第三回 ハナビ
一部の登場人物の名前を変更しました。
それに伴い、(見つけた箇所だけですが)文章を修正しました。
仕様およびウッカリで、フリガナが不自然な場合があります。
オレは機密特殊科学捜査課の研究所で、採血だのレントゲン検査だの、名前の分からない検査だの、なんなのかサッパリな検査だの、とにかく色んな検査を延々と受けさせられた。相沢博士いわく「一流の病院でやる、高額な人間ドックより精度がいい」らしい。
下着姿で検査させられて、ようやく終わって服を着ようとしたとき、さっきまで着ていた服ではなく、落ち着いた色をした和服が用意されていた。
「前の服はどうした?」
オレはその場にいた十文字に尋ねた。
「夢幻亜人になるたびに服を破られたら迷惑だ。だから、破れないように和装にする。上半身を脱ぐのはすぐだし、帯も急激な肥大化に耐えられるように作ってある」
普通の和装に見えるが、袴の裾は広く、夢幻亜人になっても破れる事はないだろう。上半身部分も腕を袖に引ッ込めて胸元から出す形で脱げば、服は腰の辺りで垂れて、スカートのような感じになるだろし、そうすれば当然ながら破れないから、元に戻ればすぐに着られる。とにかく、ほかに服がないから、オレは仕方なしにその服を着てみる。鏡を見ると、ださくはなかった。思いのほか小洒落た和装といった感じで、着心地も悪くなかった。いわゆる古都と呼ばれるような所では、こんな格好をした人が実際にいるんじゃないかとすら思えてくる。
「それはない」
十文字が断言する。つまらん男だ。
オレは自分の部屋に帰される。監視カメラと棚、ベッド、壁に取り付けられている受話器以外になにもない殺風景な真ッ白な部屋である。テレビやパソコンはおろか漫画本一冊ないのだ。外出の自由もないため、呼ばれるまでこの白い監獄の中に居続けなければ成らなかった。途方もなく退屈で苦痛だった。時計も窓もないので時間経過がまるで分からない。昼か夜かも分からないのだ。特にすることもなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけで、暇で死にそうになる。独房に閉じ込められた囚人だと、当初は自分を嘲笑っていたが、今はそんな気持ちすら起きない。インパクトとの戦いで自分でも十分に承知したが、夢幻亜人の力を得てしまったから、危険人物として隔離するのは仕方がないとしても、せめてテレビでも漫画でもゲームでもなんでもいいから、暇潰しの道具くらいは欲しいものだ。
目に焼きつくほどに、白い天井を見つめている。よく見ると所々に黒い点がある。汚れだろうか。まあ、天井なんて本当に極たまに埃や蜘蛛の巣を払う程度で、普段は掃除するような箇所でもない。そんな、なんの意味もないことを延々と考えてみたり、眠気なのか何かすら分からないが、時たま意識が途切れさせている。夢幻亜人は何者なのか、オレの今後はどうなるのか、そんな難しいは考える気力すら起きない。こうやって洗脳されていくのか、なんてことも当然考える余力はない。
どれだけ時間が経ったか分からない。と、例の警報が鳴った。夢幻亜人駆除のための出動の合図である。命懸けの戦いが待っているので、本来なら避けたい筈なのに、退屈だからありがたくすら思える。
ベッドに寝転んでいたオレは、上体を起こす。すぐに十文字が来るだろうと思っていると、案の定すぐにやって来た。扉を開けると同時に「さあ、行くぞ」と偉そうに言って来る。オレも「よし、行くか」と軽く答えて部屋から出た。どこかの寺にいたインパクトを駆除しに行ったときと同様に、オレは駐車場に連れて行かれ、そのときに乗ったのと同じ自動車の助手席に乗り込んだ。ただ、以前と違ったのは、後部座席に柾京子が乗っていたことだ。彼女も十文字と同様に、夢幻亜人識別機能のついた眼鏡を掛けている。
「今回は彼女も同行する……というか、前に来なかったほうが特殊なんだが」
運転席に座った十文字がそう言った。
「宜しくお願いします」と柾が会釈して来たので、オレも「どうも」と会釈を返す。
車が発進して長いトンネルを走る。その途中で柾が説明を始める。
「今回出没した夢幻亜人について説明します。夢幻亜人は玩具工場付近で確認されました。現在はその工場に潜伏していると思われます。夢幻亜人の特殊効果については不明です」
「分からないんですか?」
思わず柾のほうを見ると「夢幻亜人を発見した調査員と連絡が取れません。現在は生死不明です」とのこと。
「そいつの携帯電話はどうなっているんだ?」と十文字だ。
「調べたところ、工場内部で使用されていますが、使用者が調査員かどうか不明です」
「電源が入っているだけか? それとも誰かと通信しているのか?」
「一応、通信しているようですが……」
「ですが?」とオレ。
「現在、その携帯電話でオンライン・ゲームをしているそうです」
「オンライン・ゲーム?」
「インターネットに繋いで遊ぶゲームだ」と十文字だ。
「そのくらい知ってる!」とオレは吐き捨てた。
こいつは絶対にオレを馬鹿にしている。
十文字が話を続ける。
「普通、仕事中にゲームをする馬鹿なんていないし、ましてや夢幻亜人が居るかも知れないところで遊ぶ馬鹿はいないだろうから……つまり、そういう事だろう」
始末されたという事である。恐らくだが、夢幻亜人は調査員を殺害して携帯電話を奪ったのだろう。
車はトンネルを抜けて一般道を走る。すでに空は真ッ暗だ。更にそこから車は走り続けて、例の工場に到着する。オレ達は適当な場所に車を止めて、車から降りた。
玩具工場は郊外に建っていた。郊外と聞けば物流という点では不便にも思えるが、柾によるとここは国道や高速道路など幾つもの幹線道路にアクセスしやすいのだとか。それに大手のオモチャ会社が所有する工場だけあって、思っていた以上に大きいのだが、周囲には明かり一つない場所に建っているせいか、闇に浮かぶその建物は何だか薄気味悪かった。
柾が言う。
「では、手分けして夢幻亜人を捜しましょう」
その提案に「よし。僕は早瀬と一緒に行動する」と十文字が乗った。柾も「分かりました」と闇に消えて、オレは十文字なんかと二人きりになった。
「なんでオレがお前と一緒に行動しないといけないんだ」
オレはぼやいた。
「仮にお前一人で行動するとして、夢幻亜人と遭遇した時はどう戦うつもりだ?」などと十文字は言う。
「それに、お前が急に発狂して暴れ出したときは、お前を駆除する必要がある。お前一人で駆除予定の夢幻亜人と遭遇したときに発狂して、夢幻亜人とお友達にでもなったら目も当てられないからな」と続けた。
「そうかい」
「じゃあ、行くぞ」
「おい、ちょっと待て」
「なんだ?」
「工場にスタッフは?」
「居ないはずだ。じゃあ、行くぞ」
オレ達は工場の敷地に無断で入り込む。中は予想通り誰もおらず、当然ながら明かりはない。十文字が持参していた懐中電燈の明かりを頼りに辺りを窺いながら先へ進む。普通のオフィス、ベルトコンベアーが張り巡らされたフロア、材料が詰まった段ボールが積み重ねられた部屋、モニターがたくさん設置された部屋、配送予定のオモチャと思われる商品が保管されている部屋まであった。
オレ達は四階の渡り廊下に行き着く。十文字が先頭を歩いている。ちょうど真ん中辺りに差し掛かったとき、突然渡り廊下の下部で爆発が起こった。十文字は前方へ、オレは後方へと逃げた。
「十文字!」
オレは叫んだ。
「騒ぐな。怪我でもしたのか?」
十文字の冷めた声が煙の向こうから聞こえた。風に流される煙の奥で突ッ立っている奴が見えた。
「オレは大丈夫だ。お前は無事か」
「問題ない」
十文字は渡り廊下を見る。さっきの爆発で中央部分は崩れ落ちていて、行き来はおろか飛び移るのも不可能だ。
「この爆発が、爆弾とかでなければ、恐らくは【№3】のハナビの仕業だろう」
「ハナビ?」
「そう。名前通り、爆発を起こす特殊効果だ。前向きに考えると、まあ……標的と遭遇する前に特殊効果が分かって好都合だ。僕から柾に伝えておく。まあ、たぶん今の爆発は聞こえただろうがな」
「そうか……」
「ただ! 特殊効果はあくまでも可能性の話だ。爆弾なんてその気になれば誰でも作れるからな。杞憂だろうがハナビと思わせておいて……というのが、奴らの狙いかも知れない。油断するな」
十文字がそう念を押す。
「ああ。で、どうする? どこかで合流するか?」
「そうだな。お前が夢幻亜人になって、こっちに飛び移るって方法もあるが、どうせお前は自分に注射は打てないだろう。単独行動をさせようにも、お前一人じゃなんの役にも立ちそうにないからな」
ムカつく。
十文字が辺りを見渡すと、東側に広い駐車場がある。奴はそっちを指差して「あそこで落ち合おう。可能な限り早く来い。迷子になるなよ」と言って予備の懐中電燈をこちらに投げたので、それを受け取ったオレは「お前もな!」と返し、いったん別れた。
オレは走って駐車場へと向かう。この工場は西側から入ったので、進んで来た道を引き返さずに東側にあるだろう階段を探す。と、一瞬だけ人影が見えた。子供ほどではないが小柄だった。ここの職員が残っていたのか?
いや、違う。恐らくは夢幻亜人だ。
さっきの爆音を聞いて、かつ懐中電燈を持って走っている不審者のオレに気づくこともなく、あんな悠長というか能天気に歩いている訳がない。
オレは足を止めて、人影が入って行った部屋を恐る恐る覗いた。
部屋の真ん中に机にはオモチャが並んでいる。ぬいぐるみ、電車や飛行機といった乗り物の模型、特撮やアニメのキャラクターにロボット。それ以外には何もない。なんの部屋だ?
十文字と合流してから、再びここに来るか。それともオレだけで行動するか。
そう悩んでいると手を叩く音が何度か聞こえてきた。
「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」
女の声だ。夢幻亜人か? 不審者にはまず間違いない。
今のオレが持っている物といえば懐中電燈くらいである。武器なんて持っていないし、通信手段すらない。この部屋から階段は近い。やはり、いったん十文字たちと合流すべきだと、オレが階段のほうに目を向けた瞬間、階段の天井で爆発が起きて、落ちてきた瓦礫が階段を塞いでしまった。と同時に別の場所からも爆音がする。オレが上って来た階段の方角である。ほかにも幾つかの爆音が轟いた。恐らくは全ての階段が塞がれたのだろうとオレは悟った。
「おじさん、隠れんぼしよ。おじさんが鬼ね」
足音がしたかと思えば、すぐに静まり返った。
隠れんぼ? 奴はオレをからかっているのだろうか。とにかく、奴が見逃してくれるのであれば、オレは下りられる場所を探しつつ、爆音を聞き付けた十文字ないし柾が来るのを信じることにする。あの不審者がオレと戦う気がないのなら、オレも単独で勝ち目のない戦いをするつもりはない。
現在オレがいるのは四階である。さすがに飛び降りるのは危険だ。オレは廊下を走ってめぼしいものを探したが、気の利いた物はなかった。と、屋外に設置された非常階段を見つけて、オレはその扉を開けた。が、すでに非常階段は破壊されていた。
「クソッ……」
「置いてけ堀はイジメだよ」
後ろから声がした。背筋が凍るのと同時にオレは慌てて後ろを向く。が、誰もいない。
「誰だ! どこにいる!」
「ここだよー」
間抜けた声だ。遊んでいるとしか思えない。
「どこだ!」
「…………」
「返事をしろ!」
「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」
歌の調子に合わせて手を叩く音が、廊下に響き渡る。
――この野郎。
廊下の向こうで影が動いた。
「そこか! 化け物!」
オレは身構えつつ懐中電燈を影に向けた。
「早瀬さん! 私です!」
影の主を凝視する。顔に光を当てると柾が立っていた。
「柾さん」
「爆発の音を聞いてやって来ました。早瀬さん、何があったんですか?」
オレは彼女に経緯を伝えた。柾も恐らくは、その不審者が夢幻亜人のハナビだろうと推測する。
「しかし困りましたね。私は十文字と違って、あなたを夢幻亜人にする薬を持っていません」
彼女が十文字に連絡を取ると、どうやら奴も爆音を聞いてこっちに向かっているらしかった。
「早瀬さん、ほかにその不審者についての手掛かりか何かはありますか?」
携帯電話を切った柾が聞いてきた。
「そうそう。奴はオレに隠れんぼをしよう、みたいなことを言ってました」
「隠れんぼ?」
「ええ。それに人のことを『おじさん』呼ばわりしやがって」
「………………。その不審者が見えたとき、小柄だったんですよね? 子供に化けてるのかしら?」
柾が考え込んでいる間、オレは暗い周囲を警戒する。奴の影はない。
どこからともなく例の手を叩く音がした。
「またか」
「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」
やはりあの不審者の声だ。
「女性の声……。子供というほど、幼い声ではありませんね」と柾。
「そうですね。どうします?」
「決まっています。音がするほうへ行きましょう」
銃を構えた柾が先頭に立って、声と音がするほうへ歩を進める。
「当たり前ですが、これは罠かも知れません。十分に注意して下さい」
「はい」
ある扉の前でオレ達は立ち止った。扉には白紙の札が付いている。
「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」
オレ達は扉の左右の壁に背を付けた。
「早瀬さん。すみませんが、扉を開けて下さい。その瞬間に私が部屋に入ります」
「大丈夫ですか?」
「丸腰の貴方を、危険な目に遭わせられませんから」
そう言って柾は笑った。オレはドアノブを掴み、柾と目を合わせる。彼女が頷いた瞬間に、オレは扉を開けた。柾が素早く部屋に流れ込む。オレも後に続いた。
電燈をつけていない暗い部屋の奥で、小柄の女がオレ達に背を向けていた。学生ほどの年齢と思われる、その女の髪は茶色く肩に届くか届かないかというほどの長さで、癖毛なのか緩やかに波打っている。左腕で彼女の上半身ほどの大きさをした、青い首輪を付けて立派な角を持った鹿の縫い包みを抱きながら、右手で携帯電話を弄っている。入った当初は無音だった部屋に、携帯電話から音楽が流れ始めた。なにかのBGMの中に効果音らしき音もあるから、恐らくはゲームの音だろう。
「間違いありません。夢幻亜人です」
女に銃を向ける柾が断言した。そして声を張って言う。
「両手を挙げて大人しくしなさい! こっちを向いて、持っているものを放しなさい!」
女は柾を無視してゲームを続けている。携帯電話の画面に、触角のように前髪を垂らした女性キャラクターらしき影が映ったと思うと、彼女はキャラクターに向かって投げキスをした。
「もう一度言います。こっちを向きなさい!」
女はゆっくりとこちらを向く。女は中学生か高校生ほどの年齢に見えるが、どちらの表現もしっくり来ない。幼い感じの大学生とも、大人びた中学生とも取れる容姿なのだ。女は銃を向けられているのにも関わらず、なにか余裕でもあるのか頬笑んでいる。
「遅かったね。待ち草臥れたよ」
また視線を携帯電話に戻すと、ピコピコ何かやっている。
「爆発を起こしたのは貴方ね! それを止めて、床に置きなさい!」
女は呆れた様子で鼻から大きく息をついた。
「僕ね、ゲームとか縫い包みとか大好きなの。だから放さない」
柾の銃から光弾が放たれる。それは女から大きく逸れた威嚇射撃だったが、女は眉間に皺を寄せて柾を睨んだ。
「言うことを聞きなさい!」
女が携帯電話で口元を隠して、オレ達から少し目を逸らす。再びこちらを見た。彼女の目が鋭くなった瞬間、誰もいない方向に携帯電話を指で軽く弾くように飛ばしたかと思えば、それが爆発した。
「間違いない。やはり貴方はハナビね」
柾は気丈だった。
「自棄でも起こしたか?」
オレのその言葉に、なぜかハナビは笑みを浮かべた。
「大切なものは、案外少ない。遊びは遊び。オモチャは所詮オモチャ。大きくなってお飯事をする女の子なんていないし、ヒーローごっこをする男の子もいない。居たらただの子供」
ハナビは抱いていた鹿の縫い包みの首を掴むと、やはり爆発が起こって胴体が床に落ちた。頭部はどこかへ吹ッ飛び、周囲には縫い包みに入っていた綿が舞う。
奴は続ける。
「大切なオモチャが壊れると辛く悲しい。けど嬉しい。だって、オモチャに縛られていた時間から解放される。自由になる」
「ここに来た目的はなに?!」と柾。
「…………」
「答えなさい!」
「遊ぼっか」
ハナビがそう言うと、普通だった肌の色が淡い黄色に変わる。目元の……特に涙袋から頬にかけて広がった逆三角形と、鼻筋がピンク色になる。両手の中指の爪の付け根から腕に掛けても同様にピンク色の筋が見えた。
「爆発が来ます。気を付けて下さい」
柾が言った。先手必勝と言わんばかりに、柾はハナビに向かって光弾を放つ。ハナビは机の上にあった置き時計を投げて爆発を起こした。オレは両腕を前に出して防御するが、柾は構わず光弾を撃ち続ける。煙が消えた時にはハナビは居なくなっていた。
「逃げたか?」
「恐らくは机の後ろに隠れただけです。気を付けて下さい」
柾が机に向かって光弾を撃ち続ける。よほど威力があるのか、机の板が薄いのか分からないが、光弾によって机には幾つもの穴が開く。と、突然、机の後ろにあった本棚で大きな爆発が起こる。オレは勿論、さすがの柾も一瞬だが防御の態勢を取った。と、彼女の足にキャラクターの入った丸いオモチャのカプセルが当たる。
「早瀬さん! 逃げて下さい!」
柾が身を退きながら叫んだ。オレも咄嗟に部屋から出ようとするが、その猶予なくカプセルが爆発した。
「うわあ!」
オレ達は一緒に部屋から吹き飛ばされて、オレが彼女のクッションになるような形で廊下の壁に体を叩き付けられる。
「うう……」
「ああ、痛ってえ」
柾はすぐに、オレに倒れ込んでいたことに気付く。
「あ! すいません! 大丈夫ですか?」
「オレは大丈夫です……」
柾が先に立ち上がって、オレも彼女に引き上げられる形で立ち上がる。オレ達は部屋に目を向けて、柾は銃を室内に向ける。
爆煙が消えると、ハナビは笑みを浮かべて此方を見ていた。そしてオレ達のほうに向けて指を差すと、そこから白く光る粉のような何かが飛び散ったと思えば、オレ達の背後にあったガラスが一斉に爆発した。小規模の爆発ではあったが、ガラス片が降り注ぎ、オレも柾も自分の頭を庇いながら身を低くした。その状態でハナビを見ると、やはり笑っている。
「じゃ、もういいや」
ハナビが言った。奴から笑みが消えている。オレ達は急いで立ち上がる。
「なにがもういいんだ!」
オレは怒鳴った。
「ゲームばかりしていると目が悪くなる。そこまでするのは愚かなこと。たかだか一瞬の楽しみのために、目を悪くして何時までも祟られるなんて、心から馬鹿馬鹿しい」
「オレ達は、お前と遊ぶために来たわけじゃないぞ!」
ハナビは呆れた様子で小さく息をつく。
「ゲームの主人公は、命懸けで頑張っているんだろうけど、プレイヤーからすれば単なる遊び。主人公もほかの登場人物も単なるお人形。お人形遊びなんだから、こっちが命を懸ける必要も、無理に時間を割く必要もない。単なる暇潰し。その一瞬が楽しければそれでいいの。だから、オモチャは未来に要らない」
「オレ達がお前のオモチャだと言うのか!」
「そうだよ。だから君たちも、もう要らない」
ハナビが柾に向かって指を差して例の白い光の粉を飛ばす。と、それに触れた拳銃が爆発した拍子に、柾は思わず「きゃ!」と銃を手放してしまった。
「バイバイ」
ハナビがもう一度、柾を指差そうとしたとき、廊下の闇から声がした。
「柾! 受け取れ!」
オレ達は声のほうを見る。ハナビの視線も同じ闇を指す。何かがこちらに飛んで来たと思った瞬間、柾はそれを掴み、オレの襟を掴んで引き寄せると、掴んでいたものをオレに刺した。
「上着を脱いで下さい」
柾に言われるがまま、オレは和服の袖を脱ぐ。上着がスカートのように垂れ下がった。インパクトと戦った時のように、オレの心臓が激しく高鳴った。
「来たぞ!」
オレの体が、筋肉が膨張し全身の毛が逆立った。顔が獣になる。夢幻亜人ビーストに成ったのだ。
「遅いぞ、十文字!」
オレは闇の中にいるであろう十文字にそう叫んだ。
「愚痴る暇があれば、さっさと行け!」
奴らしい憎まれ口が返って来た。言われるまでもなくオレはハナビに突撃する。もちろん捨て身という訳ではなく、奴の特殊効果が爆発なら、接近戦に持ち込めば自分を爆発に巻き込まないためにも、爆発を控える筈だと考えたのだ。
「君は最後に取っておくつもりだったのに」
そう残念がるハナビにオレは飛び掛かり、鋭い爪を振り下ろすが、サッと避けられる。休まず殴ろうとするが、やはりヒラリと躱される。オレが攻撃して、ハナビが躱すという動きを何度か繰り返したとき、オレの右手の拳が壁を強く殴りつけた。無論ハナビはそれを避けたが、左手の攻撃範囲に留まっている。奴に背後はない。左右にも動けず、下に行こうものなら会心の蹴りを食らわせてやる。
――勝った。
オレは確信し、左手を横に払って攻撃しようとした瞬間、ハナビがオレの右腕を掴む。
――しまった!
そう思った時には遅かった。オレは爆発で吹き飛ばされて机に叩き付けられただけではなく、右腕も千切れて何処かへ飛んだ。
「ぐわああああ!」
思わず叫んだ。赤い血が腕から飛び散る。痛いだけではなく胸までも悪くなる。
「早瀬! 僕に考えがある! もう一度、奴に飛び込め!」
十文字が叫んだ。少し意識が朦朧としたが、オレはその声を信じてハナビに飛び掛かった。ハナビの視線がオレにではなく部屋の入り口に向く。それと同時に、白い煙らしきものがハナビに向かって噴射された。オレの爪を立てた攻撃を、再びハナビが躱す。ハナビを目で追ったとき、偶然だが消火器をハナビに向けて噴射している十文字が見えた。その消火剤でハナビの顔が隠れる。だが、首から下は朧気だがなんとなく見えた。奴からすれば視界を封じられたようなものだ。オレはハナビに抱き付くような形で襲い掛かり、左腕が彼女の首を掴んだ。オレは野生を現した獣のようにハナビの肩に噛みついて顔いっぱいに汚い緑色の血を浴びた。
オレの視界が光で真ッ白になった。奴は自爆するつもりだ。そう悟ったが、回避行動は取れなかった。高熱と爆音は覚えている。だが、そこから意識は途切れてしまう。
オレは意識を取り戻すと、以前に見た白い天井があった。捜査課の研究室にある自室の天井である。どうやら、オレはまだ生きているらしい。
「気が付きましたか?」
女の声だ。まだ視界がボンヤリとしていて、人影は分かるが誰かまでは分からない。ジッと見つめていると、次第に形がハッキリしてくる。どうやら柾のようだ。
「あのあと、どうなったんですか? ハナビは?」
「爆発のあと、ハナビはキノコの形態となり、駆除・回収が出来ました。ハナビが自爆したとき、周囲に消火剤が充満していたお陰で大した爆発にはならず、あなたは致命傷を負わずに済んだんです」
「そうですか……。あの工場はどうなりましたか?」
「全焼させた」
十文字が視界に入った。
「全焼? 燃やしたのか」
「ああ。どこかの放火魔によって工場は全焼。中途半端に爆発の跡が残るよりは、そのほうが此方としても都合がいい。その捜査もこちらの息が掛った連中がする。夢幻亜人や僕らに関わるものは何も出ない。しばらくは管轄の連中には幻の犯人を追ってもらう事になるがな」
確かにそのほうがいいのかも知れないが、本当にここの連中はえげつないことを平気でする。
「オモチャ会社は大迷惑だ」
オレは右手で自分の目を覆った。すでに体はヒトの形に戻っている。ふと気付いた。
「なんで腕が?」
「お前を回収後、この研究所で縫合手術をしたからだ」
だからってすぐに器用に動くものだろうか? なにかで自分の腕の縫合とはいえ、長い期間はリハビリが必要だといった感じの話を聞いたことがある。
オレは不思議に思って右手を見つめた。グー、パー、グー、パーと動かしても全く問題はない。チョキも無論問題ない。千切れた箇所を見たとき、オレは表情にこそ現れなかったが驚いた。縫合の跡も千切れた跡も一切残っていない。火傷の跡すらないのだ。爆発で吹ッ飛ばされたのが嘘のようだった。
「驚異的な回復力だな」
十文字は呆れた様子で言った。
「お前が取り込んだビーストの力で、まさか此処まで回復するとは、僕らも相沢博士も思わなかった」
ビースト、夢幻亜人の力……。
「じゃあ、今はゆっくり休め」
そう言い残して十文字が部屋から出ようとする。
「それでは失礼します」と柾も、十文字に付いて一緒に部屋から出て行った。
静まり返った部屋で、オレはふと考える。
腕が飛んだとき、確かに見たオレの血は赤かった。奴らの……夢幻亜人の血は緑色である。オレが死ななかったのは、腕が無事に治ったのは夢幻亜人の力である。
オレはいつまで人間に、人間に近い存在として居られるのだろうか。
仮に本当に夢幻亜人になってしまったら、オレはどうなるのか。
ぼんやりと考えていたのだが、まだ疲れていたのか、オレの意識は薄れていった。