13、黒いモヤ
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空の青が濃くなる時間帯、すっかり活気づいた王都にそよそよと風が駆けていく。飼い主と一緒に歩いている小型犬の体毛を撫で、談笑する働き盛りの若い商人が頭に巻いているバンダナと髪を揺らし、そして大きな木陰を作っている木の枝葉を揺らした。
その下にあるベンチで眠っているクロノの頬に触れると、閉じていたその目が開く。大きなアクビを零し、起き上がるバカを目を細めて見つめるフィリスはちょっと呆れつつも「おはよー」と声をかけた。
「ん、おはよー。フィリス、今は何時?」
「九時よ。アンタがぶっ倒れて三十分ぐらいは経っているかしら」
「結構経ってるね。そういえばヴァンは?」
「パトロール。といってもすぐに戻ってくるかな。ついでに冷たい物を頼んだし」
「抜け目ないなぁー。フィリスらしいといえばフィリスらしいけど」
クロノは朗らかに笑う。フィリスはそんなクロノの笑顔を目にすると、プイっとそっぽを向いた。
いつものことながらかわいげがないなぁー、とクロノは思いつつ一緒に前を見る。王都は昨日と変わらず賑やかであり、いつも通りの日常が広がっていた。
「そういえばフィリス、君がここに引っ越してきた時はこんな日だったね」
「唐突にどうしたの? もしかして走馬灯でも見てる?」
「思い出話だよ。ったく、ロマンがないなぁー」
「夢とロマンだけじゃ食べていけないの。ま、今回は許してあげる」
フィリスは意地悪そうな笑顔を浮かべている。どうやらクロノに向けた冗談のようだ。
それに気づき、しっかりと受け取った彼は呆れた視線を送りつつも話を続けた。
「なんだかあの時と変わってない気がするんだよなぁー。身体は大きくなったけど、街並みは全然。だから時が止まっているように思えるよ」
「それはアンタだけでしょ? 私は日々感じているわよ。美味しいクレープ屋さんやスイーツ店が開いてたりしてるし。あ、今度タルトが美味しいケーキ屋さんがオープンするらしいわよ!」
「フィリス、ホント君は甘いものに目がないね。太っても知らないよ?」
「う、うるさい! アンタと違って私は食欲旺盛なの!」
それは言い訳になるだろうか。クロノはそう思いつつ、一度フィリスに向けた視線を戻した。
ふと、何気なく雑多な街並みを眺めていると妙な男が目に留まる。長く伸びた黒い無精髭に、ボロ布としか表現できない衣服。深くかぶられた帽子で顔はよく見えないが、なぜだかこちらを睨んでいるように思える。
クロノはそんな男を見つめていると今度はその背中に黒いモヤらしき何かが目に入った。それは何なのかわからないが、目にしたクロノは思わず立ち上がってしまう。
「どうしたの?」
フィリスに呼び止められ、クロノは反射的に視線を移す。
指を向けながら「あれなんだけど」と言葉を返すと、フィリスから思いもしない返答が来た。
「アンタ、また遊ぶ気?」
クロノは慌てて視線を戻すと、そこにはいくつもの出店があった。指先を見ると、輪投げと書かれたのぼりを掲げる屋台があった。
あれ、と思いつつクロノは周囲を見渡す。だがどんなに見渡してもホームレスの姿は存在しなかった。
「ったく、本当に騎士になる気あるの?」
「…………」
「ちょっとクロノ?」
「え? あ、うん。絶対になるよ。それが僕の夢だし!」
クロノは気のせいかな、と思うことにした。もしかしたら見間違いかもしれない、とも思った。
だが、とても気になる。気になるのだが、フィリスに打ち明けることはやめたのだった。
「仲がいいな、お前らは」
クロノが笑っているとヴァンが帰ってくる。その手にはとても美味しそうなレモネードがあり、フィリスはパーッと顔を明るくさせた。
「おかえり。パトロールどうだった?」
「何もなかった。何かあったらフィリスに連絡している」
「それもそうだね」
クロノはヴァンの言葉に苦笑いを浮かべる。同時にさっき見た妙な人物は見間違いか、とも思った。だが、それでも気になるものは気になる。一体あれは何だったんだろう、とついつい考えるほどだ。
そんな風に考え込んでいるとヴァンがぶっきらぼうにレモネードを渡してきた。クロノは「ありがとう」と礼を言い、刺さっていたストローを使って飲み始める。
柑橘系特有の爽快感に、甘さを引き立たせる苦味と雑味。炭酸がいいアクセントとなり、とても喉越しがいい。
クロノは美味しいレモネードに満足感を得る。一体どこで売っていたのか、と訪ねたくなるほど美味しい代物だった。
「クロノ、身体は大丈夫か?」
「うん、バッチリだよ。でもパトロールは休み休みやりたいかな」
「そうか。なら途中で休憩を挟んでやろう」
ご機嫌にレモネードを飲むフィリスを横目に、クロノとヴァンはパトロールの方針を決めていく。その姿は長年コンビを組んでいるベテランのように見えた。
だが、この打ち合わせでクロノの頭から妙なホームレスを見た、という出来事が忘れ去られるのだった。




