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第二回 インパクト

一部の登場人物の名前を変更しました。

それに伴い、(見つけた箇所だけですが)文章を修正しました。


仕様およびウッカリで、フリガナが不自然な場合があります。


 現実は奇妙奇天烈で訳が分からない。半年前に交通事故で妻と息子を亡くしたオレは、彼女らの墓参りからの帰りの山道(やまみち)で落石を受けてしまったのだが、偶然にも生き延びたオレは、そこで奇妙なキノコを食べてしまう。その結果オレは、そのキノコに化けていた夢幻亜人(イリュージョノイド)とかいう生き物と融合したらしいのだ。

 自分でもなにを言っているのか分からないほど、安っぽい三流SF映画のような流れである。だが、その意味不明な流れによって、公安の『機密特殊科学捜査課』とかいう長くて面倒くさい上になんかダサい名前の組織の管理下に置かれたわけだ。無論、ただ管理下に置かれただけではなく、オレは夢幻亜人(イリュージョノイド)とかいう連中の駆除とやらに協力することになった。

 オレは少し回想する。

 研究室でそれぞれ相沢治郎、十文字ゲン、(まさき)京子と名乗る三人と一緒にいたときのことだ。

 相沢博士が言う。

「では早瀬くん。なぜ君が夢幻亜人(イリュージョノイド)と戦わねばならぬかという点なんだが――」

 早瀬というのは、オレ……つまり、酒井佳春(よしはる)が彼らから貰ったコードネームである。

「――我々はすでに二体の夢幻亜人(イリュージョノイド)を駆除し、その休眠状態である、君が食べたキノコの形態で保管しているのは先も述べた通りだ。だが、夢幻亜人(イリュージョノイド)と融合してしまった君をもとに戻すには、研究がまだ圧倒的に足りない」

「だから、その実験というか調査のために、私に戦えと仰るんですか?」とオレだ。

「話が早くて助かる。まさにその通りなのだよ。夢幻亜人(イリュージョノイド)は我々人類からすれば全く未知の生物であり、超能力といえるような特殊能力まで持っている」

「特殊能力?」

「僕らはそれを『特殊効果(エフェクト)』と呼んでいる」

 十文字だ。

「そもそも、夢幻亜人(イリュージョノイド)という呼称は、連中を発見した当初、奴らの特殊効果(エフェクト)を超能力ではなく、手品や特殊な機材を使った現象だと考えていたからだ」と続けて説明した。

「だから錯覚(イリュージョン)

「左様」と相沢だ。

夢幻亜人(イリュージョノイド)にはそれぞれに、発見した順番に沿った番号と、特殊効果(エフェクト)に合ったコードネームが付けられている。例えば、君が融合した夢幻亜人(イリュージョノイド)は【(ナンバー)4】ビーストだ」

「ビースト」

「その名の通り、獣になる特殊効果(エフェクト)を持った夢幻亜人(イリュージョノイド)です」と今後は柾だ。彼女の視線がモニターに移ったので、オレもそれに目をやった。

「これを御覧下さい」

 モニターに獣の静止画が映る。沼のように汚らしい緑色に濡れた化け物である。頭は熊のようだが、耳は狼のように立っている。体格はゴリラを思わせるように筋骨隆々であり、鳩尾(みぞおち)から腹……(てのひら)以外はすべて黒い体毛に覆われている。いや、よく見ると両目を囲む丸みを帯びた菱形模様と、その(かど)にあたる二つの目頭を繋ぐ線、その線の中心から鼻筋にかけて伸びる線は、どうやら青い体毛らしい。そんな模様が胴体や首にもあって、左右の大胸筋を縁取るように線が沿い、首全体を覆う青い毛は両肩を渡って肘に向かい手首に辿り着くのだが、両肘と両手首も首同様……青い毛が各部に嵌めた輪のごとく帯びている。腹と掌といった露出している肌は紺色だった。

「これが、ビースト」と、オレは思わず呟いた。

「そうだ。これが、お前が食べた脳みその持ち主だ」

 十文字だ。

「ちなみに、奴の体についた汚い液体は、奴の血だ」

 言われなくても察しはつく。オレは一瞬だけ流し目で十文字を睨み、すぐにモニターに視線を戻した。そして気付いた。

「この写真、落石があった川の近くじゃ?」

「そうだ。柾くん……」と相沢が促す。

「昨夜、あなたが山道(さんどう)を移動しているほぼ同時刻・同じ場所で、我々はビーストの駆除を行っていました」

「つまり、私はそれにたまたま巻き込まれたと?」

「そうだ」と、次は十文字だ。

「駆除の途中に、ビーストが馬鹿力で岩を転がしてくれたもんだから、お前は無駄に巻き込まれるわ、僕らはビーストを無事に回収できなかったわ、散々な結果になった」

 よく憎まれ口をたたく奴だ。さらに「なんで態々(わざわざ)、気味の悪いキノコなんか食べようと思ったのか。全く理解に苦しむ」とまで付け足したが、自分でも確かにそうだと小さく苦笑した。

 とにもかくにも、オレはその捜査課の研究対象として管理下に置かれた訳だが、唯一の希望は、その夢幻亜人(イリュージョノイド)の生態や能力を駆使すれば、死んだ妻と息子を生き返らせることが出来るかも知れないという事だ。このたった一つの希望だけで、オレの心に空いていた大きな穴が、少しだけ塞がった気がしたし、捜査課の実験台でも化け物退治でもやってやるという気持ちになれた。


 オレは今、目が覚めたときにいたあの部屋にいる。真ッ白で殺風景なあの部屋だ。最初は気づかなかったが、ベッドの脇にサイドボードが置かれていて、ほかにも壁には受話器がついていた。ボタンが一つしかなく、どうやら此方(こちら)とオレの世話係かなにかと繋ぐための回線なのだろう。ただ、それ以外は天井にカメラが付いているだけで、窓すらない部屋である。やることのないオレは、ベッドに横になってボンヤリする。それからどれだけ時間が経ったのか分からない。なにせ時計すらないのだ。

 突然、警報が鳴った。何事かと、オレは上体を起こして受話器に手に取ろうとした瞬間、扉からノックがした。

「僕だ。十文字だ。開けるぞ」と声がしたかと思えば、十文字が扉を開けた。オレはすぐさま扉の前に移動する。十文字はさっきまでしていなかった眼鏡を掛けている。

夢幻亜人(イリュージョノイド)の出現連絡があった。今の警報がその合図だ、覚えておけ。じゃあ行くぞ」

「早速ですか?」

「そうだ。急げ」

 言われるがままにオレは十文字に付いて行った。オレはすでに病衣から普通の洋服に着替えている。十文字に導かれるまま建物の中を小走りで移動して、駐車場にあった一見普通の自動車の助手席に座り、運転席には十文字が乗った。車は発進して、長いトンネルを走る。

「このトンネルは?」とオレは、十文字に尋ねた。

「公安の機密施設から出るんだ。部外者には場所が知られないような仕組みになっているんだ」

「はあ」

 川の支流が本流と合流するかのように、オレを乗せた車は恐らく別のトンネルに入る。このトンネルは一般のトンネルなのだろうか。

「そうだ。現場に着く前に、お前に言っておく事がある」

「なんですか?」

「まず、うちの捜査課だが、夢幻亜人(イリュージョノイド)に対しては調査班・研究班、そして駆除班の三つに分かれて行動している。僕らはその駆除班になる」

「はあ……」

「次に、前にも言ったが、お前は酒井佳春ではなく、今はもう早瀬(たかし)という架空の人間だ。それを忘れるな」

「はあ……」

 こいつ、ちゃんと分かったのか? などと思ったのだろう。十文字は小さく舌打ちした。

「そして、今から夢幻亜人(イリュージョノイド)の駆除をしに行くわけだが、場所は郊外よりもっと離れた山奥の寺だ。小さい寺の上に、電気も通っていないらしい」

 トンネルを抜ける。すでに夕方だった。オレは黙って、山々の向こうに沈みゆく赤い夕日を眺めた。

「それで、一般人と遭遇する可能性があるから、僕とお前は従兄弟(いとこ)という事にする」

「従兄弟ですか」

 オレは十文字を見た。

「そうだ。従兄弟同士で親戚の家に行く途中、行き慣れない場所で道に迷った。カーナビは故障していて、僕の携帯電話は電池切れ、お前に至っては携帯電話を家に忘れて来た……とまあ、不自然な感じもするが、ありそうと言えば、ありそうな話だ」

「はあ……」

「それと、僕に対して敬語を使うな」

「え?」

「当たり前だろ、従兄弟なんだから。一緒に行動するくらいなんだから、他人行儀で行動するのは不自然だ」

「わかりました」

「おい!」

「わ、分かったよ」

 十文字は鼻から息をついた。

「現場に着いたら、お前の自動車の免許証を渡す。年齢や住所はそれに合わせて行動してくれ。ちなみに僕の名前はそのまま十文字ゲンで、年は二十八だ。」

「ああ」

 そこから互いに一言も発することなく、現場だという山まで車は走り続けた。その山の麓に着いたときには、すでに日は暮れていた。さらに中腹まで、まるで迷路のような山道(やまみち)を上り、寺の駐車場で車を止めた。駐車場といっても車三台も止めれば満車という狭い場所だ。オレ達は車を降りて辺りを見るが、明かりが全くない真ッ暗なところである。

「ここからは歩くぞ」

 十文字はそう言って、懐中電燈で辺りを照らした。

「えっと、十文字――」

「ゲンだ。下の名前で呼べ。忘れたのなら、いま覚えろ」

 十文字がオレに近づくと、免許証を差し出してきた。オレの名前・生年月日・住所もすべてデタラメである。オレは酒井佳春・三十四歳ではなく、十文字が言ったように早瀬岳三十二歳という事になっていた。

「言い忘れていたが、お前は未婚の独身者という事になっている。忘れるなよ」

 そうかい。

「じゃあ、行くぞ」

 そう言って歩き出した十文字に、オレは黙って付いて行く。駐車場から寺に向かう参道の左右には無数の地蔵が並んでいて、その奥には墓まで並んでいる。その奥は深い森だった。

「なんだか気味が悪いな」

 夜中だから一層そう思う。

「寺だからな。近くに地蔵や墓地があっても、おかしくないだろ」

 十文字はそう言って吐き捨てる。確かにそうなのだが……。

 しばらく歩くと寺の門があった。掲げられた寺の名前に光を当てるが、木製の表札はすでに朽ちていて「寺」の字しか読めなかった。門をくぐると境内は思いのほか広かったが、暗くてよく見えない。奥には小さな寺がポツンと建っているのだが、いつ崩れてもおかしくないほどに朽ち果てているように見えた。

「こんなところに夢幻亜人(イリュージョノイド)がいるのか?」

 オレは十文字に聞くと、「こんな辺鄙(へんぴ)なところでも、どこで誰が聞いているのか分からない。夢幻亜人(イリュージョノイド)のことは『奴』と言え」と小さく返された。

 十文字が寺の戸を開ける。部屋の奥に十本ほどの蝋燭に火が燈っているのが見えた。

「どなたですか?」

 暗闇から声がした。オレは思わず緊張する。声の主は、不思議そうな顔をしてこちら見る山伏姿の男だった。

「すみません。道に迷った者なんですが……」

 十文字が落ち着き払って答える。

「この辺の道が思っていた以上に複雑で……」

「この辺は地元の人間でも迷うような所ですからね」と、山伏姿の男は小さく笑った。

「ええ。こんなときにカーナビは壊れるし、携帯電話の電池は切れてしまうしで最悪ですよ」と十文字が笑顔を見せる。

「道に不案内なら夜道は危険だ。この辺は電気も通っていないので電燈なんて無いし、車道にはガードレールもない。宜しければ、今夜はここに泊まって下さい」

「では、お言葉に甘えてお邪魔しよう」

 十文字が寺に上がり、オレも失礼しますと後に続く。オレ達三人は三角形を作るように向かい合って座った。

「ところで、この寺は一体?」と十文字が、山伏姿の男に尋ねた。

「この寺は、誰も住んでいない寺ですよ。今は修験者や道に迷われた方が寝泊まり出来るように、基本戸締りもしていません。それが祟ったのか、何年か前に泥棒に入られましてね。この寺にあった仏像が盗まれてしまったんです」

「仏像が?」とオレだ。

「ええ。そこに置かれていました」

 男が、蝋燭立てのあるほうを向く。壁にはなにかの梵字が書かれた掛け軸が吊るされていて、手前には木魚もあった。どうやら仏像を安置する場所だったらしい。

「金属を狙った泥棒だったらしく、金属製のものは(ほとん)ど盗まれてしまいました。まあ、六十年ほどしか歴史のない寺なので、文化的な被害は大してないようですが、全く罰当たりな者もいたものです」

 そう言いつつ男は笑っている。

「布団も五人分あるはずなので、今日はなんとかなるでしょう」

 オレはあとで気付いたが、オレの背後に和室があり、本堂の礼拝場所と合わせれば大人五六人は寝転べるはずである。ただ、男が言うように電気は通ってないらしく、天井には豆電球すら無かった。

「お腹が空いたのなら、押し入れの下に食糧と飲み物があるはずです」

「勝手に戴いても構わないんですか?」とオレだ。

「構いませんよ。確かに、欲張って全部取られるのは迷惑ですが、ここの食糧などは困った人のためにあるものですから」

「ところで、あなたも道に迷われたんですか?」

 十文字が男に尋ねた。

「いえ、私は山の麓にある寺で住職をやっています。ああ、ちなみにこの寺自体は別の方が管理しています。そうだ、名乗るのを忘れていましたね。私は伊藤(いとう)と申します。管理している方も、もう少ししたら来ると思いますよ」

「そうでしたか。ちなみに私達は、私が十文字で、こっちが早瀬です」

「ほう。失礼だが、どのような御関係で?」

「従兄弟ですよ。親戚の家に行く途中、迷子になってしまって」と十文字は笑った。

「ならば親戚のかたも心配してるでしょうなあ」

「用事自体は明日(あす)なので、今日は行けたら行くと伝えておりましたので」

「そうですか」と伊藤は頬笑んだ。

「ところで、あなたはどうしてこんな所にいらっしゃるんですか?」

「私ですか? 私は見ての通りの山伏ですよ。週末には山に引き籠もって修行をしております」

「修行ですか?」

 オレがそう返すと、伊藤は「ええ」とだけ答えて(うつむ)いた。気付けばさっきまでの笑みは消えている。

「実は以前、大病を(わずら)いましてね。生死の境を彷徨(さまよ)ったことがあるんです。恐らく死ぬであろうことは、医師に聞くまでもなく分かっておりましたし、覚悟もしてました。自分の死後、自分の寺はどうなるのか、家族はどうなるのか、私の人生は一体なんだったのか。余命幾許(いくばく)もない状況で、病院のベッドの上で暇に任せてそんなことをばかり考えておりました。ですが、天の気紛(きまぐ)れか、たまたま私の運が良かったのか、私は奇跡的に生き延びて、そんな時にふと思ったのです。私はなぜ生きているのか。はたまた何者かに生かされたのか。心の中で自問自答を繰り返しました。幸か不幸か、私の実家は仏門で、しかも長男だったこともあって嫌々ながらではありますが、実家の寺を継いでおりました。その影響も大きかったのでしょう。私は、私と同じ病気で死んでいった数多(あまた)の命を思い出しながら、彼らからすれば卑怯にも生き延びました。運が良かったと言ってしまえば、それで終いではありますが、同じ不幸の下にありながら、私が生き延びた理由、彼らが死ななければならなかった理由を、仏の道を通して知りたかったのです」

 オレは黙って伊藤の話に聞き入っていた。

「まあ、実家が寺でなければ、恐らくここまで深く考えなかったかも知れませんがね」と締め括った伊藤に笑顔が戻る。

 オレは自分の妻と息子のことに思いを馳せた。半年前に事故に遭って、家族は死んで不運にも自分だけが生き延びてしまった。しかもその()は落石に遭い、さらには変なキノコを食べてもまだしぶとく生きている。何故(なぜ)あの事故で妻と息子が死ななければ成らなかったのか。なぜ自分だけ生き延びてしまったのか。そう細々と考えているうちに、もう二人の笑顔も、()ねたり怒ったりした顔も永遠に見ることが出来ないばかりか、時の流れと共に二人は記憶から風化してしまうのかと思うと、胸が苦しくなった。

 入口の戸からノックの音がした。戸が開いたかと思えば、筋肉質の相撲取りを思わせるガタイのいい坊主頭の男が立っていた。

「いやあ、伊藤さん。遅くなりました。おっと、ほかにお客さんで?」

 男が笑顔を見せてそう言った。

山村(やまむら)さん、遅かったですね」と伊藤も笑った。

「ええ、道に迷いましてね。おっと、失礼。私はこの寺を管理しています、山村と申す者です」

「こちらの方々は、十文字さんと早瀬さん。親戚のお宅に向かわれる途中で、道に迷われたそうです」

「そうでしたか。どうも」

 山村が軽くお辞儀をしたので、オレ達も釣られて「どうも」とお辞儀を返した。

 そのあとは四人で向かい合いながら、他愛もない雑談をする。伊藤や山村の問いかけを十文字はうまく受け流すが、オレは四苦八苦しながら受け答えをした。十文字も、オレがうまく対処できるかどうかヒヤヒヤしていただろう。正直なところ、なにを聞かれてなんと返したのか、まるで覚えていない。

 ふと、十文字が腕時計を見る。

「おい、岳」

 そうオレの名を呼ぶと立ち上がった。

「どうされました?」と山村が尋ねてきた。

明日(あす)の相談ですよ」

 十文字がそう言って頬笑むと、オレのほうを見るなり外に出ろと言いたげに首を振った。

「では、ちょっと失礼して……」などと言いながら、オレは十文字と一緒に外に出る。

 回廊を歩いて和室の端まで移動すると、その少し奥には小屋があって、回廊とは渡り廊下で繋がっていた。

 小さな声で十文字が言う。

「あの山村が夢幻亜人(イリュージョノイド)だ」

 唐突に言われたものだから驚いて、思わず「ええ!」と声を上げてしまった。

「静かにしろ。奴に聞こえる」

「なんで山村が夢幻亜人(イリュージョノイド)だって分かったんだ?」

「この眼鏡で分かるんだ」

 十文字が掛けている眼鏡だ。

「お洒落じゃなかったのか」

「当たり前だ。夢幻亜人(イリュージョノイド)は特殊なエネルギーを発していて、この眼鏡はそれを感知できるんだ。だから、奴らが人間に擬態していたとしても見破ることが出来る」

「でも、伊藤さんは山村が夢幻亜人(イリュージョノイド)だと知らずに親しくなって――」

「いや、伊藤と山村が知り合ったときは、山村は夢幻亜人(イリュージョノイド)ではなかったのかも知れない」と十文字は言った。

 どういう事か聞いてみると、どうやら夢幻亜人(イリュージョノイド)は人間に、しかも他人そっくりに擬態できるらしい。つまり、今の山村が夢幻亜人(イリュージョノイド)という事は、すでに本物の山村さんは夢幻亜人(イリュージョノイド)に始末されて、しかも成り代わられてしまったというのだ。

「寒気がするほど怖い話だ。で、今の山村のなんとかっていう特殊能力は何なんだ?」

「そこまでは分からない。なんせ夢幻亜人(イリュージョノイド)は最近現れた未知の生き物だからな。奴らの特殊効果(エフェクト)を知る機能はまだ開発されていない」

「じゃあ――」

 オレが喋ろうとした瞬間、十文字の人差し指が奴の口元で天を指した。

「誰か来た」

 小さかった声がさらに小さくなる。オレが振り向くと、懐中電燈の光らしき点が床を這っている。オレは息を呑んだ。すっと伊藤が現れる。

「おや、ここにいらっしゃったんですか」と彼は頬笑んだ。

「ええ。どうしましたか?」と十文字だ。

「ちょっと用事がありましてね」

「用事?」

 オレの言葉に、伊藤は小屋を軽く指差して「ちょっとトイレにね」と苦笑した。

「そうでしたか」と言い残して、オレ達は本堂に戻った。

 本堂では山村が笑顔で迎えてくれた。十文字は見た感じ普段と同じ……というか、普段より柔和だが、オレは目の前に例の夢幻亜人(イリュージョノイド)とかいう訳の分からない生き物がいると思うと、自然と顔が強張ってしまう。無論、普段通りの表情でいるために努力はしているし、なにより腐っても元役者だ。本堂には蝋燭のわずかな明かりしかないこともあって、山村に悟られている様子もない。

「ところで、山村さんも修験者かなにかですか?」

 十文字が尋ねると、山村が頬笑みながら答える。

「いえ、私はただの住職ですよ。住職と言ってもこの寺ではなく、数十キロ離れたところにある寺ですが。この寺は他界した父が管理したものを受け継いで、まあ……しぶしぶ管理しているようなものなのです」

「修行……みたいな事はしないんですか?」と、今度はオレが尋ねた。

「ええ、私は。今日ここに泊まるのも、夜中に数十キロも車で走るのが億劫だからです。自宅に帰っても、また朝早くにはこっちに来る用事がありますしね。それに伊藤さんや修験者たちにこの寺を貸しているとはいえ、私と伊藤さんは宗派が違います。他にも……こんな風に言ってよいのか分かりませんが、私にはあまり信仰心といったものが無いんです」と山村は苦笑した。さらに続ける。

「私は実家の寺を継いで住職になりましたが、ほとんど惰性です。今さら申し上げるのは恥ずかしいので割愛しますが、もともと私はとある夢を志していましたが、途中で挫折したのです。そこから就職して嫌な上司に()き使われたり、作り笑顔をしながらお得意先の駄々を聞いて頭をペコペコ下げたりというのが嫌だったから、寺の坊主になった……という感じです。毎朝、満員電車の地獄を見ずに済みますしね。まあ、早い話が、私はただのダメ人間なのです」

 ここで山村が一息つく。

「それに比べて伊藤さんは立派な方だ。あの人が修行をなさる理由をお聞きになりましたか?」

「ええ」と十文字。

「あの方の話を聞いて、私は(いささ)か恥ずかしくなりましたよ。同じように小さな宗派の寺を継いで住職になったのに、片やただの惰性で毎日心にもない念仏を唱え、片や仏徒に相応(ふさわ)しく真理を追求しようと()さっている。まるで月と(すっぽん)だ。こんな対極にあるような二人が出会ったというのも奇妙なものだが、これこそが縁というか仏の導きなのかも知れません。もし、こんな私が仏徒として修行をしているのだとすれば、今日のように雑談を通して伊藤さんの説法や講釈を受けることくらいでしょうなあ」

 山村が言い終わるのとほぼ同時に伊藤が戻ってきた。

「おや、なんの話をなさっていたんですか?」

「いやあ、あなたが素晴らしい方だと、お二人に申し上げていたところですよ」

「それはお恥ずかしい」

 そう言って伊藤は笑って床に座った。

 山村が夢幻亜人(イリュージョノイド)である以上、オレと十文字は彼を倒さなければならない。山村はオレ達が夢幻亜人(イリュージョノイド)を駆除するためにここに来たとは気付いていないようだ。出来れば不意打ちで仕留めたいと十文字は思っているだろう。だが、無関係である伊藤を巻き込むわけにもいかない。この寺に泊まる表向きの理由は、単に夜を明かすためである。四人分の布団が敷かれて、あとは伊藤に睡魔が訪れるまでオレ達は明日(あす)になれば忘れているであろう雑談をする。十文字が言っていたように、今のオレは酒井佳春ではなく、架空の人物である早瀬岳であり、彼を即興で演じなければならない。正直、こういう意味のない会話を、しかも無個性というか特徴のない役柄で演じるのは、自動車で()ねられたり、派手に倒されたりといった、かつての仕事でやっていた演技よりも精神的に骨が折れた。

 オレは疲れたのか、断片的に意識が飛んだ。

「おい、お前はもう寝ろ」

 十文字の言葉に素直に甘えて、オレは四人の中で一番早く布団に潜り込んだ。

 体が大きく揺れた。オレは何事かと目を開く。隣の布団では、山伏姿の男が眠っていた。後ろ姿しか見えないが、間違いなく伊藤だろう。オレは天井のほう見る。十文字がオレ見下ろしていた。体が揺れたのは、こいつが足でオレを揺らしていたかららしい。相変わらず失礼な奴だ。オレは腹這いになってボンヤリを辺りを見回すと、山村の姿がない。

「行くぞ」と、十文字が小さな声で告げた。

 とうとう来たか。

 オレは十文字と共に外に出る。十文字は素早く戸を閉めた。懐中電燈の光が境内に走ると、本堂と門とのちょうど真ん中に山村がこちらに背を向けて突ッ立っていた。

「山村さん、なにをしてるんですか?」

 十文字が言った。

「お互い下らない真似事は()めましょう」

「なんのことです?」

「早瀬さんから仲間のニオイがプンプンするんですよ」

 山村が振り返ると同時に、境内を囲むように置いてあった石灯籠に火が燈る。突然のことにオレは「なんだ?!」と戸惑ったのだが、十文字は「動じるな」とだけ言って、懐中電燈をしまう。

 山村が「ふん!」と気合いを入れる。と、奴の体は筋肉が湧き上がるように膨れて、着ていた服が破けた。それだけではない。体色の地が黒に近い灰色で、顎の先を底辺にした耳に向かって太いV字型の赤い筋が、鼻筋の中間を中心にして頬に広がる太いW字の赤い筋まで浮かび上がった。

「へ、変身した!」

「あの色、見た目からすると【№(ナンバー)7】のインパクトだな。それにしても、奴ら夢幻亜人(イリュージョノイド)はニオイで仲間を識別できるのか。文字通り嗅覚なのか単なる例えなのかハッキリしないが、それでも貴重な情報だ」

 オレとは違って、十文字はこんな時でも冷静だった。

「お前も夢幻亜人(イリュージョノイド)に変身しろ」

「え? どうやって?」

 オレは思わず聞いた。呆れた様子の十文字はポケットから注射器を取り出したかと思えば、なんの断りもなくそれをオレの首元に刺しやがった。「わッ!」と思わず声を上げてしまったが、注射の痛みは大したことはない。それよりもその瞬間から、脈拍が異常に早くなるのが分かった。全身の筋肉が素早く呼吸する肺のように膨張と収縮を繰り返す。

「うわああああ!」

 遠吠えのごとく叫んだ。服は破けて、気が付くと全身から黒い毛が湧き立ち、爪が鷹のように鋭くなっている。自分の顔を触ってみると、()み上げと顎鬚が生える箇所に目元、額から鼻先にかけても毛が生えている。口元も犬や熊のように長くなっていた。

「おお。予想通り【№4】とそっくりだ」

 十文字だ。オレは両掌を見た。次に腹を見る。なるほど、確かに【№4】のように露出している肌が青黒いし、手首から肩にかけての模様もある。恐らくは顔や首の模様もあるのだろう。それに腕も脚も信じられないくらい太くなっていた。それにしても、いきなり変な注射を打ってオレを化け物にしやがって。そう思ったのを表情から読み取ったのか、「安心しろ。元に戻す薬もある」と十文字は言った。さらに「あいつは口と手から衝撃波を飛ばして来るぞ」と続ける。

「衝撃波?」

「ああ。見えないから注意しろ。気付いたら強い衝撃波を受けて吹ッ飛ぶことになるぞ。僕はお前を援護する。さあ、行け」

 そう言うと、十文字は横に向かって走り出した。オレは山村……いや、インパクトを睨んだ。奴は掌をこちらに向ける。オレは十文字とは逆の方向に走り出す。と、ドンっと音がしたかと思うと、オレになにかが猛烈な勢いで衝突して吹き飛ばされた。大木に叩き付けられて「ぐわッ!」と声を漏らす。

「早瀬。貴様がオレの仲間を取り込んだからと言っても、オレは貴様に手加減してやるつもりはない」

 インパクトはそう言った直後、なにかを素早く(かわ)す。二筋の光がインパクトを横切ったのだ。奴が光の筋を辿ると、拳銃を向けている十文字がいた。

「……光の割には、遅いんだな」

「光そのものというよりは、弾が光っているだけだからな」と十文字は返す。

 インパクトは十文字に掌を向けた。十文字が石燈籠へ走り出す。衝撃音が轟いたかと思えば、その石燈籠は倒されてしまった。衝撃音が鳴り響くたびに十文字は次の石燈籠へ移動しそれを繰り返す。オレはインパクトに向かって飛び込んだ。返り討ちにしてやると言いたげに、奴はオレのほうを向いて掌を向けた瞬間、頬に光弾を受けて出血し体勢を崩した隙を突いて、オレは奴の脇腹を全力で()ん殴ると数メートル飛んだ。

 奴は頬と脇腹を押さえて痛がっている。オレは十文字のほうを見る。

「なにをしている。援護するから、早く行けって」

 人遣いの荒い奴だ。オレは再びインパクトを見る。と、インパクトはこちらに突進して来た。オレは両腕を前に出して構えた。インパクトがオレに触れようとして来たので、咄嗟(とっさ)に奴の両手首を掴んだ。

「無駄だ!」

 インパクトが大きな口を開き、こちらに向けた。

(かわ)せ!」

 十文字がそう叫んだが、オレは何をどうしていいのか分からなかった。次の瞬間、奴の口から衝撃音がしたかと思えば、オレはそれを頬から首にかけて浴びてしまい、再び吹き飛ばされた。せっかく掴んでいた奴の手首も放してしまう。十文字は光弾で応戦するが、インパクトは光弾を()けたり衝撃波で吹き飛ばす。オレは草木の茂った坂まで飛ばされた。草木が緩衝材になったお陰で、叩き付けられたこと自体は大した事はなかったが、衝撃波を受けたせいでしばらく頭がクラクラした。顔を左右に振って左右の頬を叩いて気合いを入れる。戦闘中の寺は山奥にあるだけあって、生えている周囲の木々は太い。オレはインパクトが十文字に集中しているうちに、近くにあった木に登った。そこから太い枝を力尽くで()し折って、別の太い枝からインパクトに向かって再度飛び込んだ。

「コラあ! 化け物お!」

 オレは槍を向けるように、葉の茂った枝をインパクトに向けた。

「馬鹿め! そんなものが盾になるとでも思ったか!」

 インパクトが掌をこちらに向けて衝撃波を放つ。枝葉が飛び散り舞い上がった。奴は得意気に葉が散った枝を見たが、ふとオレが居ないことに気付く。オレは奴が衝撃波を放った瞬間に、枝を押し出すように投げていた。それにより奴から見て死角を作るのと同時に、奴はオレが枝を掴んでいたために吹き飛ばされたと勝手に思い込んでいた。しかも夜の闇と散った枝葉がオレを隠してくれた。インパクトがオレの位置に気付いた時には、オレは奴の懐に入っていた。オレは渾身の力でインパクトを打ん殴った。奴はオレに攻撃しようと口を開き、両手でオレを押さえ付けようとするが、十文字の援護射撃が奴の顔に当たり、一瞬ひるんだ。オレはその瞬間に、奴の脚に蹴りを入れて体勢を崩し、ラリアットを加えるように、つまり奴の首にオレの腕を強く打ち付けて、奴を地面に叩き付けた。オレは(とど)めに奴の顔を殴ろうとしたとき、奴の手がオレの拳を掴んだ。

 しまった。

 時すでに遅し。奴のもう片方の手がオレの胸に当たり、そして奴の口から放たれる三つの衝撃波を同時に受け、再度吹き飛ばされた。頭部と胸部・右手に衝撃波を同時に受けたオレは飛ばされる最中に意識を失った。

 気が付くと白んだ空が見えた。首を動かしてインパクトがいたほうを見ると、一本のキノコが生えていた。その周囲には、十文字のほかに何人かいる。と、十文字がオレの視線に気づいて近づいて来た。

「途中で気絶したのは落第点だが、初戦にしては、まあ頑張った」

 奴はそう言った。(けな)しているのか褒めているのか分からない。せっかくだから後者にしておこう。

「正直、使い捨てほどの役にも立たないと思っていたからな」

 そう続けやがった。前言を撤回しよう。

「偉そうに……」

 オレは呆れて小さく笑った。

「そんなことより、夢幻亜人(イリュージョノイド)になると服や破けるとはな」

「え?」

 オレは自分の格好を見る。姿はヒトに戻ってはいるが、恥部に掛けられたコート以外はなにも纏っていなかった。

「悪いが、予備の服がないんだ。帰るまではその格好でいてもらうぞ」

 オレは恥ずかしいのか情けないのか、思わず笑いが込み上げた。

 あとから聞いた話だが、伊藤には山村は明け方に()ったと、十文字が伝えたそうだ。よくあんな衝撃音のうるさい場所で眠っていられたと思っていると、どうやら十文字は伊藤にきつめの睡眠薬を打っていたそうだ。他人に成り代わる夢幻亜人(イリュージョノイド)も恐ろしいが、機密組織とはいえ、こいつらもこいつらで十分恐ろしい。

 とにもかくにも、こうしてオレの最初の戦いは終わった。

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