『生者』
処刑より二週間。セシリアは城で生活していた。とは言っても、食事の必要もなく、ただ与えられた部屋で日がな一日本を読むだけの生活を送っている。
胴と分かたれていた首は、医師によって縫い付けられた。そのおかげか、首から先に何か繋がっているような感覚は失せ、生前と変わりなく動かせている。見た目的にも――首に縫い目こそあるが――処刑される前と変わりない。
だが生前と違うところもあった。その一つが、声を出せないことだった。口元に手を当てても生を感じさせる息吹はなく、空気を震わせる音は出てこない。そして、死んでいるのかどうかもあやふやな状態だというのに、涙は一滴も零れなかった。
――悪魔だなんて、私が何をしたと言うの。
揺り椅子に腰かけながら本をめくるが、目で追っている字が頭に入ってくることはない。本の内容よりも考えるべきことが多すぎた。
「セシリア、すまない。私のせいだ」
沈痛な面もちで毎日のように謝罪を繰り返すアシュトン、それからクラウドとカーティスも何度もセシリアのもとを訪れては謝罪の言葉を繰り返した。
そして、訪れたのは三人だけではない。父親や母親、それから友人だった者たちも面会を求めては謝罪の言葉を口にした。
響くノックの音に、また誰かが謝りに来たのだろうと考えたセシリアは、返事をすることなく扉が開かれるのを待つ。返事をしようにも、かけるべき声は失われた。
「セシリア」
沈んだ顔をしたアシュトンにセシリアは持っていた本を机の上に置く。出迎えるために揺り椅子を降り、淑女の礼を取った。
「……ウェン……ウォーレン伯爵令嬢の手記が見つかった」
口に慣れた名前を口にしかけて訂正する姿を、セシリアは瞬き一つせず見据える。相槌を打つこともないセシリアを前にして、アシュトンはわずかに目線を逸らしながら言葉の先を続けた。
「――彼女が願ったのは復讐だ。自分を死に追いやった相手を呪いながら、死んだ。そして、再びまみえた君に、呪いをかけた」
語られたのは、神話時代にまつわる話だった。かつてアマリリスと呼ばれた少女の受けた所業と、抱いた思い。
そして、セシリアが呪われるに至った経緯。身に覚えのない前世によって降りかかった災難に、セシリアの顔が強張った。
――なによ、それ。
到底信じられるような話ではないが、人の域を超えた現象がセシリアの身に起こっている。荒唐無稽だと切り捨てるには、状況が物語りすぎていた。
「……信じがたい話だということはわかっている。……だが、私たちがセシリアにした所業は心から願ってのものではなかった。そして、彼女の呪いは君に対する好意を自分に移すものだと書いてあった。それならば、すべてに説明がつくんだ」
顔を歪め、懇願するような眼差しを向けるアシュトンに返すべき言葉はない。悪魔の仕業だからしかたなかった、そう割り切ることなどできるわけがない。
セシリアはアシュトンの手を取り、指先で文字を綴っていく。こうして何か意思表示をするのは、二度目だ。
一度目は、教会で悪魔の仕業かもしれないと告げられた時だった。
懺悔の言葉を紡ぐアシュトンに、セシリアは頼みごとをした。
「……そのことなら、大丈夫。彼は解放したよ」
それは、隣の牢獄にいた騎士について。彼を助けてほしいと綴った時も、アシュトンは今のように顔を歪めていた。
――騎士には戻れたのかしら。
だがセシリアはアシュトンの様子を気にかけることなく、牢で過ごした日々を思い出していた。聞こえてきた鞭の音と呻き声。セシリアほどではないにしても、彼も折檻を受けていた。
騎士は剣を振るうための腕と力が必要になる職だ。傷の具合次第では、剣を持つことも難しくなる。
――だけど、どうなったのかを知るのは怖い。
治療もされず放っておかれたのだから、傷が浅いということはないだろう。もしも剣もろくに持てない体になっていたらと考えれば考えるほど、セシリアは答えを知りたくないと思ってしまった。
――ごめんなさい。
代わりに、顔を俯けて謝罪の言葉を心の中で呟く。
「……すまない」
セシリアの手を取り震える声で言うアシュトンに、セシリアの意識が彼に向く。顔を俯けて肩を震わせているのは、泣いているのか、あるいは涙をこらえているのか。どちらなのかは定かではないが、どちらだろうとセシリアの思うことは変わらない。
――羨ましい。
どれほど胸を痛めようと、流れる涙は失われた。そして悲しくとも、悲しいと訴える声もない。気の向くままに声を張り上げて涙を流し、感情を訴えることはできなくなった。
「君にした仕打ちがなくならないのはわかっている。だけど、私は君を愛していた。本気で、愛していたんだ」
懇願するような声に、セシリアは顔を歪めた。
――私も、あなたのことを愛していたわ。
愛している、ではなく愛していた。それは、二人の道が二度と交わらないことを物語っていた。