悪役令嬢を溺愛する王太子は乙女ゲームの転生ヒロインに騙されない
ファンタジーの世界ならきっとあるはずの例のアレ。
王太子殿下の婚約者が平民出の聖女を不当に虐げている。
本来ならば貴族のみが通う学院で、当の聖女にそう訴えられた王太子のアンギュストは、自分の婚約者に対する言いがかりに激高しかけた。
アンギュストの婚約者であるテレーズは公爵令嬢だ。当然のように彼女の行動には護衛と高位貴族の友人たちが付いて回る。平民の娘をいじめようものならまず周囲が諌め、それでもおさまらなければアンギュストに報告が来るはずだ。
なによりテレーズとは十歳の頃から育んできた愛と信頼がある。テレーズはそれを裏切ったりしない、確信があった。
しかし聖女アリスは平民でありながら真の聖女『ルキア』を名乗る資格を持つ少女だった。聖女は浄化魔法を使える乙女の総称であり、テレーズも聖女の一人である。ルキアとは、聖女の中でもっとも浄化能力の高い、グランプリーステスのことをいう。
ルキアが現れるのは稀で、世界が危機に陥った時といわれている。乙女がその能力に目覚めると星辰の魔道具を持つハワード伯爵家に保護され貴族と同等の扱いを受けるのだ。学院への入学もその一環だった。
アリスがルキアであると国に報告されたのが一年前。アリスを保護したハワード伯爵は奔放なアリスに戸惑いつつ、身分の垣根なく人と接する彼女をルキアだと断定していた。古い家柄を誇りルキアを保護してきたハワード家の主張を王家も無視はできなかった。
放課後になって廊下で呼び止められたアンギュストは、怒りと迷惑を微笑みで覆い隠した表情でアリスの話を聞いていた。
「テレーズ様はきっと私が邪魔なんです……。私がルキアだから、アンギュスト様を取られるんじゃないかって」
「テレーズがそう言ったのかい?」
ルキアの能力が次代に受け継がれることはない。たしかに国民にはルキアは崇拝の対象として人気だが、それだけだ。ルキアとして魔獣討伐や瘴気を浄化することに従事してもらったほうが、王妃になるよりずっと役に立つだろう。
なにより許しもないのに公爵令嬢と王太子を名前で呼ぶ無礼な娘を妻に、なんて冗談ではない。
「え……っ。い、いえ、テレーズ様にそう言われたわけじゃ……」
わざとらしく「くすん、くすん」と泣いていたアリスはうろたえて言い訳した。アンギュストは彼女にかまわず、アリスの護衛騎士であるテオを見る。
「ロワイヤル公爵令嬢という証拠はありませんが、アリス様が何者かに害されているのは事実です」
ルキアの護衛騎士のプライドと、王家への忠誠をかけた返答にアンギュストはうなずいた。
「で、でも、テレーズ様はいっつもすごい目で睨んできて、私、わたし怖くって……。アンギュスト様っ」
ぷるぷると震えるアリスは庇護欲をそそる。憐れに思ったアンギュストは眉を下げた。
「アリス嬢、それについては私も調査を約束しよう。君はテレーズについて、あまり吹聴しないほうがいい。ロワイヤル公爵家は我が国最大の貴族だ。そんな噂が耳に届けば本当に危険だ」
アリスを保護したハワード家としては彼女とテレーズが仲良くなることを期待して学院に編入させたのだろう。平民のルキアであれば、まず貴族教育を受けてから新入生として入学させるものだ。
テレーズとアリスは同い年、アンギュストとは二学年下になる。王太子の婚約者と近づきになることでその恩恵を得ようとしたのだ。
テレーズもそのつもりで接していたのだろうが、公爵令嬢と平民では基礎教育に差がありすぎる。下手するとアリスの言葉が通じなかった可能性もあった。貴族が使う上流階級の発音や単語と平民の下町言葉はもはや方言レベルで違いすぎるのだ。
アリスはテレーズに睨まれるのがどういう意味を持つのかまったくわかっていないような、自覚のない涙目で縋るようにアンギュストを見つめ、うなずいた。
「テオ、君からもアリス嬢によく教えておくように」
「は、はい、殿下」
テオは一瞬だけ戸惑った。アリスの護衛としてはアリスを守ると言って欲しかったのだろう。真偽の調査は当然だとしても、諌めるべきはアリスではなくテレーズだと思っていたのだ。
アンギュストは王太子である。テレーズについての報告は来ていないが、アリスの行状はいくつか報告が上がっていた。
曰く、
「ルキアであるにもかかわらず、満足に浄化魔法が使えない」
「聖女科クラスが女ばかりであることに不平ばかり言っている」
「男の前だととたんに張り切るのに、なぜかミスを連発する」
「高位貴族、特に王太子と親しい男たちに妙に馴れ馴れしい」
という、なんとも残念な女のようだ。
浄化魔法をミスしたり、満足に使いこなすことができないとは本当にルキアか、と疑問視されそうだが、ハワード家は自信を持って断言している。ルキアを発見できる星辰の魔道具を持ちルキアを保護する役目を持つハワードの誇りにかけても虚偽ではないだろう。
「ようするに、アリスはルキアではあるが、ものすごく性格が悪い女でもある、ということですな」
爽やかな王子様スマイルを浮かべたアンギュストはものすごい毒を吐いた。
放課後王宮に来るように、と呼び出されたテレーズは、長年の付き合いでアンギュストが激怒していることを見抜いてしまった。
呼び出されたのはテレーズだけではない、アンギュストと親しい、側近候補となる友人たちも集められていた。
青味がかった銀髪に満月を宿す金の瞳のアンギュストと対成すような赤い髪に黒い瞳のサミュエルは、王太子の護衛騎士として学院に通っている。背が高く細身でありながら筋肉のついた彼はまるで彫像のような美青年だ。
蜂蜜を透かしたような金髪に浅瀬の海に似た緑青の瞳のマクシムはテレーズの兄で、一流の魔導士としても有名な男だった。アンギュストより一つ上の学年なのだが、たれ目で童顔なせいでテレーズの弟だとよく間違われている。
ガスパールは緑の長髪を後ろでまとめ、緑の瞳を眼鏡で隠した、生徒たちに「陰険眼鏡」と陰で言われている学院の教師である。実はガスパールはアンギュストの従兄で、王太子相手に他の教師が萎縮してしまわないよう特別に派遣されたのだ。
アンギュストを除いた三人はアリスの言い分を信じ、すっかり同情していたため、テレーズの顔を見てなぜここに、と疎ましく思っただけに「性格悪い」発言は衝撃だったようだ。
王太子の私室は青を基調とした壁紙と木目がうつくしい家具が並べられ、優雅すぎず落ち着いた雰囲気である。部屋の隅には護衛が控え、アンギュストの後ろには侍従が起立している。
アンギュストと対面の一人掛けソファにテレーズが座り、友人三人はアンギュストとテレーズの間にある二人掛けソファにサミュエルとマクシム、二人の正面にガスパールが座っている。長方形に囲まれた中央にはガラスのテーブルが置かれ、紅茶と茶菓子が用意されていた。
「ま、待ってください。アリスは被害者ですよ? それを性格が悪いと言うのはあんまりではありませんか」
騎士としてか弱い女性を守らねばと思っているのだろう。サミュエルが反論した。
「そうです。テレーズに支配されたクラスで白眼視されているのに、そのクラスで聞き込みを行ったのではアリスに不利な結果になるに決まっています」
マクシムが妹を失望したように蔑んだ目で睨みつけた。平民であってもアリスはルキアなのだから、テレーズたちが彼女に合わせるべきである。
「大方自分がルキアではないのを逆恨みしての犯行でしょう? ルキアであることに身分は関係ありませんよ」
テレーズに向かってフンと鼻で笑い、ガスパールが嘲った。
テレーズはこれはそうとうアリスにやられているな、と思い、アンギュストを窺った。
さっきからアンギュストの怒りがどんどん膨らんでいるのに、どうしてこの男たちは気がつかないのだろう。
自分が怒られているわけではないのに怖い。静かに、ひたひたと底冷えする怖さだ。
「うん。君たちがそう言うのは見当がついておりました。これはテレーズのクラスではなく、合同授業のクラスや、浄化の際に同行する騎士と魔導士たちに聞いた総評となります」
にこぉっとアンギュストの笑みが深くなる。同時に迫力も大きくなる。
調査に文句をつけてくるのを予想していたから、平等な判断ができる第三者の証言を集めたのだ。
「そもそもアリス嬢が言っていたいじめですが、君たちはテレーズがやっているのを見たことがあるのですかな?」
「それはっ、……」
勢い込んだサミュエルは思い出したのだろう。マクシムもハッとしたようにテレーズを見た。
浄化魔法を使える聖女の一人であるテレーズは、要請があれば学院を休んで魔獣討伐や浄化に行く。数日間、時には一ヶ月も休むこともあった。公爵令嬢として未来の王太子妃として、ノブレスオブリージュを実践しているのだ。
そしてそれはテレーズだけではなく、聖女科の貴族令嬢はほとんど同じである。
貴族として、幼い頃から家庭教師が付いて勉強してきたテレーズたちは、学力だけなら今すぐ卒業できるほどになっている。なのになぜ学院に通うのかというと、自宅ではけして身に付かない、社会勉強のためである。
魔獣討伐には危険がつきまとう。騎士と魔導士が同道し、時には身分が上の、テレーズのような令嬢とも行動を共にしなければならないのだ。自宅と同じように主人ぶっていたら、たちまち足元をすくわれる。
自分より上の者、下の者。身分が低くても剣や魔法に優れている者。身分が高くても実技能力は劣るが、その他が優れた者。様々な貴族と接することで社会の広さと人との繋がり、そして貴族の役目を学ぶのだ。
ちなみにテレーズは非の打ち所がないパーフェクトレディと絶賛されている。剣を持ってはデビルベアーを打ち倒し、魔法を使わせれば浄化であらゆるものを癒す。王太子妃教育の一環で慈善活動として孤児院の訪問なども行うので、弱い立場の人々にもやさしく寛容だと人気者だ。
とろりと煮詰めた蜂蜜のような濃い金髪と、春の青空のような蒼く透き通った瞳の美少女。凛々しい瞳の彼女は女が理想と描く女性像そのものだ。おまけにリーダーシップがあり、テレーズに憧れる者は男女問わず多い。
そんなテレーズをむしろ誇りに思い、溺愛しているアンギュストは、彼女の隣に立つのは自分だけだ、と自己鍛錬を怠らない。テレーズに愛されている自信に裏打ちされた強さを秘めていた。
「ですがっ、アリスが嘘を吐く必要はありません! きっと誰にも見られないところでこっそり……」
まだ言い募るサミュエルを、アンギュストは冷たい瞳で封じ込める。大寒波到来にテレーズは肩を震わせた。
「アリス嬢が満足に浄化できないのは事実ですな。彼女の討伐部隊は成功率が極めて低い。まだ未熟なルキアに配慮して精鋭を送っているというのにこのていたらくでは、能力を疑うのも無理はありませんな」
ここでサミュエルたちは、アンギュストが怒っていることに気がついた。
アンギュストは怒ると口調がひどく古風な、幼い子供を叱るような口調に変わる。友人、従兄弟としてではなく、無様な半人前の部下を見る目だった。
すぅ、と蒼ざめた兄たちに、テレーズはほっと息を吐く。王太子にここまで言われてようやく自分たちが証拠もなくテレーズを非難していたことを自覚したらしい。
「ですが、君たちがアリス嬢を大切に思っていることは伝わりました」
アンギュストが合図をすると、後ろで控えていた侍従が預かっていたものを彼に差し出した。ことん、とガラスのテーブルに置かれた薬品瓶に、三人が蒼ざめたまま固まった。
「そこで国王陛下にお願いして特別にこれを用意させていただきました」
アンギュストは言葉を区切り、どうして三人がおびえているのかわからない、とばかりに小首をかしげ、三人の顔を順に見回した。
「真実薬です」
真実薬とは、服用すると一定時間は真実しか話せなくなる、裁判などで用いられる魔法薬である。
魔法薬なので体内の魔力に反応し、強大な魔力を持つ者には絶大な効果を、同時に薬でもあるため魔力の乏しい者でも効果を発揮するという、どんな相手にも必ず効く恐ろしい薬だった。
「で、殿下……。相手はルキアですし、何もそこまで……」
「何を言っているのですかマクシム。ルキアだからこそですぞ。真の聖女たる彼女に瑕疵があってはなりませんからな。なに、アリス嬢の言っていたことが嘘でなければ良いだけです」
そこでマクシムは思い出した。アンギュストがテレーズを溺愛していることを……。
過去テレーズにちょっかいをかけた男や嫉妬した女たちを権力を使って叩き潰していた恐怖を……。
虫も殺さないような顔をした、人々の規範となるべき王太子殿下そのもののアンギュストが、テレーズのことになると虫を殺すように気軽に手を汚すことにためらいがないことを。
「では、テレーズはこれを飲めますかな?」
「もちろんですわアンギュスト様」
いきなり話を振られて内心驚きつつもテレーズは即答した。ここはテレーズとアンギュストが強い絆で結ばれていることを知らしめる場面だ。
真実薬を受け取ったテレーゼは封を解くと、ひと息で飲み干した。無味無臭と聞いていたが、ほのかに草っぽい匂いがした。
「テレーズ……」
マクシムが呆然と妹を呼んだ。
何を驚くことがあるのかしら、とテレーズは口を開く。
「わたくしは、神に誓ってアン兄様や我がロワイヤル公爵家に恥じるふるまいなど致しておりません。ましてアン兄様がわたくしを害するなどありえないことも存じております」
「懐かしいな、その呼び方」
アンギュストが怒りではなく愛しさで微笑んだ。
「あの頃のわたくしはなぜアンギュスト様と離れて暮らさねばならないのかわからなくて……。家族になればずっと一緒にいられると思い込んだのですわ」
テレーズが恥ずかしそうに兄様呼びの理由を告げる。幼い頃のテレーズはそれこそ実の兄のマクシムよりアンギュストに懐いていた。
アンギュストの友人として王宮に行ったり、アンギュストが公爵家に遊びに来たりとひんぱんに行き来していたものだ。
またね、と言っても別れるのを拒んで泣くテレーズを思い出し、アンギュストは愛しさでいっぱいになる。あの幼かった少女が、今は王太子の婚約者としてここにいる。テレーズの努力を見てきたアンギュストは感無量だった。
「もうじき本当の家族になれる」
「はい……。嬉しゅうございます。テレーズはずっとずっと、兄様をお慕いしておりました」
「私もだ。嬉しいよ、テレーズ」
「はい、兄……いえ、アンギュスト様」
いきなりいい雰囲気になった二人に、サミュエルとガスパールは真っ赤になった。マクシムは妹が女の顔をしていることになぜかわからない衝撃を受けている。
思えばアリスは気を持たせるようなことを言ってきたが、あんな顔を自分に見せたことはなかった。三人は気づいてしまった。可哀想なアリスを守らねば、と意気込んでいたが、それははたして恋と呼べるのだろうか。
アリスが本当にいじめられているのだとしても、まず自分でなんとかしようと動くべきではないだろうか。彼女には護衛騎士のテオがいる。頼れる相手がいるのだ。ハワード家だって助けてくれるだろう。
それに、もしも大切な人がいるのなら、その人のために頑張ろうと決意するものではないだろうか。アンギュストのためにと励む、テレーズのように。
アリスの真実は一体どこにあるのか。そんな思いの中、決行日はやってきた。
ルキアとしてアリスを敬っているハワード家に渡せばすり替えられる可能性もあるため、アンギュストは登校したアリスをテラスに呼び出すことにした。
「おはようございます、アンギュスト様! あの、お話って……?」
ややピンクがかった茶色い髪は緩やかにウェーブを描き、大きくぱっちりとした桃色の瞳は甘えを含んで潤んでいる。小動物めいたアリスにアンギュストは内心の怒りを隠して迎えた。
「朝からわざわざお越しいただき感謝いたします。テオも入りなさい。さすがにレディと二人きりになるわけにはいきませんからな」
「はっ。失礼いたします」
一礼して入ってきたテオに、一瞬アリスの顔が忌々しげに歪んだのをアンギュストは見逃さなかった。
テラスはちょっとした茶会や放課後の一休みに使用されることが多い人気の場所だ。貴族の通う学園らしく整えられた庭園が見え、小鳥が歌うのが近くで見える。
「ひとまずお茶をどうぞ。甘味が好きだと伺いましたので菓子も用意してありますぞ」
「わあ、ありがとうございます。あの、私もアンギュスト様にお菓子を焼いてきたんです」
アリスが鞄からクッキーを包んだ袋を取り出した。テオがぎょっとしている。アンギュストは笑顔で受け取った。
王太子殿下に素人が作った菓子を食べてもらえるはずがない。案の定、アンギュストはそれを従者に渡してしまった。昔から、令嬢たちに手作り菓子を貰った中に『愛の雫』という、いわゆる惚れ薬を盛られたり、毒入りだったこともある王太子だ。笑顔で受け取ってもらえただけで満足すべきである。
不満そうに唇を尖らせるアリスは、その顔を可愛いと思っているらしい。アンギュストに再度勧められ、彼が淹れた真実薬入りの紅茶を飲んだ。テレーズの意見を取り入れてイチゴのフレーバーだ。
「話というのは他でもありません。先日言っていたテレーズによるいじめの件です」
菓子を勧め、アリスが紅茶を飲み干すのを待ってアンギュストが切り出した。さて、どんな反応をするか――。
「やった! ついにあの女を断罪できるのね!」
アリスが手を叩いて喜んだ。
テオが衝撃を受けた表情で固まり、笑顔のままのアンギュストを見て聞き間違いかと声をかける。
「あの、アリス様」
「なによ、テオ。あんたは黙ってて。あーやっと一章終わるわ。あの女がイジメてきてそれをきっかけにルキアの力に目覚めるのに、あの女ちっともイジメてこないし。まったく、おかげで自作自演なんてダッサイことしなくちゃならなかったじゃない。ラスボスのくせに役に立たないんだから……!」
アンギュストはますます笑顔になった。
「そうか。頑張ってきたのですな」
「そうよ~。ああでもここでアンギュスト様に呼び出されるってことはアンルート確定よね! アンは溺愛してくるのがうっとおしいけどそこがいいのよね。贅沢できるし。顔だけならマクシムなんだけど、あいつ妹の責任とるって旅に出ちゃうし。貧乏はちょっとね~」
「テレーズが国に仇を成し、マクシムが旅に出ると? なぜそう言いきれるのです」
テオはもはや言葉もなく、口だけをぱくぱくと動かしている。
アンギュストの顔から笑みが消えたことに気づかず、アリスは気持ちよさそうに話し続けた。
「え、だってここ「聖戦のルキア」の世界だもん! 推しのアン様に会えるなんて転生してラッキー! 神様に感謝したわ。フルコンプしたし六股かけたりずいぶんやりこんだっけ」
「……「聖戦のルキア」? テレーズがラスボスというのはそれに書いてあったのですか?」
「テレーズの場合は友情ルートとラスボスルートがあるの! 一章でアンギュストルートが確定するとアリスへの憎しみで瘴気を取り込んでラスボスになっちゃうんだけどね。でもさー、いくら憎いって言っても魔王の死体食べるってあの女頭オカシイわ。千年前だよ? フツーにミイラになってるわ! 魔王ジャーキーとか笑えるんですけどー!」
何がおかしいのかアリスは下品に笑っている。テオは吐きそうな顔をして口元を押さえていた。
つまり、アリスはここが「聖戦のルキア」という物語の世界だと思っていて、アンギュストと結ばれるために自作自演でテレーズのいじめをでっちあげたのだ。
この茶会が物語の区切りとなる一章の終盤。ここでアリスを呼び出した人物とのルートが確定するのだろう。
そしてテレーズはアンギュストの裏切りに絶望し、魔王を喰らうことでラスボスというものになってしまうのだ。
「すごいですな、アリス嬢は何でも知っているのですね。フルコンプや六股、というのはどうやったのかお聞きしたいものです」
アンギュストは話し疲れたアリスのために、二杯目の真実薬入り紅茶を淹れた。
アリスは紅茶を飲み、これも真実薬を混ぜた菓子を食べ、得意げに語る。
「フルコンプは攻略本あれば楽だけど、六股は難しかったなー。聖ルキに逆ハールートないし」
逆ハーの意味はわからなかったが、アンギュストは相槌を打って続きを促した。
「コツはねえ、途中までテレーズとの友情ルートを進めるの。四章以降で各キャラ好感度最大まで持ってくのきついけど、戦闘捨ててデートやプレゼントで攻めてけばオッケー。ただしそれだと魔王戦きついから、キャラの星獣集めて成長アイテム使えばなんとかいける」
「……魔王? テレーズがラスボスになるのではなかったのですかな?」
「友情ルートは魔王復活なの。四章でラスボスがどっちになるかの選択肢あるから、間違えなければ魔王復活する。友情ルートだとさー、さんざんアリスをいじめてきたテレーズがいい子ちゃんになっててムカつくんだよね。しょせんあたしの引き立て役なんだから、最初っから邪魔すんなっつーの! なーにが「聖女となってアン兄様のお側にいたかった」よ、ラスボスがあんたにはお似合いよ! ザマーミロッ! きゃはははっ」
とうとうテオが倒れた。護衛騎士としてあるまじき失態だが、彼は純粋にアリスを信じていたのだろう。ぺらぺらとテレーゼへの悪意を吐きまくるアリスに脳が拒否反応を起こしたのだ。
「あれ? テオどーしたの?」
「立ちくらみでも起こしたのだろう」
アンギュストは適当なことを言って従者を呼び、テオに回復体位を取らせると衛兵を呼びに行かせた。
アリスの言った通りなら、テレーズがラスボスになるのはアリスのせいである。
初対面から王太子を名前で呼ぶ無礼、公爵令嬢を貶める虚偽、さらにアンギュストをはじめとする、次代を担う高位貴族の令息へのおぞましい企み。
「君は、誰かな?」
とてもルキアのすることとは思えなかった。聖女は浄化魔法の適性がある乙女なら誰でもなれるが、ルキアは心の清らかな乙女が星辰によって選ばれるのである。
「やばい、名前入力画面のアン様じゃん……!」
わけのわからない発言で人心を惑わすアリスが『ルキア』のはずがなかった。
「デフォ名はアリスだけど、この声であたしの名前呼んでくれんの? うれしー……。転生してほんっと良かった……」
アリスの口から出てきたのは、不思議な響きを持つ名前だった。アリス、ではない。別人の名前。
その瞬間、カッと目を開いたテオが彼女に躍りかかった。
「貴様! アリス様をどこにやった!!」
「きゃあああああっ!?」
力任せに引き倒し、上に乗り上げて髪を摑み彼女の頭部を床に叩きつける。
「テオ、止めなされ!」
「アリス様を、俺のルキアをどうした!? どこにやった!? この偽者がっ!」
「痛い、痛いイタイ! テオ止めて、あんたあたしにこんなことして」
「黙れ!」
ガツン! と一際強く打ち付けられ、彼女は痛みと恐怖に泣きだした。テオは鬼の形相で偽者のアリスを射殺さんばかりに睨みつけている。アンギュストが後ろから羽交い締めにして止めていなければ剣を抜いていただろう。
「衛兵! 衛兵!」
近づく足音に向かってアンギュストが呼ばわれば、足音が早くなった。
現れた衛兵はこの有り様を見てぎょっと息を飲み、ルキアに乱暴したテオを取り押さえようと動いた。
「待ちなさい。テオではなくそこの女を連行しなさい」
「アン!? なんで……っ」
「しかし、その方はルキア様では……?」
ルキアを拘束、連行して良いものか迷う衛兵にアンギュストが真実を告げる。
「その女はルキア、アリスではない。先程自白した。連れて行け!!」
「なっ!?」
「はっ!!」
王太子の威に触れた衛兵はいっせいに敬礼を捧げると、後ろ手に彼女を拘束した。
「っざけんじゃないわよ、ちょっと! あたしにしか世界は救えないのよ!? ルキアにこんなことしていいと思ってんの!?」
「黙れ偽者が! 貴様などルキアではない!」
テオの一喝に一瞬呆けた彼女だが、怒りに火が付いたようにさらに喚きだした。衛兵を振り解こうと暴れながら連行されていく。
「テオ……」
「……」
やがて声が遠ざかるとテオが膝をついて泣きだした。アンギュストがテオの背中をそっと撫でる。
「テオ、辛かったな。あの女は偽者だ、君が罪悪感を抱くことはない」
テオは顔を覆って泣きながら首を振った。
「殿下……違うのです。私は……私はあの方のおかしな部分に気づいて……なのにルキアだからと、見ないふりをしていました……。私が指摘していたら、本物のアリス様、本当のルキアをお救いできたかもしれなかったのに……。私は気づいていたのです、申し訳ありません……っ」
テオは常に彼女と行動を共にしていた。風呂や寝室はさすがに別だったが、護衛騎士として彼女の一番近くにいて、その言動を見ていたのだ。
彼女がサミュエルやマクシム、ガスパールに媚びを売るところも、聖女たちに文句をつけるところも、テレーズにいじめられるどころか挨拶以外の言葉を交わしたことがないのも、すべてを見ていた。
浄化魔法に失敗したのを「まだ慣れていないから」と潤んだ瞳で申し訳なさそうに言われて信じてきた。何もないところで転ぶのだってルキアも人の子なのだとむしろ好意的に受け止めた。
それなのに。
それなのに、テオが信じたルキアは偽者だった。彼女はアリスではなく、アリスに成り代わった別人だ。
「テオ、しっかりしろ。あの女はルキアにしてはお粗末だったが、まるで未来を知っているかのような証言をしている。テレーズを罠に嵌めて魔王にさせるか、もしくは魔王を復活させるつもりなのかは知らんが、世界に危機が迫っていると見ていいだろう。ルキアの仇を取らねばならんぞ」
アンギュストは今の話をどう持っていくか悩んでいた。
証人のつもりでテオを招き入れたが、ルキアが偽者だったと聞かれていたのはまずい。こんなことが広がれば世界が動揺するだろう。
真実薬を飲ませて自白させたとはいえ彼女の発言には意味のわからないことが多かった。
本格的な尋問はこれからになるが、不明な部分も含めて真相解明に努めなければならない。
ハワード家のこともある。星辰により真の聖女を見定めるハワード家が性悪女にまんまと騙されていたなど、あってはならないことだ。
「もしや本物のルキアがどこかにいるのかもしれない。そうしたことはルキアに詳しいハワード家でなくては調べられないでしょう。テオ、君の力が必要なのだ。泣いている場合ではないぞ!」
「私の、力が……」
「君はアリスの、いや、ルキアの護衛騎士だろう。きっとルキアは君を待っているはずだ」
アンギュストの喝にテオは目が覚めたような顔になった。
「ルキア様……。私のルキア。あなたのテオが今参ります!」
今すぐルキアを探しに行きそうなテオを、アンギュストが抑えることになった。
◇
あれから取り調べを続けていくうちに、どうやらアリスが二人いたことがわかった。
アリスは、双子だったのだ。
アリスを名乗っていた偽ルキアはその知識を悪用して真の聖女に成りすました。たしかにルキアは存在し、双子という体も血も魔力も酷似していたことから魔道具が誤作動したらしい。これは今後の課題である。
「あの女が言っていた「聖戦のルキア」というのは物語ではなく、乙女ゲーム、という恋愛を楽しむための指南書のようなものだったらしい」
「恋愛を……。それで、あの……偽アリスは浄化魔法を使いこなすことができなかったんですのね」
テレーゼは自分の感じていた不審がまさかの正解であったことを後悔していた。ルキアに言いがかりをつけるわけにはいかないと黙っていたが、もっと早く何かがおかしいと指摘していたら、彼女に惑わされる男たちはいなかったかもしれない。
彼女が偽ルキアだったと知って、兄のマクシムは落ち込んでいる。見事に騙された自分が公爵を継ぐわけにはいかない、と廃嫡まで言い出して、それではあの偽者の思うツボだと周囲に止められていた。
「そのようだ。聖女としてわずかな浄化魔法は使えたようだが、ルキアに求められるのはもっと大規模な浄化になる。魔獣を討伐するのではなく、野生動物が魔獣化しないよう、森全体の浄化が最低限使えないと話にならない。偽者にはそれはできなかった」
それについてはレベルアップがどうとか、攻略キャラが主体になるとか、わけのわからない供述をしている。これも乙女ゲームの設定だとか。
もちろん彼女の主張を信じる者など皆無だ。真実薬を飲ませたせいとはいえあんな醜態を目の当たりにしては、彼女がルキアだと信じられる者はいないだろう。
衛兵に連行された偽アリスは近くで成り行きを窺っていたマクシムたちとテレーズを見つけると、発狂したように喚きだしたのだ。
「マクシム! サミュエル! ガスパール! 助けなさいよ! あたしはルキアよ!? あたしが愛してあげるっつってんだからありがたがってひれ伏すべきでしょうがぁっ! テレーズ、あんたね!? 悪役令嬢のくせになんでみんなそいつの言うこと聞くのよ!? あんたなんか魔王のミイラを泣きながら貪ってんのがお似合いよ! みんなそいつに騙されてるのよ! テレーズはラスボスで、魔王を復活させるのよ! あたしじゃなくてそいつを捕まえなさいよぉぉっ!」
後ろ手で拘束されているため足をめちゃくちゃに振り上げて暴れる彼女は異様としかいいようがなかった。
「自分の中で作り上げた乙女ゲームに固執し、双子の姉さえ殺した……。どれだけ自分を美化しているのかすべての男は自分に跪き、愛を囁くべきであると信じているようだ。むしろ彼女こそがおぞましい魔王の番か何かだったのでは、と言われている」
偽のアリスは双子の姉がルキアであることに気づき、姉に成りすますために殺した。そういうことになっている。
あんな女が真の聖女であると発表するわけにはいかなかったがゆえの、苦肉の策だ。
真実薬を飲ませたアンギュストでさえ予想しようのない展開だった。城へ連行された彼女は国王と、知らせを受けて駆け付けたハワード伯爵の前でもう一度真実薬を飲まされ、乙女ゲームの内容を暴露した。
彼女の供述には国王のみしか知らない星獣についての話まであり、それを知っている彼女がルキアだとしなければ説明がつかなかったのである。
彼女は自分がルキアだと証明されれば解放されると思っていたようだが、現実は逆だった。彼女の欲望のためにテレーズをラスボス化、あるいは魔王を復活させるわけにはいかないのである。
ラスボスにせよ魔王復活にせよ、世界の混乱は避けられない。そうなったらどれだけの犠牲者が出るだろう。絶対に阻止しなければならなかった。
今、彼女は王宮の地下牢に幽閉されている。乙女ゲームについてはあらかた吐かせたが、他の情報を持っているのでは、と疑われて時折真実薬を飲まされて尋問を受けていた。
ルキアである以上死なせるわけにはいかないため、双子の姉をでっちあげたのだ。彼女はルキアを殺し、高位貴族の令息を徒に惑わせ、テレーズに罪を擦りつけようとした罪により、毒杯を仰いだとして表向きには死んだことになっている。
「なんということ……。双子の姉を手にかけるなんて……。亡くなったルキアが可哀想ですわ。ただルキアであっただけだというのに……」
テレーズのスカイブルーの瞳からほろほろと涙が零れた。
アンギュストの胸をちくりと罪悪感が刺す。
きっかけは、偽アリスがテレーズにいじめられていると訴えてきたことだ。
愛するテレーズがいじめなどという幼稚で卑劣なことをするはずがない。人としても女性としても尊敬しているテレーズが汚された気がして、真実を探ることにした。
それがこんな大事になるとはアンギュストでも思わなかった。真実薬の許可を出した国王も、それでルキアとテレーズの誤解が解けるなら、と考えていただけなのだ。
あまりにも予想外すぎて、アンギュストは父王から「ないとは思うが次に真実薬を使う時は、外ではなく王宮でやれ」と疲れた声で叱責されたし、ルキアを見誤ったとしてハワード家の発言力が低下してしまった。ルキアに期待していた諸外国の突き上げも大きくなっている。
「……泣かないで、テレーズ。ルキアのためにも真実が明らかになったのは良かったのだよ。忘れられたままではあまりに不憫だ」
「ええ……そうですわね。これからはルキアの発見を待つのではなく、平民であっても聖女候補であれば等しく教育できるよう保護していかなければ……」
「それもだが、あまりルキアに頼り切るのもどうかと思うよ。今回の件はいわばルキアへの依存が遠因といえなくもない。我々も力を合わせ、ルキアのみに負担のかかる体制を改めていかなくては」
魔王復活のプロセスと魔王討伐を成功させる情報は得た。魔王を復活させないまま一気呵成に討伐してしまえば良いのだ。
ついでに「聖戦のルキア」の続編についても聞きだせている。次に魔王が復活するのは二作目となる百年後の世界らしいので、後世の子孫に確実に伝えていかなくてはならない。
シリーズ三作目では千年前の魔王戦が描かれ、どうやって一作目に繋がっていくのかが解き明かされていくそうだが、それを今さら知ったところで千年前ではどうしようもない。大切なのは未来だ。
「はい、アンギュスト様。及ばずながら、わたくしも尽力いたします。次なるルキアが……いいえ、ルキアなどおらずとも、人々が平和で幸福に生きていけるように」
アンギュストはテレーズの言葉に目を細めた。
テレーズが望むのならそうしてやろう、と思える。
愛する女性が自分を信じ、自分のために尽くしてくれるのだ。これほど男をやる気にさせる力はない。ルキアなどいなくても、アンギュストはテレーズのためならどこまでも無敵になれる。
「私のテレーズ。愛しています。あなたの瞳を曇らせる者がいたら、たとえ魔王であろうとも私自ら討伐してくれよう」
「まあ、アンギュスト様……。わたくしも、アンギュスト様を愛しておりますわ」
ぽっ、とテレーズは頬を染めた。彼女は知らない。
アンギュストの重すぎる愛が、すでにルキアを討伐したことを。
「聖戦のルキア」
平成に発売された乙女ゲーム。RPG要素のあるやりこみ型乙女ゲームとして人気を博した。逆ハーレムルートはなく、必ず誰か一人を選ばなくてはならない。バッドエンドは魔王討伐に失敗した時のみ。おおルキアよ しんでしまうとは なにごとだ!
誰とも好感度最大にならなかった場合は「そして世界は平和になりました。めでたしめでたし」で終わる。
テレーズにはラスボスルートと友情ルートがある。選択肢によって決まるので、上手くいけばテレーズをラスボスにしないままアンギュストと結ばれることも可能。戦闘では剣と魔法両方使えるテレーズは序盤に大変ありがたいキャラ。
星獣は世界各地の王族のみに伝えられている存在で、各キャラ専属の星獣がいる。イベントクリアで使役できるようになる。戦闘での経験値の他に、星獣のみが食べられる「ルキアのご褒美」という手作りお菓子でのレベルアップ可能。恋愛ばっかりで戦闘してなかったルキアへの救済措置である。
魔獣は瘴気に侵された野生動物が変化したもの。なので討伐ばっかりしていると生態系破壊につながるため聖女たちの出番になる。学院に依頼して瘴気地に適した聖女を派遣するか、ルキアが浄化や討伐に行く。あっちこっちで瘴気が湧くのできちんとやらないと攻略キャラの好感度が下がる。
出てこなかったけどもう一人攻略キャラがいて、城下に住む平民のレオン。貴族社会に疲れたルキアを慰めたり励ましたりしてくれる。黒髪黒瞳のお兄ちゃんぶりたい男の子。ルキアを守るため力に目覚め、星獣に選ばれる。ただし偽アリスには庶民だし贅沢できないし、とほぼ放置されていた。
高位貴族ではあるものの、アンギュスト以外に婚約者はいなかった。基本的に恋愛結婚が主流の世界。
ルキアを中央に、五人の星獣が五芒星を描く奥義はグラフィック、音楽共に素晴らしいと評判。