16、ドラゴンの脅威
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それは、とても愉しんでいた。手に入らないと思っていたものが手に入ったからだ。
それは、とても喜んでいた。手に入れたものがどんどん自分に染まっているからだ。
美しいそれは、闇に食われていく。懸命に抗っているがそれは無駄なことだった。
どれほど抵抗されても、捕まえた美しいものをそれは手放す気がない。それどころか、美しいものが穢れていく姿を見ることを楽しんでいる。
『無駄さ』
それは知っている。どういう時に美しいものが力を失うのか。
それはわかっている。美しいものはどうすれば屈服するのか。
だからどんどん穢していく。もっと自由に憧れろ、願い乞い求めろ、と。
どんなにお前が望んでも手に入ることはない。だから恨め。周りの存在、関係ない者達へ全てに殺意を向けろ、と。
『いいねいいね、いい声だね!』
穢れていく。美しいものが美しかったものへ変わっていく。自分と同じ存在へ堕ち、苦しみ始めている姿にそれは満足していた。
しかし、妙な引っかかりを覚える。堕ちたはずなのに、美しかったものはまだ美しい輝きを放っていた。もはや醜悪で見るにも堪えないはずなのに諦めていない。
なぜ、とそれは感じた。
もはや自分を保っていられる状況でないはずだが、まだ意識を手放していない。
不思議に感じ、それは闇に目を向けた。すると奇妙なことに美しかったものの周りが輝いている。
『これは――』
いらない輝き。目障りな輝き。弱々しいはずなのに、力強く美しい。
なんだこれは、とそれは驚愕した。先ほどまでなかった存在が、美しかったものを照らしている。
『そうか、そういうことか』
それは輝く美しいものの正体に気づく。
もう自分のものにならない存在。すでに人のものとなり、奪い取るには面倒なものへ成り下がった存在でもあった。
『邪魔をするのか』
それは忌々しげに笑い、睨みつけた。だが同時にこうも考える。
お前さえいなくなればこれは私のものになる、と。
だから笑う。邪魔なものに感謝する。希望となっている美しいものを完全に壊すために、それは叫んだ。
『いいだろう、お前がもたらす希望を全て壊してくれよう!』
宣戦布告。それが告げられると同時に美しかったものは悲鳴を上げた。
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大地を揺らす咆哮。それは雄々しく力強いが、苛立ちと殺意の色も混じっていた。その声を聞いた太陽は恐れをなしたのか雲の影へと隠れてしまう。
近くにいた動物は逃げだし、森の中を闊歩していた魔物は震え上がる。それぞれがドラゴンの異変に恐怖を感じている中、一人の少女が無謀にもその畏怖する存在へ駆け寄っていく。
ただ声を聞いて欲しい。声を聞いて正気に戻って欲しい、と少女は願い走る。だが、その願いは赤黒く染まったドラゴンに届かない。
「クレセント!」
少女は叫ぶ。しかし、ドラゴンは危険な光を口から放ち始める。
もしこのまま光を吐き出されれば、少女どころか国すらも危うい一撃だ。
にも関わらず少女はまっすぐドラゴンへ駆けた。逃げなければ命の保障はないだろう。わかりきっている結末が見えるが、彼女はその選択をした。
そうしなければ止められない、と思ったからだ。
「フィリスのバカ!」
危険な光が容赦なく吐き出される寸前、遅れを取ったクロノが詩詠みを発動させる。だがいつもの術式構築ではとてもじゃないが間に合わない。
だからクロノは、普段やることのない工程を入れた。
『ひだまりの風、身体を包み癒す風よ。その温もりを持ってあらゆる死の息吹を拒め。汝、彼の者を守る盾となれ!』
クロノは詩を詠み、空間に黄金に輝く文字を記していく。それが完成すると同時に空間に浮かんでいた文字を地面に打ち込んだ。直後、フィリスとクロノを包み込むように温かな風が身体にまとい始める。
ドラゴンはそれを目にし、危険な光をまとうブレスを放った。クロノ達の準備が整いきる前に攻撃したのだ。
だが、ブレスが届くよりも少し早く温かな風が身体を包み込む。そのおかげで放たれたブレスは軽減、いやほぼ無効化された。
「――っ」
ブレスが終わった後、クロノは目の前に広がる光景に身体を硬直させた。
先ほどまで美しい草花が広がる緑溢れる大地だったが、ドラゴンのたった一回のブレスによって全てが灰になっている。もし魔術を発動させていなかったら、と考えると嫌でも身体が震えた。
ドラゴンの脅威を肌で感じた彼は急いでフィリスの姿を探す。
「ク、クレセント……」
フィリスはクロノの傍で倒れていた。おそらくブレス攻撃を近くで受けたために、その勢いで後ろに飛ばされたのだろう。
クロノは急いでフィリスに駆け寄る。その身体は擦り傷や切り傷だらけであり、少しヤケドもあったがむしろこの程度で済んだことが奇跡だと思えた。
「しっかりしてフィリス! 一緒に騎士になるんだろ!」
クロノは必死にフィリスを呼びかける。しかし、どれほど呼びかけても少女の反応はない。
こうなったら、とクロノはフィリスを抱えて逃げようとする。だがそれよりも早くドラゴンが仕掛けた。
「ガァアアアァァアアアァァァァァ!!!」
奇声にも似た叫び声を上げ、ドラゴンが突っ込んでくる。クロノは慌ててフィリスを抱きしめ右へと飛び回避した。
だがドラゴンはしつこい。身体を反転させ、体勢が整っていないクロノ達を弾き飛ばそうと迫った。
クロノは思わず「くそっ」と叫んだ。魔術を発動させようにもフィリスを抱えてでは難しい。かといってこの突撃を回避する術がなかった。
絶体絶命。しかし、いやだからこそ頼れる存在が現れる。
「クロノ!」
突然、目の前にヴァンが現れた。差し出された手を握ると、一瞬にして景色が変化する。
何が起きたかわからないまま呆然としていると、もう一人の男が声をかけてきた。
「大丈夫かい?」
声の主はノアだ。クロノは彼の存在を思い出し、魔術で瞬間移動して助けてくれたんだ、と気づく。
どうにかなった、とクロノは安心する。助けてくれたノア達にお礼を言おうと顔を向けた瞬間、少年は言葉を失った。
「無事そうでよかったよ。でも、ちょっと、僕はキツいかな……」
「どうしたんですか、その左腕は!」
「ちょっとしくじってね。さらに悪いことに、あと一回しか魔術が使えない。困ったもんだよ」
ドラゴンが大地に突撃した衝撃のせいか、ノアの左腕がなくなっていた。ただ血が出ないように傷口をキツく縛っただけで、応急処置にもなっていない状態だ。
クロノは慌ててヴァンに顔を向ける。するとヴァンは浮かない顔でこう告げた。
「俺のせいだ。副団長は俺を守るために、腕を失った」
ドラゴンの脅威。それがどれほどのものなのか身を持って感じた瞬間だった。
身体は震える。しかしクロノが先ほどまで抱いていた気持ちとは違う。
「副団長、フィリスをお願いします」
「何をする気だ?」
「あいつを倒します。このまま引き下がるなんてできません」
「ダメだ。ここは一旦――」
「勝算はあります! だからやらせてください!」
クロノは冷静ではなかった。自分でも考えられないほど怒りで煮えたぎっている。もちろん、勝算なんてない。ただ差し違えてでも、暴れるドラゴンに一撃を入れたかった。
そんな気持ちが先行する中、ヴァンが彼の脳天にゲンコツを叩き込んだ。
「落ちつけ、もやし」
クロノは表現しようにも表現し難い呻き声を零す。痛みで目に涙を浮かべ、それでもゲンコツしてきたヴァンを睨みつけると途端に胸ぐらを掴まれる。
そのまま軽く持ち上げられると、ヴァンは彼に問いかけてきた。
「お前一人で勝算はあるのか?」
「勝算は……」
「ないだろ。なら俺を使え。そうすれば一パーセントの可能性が生まれるはずだ」
確かにクロノだけではどう頑張っても天地がひっくり返らない。だが、ヴァンが一緒に戦ってくれるならばその可能性は生まれる。
しかし、確実に勝てる訳ではない。だからこそクロノに迷いが生まれる。
「でも――」
「俺達の任務を思い出せ。俺達は何のためにここに来た?」
「だけど、死んじゃうかもしれないよ?」
「二階級特進になる。それとも、そうなって欲しいのか?」
ヴァンの問いかけ。それはクロノを追い詰めるようなものだった。
だからこそクロノはヴァンにまっすぐ顔を向け、応える。
「死んで欲しくないよ。でも、このまま逃げるなんて嫌だ」
「ならしっかり考えろ。なしたいことがあるなら、そのために俺を使え」
「うん、ありがとうヴァン」
やるべきことがある。やらなければならないこともある。
なすべきことをなすために、大切なものを守るために。
落ち着いたクロノはヴァンと共に、ドラゴンと戦う決意をする。
見守っていたノアは二人を見て、大きなため息を零す。しかし二人の決断を見て、その行動を止めようとしなかった。




