『伯爵令嬢』
セシリアがはとこであるアシュトンと出会ったのは五つの頃。年が近いということもあり、二つ上のクラウドと共に、アシュトンの遊び相手になるために登城した。
その頃からアシュトンは輝く容貌の持ち主で、セシリアは絵画から飛び出てきた天使なのではないかと疑ったものだ。
「私が天使だなんて褒めすぎだよ」
疑いが晴れないまま二年が経ったある日、セシリアは疑惑を晴らすために直接尋ねることにした。
アシュトンは照れたように目を細めてから、セシリアの手を取って微笑んだ。
「それなら君は火の妖精かな?」
それは、セシリアの髪が赤かったことに由来するのだろう。
セシリアは燃える火のような自身の髪色を好んではいなかったが、妖精と称されたことが嬉しくて、それからは自分の髪に自信を持つようになった。
婚約が決まったのは、アシュトンの十歳の誕生日で。
貴族や他国の使者も交えた祝いの席で、エリュシアン王が二人の婚約を大々的に発表した。
セシリアとアシュトンが仲睦まじいのは周知の事実だったため、その場に集っていた者たちは驚くこともなく、祝福の言葉を二人に向けた。
「これからもよろしく」
照れたようにはにかむアシュトンに、セシリアも同じように返して微笑んだ。
それからカーティスやクラウドからも祝いの言葉を受け、セシリアは自分が歩む道は薔薇で彩られていると信じて疑っていなかった。
だがセシリアが育んできた愛情も友情も、十六歳になったのちに崩壊した。
始まりは、ウォーレン伯の娘が市井で見つかったという噂話からだった。
ウォーレン伯の妻子は十数年も前に亡くなったとされていた。妻子の乗っていた馬車が野盗に襲われ、ウォーレン夫人は骸となって発見された。
だが三歳になったばかりの娘は見つからず、ウォーレン伯はそれから何年もの間、娘の捜索に日々を費やしていた。
それは貴族の間では有名な話で、気が狂ったように娘を探すウォーレン伯に、娘はもう生きていないと言葉を濁しながらも注意する者がいたほどだ。
娘が行方不明になってから七年ほどして、ウォーレン伯は捜索の手を止めた。
ウォーレン領をきりもりしていた彼の臣下が、さすがにもう限界だと泣きついてきたからだ。
溜まりに溜まった書類の山や、七年間何も言わずに領地を管理してくれた臣下、それから領主の現状を理解し、よほどのことでなければ声を上げることをしなかった領民。彼らのことを思い、ウォーレン伯は娘のことを諦めた。
だが、娘は生きていた。ウォーレン領から遠く離れた土地で発見されたのは、捜索を中止してから六年も経ってからのことだった。
自領の孤児院を慰問として訪れていた貴族が、ウォーレン夫人そっくりの見た目をしていた彼女を目に留めた。
彼女にとって幸運だったのは、その貴族がウォーレン伯と旧知の仲だったことだろう。娘はもう死んでいる、諦めろと諭せるほど、ウォーレン伯と親しかった。
そしてさらに幸運だったのは、彼が誠実な人物であったことだ。
諭した立場でありながら、自身が統治している土地で見つかった。恥にもなりかねない事実を、彼は隠すことなくウォーレン伯に話した。
そうして貴族に舞い戻った彼女は、孤児院で使っていた名前を捨て、ウォーレン夫妻の考えた、ウェンディを名乗ることとなった。
野盗に襲われ孤児院で育った悲劇の令嬢の噂は、瞬く間に貴族の間に広がった。
善良な者もそうではない者も、ウェンディの生い立ちに同情し、何くれとなく優しくするようになった。
そして、エリュシア王もウォーレン家の長年の忠誠に敬意を払い、ウェンディに王家の抱える教育係を貸し与えた。
十六歳はエリュシアンにおいて成人の儀を迎える年だ。市民であれば教会で行うのだが、貴族は王城で開かれる舞踏会に参加し、王に目通りすることによって成人したとみなされる。当然、それ相応の作法が必要となる。
舞踏会が開かれる日まではそう遠くなく、市井で育ったウェンディには荷が重いだろうと思っての恩情だった。
だがその恩情は、少々行き過ぎていた。
「……ウォーレン伯爵令嬢のダンスの練習相手を頼まれたけど、君はどう思う?」
眉を下げて困ったように問うアシュトンに、セシリアは同じように眉を下げる。どう返したものかと窮したからだ。
やめてほしいとすぐに答えられたなかったのは、ウェンディの生い立ちをセシリアも知っているからだ。そしてたった一度だけとはいえ、セシリアはウェンディと言葉を交わしたことがあった。
場所は王城で、ウェンディの横にはウォーレン伯がいた。彼らは娘が見つかったことを報告するために、王との謁見を待っている最中だった。
これまで孤児院にいたからか、落ち着かない様子のウェンディに、丁度通りかかったセシリアは興味を引かれ、声をかけた。
「あ、はじめまして。アマ……いえ、ウェンディ、ウォーレンです」
一瞬口走りかけたのは、孤児院にいた時の名前だろうか。顔を俯けてたどたどしく名乗るウェンディに、セシリアは微笑ましい気もちを抱いた。
それからほんの二言三言交わしたところで、ウォーレン伯の名が呼ばれて、彼らは謁見室に消えていった。
その程度の短いやり取りしたしたことのない相手だったが、セシリアは慣れない場所で頑張ろうとしているウェンディに好感を抱いていた。
アシュトンがダンスの相手を務めるのはいやだと言えば、ウェンディの頑張りに水を差すことになるだろう。そして、王からの打診を断ったことで、アシュトンが貴族からよく思われなくなるかもしれない。
さすがに考えすぎかもしれないが、ウェンディは悲劇の令嬢だ。誰もが同情している相手を蔑ろにしたと捉えられれば、アシュトンに向けられる感情に負の要素が加わってしまうだろう。
自身の気持ちと、ウェンディとアシュトンが置かれた立場を天秤にかけ、セシリアは最終的に後者を選んだ。
それが間違いだったとセシリアが気づいたのは、成人の儀である舞踏会の前日になってからのことだった。
「ウェンディのエスコート役を務めることになった」
いつの日からか、アシュトンはウォーレン伯爵令嬢ではなく、ウェンディと親しく呼ぶようになっていた。
そしてこの日も、親しげにウェンディと呼びながら、到底信じられないことを口にした。
成人の儀では、親族か婚約者がエスコート役を務めるのが通例だ。
アシュトンはウェンディの婚約者でもなければ親族でもない。遠く遡ればどこかしらかで血が繋がっているかもしれないが、さすがにその理屈で縁戚であると主張するのは無理がある。
「ウォーレン伯は領地で問題が起きたため、王都を離れている。そして、ウェンディには親しい親族がいない。だから私に話が回ってきた」
淡々と説明するアシュトンに、セシリアはただただ目を丸くしている。成人の儀のためにと用意したドレスは、アシュトンの着る予定の紳士服に合わせたもので、宝飾品にいたるまですべて、アシュトンとも相談して決めたものだ。
共に参加するのだと信じて疑っていなかったのだから、納得できるはずもない。
セシリアが抗議の声を上げると、アシュトンは眉をひそめながら「しかたないんだ」と言って、会話を打ち切った。
ダンスの練習相手を務めるよりも重要な話だというのに、アシュトンはセシリアの意思を聞こうとはしなかった。