があるよ。そりゃあいつに惚れるよな。」

「は、はい。」

 もう頷くしかない久米は、舌のヒリヒリ感を感じながら、上目遣いに斎部を覗き見ていた。

「縄手とセックスしたいんだろ?」

「・・・・・・・」


 突拍子もない質問に、目を見開き固まる。

「いやいや。したいんだろ?」

 これは逆セクハラなんじゃないのか?答え辛い問いかけに目を左右に泳がせてしまった久米に言い放つ。

「私に気を遣うことはないよ。逆にそっちの方が失礼だよ。」


「・・・・あ、あの、その…」

「はい。自分の思いをしっかり言葉にする。」

 腕を組み詰め寄る斎部。

「は、はい・・・・したいです。」

 本当に頑張って頑張って、なんとか口にした久米に満面の笑みで

「だろー。あいつは最高の男だよ。一義に及びたくないやつなんていないって。それこそ、『いや、やりたくないです』って答えていたら、ぶっ飛ばしてやるつもりだったよ。」

 体を仰け反らし満足気に微笑む。


「で、縄手のどんなとこが好きなんだい?」

「・・・いや、その、めちゃくちゃ無邪気で・・・・いつも俺を心から励まして、元気をくれて・・・・」

「おーわかる、わかる。」


 ・・・・・・・・・・・・

 そこから始まる会話は、奈良産牛のステーキにグリルソーセージの盛り合わせ、エビのアヒージョなどが加わり、母親からのラインを返しながら閉店まで続いた。




「よし!君の気持はよくわかった!実はな・・・」

 グラスを片手に前のめりになる斎部に、まだ何かあるのかと、不安そうに久米は口を閉じた。

「実は、私はあと半年以内に海外に赴任する。要するに、日本にいなくなるってことだ。」


「え?」思いもよらない言葉に、久米は顔を前に突き出した。

 キョトンとした顔に、少し真剣な視線を送りながら、

「私から、縄手を奪ってみせな!」

 斎部は言い放った。


「え?いや、奪うって・・・・」

「好きなのは好きなのですけど、縄手先生はゲイじゃないですし・・・」

 発想についていけず、無理難題にしどろもどろに返す。


「おいおい。その歳からつまらん人間になるんじゃないよ。相手の都合などお構いなしでも許される年齢じゃないか。私を失望させるな。」

 舌打ちをしながら、天井に顔を向ける。

「いいか。青春って時間は過ぎてしまったら、どんなに金を積んでも、どんな権力を持っても戻って来ないんだよ。時間ってのは無慈悲なんだよ。」

 顔を久米に戻しながら、眉を顰める。


「貧相な経験値だけで、簡単に未来を予想できている気になんなよ。わかった気になって後々後悔している大人がどんだけいると思っているんだよ。よく言うだろ、やらずに後悔するなら、やって後悔しろって。それにな。人は人を愛するんだよ。人は性別を愛する訳じゃない。」

「あ・・はい・・・でも、俺のせいで先生を振り回してしまって、あんなに困った顔を見たくないんですよ・・・・」

 腕を組み、怪訝そうにこちらを見つめる斎部に頭を下げる。


「よく言うよ。振り回した結果、あいつの心の中に、君が生まれたんだろうに。」

 背もたれに体を預け、首をかしげる。

「・・・万に一つの願いが叶ったとしても、世の中にある、ルールの壁みたいなのがあって、きっとまた・・・・」


 斎部は「はあーーーー。」大きく声に出し溜息をつき、言葉に詰まる久米へと、髪をかき上げながら顔を近づけた。


「ちょっと極端な話をするよ。人間って本当に弱くて、八百万の中で生き抜くために、社会っていうシステムを作らざるをえなかったんだよ。で、そのシステムを維持するためには様々なルールが必要になってくる。そこにかかわる者たちが共通に守らないといけない事柄だ。その守るべきことがモラル化できていたのなら、そのルールは明文化する必要性がない。だけど人は弱くて、システムを維持するために守るべきことが守れない時があるからこそ、ルールは存在し続ける。とは言え、時代と共にそのルールも変化する。未来の社会の方向性を決める人々全体の気分や雰囲気ってやつだ。」

 斎部は、ゆっくり頷きながら聞く久米の半分困惑したままの視線を受け止めながら続けた。


「いいか。確かに君はまだ十七歳で、個人の持つ権利なんてものはほんの少しだ。そのルールをどうかできるだけの力なんてない。だけどね、人々全体の持つ気分や雰囲気を導く力はあるんだよ。現にネットでは、私を無視して縄手と君を応援する心は広がっているだろ。日本に留まらず、特にアジア圏を中心に広がっている。今の君には力があるんだよ。本気で私に挑んで来いよ!そうすれば君の望む未来以上の明日が手に入るかもしれない。一度きりで、一瞬の青春を無駄にするなよ!」


 大きく頷き誘い出すように、右手を差し伸ばした。その手をしばらく見つめた久米は、

「・・・・世界を変えたいなんて俺は思っていませんよ、そんなつもりで縄手先生のことを好きになった訳じゃないです。」

 ゆっくり伏し目がちに頷いた。


「君さあ!都合のいい何かのせいにして、本意じゃないけど諦めますって。なんだそれ。同情して慰めてもらいたいのか??」

「それは違います!俺はあなたに嫌な思いをいてもらいたくなくて。」

「私がいいって言ってんだろがよ!」

「・・・・・もう訳わかんないっす。」

「わからんでいいわ。わかろうとするな。君がどうしたいかだよ。」

 斎部は一呼吸置くように、足を組み直した。


「縄手のことが好きなんだろ?」

「・・・・はい。好きです。」

「付き合いたいんだろ。」

「・・はい。可能なら。」

 久米の言葉に少しガクッと肩を落としながら。

「ハグし合いたいんだろ?キスしたいんだろ?それ以上のこともいっぱいしたいんだろ?」

「・・はい。したいです。」

 大きく息を吐きながら、久米は斎部を見る。


「だったら手に入れようとしろよ!社会に出たら、どんな事をしてでも、得なければならないことって山ほどあるんだよ!本気で挑んで来い!欲しいものは全部手に入れろ!」

 正直、背中を蹴り飛ばす勢いで押してくれているこの人に勝てるなんて、微塵も想像つかない。

 だけど、ここまでの思いで向き合ってくれるこの人に、応えないといけない責任感ではない情熱のような気持が体を駆け巡る。


 久米は息を吐きながら大きく頷いた。

「・・・・はい。わかりました。」

 その言葉に微笑んだ斎部は何度も頷き、両手を膝に乗せる。


「最後に、もう一度聞く。」

「君は・・」

「久米です。久米香月です。」

 フッと笑い。


「久米香月くんの願いはなんだい?」

「はい。自分の願いは・・・。縄手章畝先生と、幸せになりたいです。自分は縄手章畝先生の事を本気で愛しています。」


 久米の目を見据えた斎部は

「私から奪ってみせろ!。」

「はい。あなたから奪ってみせます!」

 久米も斎部を見据える。


「よし!よく言った!タイムリミットは半年だ。全力で来い!」

「はい・・・ただ・・。」

 少し考えるように俯いた後、何かを決めたように顔を上げた。

「全力を出すために、ケリをつけないといけないことがあります。」


 覚悟を決めた目を見つめた斎部は、間を置き「わかった。」と返事を返し、バッグから名刺を出しテーブルに置いた。


「それが終わったら、ここに連絡してこい。」

 久米はそれを手に取り見つめた後、財布を出そうとカバンを開けたが、それを止められ、ゆっくりと立ち上がった。


「わかりました。なるべく早く終わらせます。そして、あなたから・・・」

「斎部優耳だ。」

 立ち上がる途中、やられたと苦笑いをした久米は

「あ・・・斎部優耳さんから、縄手章畝先生を奪います。」

 深く「ご馳走様でした!今日はありがとうございました。」と頭を下げた久米は、斎部に背を向けた。



 大きく息を吐きながら、街を覆う闇を見上げる。こんなに心がすっきりしたのは久しぶりだ。

 目を凝らすその先、月と一等星が存在を誇示するように、無限の広がりの中、輝きを放っていた。



 久米の背中を笑顔で見送った斎部は、顔の左側に手をあて、「半分?既に削られてた?誰だ?」何かを考えるように少し目を閉じた後、スマホに手を伸ばし耳に当てた。


【トゥルーカラーズ=僕らの家族スタイル】オリジナルイメージソングアルバム

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