私が明日買おうとしてる性格に難ありのスヌード
ラビットファーのスヌードに、うふっ、って笑われたのはさすがのあたしも初めてだ。
「うふっ、なかなかいいじゃないお嬢さん」
えっ今の誰。って普通の二十五歳だったら思うだろう。
でもあたしは、この手のことに最近慣れている。
なにせ、秋になる前に買った羊革の革ジャンが、うるさいおかんみたいにあたしの食生活だの生活リズムだのに口を出してくるのだ。
自炊しろとか。野菜と玄米食べろとか。
ダメ男とデートするなとか、コンビニで甘いもんばっか買うなとか。
スーパーで、冬の新作チョコを眺めてるだけで、「食べるのは、お菓子じゃなくて、食事っ」ておっさんの声で言われる気持ち、わかる?
最近ではあたしの食べる量が少ない少ないって文句言ってる。
食べなさすぎのくせに体重は気にしすぎだとか。
女の子が体重気にするの当たり前でしょうがってあたしは思うけどね。
この前は、食べないで痩せるのはやつれてるだけでダイエットじゃないって説教された。
しかも、食べないのは寒いからだって言い返したら、文句が倍になって返ってきた。
「食べないと体温上がらないの当たり前でしょうっ、食べて動かないから体も温まらなくて悪循環なんでしょうっ、節約ぶってないでさっさとエアコンなりヒーターなりつけて三食きちんと食べて、夜はシャワーじゃなくて湯船に浸かって」
……って、このへんであたしがブチ切れて、着ていた革ジャンを脱いでベッドの上にぶん投げてその日は終わりにした。
脱ぐと、そいつがしゃべってる声は聞こえないんだ。聞こえるのは着てる時だけ。
クローゼットの中から一晩中説教されること想像したらぞっとするから、それでいいんだけどね。
そんなだから、その日、古着屋で見つけたスヌードにいきなり笑われても、あたしはさほど動じなかったんだ。
まあ、こんなことに慣れるの、そもそもいいんだか悪いんだか、わかんないけど。
◇◇◇
スヌードってのは、大きな円形の襟巻きだ。
輪っかになってるから、途中でひねって二重にしてから首にかける。
結ばないから気楽でいいし、適当に引っ掛けるだけでそこそこカッコよくなるからお洒落感も出る。
社会人になってからはストールばっか巻いていたあたしなんだけど、ふと立ち寄った古着屋で、目についたラビットファーのスヌードがあったのだ。
いかにも、毛皮! って感じじゃないのもよかった。
ナチュラルブラウンのニット素材に、同じく茶色のファーが斜めに間隔をあけて施されている。ゴールドブラウンの裏地がちゃんとついてるのもいい。
値段を見ると、3,500円。
たっか。
そう思いながら、あんまり深く考えずにそれをとって首に巻いてみた。
革ジャンとの付き合いが始まってからというもの、革製品は慎重に避けてたんだけどね。
だって、まさか、ラビットファーもしゃべるとは思わないじゃん?
◇◇◇
あ、これ、いいかも。今着てる革ジャンとも合うし。
そう思った時だった。スヌードの笑い声が聞こえたのは。
「うふっ、なかなかいいじゃない、お嬢さん」
あたしが鏡の前で固まっていると、そいつはオネエしゃべりでこう続けた。
「ねえねえちょっとお嬢さん。いい革ジャン着てるじゃない。お似合いよー」
あ、ありがとう。
小さな声であたしは答えた。
「でもさーあ。もう冬じゃん? そろそろ革ジャンだと寒くなってきたんじゃなーい?」
「余計なお世話っ」
あたしじゃなくて革ジャンが言い返した。
「この子はこれでいいのっ。裏地もついててあったかいんだからっ」
「やだぁ、裏地くらいあたしだってついてるわよお」
スヌードが声に抑揚をつけて言う。意地悪を楽しんでる声ってこういうのをいうんだろう。
「冬はやっぱ、コート。そしてコートには、ラビット」
「勝手に決めなさんなっ」
まあまあ、まあまあ。ケンカ、すんな。
あたしは二人(?)をなだめたかったけど、そこらには他のお客さんもいたので、口をひらけなかった。
その時だ。
「あれっ、桜井さん?」
名前を呼ばれて振り向くと、そこには同じフロアで働いてる勝山みずかさんが目を見開いて立っていた。
うなじをきれいに出したショートヘアに、ウィンターパステルブルーのイヤマフがかわいい。
あたしは契約社員だが勝山さんは派遣社員だ。どっちがどう違うのか、頭の悪いあたしにはよくわからない。
勝山さんのほうが時給は多分いいはずだけど、そういうことを話すほど親しくもないし。
勝山さんは表情をぴくりとも動かさないまま言った。
「桜井さんて、こういうお店来るんだねー」
あたしはこんな時、余計なことを考えたりしない。
それってどういうことですか? って聞き返したりもしない。
ただ心のこもらない相槌でかわすだけだ。
「はいー」
すると彼女の表情がわずかに動いて、そこに、ひどく醜いものが見えた気がした。
でも次の瞬間には派遣社員女子見本みたいな、ぴかっと明るい笑顔になったから、見間違いだったのかもしれない。
「それ、買うの?」
「まだ決めてません」
「そっか、だよね。桜井さんはファーってタイプじゃないもんね」
「そうですかあー」
「革にそれだとちょっと盛りすぎだしね」
「はあー」
心のこもらない相槌はあたしは何回打ってもいいことにしている。
でも、首に巻いたスヌードはうるさかった。
「なぁにが盛りすぎよー。あんたこそ、顔まわりに青い小物つけるから顔色悪く見えてるわよっ」「やたらふかふかさせてるけどさぁ、あんたそれ、小顔効果狙いでしょー。絶対わかるー」「女の人間関係は面倒なのよ。社外で声かける時は五秒以内にしてもらっていいっ?」「目が笑ってないのよね、感じわるう! この性格ぶすぶすぶすー」
まあまあ、まあまあ。ケンカ、すんな。
言いたかったけど、さっき以上に言える状況ではなかったので、あたしは彼女に適当に挨拶して、スヌードをもとの場所に返してから古着屋を出た。
煮詰まった場所からは物理的に距離をとるのが一番だからね。
◇◇◇
ねえ、ラムちゃん。
家に帰ってから革ジャンに話しかけると、革ジャンは、えっ、て声を出した。
「……なにそれ、誰それ。もしかして自分のこと言われてる?」
他に誰がいるって言うんだろう。
あたしはひとり暮らしだし、あんた羊革なんだもん、いいじゃないラムちゃんで。
ねえさっきのスヌードさあ、って言いかけると、革ジャンはかぶせ気味に返してくる。
「買わないよ!」
買わないよって。誰の財布だと思ってんのよ。
「あんなのと一緒に収納されたくないからね! うるさくてしょうがないよ!」
それ、ブーメランだってことはわかってるのかなあ。
さっきのスヌード、確かに口はうるさかったけど、手触りはすごくよかったのをあたしは思い出していた。
ただ、古着屋で3,500円はちょっと高い。しかもコートやブーツじゃなくてスヌードのお値段だってところが、さらに。
「ねえ、あんたはいくらだったのー。あんたいくらだったのよおー」
「うるさいねえっ」
勝山さんが来る前の革ジャンとスヌードの会話を思い出す。
何度言われても、革ジャンは頑として自分の値段を言おうとしなかった。
確かにあいつらを一緒にしておいたらものすごくやかましいだろう。これまで以上に私生活に口出しされるかもしれない。
でも、とあたしは思った。
スヌードの毒舌にはちょっと強がりみたいなところが感じられた。
あたしを買って、連れて帰ってよ、っていう気持ちがほんの少しでも相手に伝わってしまわないように、絶え間なく憎まれ口をたたいているような。
だめだった時に悲しくならなくてすむように、わざとそうしているような、そんな感じ。
もちろん気のせいかもしれない。実際ものはよかったし、目を止める人はあたしの他にもいっぱいいるだろう。
(──でも)
あたしは腰かけていたベッドからいきなり立ち上がった。
今日の勝山さんの態度はあたし、はっきり言って気に食わない。
なぁにが、「桜井さんはファーってタイプじゃないもんね」だ。あたしが何着ようがあたしの勝手だ。
そうだ、よくよく考えたらあの人のほうこそ、今年はちょっといいファーの小物がどうたら、休憩室で雑誌を見ながら言っていたんじゃなかったっけ。
あほか、ってあたしは思う。
本気でそう思っているなら下手なマウントとってないで、さっさと買ってしまえばいい。
まあ、あたしが店を出た後、あの人があれを買ってる可能性もあるけど……。
「いや、それはだめだな」
「め、明花ちゃん、どうした?」
あたしが腰に手を当てて言ったので、革ジャンがおびえて声をかけてきた。
別に、と答えると、まだ身構えた感じで、そ、そう? って返してくる。
「そうだよ。うん、そうだよ」
あたしはひとりの部屋で声に出して言った。
そうだ、そんなのだめだ。あの人にあのスヌードを渡すのはだめ。
だってあの人の首に巻かれたら、あの子ますます性格悪いところが強化されちゃうと思うし。
マイナスにマイナスをかけても、現実世界ではプラスにはならないのだ。
「ねえ、ラムちゃん」
「……ねえ、明花ちゃん。その呼び方もうちょっと考えない?」
あたしはにこっと笑った。
革ジャンに笑いかけるというのも考えてみれば妙なものだけど、そこはそれとなく、勘だ。
自慢じゃないけどあたしは職場で、笑顔がいいってけっこう褒められるし。
今日の夜はこいつとちょっと多めに話してみようとあたしは思っている。
明日もあのお店に行ってみよう、とも。
そしてまだあのスヌードがあったら、買うかもしれない。
その時になって革ジャンが大騒ぎしないように、今のうちにいっぱいおしゃべりしておく。
なんだかんだ、人間て、正しいことを受け入れるんじゃなくって、好きなやつが言うことを受け入れるものだったりするしね。
ま、こいつは人間じゃないけど。
「ラムちゃんさ」
「だからその名前は……なにさ」
「あたしたち、博物館とか一緒に行けないね」
「……なんで」
「ああいうところ、剥製とかいっぱいあるでしょ。ラビットファーがしゃべるんだとしたら、剥製なんてもっとしゃべるでしょ。あいつら口あるんだから」
ぐふっ、って変な声が聞こえた。革ジャンの笑い声なんて、あたし、初めて聞く。
ここぞとばかりにあたしはたたみかけた。
「ついでに、蛇革の財布とか絶対買わないことをここに誓っとく」
「……じゃあ、ワニ革のバッグなんかも是非に」
革ジャンが乗ってきた。いける。
数々の合コンで養われた会話スキルがまさかこんなところで生きるとはね。
「絶対買わないよ。あいつら気が荒そうだし。だいたい草食と肉食じゃん。合うわけないよ。ラムちゃん朝起きたら食われてるよ」
「ぐふっ」
そこからは、もう怒涛だった。
フォックスコートだの、トラの敷き物だの、シルクのスカーフだの、あたしたちは思いつく限りの生き物製品の名前を挙げて、ああでもないこうでもないと、夜が更けるまで、きゃっきゃぐふふと笑い合ったのだった。