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死んでからが本番です  作者: 木崎優
一幕目
5/21

『罪人』

 セシリアが独房に入れられてから数日ほど経っているが、他の囚人の気配を感じたことは一度としてなかった。

 他の囚人は別の場所に移動させたのではと思ってしまうほどに、兵士の立てる物音以外は聞こえなかった。


 ――どんな人が来たのかしら。


 いくつもの足音と、兵士の急かす声。そして続いた鉄格子の閉まる音。自分以外の囚人の気配に、セシリアは壁に体を寄せた。

 壁の向こうには、新しい囚人が入れられた独房が続いている。壁に耳を近づけると、ベッドのきしむ音が聞こえた。


 布を被せただけの簡素なベッドは、座ったり立ったりするだけでも小さくない音を立てる。自分が出したわけではない音に、確かにそこに自分以外の誰かがいるのだとわかり、セシリアは小さく口元をほころばせた。


 隣にいるのは顔も知らない相手ではあるが、セシリアがいるのは敵意しか持たれていない兵士だらけの空間だ。たとえ囚人相手とはいえ、同じ環境にいる――仲間のような相手ができたことに安堵の気持ちを抱いていた。


 ――壁を叩いたら反応してくれるかしら。


 時折聞こえる足音は、遠ざかったり近くなったりしている。おそらく、部屋の中をうろうろとさまよっているのだろう。

 壁はあまり厚くはないようで、叩けばあちらにも音が聞こえるはずではあるが、大きな音を立てれば咎められることは目に見えている。


 どのくらいの音を立てるか悩みながら、セシリアは壁に拳を当てた。音の強弱に合わせ、丁度よいタイミングを図ろうと思ってのことだ。


「しかし、まさか騎士様まで来るとはなぁ」


 聞こえてきた兵士の話し声に、セシリアの意識が自然とそちらに寄る。


「罪人を庇ったからだったか? あんな女放っておけばいいのに、もったいないことをする奴もいるもんだ」


 足音が近づいてくるが、セシリアの手は固まったように動かなかった。


 ――罪人、女……私のこと?


 兵士の言葉が正しいのなら、隣にいる囚人は貴族だということになる。普通ならば、貴族がこの牢獄に入れられることはない。

 だが、その普通ではないことがセシリアの時には起きた。


 もしもあの日、祝われるはずだった場にセシリアを庇おうとした者がいたら、敵意の目がそちらにも向いたことだろう。


 ――私の、せい?


 そう思ってしまうほどに、あの場には憎悪が渦巻いていた。誰も彼もがセシリアが悪いのだと責め立て、違うと訴えようと憐憫の情を向けてくれる者はいなかった。


 ――私のせいで、誰かが罪人に落とされた。


 だがあの状況では声を上げられなかっただけで、セシリアが囚人と落とされた後に声を上げたのかもしれない。

 ただの推測に過ぎないが、ありえない話でもない。騎士としての立場がある者が一般牢に送られたのだ。それ相応の――前例であるセシリアと同等の理由があってしかるべきだろう。


 セシリアの胸の内に自責の念が生まれ、壁を叩こうとしていた手が落ちた。

 本来ならば罪に問われる立場になかったはずの者が、セシリアを庇った咎で罰せられた。それを事実として受け止めたセシリアは、唇を噛みしめた。


 ――私を恨んでる? 庇わなければよかったと思ってる?


 生まれる疑問を問いかけることはできず、ベッドの上で膝を抱え、いつものように体を縮こまらせた。

 セシリアが横にいるとわかった相手が、どう出てくるかわからなかったからだ。


 ――それとも、また私を庇おうとする?


 相手がどういった心持ちで庇ったのかはわからないからこそ、セシリアの受けている仕打ちを知り、義憤に駆られてまたも庇おうとするかもしれない。

 騎士であったということは、力にも覚えがあり、正義感も持ち合わせていることだろう。だが罪人として牢に入れられた以上、何を訴えたところで兵士には届かない。


 それどころか、鞭を与えられることになる。


 ――ごめんなさい。


 兵士が「うるさい」と怒鳴る声が聞こえ、続いて鉄格子の開く音が聞こえた。

 どうやら歩いていた音が兵士の気に障ったようだ。


 ――ごめんなさい、ごめんなさい。


 鞭の振るわれる音と、呻き声。すぐ隣から聞こえてくる音に、セシリアは耐え切れず、耳をふさぎながら心の中で謝り続けた。



 ――助けを求めてごめんなさい。




 それからというもの、セシリアは鞭で打たれようと声を出さないようになった。自分を知る相手ならば、声だけで誰が隣にいるのか伝わってしまうと思ったからだ。


 歯を食いしばり、呻き声一つ上げないようにと耐え続けた。だがそれが兵士には気に食わなかったのだろう。鞭を振るう音が次第に大きくなり、牢に入る前は白かった肌には幾筋もの傷跡が走り、治療もされないまま放っておかれたため、どれも醜く爛れている。


 隣の独房からも時折鞭の音が聞こえてきた。セシリアほどの頻度ではないにしても、少なくない傷を負っていることだろう。

 だが声をかけ、直接心配することはできない。


 ――大丈夫かしら。


 心の中で心配し、謝罪を繰り返す。そんな日々を過ごしていたある日、カーティスがセシリアを訪ねてきた。

 

 見知った顔に、ここ最近はずっと俯けていた顔が上がる。そうして、よろめきながらもセシリアはベッドから鉄格子に向かった。

 触れた鉄格子は冷たく、身じろぎしそうになりながらも、セシリアは前に立つカーティスを見上げた。


 名を呼ぼうと開いた口から音が漏れることはなかった。向けられる眼差しには、鉄格子以上の冷たさが含まれていた。


「処刑日が決まった」


 淡々と紡がれる声に、セシリアは息を呑んだ。


「今から半月後だ」


 助けて、と言うことはできなかった。声を出せば、隣にも聞こえてしまうだろう。助けを求めた結果どうなったかがわかっているからこそ、何も言えなかった。

 代わりに、鉄格子の隙間から手を伸ばし、届く範囲にある服を掴んだ。


 ――お願い、助けて。


 縋るような眼差しを向けるが、弱弱しく掴んでいた手は呆気なく振り払われ、カーティスの瞳に侮蔑の色が混ざった。


「話は以上だ。その日まで、懺悔でもしているんだな」


 踵を返して立ち去ろうとする無情な背中に、セシリアは必死で手を伸ばしたが、その手が届くことはない。



 声を張り上げれば、届くだろう。しかし届いたとしても、振り返りはしないだろう。欠片ほどの情もないことは、向けられた眼差しと態度が物語っていた。


 ――助けられなくて、ごめんなさい。


 助かりたいと願う気持ちはもちろんあった。だがそれ以上に、自分のせいで罪人に落とされた騎士を助けられない無力な我が身に、セシリアは謝罪の言葉を重ね続けた。

 



 カーティスが成人の儀を終えて正式な騎士となった時、セシリアはクラウドとアシュトンも交えて祝いの席を設けた。

 美味しい菓子やお茶を用意しただけのものではあるが、それでもカーティスは嬉しそうにはにかんでいた。


『これでセシリア様を守るための剣が持てるようになりました』


 照れたように頬を掻きながら、カーティスの視線が腰に携えている剣に落ちる。


『私のことは守ってくれないのか?』

『殿下はご自身で身を守れるでしょう?』


 不満そうに口を尖らせるアシュトンと、肩をすくめるカーティス。その気安いやり取りは四人でいる時にだけ繰り広げられるもので、クラウドとセシリアは微笑ましい気持ちでそれを見守っていた。


 カーティスは常日頃からアシュトンとセシリアを守りたいと口にしていたので、その忠義を疑ったことなど一度もない。それをわかっているからこそ、アシュトンも最終的にはしかたのない奴、と言いながら笑っていた。


『殿下とセシリア様をこの命尽きるまで守ります』


 一通りのやり取りを終えた後、カーティスはあらたまってアシュトンとセシリアの前に跪いた。そして、剣の誓いの代わりにと、素朴で可憐な花をセシリアに差し出した。


『私にはないのか?』

『殿下には先日剣を捧げましたから』


 似たようなやり取りを繰り返す二人に、セシリアは穏やかな笑みを浮かべた。




 失われてしまった穏やかな思い出に縋るように伸ばした手は、兵士によって叩き落される。大きな音が立ったが、カーティスは振り向くことなく牢から立ち去った。


 ――守ると、そう言ってくれたのに。


 セシリアの体が力が抜け、その場にうずくまった。虚ろになった瞳に、鉄格子の向こうで鞭を用意している兵士の姿が映るが、身じろぎ一つしない。


 ――もう、いい。


 庇ってくれた相手は罪人になり、愛していると囁いた婚約者は他の者を愛し、慕っていた兄から蔑まれ、守ると誓ってくれた騎士には見捨てられた。

 生きる希望などどこにも見つからない。


 ――早く、死にたい。


 だが、死ぬことによって得られる希望はあった。

 セシリアが処刑されれば、憎悪を抱いている者たちの留飲も下がるだろう。


 ――せめて、隣にいる人だけは……。


 唯一庇ってくれた人には助かってほしい。その一心で、セシリアは死を望んだ。

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