赤い海 【月夜譚No.308】
心中なんて、するものではない。同じ場所、同じ時刻に死んでも、死後の世界で一緒になれるとは限らないのだ。
そもそも、死後の世界を知る生者はいないのだから、死んだ後のことなど判るはずもない。
青年は塀の上に腰かけて、沈みゆく夕陽を眺めながら盛大に溜め息を吐いた。
眼前に広がる海は夕陽に赤く染まり、潮風と共に波の音を響かせる。淋しく切ない、自然の風景である。
先日、青年は想いを通わせた女性とこの海で心中した。苦しい息の中で最期に感じたのは、彼女と繋いだ右手の感触だけだ。
そのまま意識を失い、次に目が覚めると浜辺に寝ていた。そして、右手には何もなかった。
夕陽から視線を下げると、半透明な自身の足首に縄のようなものが繋がっているのが見える。それは長く伸び、海の中まで続いていた。
この縄のせいで、彼は遠くまで行くことができない。ある程度まで行くと縄が張って、それ以上は進めないのだ。
どうやら、青年はまんまと地縛霊となったらしい。一緒に死んだ彼女がどうなったのかは判らない。
まだ生きているのか、はたまたあの世に逝ったか、幽霊としてこの世を彷徨っているのか。
いずれにせよ、ここから動けない彼には知る由もない。
彼はただ只管、夕暮れの海を眺め続けた。