『死者』
セシリアは首受けの中で小さく瞬きを繰り返した。ようやく死ねたと思ったのも束の間、意識は鮮明なまま残されており、周囲の声も聞き取れている。
――なに、これ。
動かそうと思えば、目も唇も動いた。少し意識すれば、首から先に何かが繋がっているような気配もする。
死んだとは思えない感覚に、セシリアは吐き気がこみ上げてくるのを感じた。
――だから、殺せと言ったのね。殺せていないから。
胴体と離れても、保たれている意識。これは死んだとは言えないだろう。
ならば次はどうやって殺されるのか。死ぬまでにどのくらいかかるのか。
先の見えない不安に、セシリアは体を縮こまらせた――首に繋がっていないというのに。
途端、絶叫があちこちで上がった。先ほどまで聞こえていた動揺混じりのものではない。得体の知れないものに対する恐怖で彩られた叫び声に、セシリアは思わず目を瞬かせた。
「――リア!」
絶叫の中に、聞き慣れた声があった。もう二度と呼ばれないと思っていた声に名を呼ばれ、セシリアは体を起き上がらせようとする。だが、思うようにはできなかった。まるで何かに固定されているかのように、首から先が動いてはくれない。
――気持ち悪い。
手で体を押し上げる感覚はある。手が何かに触れている感覚もある。だというのに、体と首が繋がっている感覚だけがない。
これまで経験したことのない状況に、セシリアの顔がしかめられた。
「セシリア!」
名前を呼ぶ声がより近くなり、鮮明となっている。こちらを気にかけることすらしなかった声が、セシリアの名を呼んでいる。
――次はどうやって殺すのかしら。切って駄目なら、燃やすとか?
それはきっと、首を落とされる以上の痛みだろう。形が残っているから意識があるのだとすれば、元の形状すらもあやふやなほど壊されるのかもしれない。
想像し身構えるセシリアの体から、ぬくもりと開放感が伝わってきた。まるで誰かに抱き起こされているかのような感覚に、セシリアはまたも顔をしかめた。
そうして次に、セシリアの前に手が差し出された。血で袖が赤く染まるのも厭わず、首受けの中にあるセシリアの頭を、誰かの手が持ち上げる。
「いき、ているのか?」
見慣れたクラウドの顔は、血の気を失ったかのように青ざめている。震える唇や向けられる畏怖の視線に、セシリアは静かに瞼を閉じた。
――死んだわよ。死んだから、もうそれでいいじゃない。
これ以上の苦しみも屈辱も味わいたくはない。死んだと思って埋葬でもしてくれれば――それはそれで生き埋め状態となってしまうのかもしれないが、意識のあるまま惨い目にはあいたくなかった。
そのため、セシリアは死者の振りをしようと、体からも力を抜いた。腕がだらりと投げ出されたような感覚が伝わってきた。
「どうして……」
「いいじゃないか、なんでも。セシリアが生きていた、それだけでいい」
泣き出しそうなアシュトンの声が、体のほうから聞こえてきた。
――私に死んでほしかったのではないの。
先ほどまでとは打って変わった態度に、セシリアは眉をひそめそうになる。
早く死ねと誰からも言われ、罵られた。唯一庇ってくれたらしき騎士は罪人に落とされ、今もまだあの牢獄に囚われているのだろう。
生きていてよかった。そう言われる心当たりがセシリアにはなかった。
「殿下! すぐに彼女――の体から離れてください! 首を落とされてなお生きていられる者などおりません!」
慌てたような声は、セシリアに最後の言葉はないかと問いかけた声だった。
――そう、よね。私だって、死んだと思っていたわ。
首を落とされて、これでようやく解放されるのだと、そう思っていた。庇ってくれた騎士が無事に解放されるかどうかだけが気がかりだったが、さすがにそこまでは確かめようがない。
セシリアが死んだことにより、恩情を与えてくれることを祈るしかなかった。
だというのに、セシリアは死んではいない。
意識はあり、動かそうと思えば体も動かせる。この状態は死んだとは言えないだろう。
――でも、私は生きているのかしら。
だが、体の中を巡る血が脈打つ感覚だけはしなかった。
アシュトンの必死な抵抗を騎士が数人かがりで押さえ込み、セシリアの体と頭は教会に運ばれた。必死に死人の振りを続けてはいるが、一度動いたところを見られてしまったせいか、通用していないようだ。
――触れているのはわかるのに、痛いとは思えない。なんなの、これ。
荷台に乗せられたせいで、体や頭があちこちにぶつかる感覚があった。だが、ぶつかっていると思うだけで、痛みを感じることはなかった。
それに気づいた時、セシリアは試しにと爪で指を軽くひっかいてみた。やはり痛みを得ることはできず、表面を押しながらなぞっているとしか思えなかった。
「……これは」
一人悶々と気持ち悪がっているセシリアの体と頭が教会に到着し、そこにいた神父がセシリアを見て絶句した。
目を瞑っているためセシリアからは表情は窺えないが、クラウドとそう変わらない反応をしているだろうことは予想できた。
「本来解き放たれる魂が体に留まっています」
紡がれた言葉に、その場にいる者が息を呑む音が続いた。セシリアは腹を括り、そっと静かに目を開ける。
こうまで言い切られてしまっては、死人の振りが通用しそうにもなかったからだ。
そうしてゆっくりと開いた瞳にまず映ったのは、神父を睨みつけるアシュトンの姿だった。天使と見紛う風貌をしている彼だが、今はセシリアの体を抱き起こしたため血で濡れており、発せられる威圧感のせいで堕落した天使のほうが相応しい見目となっている。
「神話にて、悪魔が死者を動かしたとの記述がございます」
神話――それは神と悪魔、それから天使が世に蔓延り、人に干渉していた時代を描いた物語だ。
はるか昔には魔法などと呼ばれる技術もあったそうだが、今では失われており、神話にしか登場しない。
「ならば、セシリアは死んでいると、そう言いたいのか」
「……生きているとは、言えません」
神父が顔を歪めながら言うと、アシュトンの体が崩れ落ちた。そして、荷台に乗せられたままのセシリアの手を握り、額に押し当てながら涙をこぼす。
「すまない、セシリア……すまない」
繰り返される懺悔の声に、セシリアは静かに目を瞑った。