第19話 予定
予定が立て込んでおり、投稿が遅れました。
明日からペースを上げて投稿していきます。
やっとのこと家に着き、一安心したと同時に体の節々から悲痛な叫び声が聞こえた。
中学以来まともな運動をしてこなかった代償がこれだ。
もう動きたくないし動けない。
おぼつかない足取りで玄関まで辿り着き、取っ手に手をかける。重い玄関を開くと、エプロン姿の美香さんがおたまを片手に立っていた。
恐らく、美香さんがたまたま玄関を通りかかった所で俺が帰って来たのだろう。
俺に気づくなり、わざわざ正座をすると、最近あまり見ることのなかった旅館の女将みたいなお辞儀をしている。
この格好もだけど、美香さん自体、久しぶりに見た気がするな。
「翔様、お帰りなさいませ。お夕飯とお風呂の準備は出来ていますよ。ここ数日お暇を頂いていて顔を出せませんでした。あ、もしかしてぇ、会えなくて寂しかった…ですかぁ?」
やっぱうざい。
「あーはいはい。寂しかった寂しかった。ご飯は後でいいから先に風呂に入るよ」
「相変わらずつれないお人ですねぇ。じゃ、お風呂ですね。はい、承知しましたよー。では、鞄をお部屋に運んでおきますから………って、あれれ、見当たりませんね」
美香さんは何度も俺の周りを確認して、首を傾げている。
鞄を並木道に置いてきた理由を一々話すのも面倒臭いし、何よりこの人に一連の流れを説明すると、要らぬ詮索をされるのは火を見るより明らか。
ここは適当に誤魔化しとこう。
「鞄は学校に忘れてきた」
「……鞄…は…ですか。…ふーん」
絶対余計な事考えてるよこの人。
「…まぁ、いいでしょう。お着替えは洗面所に置いてあるので、ごゆっくり」
美香さんにしてはやけに物分りが良いな。
「何か隠してるでしょう?」ぐらいは言ってくると思ったけど。
とくに何を言うことも無く軽くお辞儀をして立ち去ろうとした美香さんは、 「…あ、それと」と付け加えた。
「既にお知りだとは思いますが、今晩、旦那様と奥様は先方との会食で居られませんので」
美香さんは改めて頭を下げ直すと、いい匂いが漂う台所の方へ消えていった。
先方ってのは十中八九西条家だろうな。最近やたらと西条家へ出向いてるけど、一体何の話をしてるんだろうか。
極力面倒事には巻き込まれたくないなぁ…。
まぁ、取り敢えずは風呂だ風呂。
マッサージでもしながらゆっくり浸かろう。
*****
風呂から上がると、足が勝手にベッドの方へ動いていた。
マジで眠い。
学校にいる時から眠かったってのも勿論あるし、何時間も外でただ座ってぼーっとしてたのもあって、もう意識を保つので精一杯だ。
夕飯は食べなくてもいいや。
美香さんには…一応、連絡しておこう。折角作って貰ってたんだし。
朦朧とする意識の中、おぼつかない操作でLIMEを開く。
開いた瞬間に目に飛び込んできたのは、見知らぬアカウントからのメールだった。
アイコンは初期アイコン。
名前は…くず? 知り合いにそんな人居たっけ?
名前もアイコンも謎だし、送られてきたメールも全く意味が分からない。
どれも二時間前から、つい十分前までに送られてきたものばかり。
-かんぬつひ
-?
-けんにちほ
-?
-こわぬ
-!
こっちが「?」だよ。なんだこれ。なんの暗号だ? そもそも何だこのアカウント。
初期アイコンにくずって名前。
なんか怪しい業者じゃないだろうな…。
それよりも今は美香さんにメール送らないと。
-今日は夕飯いらないです。せっかく作って頂いたのに申し訳ないです
-全然大丈夫ですよ。冷蔵庫に入れて置くので召し上がりたくなったら、お好きな時にどうぞ。では、ごゆっくりお休みください
美香さんとの業務的な会話を済ませて、トーク一覧に戻ると、さっきの謎のアカウントから更に追加のメールが届いていた。
-こんはんた
こんはんた…? あぁ、こんばんはって事か。
-こんばんは。どちら様でしょうか?
それから五分待っても返事は無く、俺も布団に入って寝ようとしたところで再び、そのアカウントからメールが来た。
-せし
…せし? せし…さん。
分かんねぇマジで誰だ。
間髪入れず次のメールが届く。
-あ?
あーあ。めっちゃ怒ってんじゃんこの人。仕方ないじゃん本当に誰か分からないんだから。
-本当にすみません。あなたの事を存じません
-!
…あぁこりゃ…あれだな。荒らしか何かだな。
LIMEで荒らしなんて聞いたこともないけど。
暫くすると、そのアカウントからのメールは完全に途絶えた。
…もう寝るか。
愛用のアイマスクを装着し、加湿器の電源を入れて、布団に潜った……その瞬間、やっと訪れた至福の時は、にっくきスマートフォンによって破壊された。
無視しようかとも思ったけど、急用だった時に困るので一応スマホを開く。
案の定さっきの謎アカウントだったけれど、今度はメールじゃなくて通話の着信だった。
や、こっっわ。
初期アイコンで、謎のメールの連発。"くず"って名前。
どれをとって、どの見方をしても絶対ヤバい人だ。
そもそも何で俺のアカウントを持ってんだよ。
クラスのLIMEグループから人を伝って漏れたとか…?
出るか…出ないか。
正直言うと死ぬほど出たくない。
怖いし、誰かも分からないし、とにかく今は早く寝たいし。
よし、切ろう!
もしかして…なんて考えるだけ無駄だ!
なにより眠い!
緑色じゃなく赤色の方のボタンを押すと、あれだけうるさかったスマホは、死んだように静かになった。元々生きちゃいないんだけど。
あー…。もう瞼を上げる元気も残ってないや。
アイマスクは…いっか、面倒くさい。
薄れていく意識の中、微かに聞こえる着信音。
どうせまたあのアカウントだろうな。
…なんかさっきと微妙に違うな。
具体的には…音が違う。
LIMEの通話音じゃない。
あーぁ…これ既存のアプリの方だ。
眠過ぎて全然考えが纏まらない。
まぁ既存アプリだろうがLIMEだろうがどっちでもいいや。
寝よう。
…いや、一応。ホント念の為、誰からの通話かだけでも確認しておこう。
これで大事になる可能性も無きにしも非ずだし。
覆い被さっていた布団を剥いでスマホを開く。もう何度目だこの動作。
画面に映し出されているのは、三文字の漢字。
それを見た瞬間に、すごーく嫌な考えが過った。
謎のアカウント。謎のメール。くずという名前。
そしてLIMEの通話を拒否した途端にかかってきた既存アプリでの、着信。
それぞれ別に見ると全く意味が分からない事ばかりだけど、繋げて考えてみると、妙に納得が行く。
どうかただの思い過ごしでありますように。
俺は震える指で、応答ボタンを押した。
「………っぐ…ぁ…」
聞こえてきたのは声にもならない声と、何かを啜る音。
これは…多分、当たって欲しくない予想が当たった…ぁ……やっべぇ…。
「あの…西条さん」
「…ぁぁっ…ぇ…ないて…ない…です…。ただの…鼻炎です」
「鼻炎…ですか」
「……ぃ…」
西条さんが泣き止む……鼻炎が治まるまで、ただただ虚空を見つめていた。
時折鼻をかむ音が聞こえて、またずるずると音がする。
五分ほどして何とか落ち着いたようで、いつものお淑やかな西条さんの声が聞こえた。
「…すみ……ません。お恥ずかしい……ところを…」
「いえいえ、お気になさらないでください。それでお話というのは……LIMEの事ですか?」
西条さんはまだバレていないと思っていたらしく、「ふぇっ」と可愛らしい声をあげた。
「実は…くずは…私です」
そんな言い方だと、まるで西条さんがくずみたいだけどそんな事は一切ない。
「すみません。気づきませんでした」
「…いえ……分からなくて…当然です…」
「それで…どうしてあのような事に?」
「今日…私は…初めて…携帯電話を……父に買って貰ったんです…。……今週末…神代さんと…お出かけをする時に……連絡が…取れないと…こまるから…」
そういうことだったのか。
本当に迷惑をかけてばかりだ。
「まずは、ご配慮していただきありがとうございます。…それで、操作が難しかったんですね…」
「…はい。電話番号から…神代さん…とのおしゃべりは…できたのですが……。下の画面を…タッチすると、文字が…もう…わかりません…」
また西条さんの鼻がなり始めた。
どうにかしてフォローしないと。
「あの、もしよろしければ、一連の操作をお教え致しましょうか?」
「いい…です…か。私……機械は…苦手です…けど…」
「最初は誰でも苦手ですから! 安心してください!」
「ありがとう…ござい……ます。…うまくできるように…がんばります…」
*****
外が明るくなって来て、雀の声も聞こえ始めた。
俺はスマホを握りしめて、送られてくるメールを検閲し、アドバイスを入れる。
死ぬほど眠いけど、西条さんのためなら致し方ない。
-おはやうこざいます
あぁ惜しい。
-おはようございます
……お? …あ! あ! やっと!
「…ああぁあ! 送れましたね」
「…ふぁい…本当に…やっとれす。…ありが…と…」
西条さん…眠くて呂律が回ってないな。俺も全く頭が働いてないけど。
「少しでもお役に立てたなら何よりです。では、そろそろ失礼しますね」
「…あ、今週末の予定を………」
確かに今決めておいた方が良いな。
もう週末までほとんど日にちも無いし。
「私はいつでも空いていますよ!」
「…そう…ですか。では…日曜日…午後一時頃に、神代さんのおうちに…向かいます」
家…来るのか。凄く嬉しいけど、わざわざ足を運んでもらうのも悪いな。
「もし宜しければ、私が西条さんの方へ向かいますけど…」
「…あ! …ぇっと、私が…行きたいので…。大丈夫です…よ?」
「そういうことなら、是非。では、日曜日を楽しみにしております」
「…ふぁ…おやすみ…です」
もう限界が来ていたのか、その言葉を最後に西条さんは何も言わなくなった。
その代わりに、消えそうなぐらい小さな寝息が聞こえてくる。
日曜日…の十三時…。
俺はカレンダーに記録を付け終えると、そのまま気を失った。