君が伝えたかったこと
「半年ぶりの帰省か……」
東京から始発を乗り継いで三時間、慣れた足取りでホームへと降り立つ。
そこまで久しぶりという感じはしない。まだ半年なのだから当たり前か。
ただ、相変わらず変わり映えのしない駅舎が随分と寂しく古びて見えるのは都会の華やかな光景に慣れてしまったからだろうか。
今年の夏は帰る予定ではなかった。
新しい仕事と環境に馴染めず余裕が無かったこともある。だが、遠距離で付き合っている彼女の様子がおかしいと気付いたのが一月前。帰って来なくて大丈夫だと言われたのだが、夏季休暇に入るのを待って帰省することを決めた。
やはり直接会ってみなければわからないことはあるはずだし、そもそも大丈夫だという人間が大丈夫じゃないというのはよくある話。少なからず彼女に気を遣わせてしまっている自覚もあった。
帰ることを伝えると、それなら話したいことがあるからいつものお店で、と返ってきた。
「おう、柳、元気にしてたか?」
「おお……佐伯、帰ってきたのか!?」
駅前の不動産屋は、親友の柳の実家でそのまま勤め先だ。暇そうにしていたのでガラス越しに手を振ると驚いたように飛び出してきた。
「あのさ……残念だったな、亜理紗ちゃんのこと。あまり落ち込むなよ」
「……は? 一体何の話だ?」
予期せぬ親友の言葉に嫌な予感がこみ上げてくる。
「……え? 佐伯お前……亜理紗ちゃんの葬儀に来たんじゃないのか?」
鈍器で殴られたような衝撃に言葉が出てこない。
口の中がカラカラに乾いているのに、嫌な汗が背中のシャツを濡らしてゆく。
「葬儀って……亜理紗に何があった……んだ?」
聞きたくない……今なら戻れる……そんな気持ちとは裏腹に、なんとか絞り出した言葉。
「まさか知らなかったのか? 亜理紗ちゃん……崖から飛び降りたんだよ……先日」
「いらっしゃいませ~」
柳と二人で駅前のファミレスに入る。本当なら亜理紗と待ち合わせていた場所だ。
「飛び降りたって……誰か目撃者はいるのか?」
様子がおかしかったのはたしかだが、今思えば何かに思い詰めていたというよりは、怯えているような感じだった気がする。
「いいや。崖の上に履いていた靴が綺麗に揃えてあったらしい。警察も事件性は無いと判断して自殺ということになったみたいだな」
自殺? ふざけるな、あの亜理紗が自殺なんてするはずがない。ああ見えて芯が強いしっかりした女性なんだ。
まさか……殺された? でも誰に? 社交的で他人に恨まれるようなタイプじゃないし、金銭トラブルを抱えるような派手な行動をむしろ嫌っていたんだぞ。それがどうして……
「おい佐伯! 大丈夫か? ものすごく怖い顔してるぞ」
柳の声で奥歯を割れんばかりに噛み締めていたことに気付く。
ははっ、怖い顔……ね。たしかに柳の言う通りかもしれない。もし亜理紗を殺した犯人がいるのなら、探し出して殺してやろうと思っているのだから。
絶望を味合わせて、どんなに懇願しても絶対に許さない。亜理紗が味わった何倍もの恐怖と苦痛を与えてやる。そのためならすべてを失ったって構うものか。
「本当に亜理紗ちゃんから何も聞いていなかったのか?」
「様子がおかしいとは思っていたんだが……特別なことは何も……写真がメールで来ていたくらいで」
「写真?」
「ああ、たぶん伊能岬で撮ったんだと思う――――ち、ちょっと待て……なあ柳、もしかして亜理紗が飛び降りたのって?」
「……あ、ああ、まさしくその伊能岬だよ」
◇◇◇
「悪いな、車まで出してもらって」
「気にすんな。どうせ暇だし」
柳の車で現場の伊能岬へ向かう。確証があるわけじゃない。でも、そこへ行けば何かわかるはず。そんな気がするんだ。
「うーん、気持ちはわかるけどさすがに殺人は飛躍しすぎじゃないのか?」
車は海沿いの国道を北へと向かう。
「写真見ただろ。これが今から自殺する人間の表情か? それに……この写真を撮った人間がいる。そいつが犯人かもしれない」
「なるほどね。でも通りすがりの人に頼んで撮ってもらったのかもしれないだろ? もちろんそれが犯人の可能性もあるけどさ」
柳の言う通り、飛躍している自覚はあるし、あくまで可能性があるというだけだ。犯人を見つけたところで亜理紗が戻ってくるわけでもない。単なる意地、自己満足なのかもしれないけどそれがどうした?
この写真で明らかに亜理紗は撮影主を見ているはずなんだ。警察で解析してもらえば瞳に犯人が映っているかもしれないけど、それは後でいい。出来れば俺が先に見つけ出して亜理紗の仇を討ちたい。警察に確保されてしまったら手が出せなくなるからな。
「着いたぞ」
伊能岬は断崖絶壁を臨む景勝地。ドラマの撮影なんかでも使われることもある。
まずは背後に写り込んでいる景色を参考に撮影したと思われる場所を探すのだ。
「ここだ……間違いない」
背景が完全に一致する場所を見つけた。メインのスポットから外れているので、人影はほとんどない。なんでこんな場所で写真を撮ったんだろうか? 飛び降りた場所がわかれば良かったのだが、柳もそこまでは知らないそうだ。
スマホのカメラを向けてみる。
「うーん、駄目だな、同じ角度にならない」
「俺がやってみようか?」
俺より背の高い柳が撮影すると似たような角度になった。
「柳って身長何センチあるんだっけ?」
「最近測ってないけど、最後に測った時は185cmだったかな」
柳はバスケ部だったよな。
ということは撮影した人間はかなり背が高い人間? もちろん台を用意していた可能性もあるけど、この場所でこの角度から撮る必然性はないから不自然すぎる。
となると撮影したのは高身長の男の可能性が高い……か。
気になるのは、亜理紗の楽しそうな表情。
一瞬浮気していたのか……と疑念が頭をよぎったが、俺に送るために撮った写真である以上、考え過ぎか……。
「なあ柳――――」
ドスッ――――
え……? あ……えっと……なんで?
脇腹から心臓を突き上げるように深々と食い込んだ刃物。
「や……な……ぎ……お前――――」
「悪いな佐伯。お前が生きていると色々都合が悪いんだわ」
柳は息絶えた元親友を崖から突き落とすと、光の消えた暗い目を細める。
「ご苦労様、柳くん。上手く行ったみたいね」
「亜理紗! ああ、もう大丈夫だ。あいつはもうこの世にはいない」
後ろの物陰から姿を現したのは、死んだはずの亜理紗。
「はあ……やっと死んでくれた。別れようって言っても全然聞いてくれないし、脅迫まがいのメッセージ大量に送り付けて来るし最悪。帰ってくるって聞いてから怖くて眠れなかった。本当にありがとう柳くん」
「昔はあんな奴じゃなかったんだけどな。東京行ってからおかしくなっちまったのかもしれない。まあ、あんな奴のことは忘れようぜ。それより本当に俺と付き合ってくれるのか?」
親友を手にかけたことなどすっかり忘れたように亜理紗を見つめる柳。
「うん、もちろんだよ。この日が来るのをずっと待っていたんだから」
「亜理紗……」
「柳くん……ひぃっ!?」
突然恐怖に顔を歪める亜理紗。
「ど、どうした!?」
「い、今……崖のところに彼が……」
震えながら崖を指さす亜理紗。
「馬鹿なっ!? たしかに落としたはず。ちょっと待ってろ今確認してくる」
有り得ないと思いつつも、亜理紗が怖がっている以上懸念は払しょくしておかなければならない。万一生きているなら今度こそとどめを刺さなければと柳は慎重に崖に接近する。
「……大丈夫だ。間違いなく死んでいる」
百メートル近く下の岩場に倒れている佐伯の死体を確認してほっと溜息を吐く柳。
ドスッ――――
え……? ち……ちょっと……待て……
酷い激痛に振り返ると、脇腹から心臓を突き上げるように深々と食い込んだ刃物が目に入る。
「亜……理……紗……な……なんで――――」
「ごめんね柳くん。貴方が生きていると私が困るの。大好きな私のために死んで」
「ふふふ、好きな女の子を巡って争った挙句、相討ちになって死んじゃうなんて本当に仲が良いのね」
柳を崖から突き落とすと、すっきり晴れ晴れとした表情で亜理紗はその場を後にするのであった。