『兄』
成人の儀当日、ウェンディの横にはアシュトンが、セシリアの横にはクラウドがいた。
そして揃いで誂えたはずの服は、アシュトンのものだけがウェンディに合わせたものに変わっている。
――いつから用意していたのかしら。
服を仕立てるのは一朝一夕でできるようなものではない。セシリアに話してからすぐ作りはじめた、ということはないだろう。
内心にくすぶる思いをひた隠し、セシリアは一曲目をクラウドと共に踊る。そうして二曲目でようやく、アシュトンと顔を合わせることができた。
いつだって楽しくお喋るできる関係であったはずなのに、さすがにこの時ばかりはアシュトンも気まずいのか、互いに口を開くことなく黙々とダンスをこなしていく。
曲が終わり、意を決したセシリアが口を開くよりも早く、アシュトンは次の曲を踊るためにとセシリアのそばを離れた。
繋がれた手がよそよそしく離れることに寂しさを抱きながらも、セシリアは後を追うことはしなかった。そうしたところで、アシュトンを困らせるだけだとわかっていたからだ。
――今回だけだから。
そう思うことで笑顔を維持しながら成人の儀を恙なく終えたのだが、その次の舞踏会も、そのまた次の舞踏会でも、ウェンディの横にはアシュトンがいた。
そしてそれは、舞踏会だけでは終わらなかった。会話を主とする社交場でも、ウェンディをエスコートするのはアシュトンで、セシリアの横を務めるのはクラウドだった。
飲み物を片手に語らう二人はとても親しそうで、セシリアはしばしの間硬直してしまった。
「殿下も招待されていたんだね」
苦笑を浮かべるクラウドの声にようやく我に返ったセシリアは、隣に立つ兄に迷子になった子供のような視線を投げかけた。
「……殿下は優しい方だから放っておけないだけじゃないかな。陛下からの命令もあるだろうし……だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ」
エスコートこそされていないが、舞踏会でアシュトンの二曲目を務めるのはセシリアだ。婚約者としての立場や、仲睦まじく過ごした日々が失われたわけではない。
どうしてこの社交場に参加することを教えてくれなかったのは定かではないが、声をかければ会話の輪に加われるだろう。そう思って、セシリアはクラウドと共に二人に近づいた。
だが、アシュトンの青い瞳の奥に熱を見つけ、あと僅かという距離でセシリアの足は止まった。
「セシリア様、ご機嫌よう」
ウェンディが柔らかく微笑み、親しみのこもった声でセシリアの名を呼んだ。続いてアシュトンがセシリアを見たが、その目には先ほどまであったはずの熱が失せていた。
「王命ゆえにウォーレン伯爵令嬢を優先しなければならないのは存じていますが、さすがにセシリアをおろそかにしすぎなのでは?」
それにクラウドも気づいたのだろう。先ほどまでセシリアを優しくなだめていた姿は鳴りを潜め、周囲に聞こえないように声を落としながらも咎めるように言った。
「……ウェンディの淑女教育にも付き合っているから、時間がないんだ」
「いえ、そういうことではなく――」
視線を逸らしてばつが悪そうに言うアシュトンに、クラウドがなおも言い募ろうとしたが、それよりも早くウェンディが口を開いた。
「申し訳ございません!」
手を強く握りしめて笑顔を維持しているセシリアの耳に、大きな謝罪の声が飛びこんできた。
「アシュトン様がお優しいから甘えてしまって……でも、セシリア様のご気分を損ねるつもりはなく……」
潤んだ瞳で謝罪するウェンディの姿に、周囲の視線が集まる。そしてアシュトンが気遣うようにウェンディの肩を抱いた。
「殿下」
その所作を咎めようとするクラウドの袖が引っ張られる。引っ張ったのはセシリアだ。首を横に振り、それ以上は言わなくていいと暗に告げる。
これ以上注目されるのがいやだったから、というわけではない。自分で言わないと気がすまないと思ったがゆえの行動だった。
成人の儀から今日まで、セシリアはアシュトンにエスコートされたことがない。それどころか、必要最低限の交流しかなく、定期的に開かれていたお茶会も成人の儀以降は開催すらしていない。
これほどないがしろにされて、そのうえ気分を損ねるつもりはなかったとまで言われたのだ。黙っていられるはずがない。
――ここまでされて気分を損ねないわけがないでしょうに。
馬鹿にしているとしか思えない態度を厳しい声で咎めると、ウェンディは潤んだ瞳のままアシュトンに縋りついた。そしてアシュトンはそれを振りほどくどころか、肩を抱く手に力を入れて引き寄せている。
二人の様子にセシリアは眉をひそめながら口を開いたが、言葉を発する前に周囲の声が耳に入り、口を閉ざした。
声を潜めてはいるつもりなのだろう。しかし、雑談する者がいなくなったこの場では、たいして意味をなしていない。
「ウェンディ様ったらおかわいそうに」
「もう少しお優しくしてさしあげればよろしいのに」
「この程度のことを咎めるだなんて、はしたない」
その内容に、セシリアは目を見開いた。親睦を深めるべき場所で諍いを起こすのは褒められたことでないことは確かだ。
だが、聞こえてくる内容はどれもセシリアだけを非難するもので、ウェンディとアシュトンを咎める声はどこにもない。
セシリアを唇を噛みしめるが、ここで黙って引きさがるわけにはいかないと、再度口を開こうとした。
「殿下、のちほどお時間をいただけますか?」
だがクラウドが三人の間に割り込んだ。アシュトンはわずかに顔をしかめならがも、それに頷いて返した。
「ここは一旦引いたほうがいい。大丈夫、僕がなんとかするから」
優しく微笑まれ、セシリアは顔を歪めながらも口を閉じた。
非難の目と声はセシリアに向いている。もしもここでクラウドの意向を無視して詰め寄れば、オールディン家の名に傷がつくかもしれない。
セシリアは内心に宿った怒りを鎮めようと手を握りしめながら、頷いた。
そうしてそれから数日もせず、ウェンディの横にクラウドが加わることとなった。