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『催し』

 青く澄み渡る空には雲一つなく、まるで今日この日を祝福しているようだ。


 エリュシアン国の王都にある広場は、普段ならばいくつもの店が天幕を広げて商売に勤しんでいるのだが、今はどこも開かれていない。


 広大な土地を有している広場は今、これから行われる催しのために集った人々によって支配されている。そのため、店を開くための場所を確保できそうにはない。

 もしかしたら、店主も催しに参加するために店を閉じているのかもしれない。


 どういった理由でかは定かではないが、広場は普段とは違う賑わいを見せていた。


 平時であれば居並ぶ店を覗いたりしている人々の視線は、広場の中央に注がれている。そこには木で組まれた台があり、その上にはこれまた木で作られた、縦に長い枠のようなものが設置されていた。

 枠の下部には半月型のくぼみのある木板がはめられている。そして上部では、鋭利な刃が陽の光を反射して輝いていた。


 広場を支配する熱気にはそぐわない武骨な見た目であるにもかかわらず、人々の瞳は輝いている。

 これから行われる催しは、彼らが望み、待ち続けてきたものだ。

 ようやくこの日がきたとでも思っているのだろう。台の一番近くにいた男性が、待ちきれないとばかりに一歩前に踏み出した。すると、人々が台に近づきすぎないように注意を払っていた兵士が、男性に向けて一喝した。


 男性の行動によって他の者も勢いづいてしまったのだろう。あちらこちらで声が上がりはじめた。

 期待と怒りの混じったちぐはぐな視線を台に向けながら、思い思いに怒声と罵声を発している。


 早くしろ、まだかと叫ぶ怒りの声は兵士に向けられ、口汚く罵しる声は台の上に跪く少女に向けられている。

 少女の名はセシリア・オールディン。王太子の婚約者で、王家の血を持つ公爵家の一人娘であった。


 明るく朗らかなセシリアは家族はもちろん、友人やエリュシアンに住まう民にも好かれていた。

 王子との仲も良好で、そう遠くない日には王子妃となり、いつかは王妃になると目されていた存在でもあった。


 だがそれはかつての話であって、今はこれから行われる催しの主役でしかない。


 悲劇の主人公を虐げた悪女――それがセシリアに与えられた役柄だった。

 そして悪女の処刑が、本日の催しだ。





 セシリアの目が、今日のために組まれた特等席に向く。催しを高見から見学できるようにと組まれた足場の上には、豪勢な椅子が二つ並んでいた。

 そしてその周囲を、幾人もの騎士が囲んでいる。


 椅子に座るのは、陽光を浴びて輝く金の髪に、理知的な青い瞳を持つ男性。絵画に出てくる天使のような風貌をした彼の名はアシュトン。エリュシアンの王太子で、セシリアの婚約者でもあった人物だ。

 そして椅子の後ろには、夜闇を閉じ込めたかのような黒髪を持つ騎士カーティスと、赤毛をうなじのあたりで一つに結んだ公爵家の嫡子――セシリアの兄クラウドが立っている。


 彼らの顔には一様して甘い笑みが広がっており、その笑みはアシュトンの横に腰かける一人の少女に注がれている。


 ――ウェンディ・ウォーレン。


 セシリアは少女の名を心の中で呟いた。

 市井で育ったウォーレン伯の娘。ただそれだけでしかなかったはずのウェンディは、今では王太子の婚約者で、悲劇に見舞われた主役としてその名を馳せている。


 慕っていた家族と友人、そしてそれらすべてを奪った相手を見ても、セシリアの瞳には何も浮かばない。


「言うことはあるか」


 セシリアの横に立つ屈強な男が、感情を感じさせない冷たい声を出した。


 ――言うことなんて何もないわ。いくら訴えても、誰の耳にも届かなかった。


『セシリアと話していると時間を忘れそうだ』


 短時間の茶会だろうと真剣にこちらの話を聞いて、甘い笑みを浮かべたアシュトンは、ある日を境にセシリアを煙たがるようになった。

 そしてセシリアが「自分はなにもしていない」と何度訴えても、聞く耳をもつことはなく、敵意に満ちた目を向けてきた。


『殿下とセシリア様をこの命が尽きるまで守ります』


 アシュトンの護衛騎士であるカーティスはそう言って、素朴で可憐な花をセシリアに贈ってくれた。

 剣の誓いはアシュトンに捧げたからとはにかんでいた彼は、セシリアが牢の中から助けを求めても、顔色一つ変えることなく立ち去った。


『王子妃になってもいつでも帰っておいで。ここが君の家でることは変わらないから』


 セシリアが王子妃になるのはまだ先の話だというのに、クラウドは複雑な表情を浮かべながらも祝福したいと言って笑っていた。

 だが、セシリアが罪状を述べられている間、彼は侮蔑に満ちた眼差しをセシリアに向け、心ない言葉まで吐いた。


 ――大好きだった。大切だった。


 粉々に砕かれてしまったが、それでも彼らとの思い出はセシリアにとってかけがえのないものだったはずだ。


 ――でも、今は何も思えない。


 ウェンディを囲んでいる彼らを見ても、セシリアの中に助けを求めようという気も起きなければ、信じてほしいと(こいねが)う気にもなれなかった。

 カーティスやクラウドに時折凍てつくような眼差しを向けられようと、アシュトンがウェンディに熱い視線を向けていても、涙の一つも零れない。


 かつて輝きに満ちていた青い瞳は、牢で過ごすうちに彩りを失った。寂しさも憎しみも怒りも、牢に置き去りにしてしまったのだろう。

 早く死にたいと願う日々に、涙も感情も枯れ果てたのかもしれない。


 セシリアは視線を特等席から、台を囲う人々に向ける。そしてその中に、見知った顔があることに気がついた。

 オールディン家お抱えの仕立屋、市井に遊びに出た際に仲良くなった花屋の娘。それ以外にもちらほらと、親しく話したことのある顔を見つけた。

 だが彼らも、周囲にいる他の人々と同じように、口汚くセシリアを罵り、早く死ねと嘲りの声を上げていた。


「早くすませろ」


 アシュトンのやる気のない声が聞こえたかと思えば、セシリアの細い体が倒される。そして首を半月型に空いたくぼみに押しつけられ、続いてカタン、と首を固定する音が聞こえた。

 視界に入ってきた空の籠に、セシリアは溜息をついた。


 返事を待つことすらしない性急さは、屈強な男もセシリアの死を望んでいるからだろう。誰も彼もがセシリアの死を望み、早く死ぬことを待っている。

 だがその中で、アシュトンだけはセシリアをちらりとも見ることすらせず、ウェンディだけを見つめ続けていた。


 物騒な催しでウェンディが心を痛めないか心配しているのだろう。


 ――私を殺すのなら、しっかりとその目で見ていなさいよ。


 土壇場になって救われるなどと甘いことを考えていたわけではない。ただせめて見届けろと、そう思っていただけだ。


 ――私が死ぬことにすら興味がないのね。


 セシリアの口から乾いた笑いが漏れ――そしてすぐに、落ちてきた刃によって遮られた。



 胴体から切り離された体の一部が籠の中に落ちる。割れるような歓声が上がるかと思いきや、先ほどまでの熱気が嘘のようにしんと静まり返っていた。

 少しして、困惑の声が上がる。小さなざわめきは次第に大きくなり、波のように広場中に広がっていく。


 あちらこちらで発せられる声に、兵士が「静かにしろ!」と怒鳴っている。その声にも困惑の色が滲んでいた。

 飛び交う怒声と叫び声、先ほどまでとは違う意味で騒々しくなった広場に、


「殺せ! その女を殺せ!」


 先ほどまでやる気のなかった声が響き渡る。


 ――もう死んでるのに。


 視界が赤く染まっていく中で、セシリアは死んでなお死を望まれているであろう我が身に虚しさを抱いた。

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