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第三話 失意と決別と

 第三話です。

 

 文字数が四〇〇〇字を超えるので、ちょっと多いですけど、もしよろしければご拝読よろしくお願い致します。

 

 夕暮れが始まったキャンバスの外で、五十嵐は缶コーヒーを飲みながら、いずれもこの数十年で電気自動車に取って変わった、パトカーや護送車に救急車を眺めていた。

 

 さらに上空を飛ぶ車両も大学に集結していて、かつて提唱されていた近未来がもう現実になっていることを五十嵐に知覚させていた。


「災難でしたね?」


 部下の菅原巡査部長が五十嵐に声をかける。


「平山が殉職したそうだな?」


「えぇ、マル被に職質をかけたら、頸動脈を切られたそうです」

 

 菅原はそう苦虫を噛み潰したような表情で答える。


「上には警察葬が行えるか掛け合ってみるよ」


 五十嵐はそう言った後、救急車で運ばれる負傷者や収納袋に包まれた遺体の数々を眺めていた。


 これは警視庁のキャリア人事にも影響するだろうな?

 

 SAT司令官の警備一課長もさることながら、最悪の場合は総監の辞職か?

 

 五十嵐がそう思考を巡らせていると、菅原が「石田警備部長が自殺したそうです」と耳打ちした。


「遊び相手の子とはいえ、自分の息子がテロを起こしたからな? そして奴は〝教団〟のスパイだ」



「泳がせて、容疑と状況証拠が固まり次第、身柄を拘束するつもりでしたが、行確中に電車に飛び込んだそうです」

 

 行確・・・・・・つまりは行動確認中に自殺したという事だ。

 

 失態だな?


「警視庁の重要ポストにいる官僚が〝教団〟のスパイという事実はマスコミに知られたら、それこそ、天変地異が起きかねないからな。慎重を期していたが、これは痛い」

 

 五十嵐は軽くため息を吐いた。


「まぁ、それはそれで、後任は誰がなる?」


「神奈川県警本部長の小川警視監だそうです」


「奴か? ソルブスユニットには目の上のたんこぶになるかもしれないな?」


「どういう意味です?」


「奴はソルブスユニットを警視庁の金食い虫と言って、不要論を唱える奴さ。恐らくはサッチョウや本部にいる、ソルブスユニット不要論者達の後ろ盾を得たんだろうな?」


「派閥争いですか」


「あぁ、いい迷惑だ」


 五十嵐は缶コーヒーを一気に飲み干す。


 サッチョウ、警察庁を指す隠語で呼ばれるそれは警視庁の隣に立ち、東京都警察である地方機関の警視庁に対して、同庁は全国の警察行政の監督に指導を行う官庁で、一般的には東大出身者が多くを占めていて、捜査活動を行うことは無い。

 

 もっとも、それは原則だが?

 

 そのような考えを五十嵐が巡らせていると、菅原が「しかし、今までの事件はソルブスが無ければ解決していない事件ではあります」と声をかけて、五十嵐を現実の世界に戻す。

 

 それに対して五十嵐は「お前も分かっているとは思うが、警察の警備部はただ事件を防ぐだけでは無くて、事件が起きた時点で警備部長が更迭される仕事だ。すなわち警部部長の考え方によっては俺達、公安部の働きが重要になってくるんだよ」と私見を話した。

 

 そう言った五十嵐はパトランプの赤い光が反射する、夕暮れのグリン大学を眺める。


「狭い大学だな?」


「狭くても学生には心地が良かったんでしょう?」


 菅原が見つめる方向には大破した、ギターが置いてあった。


 恐らくは学生が使っていた物だろう。


「この大学は完全に破壊されたから、新学期早々に日程は全て復興に当てて、学生はオンライン授業に移るらしい」


「時代ですね?」


 そう言って、五十嵐と菅原はパトカーに入って休憩を取ることにした。


「後は奴の処遇だな?」


「奴?」


「一場亜門さ?」


 五十嵐がそう言うと、菅原は「あぁ、彼ですか?」と言いながら頷いた。


「あの不良債権は何故か奴を装着者にしないと戦わないと言っているらしい」


「どうなんですかね? 民間人に協力を頼むにも警察にはメンツの問題がありますから」

 

 二人がそう言いながら辺りを見回すと、多くのコウキソウの隊員が走り回っていた。


「コウキソウが出回っていると俺達は邪魔さ」


「早く、捜査をしたいものですね?」

 

 時刻は午後六時前。

 

 夕暮れが闇夜に変わろうとしていた。



「一場亜門。グリン大学文学部現代社会学科所属の二年生。山口県出身で父親が山口県警本部の捜査一課に勤務。警部階級ではあったが、捜査中に容疑者との格闘の末にナイフで刺され、殉職。最終階級は警視正という形で警察葬が執り行われた」

 

 亜門は先ほど、スマートフォンとスマートウォッチを渡した女に尋問をされていた。

 

 小野澄子という名前で警視正階級だと言う。

 

 しかし、彼女からは警察官という印象は覚えられず、どちらかと言うと、もっと硬く攻撃的な軍人と言った方が感覚としては合うように亜門には思えた。


「その後、お母様が輸入雑貨店を経営。お父様の弔慰金と合わせて生活。大学進学においては東京の文帝大学や東太平大学を受けたが、いずれも試験に不合格した後に滑り止めで受けたグリン大学へ入学。政府の高等教育無償化の恩恵を受けるには収入は少ない一方で資産を多く保有しているということから、支給はされなかった」

 

 小野は亜門の周りを一周、二周と回りながら、どこで仕入れたか分からない情報を話す。


「入学は出来たが、資金面に関しては常に不透明な要素を抱えているとされる。しかし、自主的にアルバイトを行い、母親の資金的な負担を減らそうとしているが、単位においてはあまり順調に取得出来ていると言えず、大学の留年学生の対象として当落線上にある」

 

 小野がそう淡々と亜門の経歴を語ると、亜門は「警察はよくそんな事を簡単に調べられますね?」と嫌味じみた言い方を返した。

 

 小野は「仕事だからね?」とだけ言った。


「警察って、そうやって人の人生に土足で踏み込んでくるから、僕は嫌いです」

 

 そう言う亜門に対して、小野は「あなたはお父さんとも仲が悪かったそうね?」と言って、武蔵野署の取り調べ室の簡素なパイプ椅子に座る。


「父は年中仕事で家庭の事を鑑みませんでした。それに勝手に死んじゃうし、おかげで僕の大学入学の時は母にも学費で負担させましたし・・・・・・」


「あなたが警察嫌いなのはよく分かったわ」


 小野は表情を変えずに亜門の目の前に相対す。


「でも、あなたが瑠奈さんを守る為に、警察の警備活動に民間人の立場で介入したのは事実です」


「それはあなたが、奴と戦えと言って――」


「従わないという選択肢もあったのに、あなたは結果的に警備活動に介入をしたんです。これは公務執行妨害に値します」

 

 この人達は何が目的なんだ?

 

 亜門はそう疑問を抱いた後に小野に問いかけた。


「一つよろしいでしょうか?」


「何でしょう?」


「容疑者がいくら怪物で人をたくさん殺したからって、射殺することは無かったんじゃないですか?」

 

 亜門がそう言うと、小野は「テロリスト相手に慈悲は不要です」と短く答えた。


「でも、日本の警察がそんな海外の警察みたいに裁判にかけずに簡単に犯罪者を射殺するなんて――」

 

 亜門がそう反論すると小野は「あの怪物だった被疑者は大量の人を殺した。あいつを射殺しなければより多くの人々が殺害され続けていたわ」と冷ややかに答えた。


「でも、だからと言って――」


「私達、日本の警察、特に警備部がテロリストの射殺を容認する理由の一つとしては民間人の救出を最優先するからです。テロリストが殺戮を続けるなら、私達は罪の無い多くの民間人の生命を守る為に喜んでテロリストの脳髄を撃ち抜きます」

 

 そう言い切った小野に対して、亜門は反論をしたい気分になったが、すぐに無意味だと悟った。

 

 口喧嘩でこの人には勝てないだろうな?


「・・・・・・僕に無理やり警備活動とやらを行わせて、その上で逮捕するなんて、何がしたいんですか? 僕をただ単に犯罪者にしたいだけですか?」


「これからのあなたの対応次第ね?」


 小野はそう言って、椅子から立ち上がった。


「一場君、単位足りていないから学費大変でしょう?」

 

 何をするつもりだ?

 

 小野がそう言うと、亜門は「まぁ、母が実家で輸入雑貨店を経営していて、父の遺産や保有している資産で工面していますが?」とか細い声で答える。


「でも、単位が足りないから留年しそうで、さらに面倒かけそうなんでしょう?」

 

 小野が話すと、亜門は静かに「はい・・・・・・」とだけ答えた。


「これは提案なんだけど、私達があなたの学費の一部あるいは全額を工面してもいいわよ?」


「本当ですか?」

 

 亜門は驚きを隠せないという表情を見せた。

 

 しかし、同時に何かがおかしいという感覚を覚えた。

 

 何で、警察が一大学生の学費を工面するのだろう?

 

 そう薄気味の悪いという感覚を覚えていると、小野から「ただし、断れば、あなたは公務執行妨害で逮捕」と言われた。


「何が目的なんです? そもそも何で警察が僕の学費を払うんですか?」

 

 小野は「不服?」と静かに返してくる。


「目的が分からないだけです」

 

 そう言って亜門は机に頭を伏せる。


「大学も秋学期が終わる十二月下旬までは復興作業の為に全講義を行わずにリモート授業に移るんでしょう? 春学期の始まる一月下旬以降もリモートは続くと見ている」

 

 九月入学が導入された、日本の学校社会はアメリカをモデルとして、九月に新学期で一二月中旬までに秋学期を終了させて、一旦は冬休みに入るが、一月下旬には春学期が始まる。

 

 規模の大きい大学では冬学期が行われ、かなり勉強が大変らしい。

 

 ただし冬学期は履修義務が無いので、自分に暇が出来ることを指摘しているのだろう。

 

 その後の三月に一週間ほどの春休みがあって、五月上旬に授業全日程が終了し、上旬から中旬頃に卒業式が行われ、夏休みが始まり、その間、夏学期に詰め込み式の勉強で履修して、単位を早めに取ってさっさと卒業するも良し、三か月程度の長い夏休みを満喫するも良しの日程が今の学校社会だ。

 

 この人は四月入学の頃の世代だよな?

 

 亜門は警戒心を露わにしていた。


「だから何です?」


「その間に時間が出来たら、あなたは何をするつもり?」

 

 そう言われた亜門は学費の話を続ける小野に疑念を抱いていた。


「山口に帰るにしても家に引きこもるだけでしょう?」


「知りませんよ?」


「もし、そうしたら、あなたは公務執行妨害で逮捕」

 

 小野がそう言うと亜門は「学費を与えると言って、断れば逮捕? 小野さんは何が目的で僕を恫喝するんです?」と小野を睨み付けた。


「あなたにはあのメシアを装着してもらって、私達と共に限定的な警察官として特殊部隊員になってもらいます」

 

 そう言った小野に対して、亜門は目を見開いてしまった。


「無理ですよ。民間人に警察の手伝いをさせて、あんな怪物と戦えってことですか? 警察官を使えばいいでしょう?」


「メシアがあなたではないと戦わないと言っているの。本来であれば警察官を使いたいんだけど、あいつがそれを全て拒否しているのが現状よ」

 

 小野がニタリと笑っていた。

 

 この人も笑うんだ・・・・・・


「そんなの聞かなければいいじゃないですか?」


「そうは言っても、ウチの上層部がメシアのわがままに何も言わずにあなたが警備活動に介入しても、ダンマリという事はおかしいと思わない?」

 

 そう言えば、民間人が警察の活動に介入したのにここまでお偉いさんは一人も武蔵野署に臨場していない。

 

 メンツを重要視する警察の組織的性格を考えれば、自分の尋問にもやって来て、怒号の一つでも入れるかと思ったのだが?

 

 黙認しているのか?

 

 亜門が机に伏せていると、小野が「あなたに選択権は無いけど、このアルバイトの話しは悪いものでは無いと思うわよ。額もそれなりの金額を用意するから?」と言った。

 

 小野がそう言った中でも、亜門は腕を組んで黙り始めた。


「どうする?」

 

 亜門は沈黙を続けた後に口を開いた。


「どうせ、断ったら逮捕するんでしょう。協力します」

 

 亜門がそう言うと、小野は「これでようやくメシアも不良債権呼ばわりを脱せられるわね?」と言って、亜門の肩を叩いた。

 

 悔しさが胸の内に込み上げていた。


 

 瑠奈は警視庁武蔵野署のロビーで座りながら、スマートフォンでテレビのネット同時中継を眺めていた。

 

 任意同行で話は聞かれたが、警視総監の娘である事と、行動を共にした公安総務課の五十嵐警部が報告書を出した為、瑠奈への聴取はごく簡単な物で終わった。


「ハムの連中が大学にいるんだろう!」


「こっちは記者対応で忙しいんだ! 後にしろ!」


「ジが臨場する! 他に手の空いている奴を使って受け入れの準備を始めろ!」

 

 警察署って、こんなに忙しいんだな。

 

 無理もないか?

 

 管轄内で事件が起きて、警察官にも大量の殉職者が続出した大事件だ。


 捜査一課の一部は先日の〝教団〟施設への立ち入り時に爆発に巻き込まれて、多くの負傷者を出したが、それは全滅と言うことではない。


 何班かが残っているから、ここに臨場するのだろう。


 スマートフォンの画面を見れば、どこのテレビ局もグリン大学で起きたテロ事件を大々的に報じていた。


 そこでは警視庁の広報官が記者や各メディアに対して会見を開いていた。


 パパも当分は家には帰れないだろうな?


 瑠奈がそのようなことを考える最中で、周辺では制服を着た者からスーツ姿の様々な警察官が辺りを走り続けていた。


 するとそこに一場亜門がやって来た。


 どうやら聴取が終わったようだ。


「亜門君、泣いていたの?」


「何でそんなこと言うんだよ?」


「目の辺りが赤い」


 瑠奈がそう言うと亜門は「警察に協力しなければ、公務執行妨害で逮捕するって脅されたんだよ」と言ってそっぽを向き始める。


「大学どうするの?」


「大学はオンライン授業に移るから、その期間に僕はあのスーツを着て、特殊部隊員になるらしいよ」


 それを聞いた、瑠奈は驚きのあまり「・・・・・・そうなの?」と静かなトーンでしか答えられなかった。


 何かしらの言葉をかけるべきだろうが、あまりにもありえない展開なので、瑠奈はただ、座っている亜門を見つめるしかなかった。


「・・・・・・僕は人を殺したんだ」


 そう言って、頭を抱える亜門に対して、瑠奈は「でも、あの犯人はたくさんの人を殺したよ」とだけ言った。


「だから、何だよ?」


「仮に逮捕されても、日本の法律だと死刑は免れないと思う」


 瑠奈がそう言うと、亜門は「僕が殺したのが問題なんだよ」と言った。


 辺りでは依然として警察官達が怒号を飛ばしながら、走り回っている。


「あんな怪物とこれから、ずっと戦わなきゃいけないんだ・・・・・・」


「・・・・・・でも、亜門君のおかげで私やあの男の子も助かったよ?」


 そう言って瑠奈は亜門の隣に座る。


 亜門ははっとした表情で瑠奈を見上げる。


 しかし、それも数秒の間だけしかなかった。


「・・・・・・警察とは関りたくないんだ」


「何で?」


「僕の父親は警察官だったんだ」


 瑠奈は驚いた。


 警察関係者の親族だったのか・・・・・・


 なら、彼の態度も分かる。


 事実、瑠奈の父親も官僚とはいえ警察官なので、転勤や重大事件の対応などで家を留守にすることも多く、家庭の事は母に任せっきりだった。


 思春期の時は父に反発心も抱いたことがある瑠奈は亜門の警察官である父親に対しての感情やそれによって、生じる警察アレルギーにも一定の理解は出来た。


「山口県警本部の捜査一課で警部をやっていた。家は年中開けていて短気ですぐ怒る人で子どもの頃から嫌いだったけど、ヤクザが絡んだ殺人事件の捜査中に麻薬中毒のロシア人に刺されて死んだ」


 そう言う亜門は涙こそ見せなかったものの、どこか悲しそうな表情を見せていた。


「こんなに家族をないがしろにして、母さんを一人で働かせるような仕事なら警察官にはならないで、地元の山口県庁とかで普通の公務員になるか、アルバイト先の喫茶店で働いて平穏な暮らしをして、母さんと一緒に生活しようと思っていたら、いつのまにか特殊部隊員だ」


 亜門はそう言いながら、項垂れる。


 瑠奈は亜門が取り乱さないように気をつけながら「私のパパも一応は警察官だから、その気持ちは分かるよ」とだけ言った。


「どうすればいいんだよ? 僕は戦いたくないよ?」


「私がパパに掛け合ってみるよ」


 そう言った瑠奈に対して、亜門は「無理だよ。あの小野って人は本気で戦わせるつもりだ」と言いながら、苦悶の表情を浮かべる。


「パパは警察で一番偉いから、それとなく亜門君が戦わないようにさせてみるから?」

 

 依然、項垂れた状態の亜門に対して、瑠奈は「ねっ? 希望は捨てちゃだめだよ?」とだけ言った。


「うん・・・・・・」


 そう言って、天を仰いだ亜門に対して、瑠奈は「ところでさ?」と切り出した。


「・・・・・・何?」


「話変わるけどさ?」


「うん?」


「亜門君って、マザコンなの?」


 それを聞いた、亜門は顔を真っ赤にして怒りだした。


「違うよ!」


「だって、お母さんに楽をさせたいから道庁に入りたいんでしょう。マザコンじゃん」


「そんな事より、僕を戦わせないでくれよ」


「ちゃんと言っとくから? その代わりにさ・・・・・・」


「何だよ?」


「マザコンかどうかだけ答えて」


 瑠奈がそう言うと亜門は「帰る!」と言って立ちあがった。


「終電はもう無いよ!」


「歩いて帰る!」


「警察署に泊まった方が効率的だと思うけど?」


「留置場だろう! 帰る!」


 そう小走りで走る亜門を追いかけて、瑠奈も走り出す。


 何とか元気を取り戻したようだ。


 もっとも、これから事態は急速な流れで動いていくだろうけど?


 警察官達の怒号と走り出す足音が武蔵野署の建物の中で響いていた。



 事件から三週間が過ぎ、季節は冬が始まる一一月のど真ん中となった。


 その間に起きた出来事と言えば、〝教団〟残党である革命の信徒達、シャイニング、ホームカミングの関連施設に全国の警察組織が家宅捜索を行い〝教団〟の〝生物兵器〟であるキメラと爆弾の製造の存在が公になった事がある。


 マスコミ各社は〝教団〟が一九九五年に起こした、テロ事件の再来だと報じれば世論も恐怖を覚え、各団体の排除論が高まり始めた。


 結果的に革命の信徒達、シャイニング、ホームカミングの〝教団〟幹部や一部の信者達は警察に任意同行をされ、逮捕された。


 これにより人々は各団体の解散も時間の問題だろうと、世論は考えていた。


 しかし、一方で気になる点があった。


 それは警視庁公総と公安調査庁の見解によると、一部の〝教団〟関係者の行方が分からなくなっているという事実が明らかになったという点だ。


 全国の警察機関は〝教団〟の過激派がさらなるテロ活動を行うのではないかと警戒をしているというのが現状だ。


 そのような情勢下で小野澄子は大手町の警視庁ソルブスユニット庁舎から、霞が関にある警視庁本庁舎の警部部長室へと呼ばれていた。


 自殺した石田の次に警備部長になったのは、神奈川県警本部長を務めていた、小川警視監だが、その当人はソルブスユニットに懐疑的な態度を取ることで知られている。


 一時期、大阪府警や神奈川県警にもソルブスユニットを配備しようと、久光総監や警察庁の清本長官が考えた時期があったそうだが、警視庁と警察庁のソルブスユニット不要論者達に反対をされた事により、当面は警視庁での実験部隊という扱いで運用される事になったという経緯がある。


 総監はソルブスユニットの人員を増員したいのだ。


 それに対して、小川は警備計画や戦略を練って、諸外国から来るテロ計画を防ぐ為に機動隊やSATなどの特殊部隊の訓練に予算をつぎ込むことを主張する。


 このような形で警視庁や警察庁の一部では運用に費用がかかるソルブスユニットの解体論が聞こえてくるのも事実の一つだ。


 しかし、東京オリンピックの後に建設バブルが弾け、世の中の大半の仕事がAIに取って代わって、中間層が大幅に淘汰され、単純作業も外国人労働者が中心となり、自国の国民の雇用も当たり前では無くなった現代において、日本社会は治安の悪化と同時に外国人に対して、排他的な意見を述べるようになり、それと同時にマフィアを始めとする海外の犯罪組織も日本で暗躍をするようになった。


 ソルブスはテロや犯罪が当たり前になった日本社会の警備においては必要な存在なのだ。


 このような時代の流れに乗れないぼんくらが警備部長になるのは不幸としか言いようがない。


 もっとも直属の上司に恵まれないのは自衛隊時代から同じか?


 小野はそう考えながら、警備部長室へと入ることにした。


 ドアを3回ノックすると「入れ」という声が聞こえる。


「失礼します」


 そう言って、小野が警備部長室へと入る。


 小川は小柄で神経質そうな眼鏡面で、いかにもインテリの官僚と言った面持ちで執務用の机に座っていた。


 警備部長室には警察の旭日旗と日本国旗がお約束のように掲げられていた。


「君が小野澄子か?」


「はっ!」


 そう言われて敬礼を返すと、小川は「幹部高級過程まで進み、大佐階級である一佐まで進んだ、女性自衛官のホープか?」と言って、資料に目を通していた。


「しかし、西部方面隊第四師団の第四〇連隊隊長として現地にいた君は市街地戦などの近代化された対テロ戦争を理解できない、旧日本軍の亡霊である幹部連中から疎まれて、更迭されたところを久光総監に拾われたという話しだが?」


 小川がそう言うと、小野は「現代の戦争の主流はサイバー戦による情報攪乱と少数精鋭の特殊部隊による市街地戦の制圧などの限定的な戦争目的によるハイブリッド戦争が主流であると上司には伝えましたが、それは受け入れられませんでした」と答えた。


「未だに銃剣道を愛好していて、教本には旧日本軍名物の特攻じみた突撃というクレイジーな訓練まであるぐらいだ。自衛隊上層部とそれを率いる政治家が二〇四〇年になっても近代の対テロ戦争が理解できない証拠だな?」


 小川は資料を机に置いた。


「君のやろうとした事は正しいかもしれないが、組織的には異端であることは確かだ」


 小川は小野を見る事はなかった。


 冷血な官僚と言ったところだな?


 現場を知らない、インテリ気取りの無能な官僚とも言えるな?


 小野は脳内で小川をそう評価していた。


 そして、小川は再び、資料を眺め始めた。


「民間人が四三名死亡。機動隊員に武蔵野署員、SATの隊員を含めて、警察官は三四名死亡。この時点で君が指揮官として無能であることは明白だ」


 そう言われた小野は拳を握りしめていた。


「もっとも、SATの指揮を担当していたのは谷警備一課長だが、それも君と同様さ」


 小川が笑みを浮かべながら、毒を吐く様子を小野は苦々しい様子で眺めていた。


「あのような怪物が相手であったとしても、SATのような既存の特殊部隊で対処できるだろう。事実、奴の皮膚は普通の生物のそれであって、メシアと呼ばれるソルブスの装備したFNSCARやシグザウエルP226でも、かなりのダメージを与えられただろう。熟練したSATの隊員が持つ装備でも十分に対応できる」


「お言葉ですが、キメラや犯罪に使われるソルブスが関連する事件においては常人のパワーやスピードでは対処出来ないと思われます。ソルブスは装着者の筋力や瞬発力を高めます。それ故に生身の特殊部隊員が戦うよりはその方がはるかに安全ではないかと思われます」


 小野がそう言い切ると、小川は「君や総監は警察を軍隊にでもするつもりか? そんな計画の為に高い予算を割り出すことは出来んよ」と鼻で笑って返してくる。


「警備警察はあり得ないケースを想定して、国民に笑われ、バカにされながらでも危険と危機に備えて、計画や装備にコンディションを万全に備えて対処する仕事だと思われます」


 小川は眉をピクリと動かす。


「私が懸念しているのはそれだけではない。何でもメシアとか言う最新鋭のソルブスの装着者が民間人の学生らしいじゃないか?」

 

 自分の配下の装備は知らないのに一場君の事は知っているんだ?

 

 半ば、この無能な上官に対して、呆れながらも硬い姿勢を小野は崩さなかった。


「彼は学費を警視庁が工面すると言ったら、協力を承諾してくれました」


「総監は何を考えているんだ・・・・・・」

 

 小川はそう言うと「民間人に協力を頼むなど、警察のメンツは丸つぶれだ。どこかの推理小説や少年漫画とは違うし、しかも警備での仕事だ。サッカンに任せればいいだろう」と言って、わざとらしくため息を吐く。

 

 古臭い凡庸な官僚。

 

 自然淘汰されてしまえばいいのに。

 

 そう思いながら、警備部長室を見渡すと、茶器などの芸術作品や平安時代の書物などが多く置かれていた。

 

 まだ、引っ越しが完全に済んでいない為に飾られてはいないが、いずれも軍隊や警察には不要な代物だ。

 

 こんな物は私達にとっては必要ない。

 

 実用性が無いのだ。

 

 せいぜい、自分がインテリだと悦に浸っていればいい。

 

 こんな屁理屈や骨董品に文芸作品に現を抜かすなんて、この人は警察官としては失格だ。


「メシアが彼ではないと戦わないと言っています」


「そんな事を言う人工知能など、さっさとアメリカの会社に返せばいい」


 小川がニタニタと陰湿な笑みを浮かべる中で、小野は「メシアの性能は警視庁の主力ソルブスである、ガーディアンの性能をはるかに超えています。レインズ社との契約でも警視庁に機動的な戦闘を行ってもらい、戦闘データの収集と学習機能によって装備の設計に開発と、新たな新型機の開発を担う為に――」と説明をしようとしたが、小川は「君は何も分かっていないようだな?」と鼻で笑いながら、返答を返してきた。


「とりあえずは総監が押している案件だから、その学生に予算は出すがね? 感謝したまえよ。君達の存在を保証してあげているのだから?」

 

 小川がソルブスユニット不要論者というのは事実だな。

 

 それ等の勢力は総監と長官のツートップがソルブスユニットへの特別扱いを行っていることに不満を抱いているそうだ。

 

 小川のこの態度を見る限りではそれ等の抱いているのであろう、悪意を感じ取ることができる。

 

 悪知恵だけが働く、ぼんくら官僚の典型例だ。

 

 小野がそう脳内で毒づいていると、小川が「頑張ってくれよ、くれぐれも作戦行動を失敗しないようにね」とばい菌を思わせる陰湿な笑みを浮かべながら言った。


「了解しました」

 

 上官がどんなアホでもその命令・・・・・・いや、命令とも言えない無茶ぶりに対しても従い続ける。

 

 それが軍人の教示なのでこの時点では小野は何も言うつもりは無かった。


「以上だ、早く大手町に戻りたまえ」

 

 結局、嫌味を言われる為だけに呼ばれたか?

 

 小野は小川に唾の一つでもかけたい気分に駆られていたが、それを抑えて「失礼します」と一礼して警部部長室を後にしようとした。


「小野君」


「・・・・・・はい?」


「君も軍事の作戦の事ばかり考えないで古文を読まないか? 警察官は芸術を知らなすぎるぞ?」

 

 小川がそう言うと、小野は「時間があれば」とだけ言って、今度こそ本当に警備部長室を出て行った。

 

 何度も言うが、警察に芸術は必要ない。

 

 というよりは、それは政治能力を付ける為や社会性においては必要なのは認める。

 

 しかし、小川のそれは警察官僚として必要だから、芸術に精通しているというよりはその芸術を見て、批評する自分に酔いしれているように思えて、官僚のそれというよりはどこか鼻につく、文化人気取りのそれに見えて、現場の実務を常に考えている小野からすれば、くその役にも立たない理屈屋にしか思えなかった。

 

 こんな奴が新しい上司か・・・・・・

 

 つくづく、自分は直属の上司に恵まれないな?

 

 もっとも、警視庁の一類採用試験でも芸術に関する問題は一問しか出て来ないので、自分の考えていることは一理あるとは思うのだが?

 

 この男は入る場所を間違えているのではないだろうか?

 

 つくづく、実用性が問われる場所においては無能な男だ。

 

 そのような悪態を脳内に巡らせながら、本庁舎を出て、車に乗り込み、庁舎前にあるトチノキが冬芽を咲かせているのを見た。

 

 もう冬がそこまで来ているのだと感じた。


「どうだった?」

 

 車の中に連れてきた、メシアがそう聞いてきた。


「嫌味を言われて、終わり。一場君には予算は出すみたいだけどね?」

 

 小野がそう言うと「まぁ、いいさ。よく頑張ってくれた」とメシアが労ってくれた。


「すごく腹が立ったんだけど?」

 

 小野がそう言うと、メシアは「まぁ、解決するなら何でもいいさ。ご苦労」とだけ言った。


「それはそうと、メシア?」


「何だ?」


「何で、上層部は民間人の一場亜門の登用に何も言わないの?」

 

 小野がかねてから抱いていた疑念を口にする。

 

 当の本人と相対した時はさも上層部の意向の権化のような姿勢で交渉をしていたが、実際にはその理由は小野にも分からないのだ。

 

 ただ、大学で戦闘が行われて民間人が警察の装備、正しくは軍用兵器を使ったという事実がある中で、上層部の面々が一切、現場に来なかった事は奇妙に思えた。

 

 尚且つ、その民間人に武器を与えた自分に処分を与えない、警察上層部の動きには安堵以前に何か奇妙な薄気味の悪さも感じられる。


「契約上、話せない」

 

 メシアがそう言うと、小野は「あっそ」とだけ言った。

 

 このビジネスマンを気取るAIに食い下がっても無駄だろう。

 

 車が走り出すのを確認した小野は窓から外を見ることにした。


「ところで坊やは今、何をしているんだ?」

 

 メシアがそう言うと小野は「喫茶店でアルバイトよ」とだけ言った。


「牧歌的だな?」


「公安の監視は付いているわよ。要注意人物だからね?」

 

 小野がそう言う中でも、車は霞が関から大手町へと走っていた。

 

 小野はどこか暗い気持ちを抱きながら、官公庁街を眺めていた。

 

 やはり、このクラシックな外観が苦手だ。

 

 九州はやっぱりいいところだったな・・・・・・

 

 小野はセンチメンタルな気分に陥っていた。


 

 亜門はアルバイト先の喫茶店で、嫌な感覚を覚えていた。

 

 久光瑠奈がバナナシェイクを飲みながら、漫画雑誌を読んでいるのはいつもの光景だ。

 

 店長がコーヒー豆を煎るのも同じく。

 

 本郷麻衣が他のお客さんにコーヒーとサンドイッチを運ぶのもいつもの光景だ。

 

 亜門が唯一、いつもと違うと感じていたのは佐藤玲於奈がテーブル席に座って、ココアとサンドイッチを食べている事だ。

 

 忌むべき、自分の大学の同級生が自分自身のテリトリーに入ってくるのが不快だった。

 

 しかし、彼女は自分のことが好きなのだとは言われなくても感じていた。

 

 だが、亜門には彼女の気持ちに答えるつもりは無く、自分にとって不本意な恋愛感情を抱かれたことにより、男子生徒から嫉妬心による暴行を加えられる事があったので、その元凶である彼女が許せなかった。


「亜門君、美味しいよ」

 

 玲於奈が金髪に染めた髪をなびかせながら、にこりと笑う。


「そう言われると店長も嬉しいと思います」

 

 亜門はそう言って、カウンターへ戻った。


「亜門君、あの子のこと、嫌いなの?」


 本郷が亜門を眺める。


「大学の事はここでは思い出したくない」

 

 亜門がそう言うと、瑠奈が近づき「自分の選択を否定するのは今の自分を否定することだよ」と背後から話しかけた。


「いきなり、背後から話しかけるなよ」

 

 亜門がそう言うと、瑠奈は「ム~ン。それはすまなかったんだな~」とおどけて返した。


「何だよ、ム~ンって?」


「某ゲームの三兄弟のセリフだよ」


「東大生がゲームするんだ?」


 亜門がそう言うと、本郷が目を丸くしながらその話を聞き入る。


「まぁ、頭休めにこうして漫画やらゲームをしているんだよ」

 

 そう言いながら、三人で盛り上がっていると、店長が「お前等、仕事せい」とドスの聞いた声を出した。


「やべぇ」


「亜門君がいけないんだぁ~」


 瑠奈がそう言うと、亜門は「早く、席に戻って漫画を読んでいろよ」とだけ言って、接客に当たった。


 本郷には「亜門君、瑠奈ちゃん好きなんだね?」と言われた。


 亜門はオーダーを取り終えると「はっきり言ってウザいっす」とだけ言った。


「人は本当の事を言われると怒るよね?」


 そう言って、本郷はサンドイッチを作り始める。


 すると、玲於奈が亜門と瑠奈に麻衣を眺めていた。


「亜門君、大学にいる時よりも楽しそうだよね?」


 玲於奈がそう言うと、亜門は「そう感じるならそうじゃない?」とだけ答えた。


「しかも、私と比べてあの二人とは普通にふざけ合っているし・・・・・・」 


 玲於奈はどこか不機嫌そうだった。


「ごちそうさま」


 そう言って、玲於奈はサンドイッチとココアを残して、席を立った。


「はい、一一〇〇円」


「高い・・・・・・」


 玲於奈がそう呟くのを亜門は聞き逃さなかった。


 貧乏学生が・・・・・・


 亜門がそう感じていると、瑠奈が店長にお金を渡していた。


「はい、三〇〇〇円」


 瑠奈は玲於奈以上の金額を何の苦も無く出すと、店長は「瑠奈ちゃんはお金持ちなんだね?」と呆れ返ったと言わんばかりの表情を浮かべていた。


「官僚の娘ですからね?」


 亜門がそう言うと、瑠奈は「国家公務員の給料は会社員と大差無いよ」とだけ言った。


 その横では玲於奈が何か面白く無いと言った表情を浮かべていた。


「じゃあ、失礼します」


 そう言って、瑠奈が店から出ると、玲於奈はその後を追うように「失礼します」と言って、店を出た。


 その時に玲於奈が亜門に言った一言は「もう、この店には来ない」という一言だった。


「どうも」


 亜門が表情を崩さずにそう言うと、玲於奈は強張った表情を浮かべながら、店の外へと出て行った。


「あの子、大丈夫か?」


 店長がそう言うと、亜門が皿を片付けながら「喧嘩にならなければいいですけどね?」とだけ言った。


 すると、店長はいきなり沈黙を始めた。


「何です?」


「お前、ここ辞めて、警備関係のアルバイトするんだろ?」


「・・・・・・すいません」


 警視庁でのアルバイトは機密事項に当たる事なので、店長には警備会社でアルバイトをするので、喫茶店を辞めると嘘をついていた。


 店長は引き留めにかかったが、最終的には泣きながら、喫茶店を辞める事を認めてくれた。


 本当は辞めたくない。


 亜門はその時、心苦しさでいっぱいだった。


「いや、それはお前の都合だからな・・・・・・」


 店長が口ごもる。


 店長、ごめんなさい・・・・・・


 亜門は涙を流しそうになっていた。


「ちょっと、瑠奈ちゃんが心配だから見て来い」


「はい?」


 亜門は思考停止に陥った。


 このタイミングで何を言い出すんだ、この人は?


「あの子の瑠奈ちゃんに対する目はやばすぎる」


 確かに、あの二人の仲は険悪そうだったからな・・・・・・


 それは分かるけど・・・・・・


「いや、仕事中ですよ?」


「いいから、行け! 時給は渡すから!」


「はぁ・・・・・・」


 そう言われた亜門は渋々とエプロンを脱ぎ、店の外へと出て行った。


「・・・・・・行ってきます」


「喧嘩が起きたら、防ぐんだぞ!」


 そう言って、店長と本郷が手を振りながら、亜門を送り出す。


 こういう時にあのメシアドライブがあれば、暴漢に襲われても対処できるんだろうけどな?


 もっとも、警視庁からは私闘においてメシアドライブを起動するのはダメだと言われているが?


 亜門はそう思いながら、アスファルトの道路を歩き始めた。


 空は青空が広がるが、風は冷たく、気温も同様に感じた。


 でも、地元ほどの寒さじゃないな?


 意外に思われるが、地元の山口は寒いのだ。


 それに比べれば、亜門にとって、東京の寒さはそれほど辛いものでは無かった。


 そして、それを感じる事なく、瑠奈の後を追い始めた。



 公総の小野沢警部補は対象のマル被である、佐藤玲於奈が久光瑠奈を尾行している様子を車の中で眺めていた。


 もっとも、対象は今の時点では何も事件を起こしていないが?


 その佐藤玲於奈がどのような人物かは手元にある、レポートに記されていた。


 グリン大学文学部現代社会学科二年生の二〇歳で新潟県出身。


 中流家庭出身だが、男性に対する依存心が強く、新潟での高校時代においては交際を破棄された相手の目の前で手首を切るなどの自傷行為をして、好奇の目に晒されながら高校を卒業。


 その後に逃げるように東京のグリン大学へと進学。


 以降は学内でアイドル的な人気を誇る存在となった。


 そして、何故か一場亜門に対しては好意を超えた異常な執着心を見せる。


 さすがにこれを書いた五十嵐さんはすごいな?


 上司である五十嵐の人間観察力に小野沢は感嘆した。


「総監の娘相手にいきなり、行動に移すと言うことは無いでしょうね?」


 部下の下井巡査部長が不安げな表情を浮かべる。


「俺達があのド金髪の豚野郎にマークしている理由はただ一つ。〝教団〟の〝改造手術〟リストに警察の協力者である、一場亜門の同級生である、マル被の名前があったからだ」


 佐藤玲於奈は自分自身への劣等感が非常に強い女だと、レポートには記されていた。


 だからこそ、他人や特定の一グループや繋がりに依存する。


 その中でも一場亜門に対して、強い憧れや亜門に好かれたいという、願望を抱くようになっていったが、当の亜門が自分の所属している大学が嫌いで、学内では一切のコミュニティに所属しておらず、誰にも心を開かないことから彼女は次第に焦り始めた。


 そんな彼女に〝教団〟は目をつけ、恋愛相談に乗ることで彼女の入信を図った。


 結果的に彼女は故郷から離れた、首都東京で募らす寂しさや憧れの亜門が自分に振り向いてくれないことや自分自身に自信が持てないことを語っているうちに〝教団〟に入信し、グリン大学内でも信者を増やす為の工作活動を担う事になったと、五十嵐が作ったレポートには記されている。


「実際、グリン大学にはどのぐらいの信者がいたんですか?」


 下井がそう切り出すと、小野沢は「生徒だけで五五人、大学職員には三人がいた。そして、英語講師のアメリカ人一人は〝教団〟にソルブスや武器を与える、武器商人として常駐している」と答えた。


「学生支援課にも〝教団〟の手が伸びていますか? それならば学生の個人情報も簡単に手に入りますね?」


「連中は悩みを抱えていたり、孤独に苛まれている学生を中心に勢力を拡大しているのさ」


「しかも、大学の教授が堂々と武器の売買まで行う? とんでもなく腐敗した大学だ?」


 小野沢と下井がそう言いながら、瑠奈を尾行し続ける玲於奈を車の中から眺める。


「しかし〝教団〟は何の為にこんなことを?」


「平成の初めみたいに本気で日本を制圧して〝教団〟による世界征服なんて事は考えていても、実行に移す武力はキメラぐらいしか無いさ」


 小野沢はそう言うと、下井と共に車から出て行った。


「まだ動くなよ」


「はい」


 下井がそう言うと、小野沢は「連中は二二年前に死刑を執行された、塚田の息子を後継者として担ぐつもりだ」と言い放った。


「まぁ、〝教団〟の幹部は先の事件の影響で一斉に淘汰されましたからね? 求心力を回復させる狙いでしょう? その息子は正当なる後継者、あるいは神の子と言ったところですかね? とことん漫画チックな考えが好きな連中ですね?」


「首都のど真ん中で地下鉄を爆破したり、毒ガスを撒くような連中だ。そんな漫画チックな考えが好きな連中だから、後先考えて、警察と国民を敵に回すとどうなるかまで考えが回らないんだろう?」


「それらの事態が起きた時に信者達が疑問を抱かずに命令に従った事に〝教団〟の異常な心理が見えると?」


「待て、動くぞ」


 小野沢はそう言いながら、下井と共に玲於奈に対する尾行を続けた。


 ストーカーというのは一般的には好意を抱いた異性に一方的な恋愛感情を抱いて、付きまとうイメージだが、玲於奈のように嫉妬心や敵対心から瑠奈に付きまとうケースも該当する。


 小野沢達はとにかく、瑠奈を守る事だけを考えていた。


 すると玲於奈が瑠奈の肩を掴み、いきなりかなぎり声を挙げた。


「亜門君に近寄らないで!」


 そう言われた、瑠奈は呆気に取られた表情を浮かべていた。


「よし、傷害の容疑で逮捕」


「肩掴みましたからね。立件できます」


 二人でそう言って、玲於奈を逮捕しようとした時にタイミング悪く、一場亜門が二人の仲裁に入った。


 間が悪い・・・・・・


 小野沢は舌打ちをすると、下井に「現状待機」とだけ告げた。


「了解」


 そう言って、二人は三人のやり取りを見つからないように眺めていた。



「何をやっているんだ! 佐藤!」


 亜門は思わず怒鳴り声を挙げていた。


 その怒鳴り声の矛先である、玲於奈はただ黙って俯いていた。


「瑠奈がお前に何の危害を加えたんだよ!」


 亜門は怒りを抑えられずにいた。


 たかだか、三流大学でちやほやされている田舎娘が自分よりもエリートの位置にある、瑠奈に嫉妬心を抱いたのが許せなかった。


 彼女と玲於奈は大学生という広い意味では同じだが、けして同じ土俵に立てるものでは無いと亜門は感じていたからだ。


「亜門君、私の事は名字で呼ぶんだね?」


 そう言った、玲於奈は俯いたままだ。


「だって、対して親しくないじゃん」


 亜門がそう言うと、瑠奈が「亜門君、それは言い過ぎだよ!」と逆に仲裁に入った。


「僕は自分の大学が嫌いだし、僕のことを悪く言う奴とは一切、同じ土俵にも立たない! 友達になるつもりもない! こいつに至っては僕が唯一、大学の嫌な時間を忘れ去ることが出来る時間帯に入ってきて、しかも瑠奈にも暴力を振るおうとした! 僕はこいつを許さない!」


 そう言った、亜門に瑠奈は「さすがにかわいそうだよ! その言い方は!」と怒鳴りつける。


「かわいそう? この私が?」


 玲於奈は瑠奈に掴みかかってきた。


「止めろ!」


 亜門が仲裁に入る。


「言っとくけどね、私の方が亜門君のことが好きなの! あなたみたいになんでも恵まれて、それを鼻にかける奴に亜門君が笑ったり、冗談を言っているところを見ると、腹が立ってくる!」


 そう言って、玲於奈は瑠奈を突き飛ばした。


「止めろ! 本気で怒るぞ!」


 亜門がそう言うと、玲於奈は「亜門君? 後悔する結果になるよ?」と泣きながら、亜門を睨み据えた。


 そして、その後に玲於奈は走り去って行った。


「傷害の容疑にはならないかな?」


 亜門がそう言うと、瑠奈は「亜門君、本気で言うけど、そうやって大学を敵視するのは止めなよ」と心配そうな表情を浮かべていた。


「僕がどれだけ、あの大学で屈辱的な仕打ちを受けているかは瑠奈には分からないよ」


 亜門はそう言って、喫茶店方面へと戻って行こうとした。


「一人で帰れる?」


「いい、亜門君には頼らない」


 瑠奈はそう言って、亜門を突き放す姿勢を表した。


「何で?」


「今回は亜門君が悪いと思う、あんなことを言ったら、傷つくのは当たり前だよ」


 そう言って、瑠奈は一人でどこかへと歩いて行った。


 やりきれなくなった亜門は「くそっ!」と言いながら、地面に蹴りを入れるしかなかった。


 しかし、そうしても後に残るのは無念さと、いたたままれなさであって、どうしていいか分からなくなった亜門は仕方なく、喫茶店へ戻ることにした。


 今の自分にはあそこが心の拠り所なのだから・・・・・・


 亜門は瑠奈を怒らせた事に後悔の念を抱きながら、元の道に戻るしかなかった。



 大手町にある、警視庁ソルブスユニット分庁舎の隊長室には珍客が現れていた。


「公総の係長が私達みたいな実行部隊に何の用ですか?」


 小野澄子が執務用の机に座りながら、そう言うとソファに座っている五十嵐徹は苦笑いを浮かべていた。


「警備部長と派手にやり合ったみたいですね? おかげで無事に彼は登用されるようですが?」


 小野はそう言われると眉間にしわを寄せた。


「彼の所属している大学も学生の身分でありながら就業する事に異論を唱えているけどね?」


「あの大学の学長や教員連中は平成の終わり頃に起こった、政府の自衛隊再編論に対する反対運動を行ったグループの一員が中心を占めていますからね? 体制を守る警備兵の警察を敵視しているのは明確です」


「えぇ、確かに彼等の目線は敵意に満ちていたわね。もっとも、市民の味方のお巡りさんなんてやっていたら、私達の仕事なんて務まらないけどね?」


 小野がそう言うと、五十嵐は「それはそうですね」とだけ言った。


「おまけに来年の春学期に大学の復興が終わったら、一場君に協力してもらえないんじゃないかという懸念があるわ」


「ユニットの隊員を使えばいいじゃないですか?」


 五十嵐がそう疑念を漏らすと、小野は「メシアは彼とじゃないと戦わないって言っているから、言う事を聞かざるを得ないわ。それにね? メシアをできれば使いたいのよ」と言った。


「上層部も何故か、大学生を協力者にすることに異論を挟みませんからね? 小川警備部長などの勢力は別として?」


「それに単純に言えば、メシアの性能は折り紙付きよ。あのスペックは本来、警察では扱ってはいけない領域の物かもしれない」


 小野はそう本音を漏らした。


「そのメシアが彼じゃないと、戦わないと言っているんですよね?」


 五十嵐がそう言うと、さらに続けて「プロトタイプとはいえ、純然たる軍用ソルブスですからね。しかも、プロトタイプであるが故にAIシステムを中心として、中々、革新的な機能を備えている。日本の警視庁にアメリカのレインズ社がこれをレンタルしたのも、革新的な試験機であるから、あえて米軍に実戦配備はさせずに同盟国の日本の警視庁で犯罪者相手に機動的な戦闘データを得る事が目的でしょう?」と言った。


「要するに戦力になるから使いたいんですね?」


「その通り。ガーディアンだけではもうもたない」


 小野はそう言った後に「アメリカ軍が使用する前に日本で戦闘データを蓄積させて、そのデータをアメリカに持ち帰る。本国の軍人が死なない格好の口実にはなるわね。彼等は世界の警察官を辞めたわけだから?」と言いながら、髪をかき上げた。


 かつて、イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争ではアメリカ軍が様々な最新鋭の軍事兵器を投入して、砂漠の戦場はアメリカ軍による〝実験場〟と化したが、今のアメリカ世論は戦争に疲れているのだ。


 それに第二次湾岸戦争でもアメリカはイランと痛み分けの勝者無き、大義の無い、争いに身を投じてしまった。


 アメリカの戦争目的はキリスト教の布教とそれに伴う、民主主義の伝承にあるが、イスラム教シーア派の大国である、イランがキリスト教式の民主主義に染まるわけがなく、結果的にはこの戦争は激しい戦闘こそしたものの、政治的にも軍事戦略的にも確かな勝利を得ることは出来ずに、引き分けと言ってもいい中途半端な結果で、とりあえずの決着を迎えた。

 

 一神教の考えで行う、宗教戦争の台頭によって、従来の究極的に自国の要求を通す為の手段で、領土拡大及び奪還という限定的などの形で論理的で究極的な政治手段であった、戦争という行為は、ただ単に互いが互いを憎みあう、ただの殺し合いへと陥ってしまっていた。

 

 それを見た、アメリカ国民はベトナム戦争の悪夢を思い出し、大義無き戦争に嫌気をさして、今日に至る。

 

 それ故に国民は意味もなく、紛争地域にアメリカ軍の最新鋭ソルブスを投入することを承認しないだろう。

 

 故に実際の戦場に有人という前提でのプロトタイプを導入する口実として、急激に治安が悪化した日本が〝実験場〟として選ばれたのだ。

 

 しかも、軍隊にではなく、警察にレンタルしたのだ。

 

 これであれば、自国の兵士が死なないアメリカだけでは無く、警察用であるとすれば戦争アレルギーの日本人も批判しないだろう。

 

 小野はそのような背景を再確認しながら、執務室の椅子にふんぞり返って座っていた。


「自衛隊でも新型機を配備するようですね?」


「その話は前の職場にいた時に聞いたわ。時代の流れね?」

 

 小野がそう言うと、五十嵐は「警備部長はソルブスなんて日本には必要無いなんて言っていますが、実際には日本の仮想敵国はそのソルブスを密輸入しているという事実があるんですがね?」と上目遣いで話した。


「よりよって、時代遅れの平和ボケしたアホが警備部長なんてね?」


「盗聴に気を付けた方がいいですよ?」


「そんなことより・・・・・・」

 

 小野は五十嵐に視線を向ける。


「今日、係長殿は私を冷やかしに来たんですか?」


「いえ、小川警備部長があなた達に対して、解散や一場亜門の登用に関して、不利な決定をしたら、公安部とレインズ社の二つは全力で支援する意向があるという事を伝えに来ました」

 

 それを聞いた、小野は「そう」とだけ答えた。


「確か、公安部長の瀬戸警視監は総監やサッチョウの清本長官と同じく、ソルブス容認派だったわね?」


「前職は京都府警本部長で関西の指定暴力団の壊滅作戦に全力を投じた、生粋の武闘派です」

 

 確か、関西の指定暴力団の内部抗争鎮圧に尽力して、組長や若頭の逮捕にまで至った功績から、一年前に東京に戻り、公安部長を拝命した武闘派キャリアか?

 

 警視庁の軍用兵器の使用にも積極的で久光総監や清本長官からも強い信任を得ているとは聞いていた。


「一つ聞きたいんだけど、公安部の狙いは何なの?」

 

 小野がそう言うと、五十嵐は「部長とレインズ社の好意だと、踏んでいただければ幸いです」としか言わなかった。

 

 公安部長までもか?

 

 ここまで上層部が一場亜門の登用を認める理由は何なのだろうか?

 

 小野はそう考えながらもため息を漏らすしかなかった。

 

 そして、最終的には「まぁ、秘密主義の公安部に真実とやらを問い詰めても無駄ね?」と言わざるを得なかった。


「必要になったら、助けてもらうから、よろしく」

 

 小野がそう言うと五十嵐は「では、部長には早急に伝えさせていただきます」とだけ言って、部屋を出ようとする。

 

 その間を見て、小野は「一場君を使って、何をさせるつもり?」とだけ聞いた。

 

 すると、五十嵐は「秘匿事項です。それ以上の事は私の口からは言えません」と言う回答を返してきた。

 

 その後に五十嵐は「失礼します」と言って、隊長室を出て行った。

 

 あいつ等は一場君を使って、何をするつもりだろうか?

 

 何か、裏があるとしか思えなかったが、小野はとりあえず、引き出しからビターチョコを取り出した。


「後は、彼にメシアドライブを渡すだけね?」

 

 小野はそう独り言を呟いて、ビターチョコを口に入れた。


 

 久々の現場に立って、兵頭は興奮を隠せなかった。

 

 現場である渋谷の繁華街の裏道では電気自動車となったパトカーの赤いパトランプが午前中の渋谷の街を照らしていた。


「兵頭、耳は大丈夫か?」

 

 鑑識に所属している同期の安西が心配そうに声をかける。


「鼓膜は最短、一週間で治るんだよ」

 

 そう言って、現場を入ろうとすると、安西が「石上はまだ、あばらが治らないか?」と聞いてきた。


「病院の飯がまずいって言っていたよ」


「飯がまずいって言えるなら、元気な方だな?」


 そう言って、安西は写真を見せた。


「ガイシャはこの前のグリン大学のテロで出張っていたマルキの松田巡査だ」


 それを聞いた上で出された写真には私服姿の松田巡査の頸動脈が大きく抉られた、陰惨な光景が映されていた。


「松田は何か大きな生物の爪のような物で、頸動脈を抉られていたそうだ」


「あれだろう、〝教団〟が作った〝生物兵器〟だろ?」


 グリン大学襲撃事件以降の世の中の動きとして〝教団〟が行った〝改造手術〟によって、生まれたキメラと呼ばれる〝生物兵器〟の存在は新聞、テレビ、ネット、週刊誌などでも報じられていた。


 これにより〝教団〟は社会から大きくバッシングされ、その関連施設では近隣住民や被害者の会などが激しい抗議集会を開くなどの動きがあり、公安部も生物兵器等使用罪などで〝教団〟の幹部や一部の信者達のさらなる逮捕に向けて、動き出したとは聞いていた。

 

 その一方で二二年前に死刑が執行された元教祖である塚田の息子をいわゆる神の子として祭り上げる動きもあり〝教団〟の次期指導者としての待望論が信者達の間で囁かれているらしい。

 

 しかも、本人が乗り気であるという事実に胃もたれを起こしそうな人々が多いのも事実だ。


「このやり方は〝教団〟が絡んでいるのは明白だな?」


「〝教団〟の逃げた信者達が東京に戻って来たのか?」


 兵頭がそう言うと、安西は「奴等は閉鎖されたコミュニティでしか生きていないから、俺達、大人の常識とやらが通用しないのさ」とだけ言った。


 パトランプの赤い光が反射する中、兵頭は「鑑識はまだ作業が終わらないか?」とだけ聞いた。


「まだだな。すでに木口捜査一課長と渋谷署の署長が現場に入ったが、死体の回収に証拠の収集で、まだ現場は封鎖状態だ」


 遺体のあの損傷具合じゃあな・・・・・・


「一般的には刑事は現場には一切入らずに捜査することもあるからな? そのぐらいは俺も分かっているさ」


 そう言って、兵頭はどこか、マースあたりでコーヒーでも買おうかと思っていると、規制線の中から木口捜査一課長が現れた。


「何だ、兵頭か?」


 そう言いながら木口ははめた手袋を外し、それを路上に捨てた。


 若手の鑑識がそれを片付ける。


「御覧の通り、耳は大丈夫です」


「そんなことはいいが、一つお前に伝えたい事がある」


 そう言った、木口は辺りを見回し、兵頭に耳打ちを始めた。


「お前には悪いが、すぐに本部に戻ってくれ。特命をお前に与えたいと大家刑事部長からのお達しだ」


「部長がですか?」


「一介の主任警察官にこのような特命を与えること自体が非常識な案件だが、お前は本部でも検挙率がナンバーワンであるから、部長や俺も含めて、この特命とやらにお前を推薦したわけだ」


 そう言った木口は現場を見下ろし「それに先方も強くお前を押していたからな?」とだけ言った。

 

 そして、眉間にしわを寄せて、規制線の向こうを木口は見つめていた。


「現場はひどかった」


「ベテランの刑事である、課長がそう言うのであれば、グロテスクな現場であるという事は察しがつきます」

 

 木口はかつて、警視庁捜査一課では検挙率ナンバーワンの刑事でノンキャリアの叩き上げから捜査一課長へと上り詰めた、ノンキャリアの星とも呼ばれる逸材である。

 

 しかし、部下に厳しい姿勢で知られ、何人か彼の下で仕事をした人間はその厳しさに耐えられずに他の部署に移るか、ひどければ警察を去るといったことも多数あった。

 

 兵頭は大学時代に柔道の強豪校出身という事から上級生に嫌と言うほどにパワハラ的な仕打ちを受けていて、ある程度の免疫はあったが、警視庁所属の警察官の九割は学生時代において柔道や剣道は未経験の者が多い。

 

 木口のような大学時代に柔道の全日本学生柔道優勝大会のチャンピオンであった、猛者と若手の警察官は人間性が違い、木口はその違いを認めないのだ。

 

 兵頭はそう木口を認識していた。


「俺は現場に行かなくていいんですか?」


「特命が最優先だ。何度も言うが早急に本部に戻れ」

 

 木口はそう言うと「早く行け」と言って、規制線の向こうへと消えて行った。

 

 すると安西が「早く行った方がいいぞ。一課長は怒りだすと怖いからな?」と軽口を叩く。


「分かっていると思うが、俺が特命を受けたことは誰にも言うなよ?」


「今度の飲み会で奢ってくれればいいぜ?」

 

 そう言った安西に兵頭は「じゃあ、現場の検証頼む」と言って、東京メトロ渋谷駅の銀座線へと向かって行った。

 

 先方って誰だ?

 

 大体、捜査活動を外れて特命を受けるなど、常識外れもいいところだ。

 

 何が起こるのだろうか?

 

 兵頭は不安を覚えながら、霞が関へと向かって行った。


10

 

 大手町にある警視庁ソルブスユニット分庁舎のミーティングルームにおいて、一場亜門は小野を始めとする面々に囲まれていた。

 

 結局ここに来たか・・・・・・

 

 瑠奈に頼んで、彼女の父親である久光秀雄警視総監に自分が警察へ協力してキメラと戦うという事態を止めさせてほしいと頼んだが、結果的には通らずに瑠奈は後で説教をされたらしい。

 

 その事を先ほど、Cメールで大手町に来る前に伝えられた。

 

 その時の絶望感は言葉にできるものでは無く、今現在は学費を稼ぐ為と無理やり気持ちを前向きにしているところだった。

 

 正直に言えば、今の心境は泣きそうなところだったが、この目の前にいる、いけ好かない警視正殿の前であまり弱気な表情は見せたくなかった。

 

 なので、努めて気丈に振る舞っているのだ。


「一場君」


「はい!」


 亜門は自分でも褒めたくなるほどの大きな声を腹から出して、目の前の女警視正の前に立った。


「あなたには協力者として、私達、ソルブスユニットで働いてもらいますが、名目上として民間人が警備活動を行うのは警察の業務上、不具合が生じます。そこであなたは今日付けで警視庁の特務巡査という形で階級を与え、特例という形での限定的な活動を許された、警察官としての身分を与えます。なお、この人事は国家公安委員会及び、東京都公安委員会も了承して、あなたには後で宣誓もしてもらいます。それによって、法的な課題はクリアとなります」


 そう言われた亜門は「僕は・・・・・・警察官になるんですか?」と問い返した。


「業務的に警察官としての身分が無いと、メシアのような装備は扱えないの。不本意だろうけど?」

 

 そう言うと、小野が持っている、スマートフォンとスマートウォッチから「事実、民間人が軍用兵器を扱えば諸外国では極刑が適用されるほどの重罪だ。お前を限定的とはいえ、お巡りにすることは妥当だと思える。隊長殿も肩書は特務警視正だからな?」とメシアの声が聞こえた。


「隊長は警察官じゃないんですか?」

 

 亜門がそう口を開くと、小野は「元々は自衛官だったのよ」とだけ返した。

 

 なるほど、それならば、あの硬さと攻撃性を備えた、目線と態度にも納得がいくな?

 

 亜門がそう思った矢先に小野は「一応はあなたに警察手帳を受領します」と固い声音を出した。


「いいんですか?」


「ただし、業務以外では使わせません。この庁舎内に保管してもらいます」


 亜門はそれを聞くと「それだと、電車のタダ乗りは出来ませんね?」と返した。


 すると、それを聞いていた若い巡査が「当たり前だろう」と呟くのが聞こえた。


「宇佐、止めろ」


 それをベテランの隊員が制する。


「手帳は私達が業務を行う時にだけ使用。そして一番大事なのは・・・・・・」


 小野が会話に一拍を置く。


「何です?」


「メシアの装備を使うのは警備活動のみで、いわゆる私闘での使用は警視庁との契約で禁止させてもらいます。たとえ、いじめられてもね?」


 この人は僕が大学で、どんな扱いをされているかを知っているんだ?


 まぁ、つまりは僕が大学で何らかのいじめを受けた際に報復活動としてメシアを使って相手を痛めつけるのは警視庁との契約に違反するという事だ。


 それを聞いた亜門は「キメラに遭遇したら、どうすればいいですか?」とだけ聞いた。


 すると、宇佐という若い巡査は亜門を睨み据えるが、周囲がそれを宥める。


「仮に道端でキメラに遭遇した場合、あなたがメシアを装着した情報がこちらに転送されます。それにより通信が開くので、私達の指示に従ってもらい、戦闘を続けてもらいます」


 小野が硬い口調でそう言うと、亜門は「分かりました。ただし、学費は払ってくれるんですよね?」と念を押した。


「えぇ、約束通り」


 そう言った、小野は亜門の前に歩み寄り、メシアドライブと呼ばれる、スマートフォンとスマートウォッチを手渡した。


「今日から、俺とお前は四六時中一緒になるわけだ。変な事はするなよ?」


「変な事って何だよ?」


 亜門がメシアにそう問うと「男の子にとって大事な事さ?」と言う答えが返ってきた。

 

 それを聞いた、小野はわざとらしく咳払いをした。


「とにかく、学費は心配する必要はありませんが、その見返りとして、こちらの指示には従ってもらいます」

 

 そう言った、小野に対して、亜門は「約束に何とか、答えられるようには努力します」とだけ言った。

 

 そう言った亜門に対して、ベテランの警察官二人が近づいてきた。


「高久だ、よろしく」


「島川だ、ソルブスユニットにようこそ」


 そう言って、二人の屈強な男達と握手をする中で宇佐はそっぽを向き、亜門と視線を交わさないまま、ミーティングルームを出て、どこかへと消えていった。


「一場君、気にするな?」

 

 高久がそう言うと、島川は「あいつ、この前の大学でのテロで、キメラに対して何も出来ずじまいで、お前がキメラを倒したから、少し自信を失っているんだよ」と言ってきた。


「僕は・・・・・・無我夢中だっただけですから?」


 亜門がそう言うと、高久は「あいつにも非があるわけじゃない。事実、あのキメラは民間人の密集したところを狙って、殺しを続けていたからな? 俺達、警察官は民間人に手を出せないのを知っていての姑息な手段さ。宇佐はその中で何もできなかった事を悔やんでいる」と語った。


「そうですか・・・・・・」


 亜門がそう答えると、メシアが「本当にそうならばいいがな?」と言った。


「どういうことだ?」


 島川がメシアに問いかける。


 その表情は怒りに満ちていた。


 仲間に疑念を抱かれたからだろう。


「あいつは正義感が強いが、それは独りよがりな正義感だ。責任を感じているのは分かるが、俺はそんな独善的な正義感で行動する奴が嫌いだ」


 メシアがそう言うと、高久が「奴には奴なりの正義感があるんだろうが、確かにその正義感を人に押し付けるところがあるからな。俺達も気をつけるが、お前も摩擦が起きることは避けろよ」とメシアに言った。


 この人達は強面だが、面倒見がいいな?


 亜門はこの二人は良い人なのかもしれないなと思っていたが、同時に宇佐との間では何かしらの軋轢が生じるのではないかという、不安を感じていた。


「まっ、今日は家に帰って、ゆっくりしようぜ?」


 メシアがそう言うと、亜門は「言っとくけど、僕のプライベートの時間を邪魔するなよ」と苦言を呈した。


「そうか、肝に銘じておこう」


 そうやって、亜門は「失礼します」と言って、ミーティングルームを出ようとした。


「一場君、契約書の確認とサインがまだよ?」 


 小野がそう亜門を呼び止めた。


「・・・・・・メシア?」


「何だ?」


「契約書の類、書いたこと無いんだよ」


 亜門が不安げにそう語ると、メシアは「お前はガキか?」と苦言を呈した。


「頼むよ。書き方、教えてくれよ~」


「まぁ、汎用型AIの俺はその為にいるようなものだしな?」


 そう言った、メシアは亜門に「書き方、教えてやるよ」と言った。


「じゃあ、座って」


 そう言って、椅子に座った小野に遅れる形で、亜門も椅子に座る。


「ところで?」


「はい?」


「大学の単位は大丈夫?」


 小野にそう聞かれた、亜門は「ちょっと、不安です」としか言えなかった。


「まぁ、私達は困らないけど、大学は出た方が良いわよ」


「はぁ・・・・・・」


 完全に弱みを握られているな?


 まぁ、とにかく、いくら嫌いでも大学は出ておかないと、将来的に困るから、ここは我慢だ。


 亜門は悔しさを抱きながらも、パソコンで電子契約を行った。


「これからはよろしくね? 一場特務巡査?」


 小野がそう言う中で、亜門は黙って、パソコンの画面を見つめながら、電子契約を続けていた。


 この人、嫌い・・・・・・


 今の亜門には、小野に対する険悪感が脳内で渦巻いていた。


11


 渋谷から霞が関に戻った、兵頭はそのまま、警視庁庁舎六階にある刑事部長室へと向かって行った。


「兵頭警部補参りました」


「入れ」


 ドアを三回ノックすると、大家刑事部長の声が聞こえてきた。


 その後に「失礼します」と言って入ると、白髪頭をした紳士風の男がスーツ姿で大家の隣に立っていた。


「特命を与える前に、お前に紹介したい人がいる、こちらは――」


「警視庁警務部人事一課監察係の石川です。今後ともよろしく」


 そう話を遮られた、大家は不快感を露わにした表情を見せた。


 よりによって、ジンイチかよ。


 監察に関わる事になるとは、俺は本当に運が悪いな?


「石川さんはジンイチの課長だ。今回の特命にはジで検挙率ナンバーワンのお前をわざわざ指名したんだ。心してかかれよ」


 本部でエリート揃いの監察で課長クラスだとすれば、階級は自ずとキャリアの警視正だろうな。


 ついでに言えば、警視庁の総務部参事官も兼務しているからな・・・・・・


 特に監察部人事一課通称ジンイチは同じ警察官を疑い、尾行する部署である時点で捜査一課の人間としては抵抗感を覚えるばかりだ。


 しかも、その人員は公安出身者が多く在籍しており、その活動内容の親和性から公安とは未だに人事交流をしているという話は聞いてはいた。


 だから、こんなに嫌悪感を抱くんだろうな。


 俺は?


 公安嫌いの兵頭は胸糞の悪い気分を抱いていた。


 これが特命だったから良かったが、何かしらの不手際でジンイチに目を付けられたなら、そいつの警察官人生は終わると言われているのだ。


 できればお会いしたくない人であることは確かな事だな?


 そのジンイチが俺に特命か?


 若干、嫌な予感を匂わせる中で石川が「それでは当庁警察官の非違事案について発表します」と言い出した。


 非違事案とは要するに警察官の不祥事の事だが、石川はまるでジンイチでも普段から言っているかの如く、悠々と話し続けた。


「我々は現在、警視庁内部にいる〝教団〟のスパイの実態を調査しています」


 それを聞いた、兵頭は「そんな奴等が本当にいたんですか?」と間の抜けた声を出してしまった。


「あぁ、信者達が本部に身分を隠して、採用されていたらしい。しかも、それはキャリアにもいるそうだ。それと、平成のテロが起きた時の若い信者達が今では警察OBや政財界にも浸透し、ウチの人事にも介入している可能性がある。それを危惧したウチの上層部がジンイチやハムを使って、その実態を調査していたが、その時に例の石田の自殺が起きた」


 大家は石川の方を向いてそう言った。


 まるで、ジンイチの不手際で〝教団〟のスパイをみすみす自殺に追い込んだと言いたいかのようだ。


「〝教団〟絡みならば公総に頼めばいいでしょう。何もジの俺を使わなくても――」


「公安部と我々、監察が合同で捜査をした結果、彼等が宇都宮にいたことは確認されましたが、我々としては警察内部に〝教団〟の信者がいたという事実が明らかになることは避けたい。その為、公安部が主導する形でありながら、マスコミに対する偽装策として、捜査一課案件であることを演出する為に兵頭警部補を指名しました」


 つまり、俺は都合の良い奴という事だ。


 兵頭はそう思った後に「他にいるでしょう?」とぼやいた。


 大家は「何だ? お前やりたくないのか?」とこちらを睨み付ける。


「他にもデカがいるでしょう。ハムの中に俺一人混じって捜査するのは嫌です」


「ジが動かなくてはならない理由としては彼等がPフォンを破棄した後に拳銃を持って逃走したことにあります。故に事態が明るみになった時の為にジのエースである、あなたがいたという事実が欲しいのです。公安部も力が落ちていますからね?」


 それを聞いた兵頭は「まさか五十嵐が来るんじゃないでしょうね?」とだけ言った。


「ジがハムを嫌っているのがよく分かります。ですが、彼には重要な任務があるので?」


 石川が淡々とそう答える中で大家は「拳銃を所持したまま脱走した警察官がテロリストと行動を共にしているんだ。これだけでも世間に知られれば、パニックになると同時に警察のメンツが潰れることになる。それに公安部主導で捜査を行った結果として、秘匿が原則でプライドの高い公安部のことだ。総監は公安部がミスを犯して自分達の体面を保つ為に動き出す事を危惧して、デカであるお前を投入することにした」と言いながらしかめっ面を浮かべていた。


「あくまで〝教団〟スパイの検挙ではなく、刑事事件として処理する為に腕利きのあなたをここに呼びました」


 なるほどな。


 警視庁内部に〝教団〟のスパイがいると言う事案が表に出ない為に、あえてデカを一人用意して少数戦力における隠密行動の上で、一般的な刑事事件として処理する事で決着を付けようとする魂胆か?


 兵頭は自分が呼ばれた事が理解できたが、個人的にはあまり納得できるものでは無かった。


 何故なら、公安が嫌いなのだから。


 それを察しているのかは分からないが石川は「上層部は三人の警察官を地方公務員法違反と銃刀法違反の容疑で逮捕するつもりです」と淡々とした口調で兵頭に捜査方針を告げる。


「あくまで刑事事件として処理すると?」


 兵頭がそう言うと、石川は黙ってうなずく。


「その上で彼等を懲戒免職とします」


 兵頭はそれらを聞いた後に「そうですか・・・・・・」と静かな不満を声に出した。


「事態が事態だ。世間には都合の良い形で伝わってもらわないと困る」


 とにかく警察のメンツを重視する大家がそう言うと、それを聞いた兵頭は「しかし、あの頃の学生達がそこまで出世していましたか?」とだけ言った。


 確かに今の〝教団〟の怖いところは今でこそ、劣等生の代表格が金持ちや恵まれた連中を殺戮しているようなイメージになっているが、元々は居場所が無く孤独ではあるが、優秀であったエリート学生達も信者として加わっていた事にある。


 事実、そのエリート学生達が爆弾やら毒ガスを開発したのだ。


 あの〝教団〟の恐怖の原点は頭の良いエリート達が狂気のテロ集団に加わって教祖の塚田を皆が賛美し、日本と言う国を本気で征服するつもりでいた事だ。


 当時、兵頭はリアルタイムでその恐怖を感じたことは無かったが、ここ数か月の〝教団〟が起こしたテロ事件を受けて、常識では考えられない狂気を体現する連中が正常であるとは思うわけが無かった。


 カルト組織に染まった奴等がウチの監部連中や政財界のお偉いさんの中にいて、ウチの人事にまで介入している事を考えると虫唾が走るな?


 兵頭がそう考えていると、石川が「兵頭警部補?」と声をかけてきた。


「失礼」


「とにかく、隠密行動で裏切り者を追え。スパイが警視庁及びサッチョウにいるなど、知られてみろ。警察のメンツは丸つぶれだ」


 もう分かったよ・・・・・・


 部長は警察の隠蔽体質に見事に染まっているな?


「捜査活動にはバディが必要でしょう。ハムの方から一人優秀な警部補を貸すと、五十嵐公総係長が言っていましたよ」


 そう言って、石川は「進藤、入れ」と言い出す。


 俺一人で活動するわけじゃないらしいな?


 もっとも、刑事警察においては一人でのスタンドプレーは厳禁で、常に二人以上での行動が義務付けられている。


 一方で、公安部は秘匿性厳守の為かは知らないが、基本的に一人で行動する一匹狼のようなタイプが多いと聞いてはいた。


 恐らくは上層部から公安部の暴走を食い止める為に送り出された、デカの俺に対する牽制で、五十嵐が監視を送りこんだのだろう。


 問題はその相手がどんな奴かだが?


「失礼します」


 そう女の声が聞こえる。


 すると現れたのは三〇を超えたかどうかぐらいの色の白い女だった。


「警視庁公安部総務課の進藤千奈美警部補です。よろしくお願いいたします」


「五十嵐警部から彼女には教育の意味も込めて、あなたに預けたいとの事です。よろしいですね?」


 石川がそう兵頭を見つめるが、兵頭には不安しか頭の中に存在していなかった。


 こんな若い娘が俺の監視か?


 進藤と言う色白の女が厳しい目線で見つめる中で兵頭は「必ず、奴等を逮捕します」とだけ言った。


 内心では早くこの部屋から出て行きたかった。


12


 亜門は大手町のソルブスユニット分庁舎から、自転車でアパートのある高円寺へと戻ろうとしてい

た。


「お前、ケチだな?」


 スマートウォッチからメシアが話しかける。


「契約金とアルバイト代は全て学費に充てる。その資金を遊ぶ金に使いだす奴はバカだよ」


 亜門がそう言って、自転車を漕ぎ続ける。


 場所が金融街なので、周辺はスーツ姿のサラリーマンばかりだ。


 近くには日本橋があり、東京証券取引所もあった。


「お前、何をやっているんだ?」


「観光だよ。普段高いビルの無い住宅街にある学校に行っているんだから、都会の空気とやらを感じたいんだ?」


「都会のネオンを知った、農村の若者は故郷を捨てるか?」


「僕、山口市出身なんだけど?」


「田舎だな? お前の田舎嫌いの表現にはぴったりだ」


「何だと? 長州藩を舐めんなよ!」


「山口、鹿児島、高知、佐賀の連中はよく維新の話をするが、もう、時代は令和だ。忘れろ、過去の事なんか? もっとも、それ以外に自慢できるところがないのか?」


 こいつ・・・・・・ムカつく!


 ていうか、殺すぞ!


 長州藩いなかったら、お前等いないんだぞ!


 亜門が歯ぎしりする中で、メシアは口笛を吹き始めた。


「さぁ、明日から大学の勉強をするか? 俺のディープラーニングの役に――」


「スルーすんなよ! 長州藩舐めんな!」


「はい、はい」


 ぶっ殺す・・・・・・


「明日から、お前の三流大学にお邪魔してーー」


「行かない」


 亜門がそう言うと、メシアが黙り込む。


「行かないよ、大学があんな状態になったから」


 亜門がそう言うと、メシアは黙り込んでしまった。


「もしかして、辞めるのか?」


「そうしたいけど、そうすると就職先が限られてくるんだよ?」


「まぁ、お前は友達いないだろうからな? キャンバスライフなんて代物には価値を見出せないだろう」


「うるさい」


 亜門はそう言って、自転車を漕いでいた。


「とりあえず、大学に行かないなら、その金で焼肉行こうぜ?」


「お前は食えないだろう?」


「学校というのはな? 何も退屈な座学を詐欺師のような教員から説教されて、ガキ同士が休み時間にじゃれ合う空間だけではない。おっさん達の酒場もまた学校なんだ」


「人生を習うんだろう」


「だからこそ・・・・・・行こうぜ! 酒場!」


「お前は飲めないだろう!」


 そのようなミニ漫才をお互い行っている時だった。


「キャー!」


 若い女の叫び声が聞こえた。


「・・・・・・女の人の声だ」


「向かうぞ!」


 メシアがそう言うと、亜門は「えっ? 嫌だよ! 事件に巻き込まれるじゃないか!」と本音を漏らした。


 すると、メシアは「警視庁との契約でテロ関連の事件に関しての初動が認められていて、交戦も許可されている。お前の出番だ」と答えた。


 そのようなやり取りを繰り広げながら、亜門とメシアは自転車で悲鳴が聞こえた、七十七銀行日本橋支店の辺りに向かった。


 その到達した七十七銀行前では高級スーツを着たサラリーマン数名が、頸動脈を抉られるというグロテスクな光景が広がっていた。


 そこには熊に似た姿をした、いわゆる、キメラが鋭い爪を向けて、拳銃を向ける警察官と相対していた。


「亜門!」


「・・・・・・やるしかないか?」


 そう言った亜門はメシアドライブが持っているのを確認した後にお決まりの言葉を吐いた。


「装着!」


 亜門がそう叫んだと同時にその体は赤い閃光に包まれて、視点はCG補正され、赤と白のパワードスーツが亜門の身を包む。


 それを見ていた、熊のキメラはなぜか、動きを止めていたが、亜門はそれを気にすることなく、上空を飛行し、装備されているアサルトライフルのFNSCARを掃射した。


 すると、前回の交戦の時と違って、動きの遅いキメラに見事、銃弾が当たる。


「いける!」


 そう言って、亜門はFNSCARを掃射し続ける。


〈一場君、聞こえる?〉


 耳にはソルブスユニットの移動式オペレーションルームからと思われる、小野澄子からの通信が聞こえていた。


「聞こえます」


〈ウェアラブルカメラの映像を見る限りでは相手は格闘戦に強いと思われる一方で、機動力に劣ると思われるわ?〉


「つまり?」


〈銃撃戦を中心にターゲットを殲滅します〉


 亜門はそれを聞きながら、飛行を続けながらFNSCARを掃射し続ける。


 すると、熊のキメラはいきなり動き出し、こちらへと向かって来た。


「こいつ、避けるのは遅いくせに!」


「こちらに向かって来るスピードは速いな。つまり、馬力があるという事だ!」


 そう言って、向かって来た、熊のキメラに対して、上空から勢いをつけて滑空したメシアは右足に新たに装備された、アーミーナイフを右手に取り、熊のキメラの左目に差し込んだ。


「あぁぁぁぁ!」


 左目を刺されたキメラから緑色の血が噴き出す。


 しかし、ナイフを差し込んだその直後に熊のキメラに強い力で押し出されると亜門は地面に叩きつけられた。


「うわぁ!」


 そう言って、地面に叩きつけられた後に、亜門はすぐに浮遊を始め、飛行を再開した。


「追うぞ!」


「あぁ!」


 亜門はそう言って、飛行しながら、FNSCARを撃ち続ける。


 そして、逃走する熊のキメラを追い始める。


 しかし、メシアの補正があるとは言え、素人の亜門の手は震えて、照準が定まらずにキメラの体にこそは当たるが、致命傷は与えられない。


「下手くそ! 致命傷も与えられないのか!」


「銃なんて扱ったことないんだから、しょうがないだろう!」


 二人がそう言い合いながらも後ろからはパトカーがサイレンを鳴らしながら、キメラを追い始めた。


 熊のキメラの足は機動力に劣ると思っていたが、馬力ある四つん這いの走りは力強いもので、金融街の道路を走り、東京駅方面へと向かう。


 何で逃げ足だけは速いんだよ!


「人の多いところをまた狙うか?」


「まずいな、早めに仕留めるぞ!」


 動きの補正をしてくれるメシアとそのようなやり取りを行いながら、FNSCARを掃射し続ける。


 何発かがキメラに当たり、キメラの緑色の血が金融街の道路に滴り落ちる。


「あと一息だ! 亜門、仕留めるぞ!」


「メシア! 東京駅までの距離は?」


「残り二〇〇メートルだ!」


 駅に着くまでに何とか仕留めないと!


 そう思った矢先に熊のキメラは急に進路を変えた。


「何だ? 急に進路を変えた?」


 残り、二〇〇メートルに迫った東京駅へのルートを無視して、熊のキメラはそのまま日本橋方面へと走り続ける。


 すると、メシアは息を飲んだ。


「奴の進行方向の先には川がある!」


「あいつ! 川に飛び込んで逃げるつもりか!」


 亜門はそう思ったと同時にFNSCARの弾薬をリロード、つまりは再装填をする。


「リロードする時はちゃんと、声に出して伝えろ!」


「うるさい! 素人なんだから専門的なことを言うな!」


 そうお互いに口喧嘩しながらも、これらの一連の動きは全て、メシアが補正する。


 しかし、亜門の手の震えはそれらによるカバーでも払拭できずに、リロードも遅い物だった。


「逃がすかよ!」


 夢中に、いわゆるトリガーハッピーの状態になって、銃弾を撃ち続ける亜門だが、熊のキメラは日本橋にそのまま突っ込み、川へと飛び込んで行った。


 キメラが川に落ちたと同時に亜門は舌打ちした。


「逃がしたか!」


 亜門はそう言って、日本橋川を見下ろしたが、キメラの姿は見えなくなっていた。


「契約初日に戦闘とはな?」


「ついていないな?」


 そう言った、亜門が後ろを振り返ると、ソルブスユニットの移動式オペレーションルームを備えたトレーラーを乗せたトラックがやって来た。


 そしてトレーラーから小野が降りて来る。


「カメラである程度、戦闘の様子は分かったけど、一応は報告してもらうわ?」


 小野はそう言いながら、日本橋川を見下ろす。


「潜ったとでもいうのかしら?」


「何も上がってこないですからね? 死んでいてくれると、いいですけど?」


 亜門がそう言うと、小野は「あのキメラにはある程度のダメージを与えただろうけど、そういう結論は時期尚早よ」と言って、トレーラーへと戻って行った。


 すると現場周辺をパトカーと警察官が囲み始めた。


「これは、深夜まで拘束されるかな?」


「当事者だからな?」


「ここ最近、ついていないな?」


 亜門はそう思いながら地面を軽く蹴った。


 空が夕暮れになっていたことにどこか虚しさを感じていた。


13


 日本橋川へと落下して、銃弾で撃たれことにより、緑色の血が川を染める中で、佐藤玲於奈はキメラ体の状態で川に深く潜っていた。


 そして、そのまま日本橋川に漂う形で人間体へと戻っていった


 水泳を習っていたのがこんなところで役に立つなんて・・・・・・


 玲於奈の撃たれた銃弾で負った弾痕が体の至るところに見られ〝改造手術〟を受けた体からは緑色の血が流れる。


 特に左目をナイフで刺されたので、視界が悪くなっていた。


 急いで、ここから脱出しないといけない。


 玲於奈は警察官が近くにいないことを確認したが、サイレンの音が激しく、迂闊には地上に戻れないと判断した。


 その途中で、何故か涙が止まらなくなった。


 亜門君が私を撃ってきた・・・・・・


 キメラ体だったとはいえ、この私を攻撃してきたのだ。


 好きな男の子に敵対視されて、銃弾を撃たれる事なんて、そうそう経験できないが、玲於奈にはその事実が撃たれた傷よりも深い、精神的な傷を負わせていた。


 亜門君は本当に大学が嫌いなのかもしれない。


 気が付けば、彼の周りには大学以外の様々な人々が関与している。


 〝教団〟から聞いた情報では彼は正式に警察の協力者になったらしい。


 その時点で私の知っている、一場亜門はどこか遠くへと行ってしまった。


 そう感じた、玲於奈は〝教団〟が警視庁に送りこんだ、スパイから得た情報でグリン大学で警邏をしていた、機動隊員達の情報を得て、その一人を殺した。


 自分から亜門を奪った警察という組織が憎かった。


 彼は私達と同じグリン大学の学生なのだ。


 警察に協力をすれば、亜門君が私と過ごす時間が無くなってしまう。


 そう考えて、亜門に警察に協力をしないように説得する為に大手町にある警視庁の特殊部隊の分庁舎があるであろう、普段は絶対に行かない金融街に出かけて、玲於奈は亜門が自転車で歩く姿を見た。


 何度か声をかけたが、亜門は気付くことなく、スマートウォッチに対して、何かを話しながらそのまま過ぎ去って行った。


 彼にとって、自分がそのような存在なのだという現実を突きつけられたその時だった。


 近くにいたサラリーマンがどこかの会社が示している、株と為替の動きだろうか、自分が習ったことのない数字を見ていた。


 玲於奈はその光景を見て、ひどい不快感を覚えた。


 都会の人間はゲーム感覚でお金を稼いでいる。


 それに比べて、私はどうだろう。


 新潟から上京して、年中アルバイトをして、家賃を払えば好きな事に使う、お金はほぼ無く、高校時代は優秀では無かったので、政府の高等教育無償化の対象にも選ばれなかった。


 そして、大好きな亜門には無視をされるという事実と相まって、ゲーム感覚でお金をやり取りをして、高そうなスーツを着ているサラリーマン連中に対して、訳もなく敵意が生まれ〝教団〟の指示とは違う形で、キメラ体へと変化し、数人の頸動脈を抉り取ったのだ。


 すると、そこに亜門が現れて、パワードスーツを着て、私を撃ってきた・・・・・・


 以前の彼はこんな事をしなかったように思える。


 大学にいる時の彼はどこか、ミステリアスな雰囲気がして、優しかった。


 でも、その彼は私や皆の大好きな大学を居場所としていない。


 それどころか、敵意を持ち、彼は大学の外に居場所を見出している。


 嫌だ!


 そんなの認めたくない!


 亜門君は私が手に入れないと意味は無い。


 でも、どうすればい?


 彼に再び会えば、敵意と共に再び銃弾を撃たれるだろう。


 どうすれば・・・・・・


 そのような絶望感を覚えながら、日本橋川を漂っていると、そこに浮き輪が投げられた。


 その上側の地上ではワゴン車がやって来て、男達が浮き輪に付いたひもを引こうとしていた。


 〝教団〟のウォッチャー達だ


 玲於奈は浮き輪につかまると、男達は三人がかりで玲於奈の乗った浮き輪を引き上げる。


 そして、玲於奈は無事に地上へと引き上げられた。


「警察関係者だけを狙う作戦だろう?」


 ウォッチャーがそう言う中で玲於奈は目をそらす。


「あいつ等、高い服を着ていたから、ムカついたんだもん」


「情緒不安定な一面があるとは聞いていたが、事実のようだ。何度も言うが、お前は警察関係者だけを殺せ」


 玲於奈がワゴン車に乗り込んだ後にウォッチャーはある写真を取り出してきた。


「次はお前が殺したくて、しょうがない奴だ」


 ウォッチャーが差し出した写真には喫茶店の前で亜門とべったり、くっついていた久光瑠奈の姿があった。


「こいつは警視総監の娘だ。拉致するのが望ましいが、お前の裁量によっては殺しても構わん」


 そう言われた、玲於奈は思わず、笑みを浮かべていた。


 そうだ。


 亜門君が心の拠り所にしている、大学以外の繋がりは全て壊してしまえばいいのだ。


 そうすれば亜門君はいずれ大学に対して、従順になり、私のことも見てくれるに違いない。


「他の連中が見ている。さっさと治療するぞ」


 ウォッチャーがそう言うと、ワゴン車が走り出す。


 そうだ・・・・・・


 そうすれば、亜門君は私を振り向いてくれる!


 玲於奈がそのような盲信を脳内で渦巻かせ、狂ったように笑い転げる中で、ワゴン車は神田の街から離れ始めていた。


14


「進藤千奈美。平成二一年、四月一八日生まれの三一歳。慶有大学を卒業後に警視庁入庁。巡査拝命後の一年後に巡査部長への承認試験に一発で合格。その二年後に用件を満たし、警部補承認試験に合格。若干、二八歳での警部補昇進はノンキャリアとしては異例のスピードでの出世とは資料に書いてありましたが?」


 刑事部から支給された、トヨタ製のカムリの助手席で東京の街並みを眺めながら、兵頭は隣の運転席で運転をする、その進藤に探りを入れる。


 異例のスピードで出世街道をひた走る、この三〇代の女が自分と同じ階級の警部補なのだ。


 若干の僻みがあるのは否定できない。


 兵頭のそのような心理を知らないであろう無言を貫く進藤に対して、兵頭は「確か、慶有大学って言ったら、坊ちゃんや嬢ちゃんが通う金持ち大学と聞いています」と続けた。


 それを聞いた進藤は「幼年部から通う、裕福な育ちの人間がわざわざ何で、警視庁に入ったのかと聞きたげですね?」とこちらに目を配る。


「就職できる企業なんていくらでもあるでしょう? それに慶有は伝統的に民間の各企業で派閥ができるほどのネットワークがありますが、官公庁では話は別だ。サッチョウのキャリアのほとんどは東大出身者で占められていますからね? その中に尚且つ、ノンキャリアで入庁した経緯が気になってね?」

 

 進藤が運転するカムリは首都高速へと入って行った。


「他の同期がテレビ局のアナウンサーや民間の有名企業に就職する中で、私は社会正義を体現したいと思っただけです」

 

 進藤がそう言うと、兵頭は「親御さんから反対はあったんじゃないですか?」と聞いた。


「会社の重役だった父からは『何の為に幼年部から慶有に入ったんだ!』と言われた挙句に勘当されましたね?」

 

 そう言う進藤に対し、兵頭は「まぁ、学歴はともかくノンキャリアで、二〇代での警部補昇進は素晴らしい事でしょう。確か、巡査部長時代からハムにいたそうで?」と本筋を聞いてみた。

 

 進藤は英語だけではなく韓国語、中国語やロシア語も喋れる、マルチリンガルとは聞いていた。

 

 これだけの人材ならば公安部のスカウトが来るのも分かりきった話だ。

 

 それが気になった兵頭は進藤に疑問をぶつけてみたが、進藤は「当時の公安上層部は私が五か国語を話す事と、射撃の成績が良い事で私を一本釣りしたそうです。監察の石川参事官から公安部に働きかけてくれたそうで、経験を積んで、将来的には監察官になって欲しいと言う意図があるそうです」と言って口を曲げて笑っていた。

 

 口を曲げて笑う奴は皮肉屋が多いというのは人相学の基礎的知識だ。

 

 その皮肉屋であろう、進藤が石川のことを参事官と呼んでいたが、ジンイチの課長は総務部の参事官も兼務しているため、ジンイチの課長は参事官と呼ばれるのが通例らしい。

 

 もっとも、進藤は公安畑だが?

 

 しかし、進藤が言った石川の推薦とやらも、あながちあり得ない話ではない。

 

 何故なら、進藤は巡査部長から警部補に至るまでの試験を全て、一発でクリアしているのだ。

 

 さらに資料によれば警察学校からその二つの試験に至るまで、いずれも警視庁全体でトップファイブに入るほどに優秀な成績を収めたとある。

 

 警察内部で清廉潔白のエリートの集まりで公安経験者でなければ入れない、監察が欲しがるような人材だ。

 

 そう考えて兵頭は「なるほど、相当な腕があるというワケだ?」とだけ言った。


「石川参事官が慶有の出身者であることも考えられます。私大卒のキャリアが生き残る大変さを知っているからでしょうね」

 

 あのおっさんは私大卒のキャリアか?

 

 大半が東大卒を占める警察のキャリア組でも、年に数人は私大卒の学生を取らなければならない。

 

 しかし、私大卒のキャリアはその出世競争の中で冷遇をされるという事も多いようだが、警察庁のキャリア官僚の九割は東大卒で占められている事を考えると、大変なのだろうなとぼんやりとは感じられた。

 

 事実、キャリア官僚の中には露骨に私大卒を軽視する人間がいるのも事実だ。

 

 もっとも、自分には考えの及ばない世界だと思えば、それまでだが?


「五十嵐の好みだからじゃないですか?」

 

 兵頭がそう言うと、進藤は口を曲げて笑いながら「係長は野心的な人ですが、まだ、そこまでのえり好みが出来る地位にはいませんよ」と言った。

 

 五十嵐、お前はまだ偉くないそうだ。

 

 兵頭は口に笑みを浮かべながら、話しを続けた。


「警察は実力至上主義ですからね?」

 

 兵頭がそう言うと、進藤は「なぜ、ジのあなたにイヌの追尾を任せるのかが気になっているそうですね?」と言いながら、軽快にハンドルを切る。

 

 イヌ。

 

 つまりは警察を裏切った奴等の総称だ。


「何故、そんなことを聞くんです?」


「兵頭さんからは今回の任務に不満があることがありありと感じられます。それと私に対する疑念も?」


 進藤がそう言ったのに対して、苦笑いを返した兵頭は「〝教団〟のイヌを極秘に逮捕するには、もっと大部隊が必要だと思われます。記者にバレるほどに大げさな動きなんて力が落ちているとはいえ、ハムは行いませんよ」とだけ言った。


「〝教団〟のイヌが庁内にいたという事実を公表したくないからです。事の性質上はハムが動かざるを得ませんが、基本は一刑事事件として処理するつもりです。それが兵頭警部補を呼んだ次第です」

 

 進藤がそう言うと、兵頭は「事後処理はどうするんですか?」と最大の疑念を口にした。


「キャリアも含めて〝教団〟のイヌを一掃するつもりです。世間にその事実を知らされる事無く」


 それを聞いた兵頭は「左遷ですか?」とだけ聞いた。


「警察にはいられなくなるでしょうね?」


 進藤は含み笑いを見せた。


 まさか、殺すという事は無いだろうな?


 ハムは何をやるか分からない謎めいた部署だが、さすがに殺人まではやらないはずだと兵頭は自分に言い聞かせるように心に留めた。


「ところでSSBCの画像解析の結果、イヌ3匹が栃木にいる事が分かったんですよね?」


 これから裏切り者を狩りに行くことを考えるとどこか複雑な心境を覚えた兵頭だった。


「えぇ、その三匹をこれから逮捕します」


 それを聞いた、兵頭は「もし〝教団〟のアジトにその三人がいたら、俺達、二人だけで対処できますか?」とだけ聞いた。


「応援は来ますが、あまり大勢で行くと、栃木県警に動きが察知されるので望ましくありません。あくまで隠密事項ですからね?」


 そう言う、進藤は渋滞が始まった時に「アタッシュケースを開けてください」とだけ言った。


 そこからはシグザウエルP220が見えた。


「私の銃です」


 その一言に驚いた兵頭は「撃った事はあるんですか?」と聞いた。


「極秘裏に」


 それを聞いた兵頭は背中に悪寒が走り、すぐに進藤から目を反らした。


 日は沈み、暗闇が広がる中で、兵頭と進藤は栃木へと向かって行った。


15


 日が沈んで、漆黒の闇が日本橋の金融街を包み込む。


 都会のネオンがそれを照らす中で、日本橋川には警視庁第二機動隊に所属する水難救助隊に出動がかかり、キメラの死体が川の中に沈没していないかという理由で捜索がされていた。


「大変だったわね?」


 亜門が水難救助隊によって日本橋川の水中で作業している様子をぼんやりと眺めていると、小野澄子が缶コーヒーを持ってきた。


「ブラックですか?」


「甘い方が好き?」


「まぁ、僕、甘党ですから」


 そのような会話をしながらも、亜門は小野からブラックコーヒーをもらう。


「コーヒーはブラックだろう?」


 メシアがそう言うと、亜門は「お前は飲んだことないだろう?」とだけ言った。


 それと同時にブラックコーヒーを飲んだが、すぐに苦さが込み上げてくる。


 コーヒーは嫌いではないが、やはりカフェオレ派だな?


 そう考えている最中で、高久、島川、宇佐がトレーラーから降りてきた。


「契約初日に戦闘か?」


「ついているのか、いないのかは主観の相違だな?」


 二人がそう好意的に接してくれたのが嬉しかった亜門だが、宇佐は川を眺めたまま亜門を見ようとしない。


 本当にこの人は僕が嫌いなんだな?


 そう思いながらも、亜門も同時に水難救助隊の作業をしている様子を眺めてはいた。


「隊長。終電までには返してくれますよね?」


「高円寺だっけ? アパート?」


「えぇ、神田から中央線で一発なのが救いですが?」


 それを聞いた、小野は一拍の間をおいて「深夜までかかるようなら私が車で送るから」と言った。


「いいんですか?」


「えぇ、あなたの労を労ってのサービスよ」


 それを聞いた、亜門は何か気恥ずかしくなって「何か、すいません」とだけ言った。


「何をあやまっているの?」


「隊長はもっと冷酷な人だと思っていました」


「それは心外だな? 私ほど部下思いの指揮官はいないわよ」


 小野は笑みを浮かべずに冗談を話すが、メシアはそれに対して「冗談でも自分で自分のことを部下思いとか言う神経はどうかと思うぞ?」と苦言を呈した。


「その通りね?」


「正論だろう?」


「そういう正論を言うあなたを分解したい気分ね?」


 それを聞いた、メシアは「へっ」と短く笑い声を挙げる。


 すると川で作業していた水難救助隊の隊員が「ダメです! 死体は上がりません!」と大声を張り上げる。


「何をやっているんだ! マルキまで投入して川を捜索したんだ! ちゃんと捜索しろ!」


 そう大声を張り上げるのは中年の眼光の鋭い男だった。


「あの人は誰です?」


「木口捜査一課長よ。スパルタで有名だからあまり関わらない方が良いと思う」


 小野がそう言うとこちらの目線に気がついた、木口が歩いて向かってくる。


「今日は兵頭警部補はいないんですか?」

 

 小野がそう聞くと木口は「あんた等に話す筋合いはない」と冷たくあしらった。

 

 すると、木口は亜門の方を見て「君がソルブスユニットの協力者か?」と聞いてきた。


「えぇ、まぁ」


「普通の学生にしてはよく頑張った方だが、マル被のキメラを逃したのは痛いな?」


「それはどういう事ですか?」


 小野が木口に問いかける。


「民間の学生に戦闘をさせるから逃がしたんじゃないですか?」


「それは隊長の私の責任です」


 小野と木口の様子はどこか殺伐とした雰囲気ではあった。


「とにかく、我々は殺害された会社員への殺人としてキメラを追います」


 木口がそう言うと、小野は「ハムに主導権が奪われるのではありませんか?」と問いかけた。


「初動捜査は捜査一課が行います。主導権が誰に渡されようと言われた仕事は確実にこなします」


 そう言った木口は「あなた達がこの失態で解散に追い込まれないかが心配ですが、ご武運を」と言って木口は規制線の中へ消えて行った。


「何です? あの人は?」


「だから、言ったでしょう? 捜査一課長よ。叩き上げで、今の地位を築き上げたノンキャリアの星とやらよ。もっとも、粘着質な性格で知られているけどね?」


 小野がそう言う中でも、日本橋川では水難救助隊が作業を続けていた。


 ソルブスユニットの面々がその様子を眺めていると、浮田と中道が「みなさん、腹減りませんか?」と言って、大量のコンビニ弁当を持ってきた。


「気が利くな? お前等?」


 高久がそう言うと、宇佐や島川は分捕るように唐揚げ弁当に手を出した。


「制服着て、買い物はまずいんじゃない?」


 小野がそう冷ややかに言うと、浮田が「俺等はハコ勤務の時にコンビニでカップ麺を何度も買って来たんで?」とはにかむ。


 そう言って、弁当を渡す浮田と中道に亜門は「ハコって何ですか?」と聞いた。


「交番の事だよ」


 そう言いながら、中道は弁当を食べ始める。


「期待のゴールデンルーキーは何食べる?」


 浮田がそう声をかけると、亜門は「えぇと・・・・・・じゃあパスタで」と言ってジェノベーゼ風のパスタを手に取った。


「隊長、送ってくれるのはありがたいんですが、これは何時までかかるんですか?」


 そう亜門が聞くと、小野からは「後で調書とか書かなきゃいけないから、テッペンは超えるわね」と絶望的な回答が返ってきた。


「つまりは日付をまたぐってことですね?」


 亜門が項垂れながらそう言うと、小野は「だから、アパートまで送るから?」と言って、サンドイッチを食べ始めた。


 気が付くと日本橋川は照明でライトアップされ、近くではパトカーの赤いパトランプが照らされる中、規制線の向こうに野次馬が大挙していた。


「亜門」


 突然、メシアが口を開く。


「何だよ? お前は弁当食べられないだろう?」


「これからはこんな戦闘が頻繁に起こる。気を引き締めろ。でないと死ぬぞ」


 そう言った、メシアの声はいつもよりシリアスだった。


「・・・・・・分かっているよ。仕事はきっちりやるさ」


「忘れるなよ。その一言」


 メシアがそう言った後に、亜門は辺りと空を見渡す。


 時刻は午後二〇時四二分。


 亜門はジェノベーゼ風パスタを頬張り続けていた。


16


 久光瑠奈は東大での講義を終えて、いつもの喫茶店へと向かうことにした。


 亜門は警察でアルバイトをすることになったので、ここ最近は会えないが、あの喫茶店は気に入っているので頻繁に通っている。


 漫画本を見ながら、バナナシェイクと卵サンドを食べる事でどれだけ、心が安らぐか・・・・・・


 瑠奈は東大からは少し遠いが、東京メトロ南北線の東大前駅から同線四谷駅でJR中央線に乗り換えて同線阿佐ヶ谷駅で降りた。


 北口から出て少し歩いたところにある喫茶店へとそのまま向かう。


 亜門君は警察で元気にしているだろうか?


 父親にも頼んで亜門くんが戦わないようにしてもらおうとしたが『子どもがでしゃばるんじゃない!』と言われ、その後に口論となり、そのまま父は公務の為、家を留守にすることが多くなった。


 家族間で少し孤立感を覚えている事もあり、みんなが店長と呼ぶ、マスターや本郷麻衣と少し語らいを行うのも、いい気分転換になるだろう。


 東大でも最近、クイズ番組に出ないかと、自分にテレビ局から打診があったが、言い争ったとはいえ、父の仕事に支障が出る事を考えて、丁重に断ったという出来事もあった。


 家庭内と学内でそのような出来事が続いたので、少し疲れていた。


 そう考えながら歩き続けていると、喫茶店が見えてきた。


 その中で、ふと気になることが思い浮かんだ。


 三日前にキメラが会社員を殺した事件には亜門君は出動したのだろうか?


 警視庁のソルブスが出動した末に、キメラを逃がしたという情報がニュースで報じられていたので、瑠奈は亜門が出動して戦ったのではないかと思えて仕方なかった。


 彼は戦いに向いている人間ではない。


 そんな事をさせることは酷だ。


 それを知っているかどうかは分からないが、彼に怪物と戦わせている、警視庁の対応に瑠奈は少し疑念を覚えていた。


 何で彼が戦わなければいけないのだろう?


 自分の嫌いな大学やその価値観を押し付け、自分自身を攻撃してくる相手には気色ばむ事はあるが、本質的に彼は人の痛みや弱さがよく分かる子なのだと瑠奈は感じていた。


 この前は亜門君を非難したが、彼に謝る機会はあるだろうか?


 そう考えながら、喫茶店の中に入ろうとした。


 だが、その直前に瑠奈は何か異変を感じた。


 血の匂いがする・・・・・・


 嫌な予感が頭の中を過ぎる。


 恐る恐る、中に入ると、店内では昼時に来た常連の夫人達や、みんなが店長と呼ぶマスターに本郷麻衣の全員が頸動脈を抉られて、血を噴き出し死亡していた。


「これは・・・・・・」


 あまりの陰惨な光景に吐き気を覚えた瑠奈は思わず口を押えるが、すぐに奥の席に佐藤玲於奈が座っているのを確認した。


「佐藤・・・・・・さん?」


 そう瑠奈が吐き気を押し殺して声をかけると、玲於奈は「亜門君の居場所を無くしたの」と笑いながら立ち上がった。


「何を言っているの?」


「亜門君が大学を好きにならなきゃいけないように、彼の居場所や拠り所になる人達は全員、殺すの」


 そう言って、玲於奈は笑みを浮かべながら、こちらに近づいてくる。


「あんたは初めて会った時から嫌い。だからさぁ?」


 玲於奈の目は狂気に満ちていた。


「死んで」


 そう言った玲於奈は叫び出したと同時に熊の形をした怪物へと変わっていった。


 それを見た瑠奈は必至で走り、怪物となった玲於奈から必死に逃げ始めた。


「逃がさないよ。私があんたを殺すんだ?」


 悪夢だ・・・・・・


 マスターや本郷さんまで殺されたこともそうだが、私自身に敵意が向けられ、こうして死という現実がちらつきながら、走り続ける自分がいる事を数分前までは想像だにしていなかった。


 私は彼女に恨まれていたのか?


 その因果は何だ?


 瑠奈は阿佐ヶ谷の街を走り続けていた。


 すると辺りは市街地である為、多くの人々がキメラとなった玲於奈を見て、叫び声を挙げ、パ二ックに陥っていた。


 熊の形をした玲於奈は獣となり、獰猛な馬力を持った走りで、瑠奈との距離を近づけていく。


「結構、足速いじゃん。でもね?」


 そう言って玲於奈はどんどんと瑠奈に近づいていく、


「私は〝神の力〟を得たんだよ!」


 そう言って、玲於奈が瑠奈に飛び込んで行った。


 瑠奈は死を覚悟した。


 すると一発の銃声が聞こえた。


 玲於奈はその瞬間、右目を抑えて路上に倒れた。


「うぅぅぅぅぅ!」


「すぐに逃げろ! 君は殺させない!」


 スーツ姿をした男が多くの制服警察官を従え、拳銃を構えて、玲於奈から一定の距離を置いた上で、射撃体勢に入っていた。


「SATはまだか?」


「向かっているそうです!」


「それともう一つ! 奴等が来るまでに時間稼ぎは俺達でやる!」


「ソルブスユニットですか?」


 スーツ姿の男達がそのような会話をする中で、玲於奈は「私の邪魔をして! お前等は敵だ!」と言って、スーツ姿の男達や警察官達に飛びかかって来た。


 すると、再び銃声が聞こえる。


 それと同時に特殊部隊がなだれ込んで来た。


「遅いぞ!」


 スーツ姿の男がそう声を張り上げるが、特殊部隊員達は無言で銃口を玲於奈に向ける。


「久光瑠奈さんですね?」


 特殊部隊員がそう声をかける。


 瑠奈は緊張した面持ちで「はい」とだけ答えた。


「車が近くに来ています。走ってください」


 それを聞いた、瑠奈は特殊部隊員と一緒に走り出した。


 また、助けられたか・・・・・・


 彼等は大丈夫だろうか?


 自分だけ逃げだして、いいのだろうか?


 瑠奈は不安を覚えながらも、走り続け、そのままパトカーへと乗り込んだ。


「このまま、安全地帯に送れ」


 運転をする警察官にそう言った後に特殊部隊員は銃撃音がする方向へと向かって行った。


「待ってください! あなたはどこへ行くんです!」


 瑠奈がそう言うと、特殊部隊員は「やらなきゃいけない仕事にです。あなたも立場を弁えてください」と言って、走り出した。


「出しますよ?」


 制服警察官がそう言うと、瑠奈は特殊部隊員が走り去るのを見て「行ってください・・・・・・」と静かに呟いた。


 パトカーはそのまま阿佐ヶ谷の街から離れようとしていた。


17


 高円寺のアパートで眠りこけていた亜門はメシアに叩き起こされて、そのまま阿佐ヶ谷に向かう事になっていた。


 阿佐ヶ谷では現在、三日前に取り逃がした、熊のキメラが地域課に公安部やSATなどの警察官達と交戦状態に入っているという一方が届いたからだ。


 亜門は自転車で走りながら、メシアに「三日間で銃弾を受けた傷が治ったのか?」と問うた。


「奴等の〝改造手術〟とやらは自然治癒力も強化するようだな?」


 そのようなやり取りを行いながら、亜門とメシアは自転車を全速力で飛ばし、高円寺の隣にある阿佐ヶ谷へと向かっていた。


 するとその横にソルブスユニットのトラックが横付けする。


 濃紺の色をしたトラックのトレーラーにはPOLICEと言う単語が表記され、警視庁を指す、英名であるMPD-Metropolitan Police Department-のロゴも併せて、表記されていた。


「遅い!」


 小野は亜門に対して、早くトレーラーに上るように急かす。


「すでに交戦が始まっているんですか?」


「熊のキメラは喫茶店で、お客や店主にアルバイトを大量に殺したそうよ?」


 それを聞いた、亜門は「喫茶店って・・・・・・」と絶句した。


「・・・・・・あなたが働いていた喫茶店よ」


 亜門は大きなショックを受けた。


 店長や本郷さんが殺された?


 亜門が涙を流し始めると同時にトレーラーのハッチは閉じられ、トラックは発進する。


 すると、サイレンのけたましい音が鳴り響き、トラックを誘導するパトカーと白バイからは「緊急車両が通ります! 道を開けてください!」という甲高い声が聞こえていた。


「亜門、お前の理解者が殺された悲しみは分かる。だが、そうだからこそ、あのキメラは仕留めなきゃいけない」


 メシアがそう言うと、亜門は「じゃあ、どうすればいいんだよ?」と言葉を返した。


「奴を殺せ。お前にはその動機がある」


 それを聞いた亜門は涙を拭き、確かな怒りを静かに感じ始めていた。


 誰であろうと、僕の理解者だった、店長や本郷さんを殺したなら、自分がそのキメラを跡形もなく消してやる。


 そう静かに怒りをたぎらせていた亜門に対して、小野が「それでは簡単に作戦を伝えます」と言い出した。


 高久、島川、宇佐に加えて、亜門もそれに耳を傾けた。


「現在、熊のキメラは大勢の警察官と交戦を行っています。銃撃により多少ダメージは与えられてはいますが、格闘戦に持ち込まれた一部の警察官が殉職したとの情報があります」


 小野がそう淡々と話す。


 亜門は作戦を聞いている自分がいつも以上に冷静であることに軽い驚きを覚えていた。


 怒りを覚えているはずなのに、何故だろうか、何となく冷静な心境になる。


 恐らく、今の自分はとても冷たい感覚の殺意を覚えているのだろう。


「これを受け、作戦としては格闘戦を避け、メシアとガーディアン三機による機動戦を展開し、現地で戦う警察官の風よけになりながら銃撃を続け、相手のダメージを蓄積させ、最終的には殲滅させます」


 小野がそう言い切ると、メシアは「警察官を守る為に機動力を使って、一気に殲滅するか?」とだけ言った。


「その通り、鈍重な熊のキメラに対して、飛行機能を使って機動戦で一気に仕留めます」


 そう言った、小野は「それでいいわね?」と亜門を含めた隊員達に確認をした。


「目標地点に到達!」


 浮田がそう叫ぶと、高久、島川、宇佐が「装着!」と言って、ガーディアンのまるでアメフト選手のような重厚な紺色のボディがオペレーションルームに現れる。


「一場君?」


 小野が心配そうな表情でこちらを見つめる。


「亜門、悲しいのは分かる。だが――」


「装着!」


 亜門はそう叫んだ。


 赤い閃光に体を包まれる中で、パワードスーツを装着した亜門はメシアに対して「奴は僕が殺す」と静かに呟いた。


「気合は十分と言ったところね?」


 小野がそう言うと、中道が「ハッチ開きます!」と号令をかける。


 すると、ハッチが開き、道路を疾走する際の風がオペレーションルームに吹いてくる。


「周辺に民間車両は無し! 出撃のタイミングは各自に譲渡します!」


 中道は風が靡く中で大声を張り上げる。


 すると高久、島川、宇佐の三人は早々にトレーラーから降り、飛行機能を使い、阿佐ヶ谷の上空を翔けながら、現場へと向かって行った。


「亜門!」


 メシアがそう叫ぶと、亜門は「分かっている!」と言って、トレーラーから降り、他の三人と同様の動きを始めた。


 トラックと先導するパトカーと白バイが遠くなる。


「絶対にあいつだけは殺す」


 そう言った亜門に対して、メシアは「深追いするなよ。作戦を遵守しろ」とだけ言った。


 亜門はそれに答えることなく、サイレンのどこかヒステリックにも感じる、甲高い音と赤いパトランプの光を背に戦場となっているであろう阿佐ヶ谷の市街地へと向かって行った。


18


 阿佐ヶ谷の市街地ではSATに地域課の警察官達が熊のキメラと交戦をしていた。


「小野沢主任! ソルブスユニットが来るそうです!」


 現場に到着した亜門はスーツ姿の男達がそう会話をするのを聞いていた。


「遅いぞ! 協力者!」


 小野沢と呼ばれた男が亜門にそう声を掛けるが、亜門はそれには応対せずに、高久、島川、宇佐と連携をして、ソルブスの飛行機能を使った機動戦闘を展開することを頭に置いていた。


「亜門。俺達の機動力と火力で一気に仕留めるぞ!」

 

 亜門はメシアからそう作戦の確認を受けると、FNSCARを構え、熊のキメラの前方へと向かい、同小銃を掃射する。

 

 そこに三人組のガーディアンが加わり、上空からヘッケラー&コッホ社製のMP5A5を掃射する。

 

 SATや公安部に地域課の警察官達はそれを唖然とした表情で眺めていた。

 

 その一方で、熊のキメラは辺りから緑色の血を流し続け、苦悶の声を挙げ始める。


「亜門! このまま集中砲火で叩くぞ!」

 

 メシアがそう言うと、亜門は「あぁ!」と答えた。

 

 その時だった。


「亜門君・・・・・・」

 

 熊のキメラが急に言葉を発し始めた。

 

 何だ?

 

 こいつは・・・・・・僕のことを知っている?

 

 一瞬、銃の掃射を躊躇った亜門だが、すぐにそれを続ける。


「亜門君!」

 

 熊のキメラはそれでも声を上げる。


「私だよ!」

 

 この声はまさか?

 

 亜門がそうして、FNSCARの掃射を再び躊躇い始めた時、熊のキメラは手を挙げはじめた。


「何だ?」


「投降するつもりか?」

 

 高久と島川がそう言うと、熊のキメラは佐藤玲於奈へと姿を変えた。


「佐藤・・・・・・」


「亜門君! 私だよ! 私なんだよ!」

 

 亜門はパワードスーツの装着を解かずに手を挙げる玲於奈を眺める。


「私に振り向いてよ! だから、銃を下ろしてよ!」

 

 そう言ってくる、玲於奈に対して亜門は地上に降りて、サイドアームのシグザウエルP226を玲於奈に向けた。


「亜門君・・・・・・何で?」


「正直に言え! お前は店長や本郷さんを殺した! 何故だ!」

 

 その二人のやり取りを周辺の警察官達は困惑した様子で眺めていた。


「一場! 相手は投降の意思を示しているんだぞ!」

 

 高久がそう上空から怒鳴るが、亜門は玲於奈に銃口を向けることを止めない。


「答えろ! 何故だ!」

 

 亜門が怒気を孕んだ声音でそう問いただすと、玲於奈は「亜門君に私を見てほしかったから」と静かに口を開いた。


「そんな理由で、何も罪のない人達を殺したのか!」


「亜門君の心の拠り所を無くせば、亜門君は大学で私とずっと一緒にいられると思っていたの!」


「おい、どういうことだ!」


「作戦はどうした!」


 後方に控える警官の怒号が止まらない。


「だから亜門君! 私と一緒にいよう! そうすれば――」

 

 玲於奈が言葉を言い終わる前に怒りを抑えられなかった、亜門はシグザウエルP226で玲於奈の脳髄を撃ち抜いた。


「一場! 相手は投降したんだぞ!」

 

 高久が上空から降りて、すぐに亜門に詰め寄るが、時すでに遅く、玲於奈は目を見開いて、絶命していた。


「人間体になった時点で戦闘を放棄したという事だろう! それをお前は無視して殺した!」

 

 亜門は装着を解かずに、ただ、俯いていた。


「人間体になったのはこちらが、人間相手であれば攻撃に躊躇すると言う事を勘案しての事だろう。それに隊長も言っているだろう『テロリストに慈悲は不要』だとな?」

 

 メシアがそう庇うが、高久の怒りは止まらなかった。


「相手が投降すれば、取り調べで〝教団〟の有益な情報を得ることができたはずだ。それをみすみす――」


〈高久警部補、それはもういいわ〉

 

 トレーラーに残った小野から通信が入る。


〈一場君は職務を執行したまでよ。対テロ戦闘では生きるか死ぬかの瀬戸際が常態で、逮捕なんて生ぬるい事は言えないわ〉


「しかし、あいつは投降した人間を撃ったんですよ!」


〈仮に投降したキメラが人間体のまま拘束されたとしても、すぐにキメラ体へと変態して脱走を企てることが考えられるわ? 一場君はよくやってくれたと思う〉


 小野がそう言うと、高久、島川、宇佐の三人は黙り始める。


〈一場君のやった事はベターよ。事件は解決。もっとも、監察が入る可能性も考えられるけどね?〉

 

 小野がそう言うと、高久、島川、宇佐は装備を解かずにトラックのある方向へと引き上げ始めた。

 

 後方に控えていた警察官達からは騒めきが起きていた。


「総員、撤収だ」

 

 SATの小隊長がそう言うと、同隊や地域課の警察官達は安堵の表情を見せていた。

 

 もっとも、SATの隊員に関してはバラクラバで顔が隠されているので表情は分からなかったが、動作からそう感じ取れた。


「お前のやっている事は世界的には正しいさ?」


「まるで、自分がやってきたかのような言い方だな?」

 

 メシアがそう語りかけ、亜門はそれに応対する。


「俺達の戦いはテロリストの命と罪の無い一般市民の命を比べて、偽善的な発言をする現場では無いさ。お前が大切な人を無くし、その人達を殺したあいつを殺すという精神は理解はされるだろう。気にするな」

 

 そう言ったメシアに亜門は「監察聴取では助けてくれるかい?」とだけ聞いた。


「やってみるよ」

 

 亜門はメシアとそうやり取りをしながら、脳髄を撃たれ、絶命した佐藤玲於奈を眺めた。

 

 その見開かれた眼を見て、亜門は再び怒りを覚えていた。

 

 こんな奴のせいで、店長や本郷さんが殺されたんだ。

 

 これでいて、復讐を考えない奴はよほどのお人よしか、何か勘違いした正義感をカッコつけて、自分の中で美化しようとしている輩だけだ。

 

 自分はそんな、カッコつける見栄も張りたくないし、憎しみの連鎖がどうとかそんな高等な理由で、この怒りを鎮めるほどの人間性なんて兼ね備えていない。

 

 亜門はそう自身の怒りを知覚していた。


「お疲れさん」

 

 メシアがそう言った後に亜門はトレーラーへと戻ることにした。

 

 時刻は午後3時を少しだけ過ぎ、青空が広がっていた。

 

 続く。

 次回予告。

 

 キメラと化しながらも亜門への愛を叫び、投降をした佐藤玲於奈を射殺したことにより、亜門はソルブスユニットの隊員達から不信を買う。

 

 その一方で兵頭は公安総務課の進藤千波警部補と共に〝教団〟のスパイである三人の警察官を追う為に栃木へと向かうが、兵頭はそこで公安部と刑事部の根本的な組織の違いを感じるのであった。

 

 そして、ソルブスユニットにはアメリカの軍需産業大手のレインズ社からマイク・シフォンという社員がメシアに続く、新型ソルブスのレイザを連れてきて、新たな装着者を選び、亜門と隊員達の間ではさらなる亀裂が深まり始める。


 自身の怒りから、同級生を殺害した亜門。


 そこに新たなるソルブスが現れ、亜門に競争を求める。


 次回、機動特殊部隊ソルブス。

 

 アナザースター現る。

 

 新たなる星、それは敵か味方か?

 

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