第18話 目溢
曇っていたのがまるで嘘だと思えるほど、太陽が何に遮られることもなく燦々と輝いている。
窓から差し込む陽光を浴びるのは大好きだけれど、お腹がいっぱいになったこの時間帯だと勝手に瞼が落ちてくるのが日向ぼっこ唯一の難点。
せめて、帰りのSHRが終わるまでは耐えないと。
あぁ…まじ眠い…。
「…です。それと、この辺りを騒がせていた不審者が、つい先程捕まったそうです。やっと安心して登下校できますね。……よし。これで一通り諸連絡も伝え終わりましたし、SHRを終わります。ありがとうございました。気をつけて帰るように」
あの不審者捕まったのか。何をして不審者認定されたのかは知らないけど、町の治安が保たれたなら何よりだ。
それに、これで瀧宮も一人で帰れるだろうから色々と安心だな。
早速帰りたいところだけど、多々良さんに友人の件を伝えないと。
彼女を探そうと思いクラスを見渡すと、最前列の席に多々良さんはまだ居た。
多々良さんが鞄を持って立ち上がったタイミングで声をかける。
「多々良さん。少しお話が」
「ごめん、神代くん。これからバイトなんだ」
「…そうでしたか。じゃあ、また後日」
「うん。じゃあね」
出て行くのはっや。そんな時間厳しいのかな。
まぁ言おうと思えばいつでも言えるし、今日はもう帰るか。
万が一と思って瀧宮の席の方へ視線を送ったけれど、案の定空席だった。
だからなんだって話だけど。
*****
傾いた日は電柱の影を伸ばし、ねずみ色の道路を仄かな茜色に染める。
並木道に差し掛かると、緑いっぱいに生い茂った桜の葉の隙間から落ちた光が地面をチラチラと照らし、とても幻想的な光景で、つい、歩く速度が落ちる。
もう嫌という程見慣れた光景なのに、毎日こんな事をしていたら世話がない。
それでも、馬鹿みたいに同じ行動を繰り返してしまうほど、ここの景観は素晴らしい。
アーチ状の石橋を渡り終わると、木々の隙間から吹き抜ける緑風が茶色く焦げた花びらを舞いあげた。
肩に付いたそれを払おうと横に視線を送った時、あるものが視界に入った。
正確には、ものじゃなくて人。
桜の木の下で座り込み、木によりかかってうたた寝をしている長髪の女の子……というか…瀧宮?
地面ばかり見てたから気付かなかった。
近づいてみても、ピクリとも動かない。
様々な疑問が頭を駆け巡ったけど、まずは瀧宮の身の安全の確保が最優先だ。
不審者が捕まったからと言って、いくらなんでもこれは無防備すぎる。悪い奴に見つかったら何をされるか分かったもんじゃない。
…良く考えたら俺も充分怪しくて悪い奴だけど。
それでも、見知らぬ誰かよりは幾分かはマシだろうから。
起きるまで待つか、それとも、起こした方がいいのか。
悩みに悩んだ挙句、俺も一つ隣の木の下で座り込み、瀧宮が起きるのを待つ事にした。
…本当のとこ、あまりに気持ち良さそうに寝てたから起こすのに気が引けただけなんだけど。
つい最近図書室で同じような事をした気がする。前みたいに俺が寝るって事は無いようにしないと。二人揃って外で寝るなんて馬鹿にも程がある。
というか…なんでこんな所で寝てたんだ? そもそも何をしてたんだろう。
何か手がかりは無いかと瀧宮の周辺を見回したけど特にこれと言ったものは無い。
強いて言うなら、瀧宮の手に握られたスマホぐらい。そんなんじゃ何の手がかりにもならない。
歩き疲れて一休みしたらそのまま寝てしまった……なんてことが瀧宮に限って有り得るか? 確かに、図書室での前例があるから絶対無いとは言い切れ無いけど。
それにしても、本当に気持ち良さそうに寝てるなぁ。これ本当に起きるのか? 流石に、朝までってことは無いよな。
俺は不安を胸に、瀧宮が起きるのをただ待つ事にした。
*****
遠の昔に太陽は西の空に消え、暗闇と申し訳程度の月明かりがあたりを包んでいる。
最初は心地良かった虫の音色も、もういい加減鬱陶しい。
未だ瀧宮は夢の中。
もう一生起きない気すらしてきた。
時刻は既に二十時を回っている。以前の反省を活かして親には連絡を入れているから、多分大丈夫だとは思うけど、俺の体力が限界に近い。
勿論何度か起こそうとしたけど、その度に瀧宮の顔と寝息が目と耳に入って全力で邪魔をされた。
あれは起こせない。
道を通る人達の目も痛かった。
二人、肩でも寄せてるならバカップルで済むのだろうけど、俺と瀧宮の間には三メートル程の妙な距離がある。傍から見れば、寝ている女の子を見つめる変態にしか映らなかっただろう。
腰も痛いし、通行人からの目も痛いし、眠いし。
流石に起こすか…。
「瀧宮ー起きろー。もう月が出てるぞー」
目を覚ましていきなり飛び込んで来るのが俺の顔だと嫌だろうから、離れたところから声をかけているけど中々起きない。
このままじゃ埒が明かない。
意を決して瀧宮が寝ている木の下まで歩いた。
瀧宮の視線に合わせてしゃがんだ。
「おーい、起きろー」
ぜんっぜん起きない。
最後の手段として、肩を揺する。
すると、やっと、遂に、瀧宮は瞼をぐーっと押し上げた。
…でも、月明かりでうっすらと見えた瀧宮の目はとろんと蕩けている。
「おはよう。もう夜だよ」
瀧宮はとろけた目のまま空を仰いで、月を見つめている。
視線を落として、ふわぁ…とあくびをすると、普段の瀧宮からは想像出来ない柔らかい猫なで声を発した。
「おんぶ」
…?
「……は?」
「…ねむいあるけない」
……どうすればいいんだよ。
仮に背負ったとして、明日、俺の命はあるのか? だからと言ってここに置いていく訳にも行かないし…。
「おんぶ…おんぶ」
壊れたおもちゃみたいに同じ言葉しか発さなくなった瀧宮を見て、俺は人生で一番の決心をした。
まずはその辺に転がっている教科書でパンパンの鞄を片手に持って、あとは、瀧宮の前で背を向けて屈むだけ。
「はい、乗っていいよ」
「……」
のそのそと立ち上がった瀧宮は、どっと一気に全体重を乗せてきた。
「危ないからちゃんと掴まっといて」
「………」
返事は無いけど、力は強まったから問題無いか。
あとはどうやってこのまま帰るか。
いくら瀧宮が軽いとは言え、教科書が詰まった鞄をふたつも抱えてさらに瀧宮も…となると、動くので精一杯。
もし瀧宮を落としでもしたら、土下座じゃ済まされない。
自分の鞄をそっと地面に落とし、並木道を歩き始めた。
暫くすると、またすーっすーっと寝息が聞こえ始めた。
本当に良く寝るな。…ちゃんと家で寝てんのか?
いや……にしても軽い。本当に軽い。悪い言い方をすると、中身がスカスカのマネキンを運んでるみたいだ。
ただ、マネキンと決定的に違うのは、色々柔らかいこと。そのせいで緊張しっぱなしなのは言うまでもない。
意識を背中から前方に戻して、少し歩くペースを上げた。
早く帰らないと色々しんどい。
並木道を抜けると、再び住宅街に入った。
ここを数分歩けばいつもの十字路が見えてくる。
もし、あのまま見過ごしていたら瀧宮はこんな時間まであそこで寝ていたのか。
下手したら、朝まで。
想像するだけで寒気がする。
*****
何とかいつもの十字路まで辿り着いたのはいいものの、俺は再び頭を抱えていた。
瀧宮がまた起きない。声をかけても飛んでも跳ねても起きない。
やけくそになって瀧宮の腰から手を離したのに離れない。まるで木に捕まったコアラみたいだ。
こうなったら家まで送るしかないか…。
坂を抜けて瀧宮家の表札が見えてきたところで、また声をかけた。
このままじゃ本当に瀧宮の保護者を出動させるはめになる。
極力それだけは避けたい。
もし、瀧宮の両親がこの状態を見れば、色々勘違いするだろうし。
「瀧宮、家着いたよ。帰ってから寝てくれ」
「…ぅぅんー…」
「瀧宮、おーい。何時間寝てんだ」
「………」
「瀧宮澪さん。起きて下さい」
「…ん…」
「澪、起きて」
「………」
途端、何をしても離れなかった手は離れて、ずるっと地べたに滑り落ちた。
地面にへたりこんだまま、目を擦って辺りをきょろきょろと見渡している。
まだ寝ぼけてるのか。
「俺帰るから、早く家に入ってベッドで寝なよ」
「…ぁ…あ、…で…」
これ以上は付き合ってられない。時間も時間だし。
「…また明日。おやすみ」
痛む腰を叩きながら、俺は来た道を振り返る。
やっと帰れる。早く帰って勉強しないと。
「………で…」
背後からなにか聞こえたけれど、また寝ぼけてるのだと思い、聞かなかった事にした。