その2
ニューヨークは暑かった。
「丸坊主にするにはちょうど良いかもしれない」
純子はそう思って、暑苦しそうに肩に掛かる髪を掻きあげた。
契約しておいたアパートにとりあえず手荷物を置きに行き
汗ばんだ身体と髪を洗うためにシャワールームに入る
「長い髪を洗うのも、これで最後…」
純子は丁寧にシャンプーすると、いつもより念入りに乾かしブロウした。
鏡を見ていると、やっぱりやめておこうか、と少しだけ不安の気持ちが湧いてくる。
まったく似合わなかったら…?長い髪が懐かしくなったりしたら…?
毎日当然のようにあった髪がなくなってしまうと言うのは
やっぱり想像以上に大きな事なのかもしれない。
でも…
「私は何のためにココまで来たの?頑張って英語も勉強して、お金も貯めて
親や上司を説得して…」
念入りに化粧をして、でも念の為、アイラインやマスカラは控え目にした
「もし泣いちゃったら、目がパンダになっちゃうもんね」
気合いを入れても、やっぱり少々気弱になっている純子だった。
どんな店を選ぶか…純子は迷っていた。
お洒落な店、路地裏のような場所にある静かな店、
ガラス張りで外から丸見えの店、ビルの上階にあって、外からは見えない店…
「まあ、何にしてもごちゃごちゃ言わないでサクサクやってくれそうな店が良いなあ~」
思ったよりも純子の気持ちは落ち着いていた。
もちろん、緊張と期待の入り混じった不安な気持ちはあったけれど
それよりも、ようやく願望が実現すると言うワクワク感の方が高い。
30分程歩きまわり、純子は『ココ』と店を決めた。
出てくるお客さんらしい人も、若い人で、かなりファンキーな人が多いし
わずかに外から見える店員も、パンクっぽかったり、かなり派手な人達のようだ。
純子は大きく深呼吸をすると、店内へのドアを開けた…
「本当に良いのね?本当にやっちゃうよ?」
十数分後、カットクロスを首に巻かれ、純子はイスに座ってそう聞かれていた。
真っ赤に見える髪を、無造作に立てたような髪型をしている美容師が
鏡越しに、純子の顔を覗き込んでいる。
いきなり入ってきた東洋人の純子が、「丸坊主にして」と言ったのだから
さすがにファンキーな美容師も、二つ返事でOKと言う訳にはいかないのだろう
「いいの、やっちゃって」
何度も頭の中でロールプレイした会話が口からすらすらと出てくる。
「その為に来たようなものだから…」
緊張でやや引きつりながらも、笑顔でそう答える。
「じゃあ、ほんとにやるよ?良いんだね?」
最後の確認のように、美容師が念を押す…純子がコクンと頷いたのが合図だった。
赤い髪の美容師が、腰に付けたケースからハサミを取り出す
(一気にやってくれる訳じゃないのね…)
少しだけがっかりしたけれど、でもその後の体験は、
そのがっかりをすっかり忘れさせるほどの快感だった。
純子の長い髪に、思い切り良くハサミが入る。
最近の美容院でされるような斜めにちょんちょんとハサミを入れていくような
あんな曖昧なカットじゃない
豪快に、耳の横、首筋、襟足の生え際の髪が、本当にばっさりと切られていく。
美容師は、何やら嬉しそうに、鼻歌交じりの様子で
「せっかく伸ばしたのに、もったいないみたいですね…」とか
「きれいな髪なのに…」とか言ったりなんかしない。
そう言う感傷も、今の純子には必要なかった。
切られた髪が、勢い良く床に落ちていく。
頭がどんどん軽くなり、それと同時に心も軽くなっていくようだった。
「何だか嬉しそうだね…」
美容師が、そんな純子の様子をみながら笑う。
「うん、すごく嬉しい…この日を待っていたから…」
深い意味は通じなくても、純子はついそう言ってしまった。
「よし、じゃあ、思い切りセクシーな坊主にしてあげるよ」
セクシーもファンキーもスポーティーも、坊主に違いはないだろうに
美容師もノリ良くウインクしながら言う。
はっきり言って、「ざんぎり」としか言いようのない髪型になった。
長かった髪は、生え際や根本でバツンと切り落とされている。
もしこのまま終わりと言われたら、泣いて抗議したいほどの髪型だけど
でもすべては丸坊主にする為の準備カットなのだから、気にもならない。
「さて、じゃあ、お楽しみのバリカンがいくよ」
純子は心の中を読まれたかと思い、ドキッとした。
確かに、自分の髪が、バリカンで刈られてしまうなんて、
今までまったく経験もなく、どんな感じなのかなあ~どういう感触なのかなあ~と
楽しみにしていたのだから…
美容師が持ったバリカンが、鏡に映る。
良く外国のサイトで見ていたのと同じような形だった。
いよいよだ…
額にバリカンが近づいてくる…純子はそっと目を閉じた。
怖くて見ていられなかった訳じゃない、ココまでの想いが溢れてきたのだ。
バッサリと髪を切っている時には、さほど注目されていなかったようだけど
さすがに額の真ん中からバリカンを入れられている純子に、周囲の目が注がれていた。
でもそれも陽気なアメリカン…
好奇の目と言うよりも、何か楽しいモノを見るような顔と、そして口笛や聞き取れないスラング…
「目を開けて…」
美容師の声に純子はハッと目を開けた。
額の真ん中から、一直線に5ミリくらいに刈られた髪、そしてその下の地肌…
口が「O」の形を作ったまま数秒…そしてその後、笑い出してしまった
いや、笑うしかなかった。
純子の笑顔と笑い声に、美容師はホッとしたのか、素早くその横の髪にバリカンを入れる。
今度はしっかりと髪が落ちていく様子が見えた。
(これが…バリカンの感触…そして坊主になるんだ)
興奮で身体が熱くなる…髪を刈られているということ、自分がこれから丸坊主にされること、
顔もやや上気し、身体の中からも、熱いものが溢れてきていた。
(いやだ…どうして…すごい気持ちいい…)
純子は自分の髪がどんどん刈り落とされ、次第に地肌があらわになっていくのを見ながら
そう思っていた。横の髪が終わり、後ろの髪にバリカンが入る。
下から上へ、刈り上げていき、刈ってしまったトップの部分と繋がる。
首筋、襟足から、後頭部を通ってつむじの方まで、
バリカンは一気に上がっていく…でも純子にはゆったりとした時間だった。
やがてすべての髪が刈り落とされ、丸坊主の頭が鏡に見えた。
「とても可愛いよ」
美容師が、さも愛しそうに、その坊主頭を撫ぜた。
「君も、早く触ってみなよ」
その声に、純子も恐る恐るカットクロスの中から腕を出し、そして頭に触れた…
「わっ…」
思わず大きな声が出る…この何とも言えない感触が、自分の身体に、頭にあるなんて!
さすがに恥ずかしいような、とうとうやってしまった、と言うような複雑な気持ちだった。
「似合ってるね」
わざわざ他の店員が、純子の側に来て言ってくれる。
「本当はもっと短くしても良いし、いっその事スキンヘッドも良いけど
初めてだから、今日はこれで完成…でも次はもっといくよ」
美容師がそう言って、カットクロスを外した。
首が、すごく長く見えるような気がする…顔も小さくなったように見える。
シャンプーをして貰い、細かい髪を落とすと終わりだった。
外に出ると、日差しが直接地肌にあたるような気がした。
スキンにした訳じゃないから、本当は地肌直撃って事はないんだろうけど
本当にそう感じる…でも…
「気持ちいい~っ」
思わず日本語で叫びたい気持ちだった、事実口に出して言ってしまった。
日差しが、風が、そして視線が注がれているような感覚も
「気持ちいい」としか表現できなかった。
「やった~ばんざ~い!」
誰が見ても気にするもんか…知っている人なんてココにはいないし
日本人が坊主頭でバンザイをしていても、笑って通り過ぎていく。
ようやく実現出来た願望に、純子は心の底から喜んでいた。
純子はニューヨーク滞在を満喫していた。
動機こそ少々変わっていたけれど、週に3回通うデザインスクールも
そこで出来た友達との付き合いも、
たまに頼まれて簡単なアルバイトをしたり、充実した日々を送っていた。
髪型に関しては、最初から坊主にしていたため
そう言うキャラクターだと思われたのか、誰も何も追及しなかったし
純子はそれが心地よかった。
夏の休暇を前に、純子は坊主にして貰った店に行った。
休暇中、同じクラスの友達の家に遊びに行く予定があり
海の側と言う事で、少しだけ羽目を外したい気分になっていたのだった。
赤い髪で、純子の髪を切った美容師は、店では「ピー」と呼ばれている。
ピーは4ヶ月前に、丸坊主にした純子の事を覚えていた。
「久しぶり!ずいぶん伸びたね」
店に入ってきた純子を見て、ピーはそう言いながら4~5センチになった髪を撫ぜた。
「今日はどうする?」
純子をイスに座らせて、ピーは嬉しそうに笑っている。
「ほったらかしに伸ばしてると、すごい事になるのね…だからちょっとすっきりさせて
それから思い切った色でカラーして欲しいな」
明後日から夏の休暇で、海の近くの友達の家に行くのだと付け足した。
「バカンス用に、って事だね…カラーも良いけど、もっと弾けちゃえば?」
ピーが伸びた髪をつまみながら悪戯っぽく笑う…
「この前言ったこと、覚えてない?次はスキンヘッドにしようって」
「まさか…さすがにスキンは…」
純子は、4ヶ月経ってようやく伸びてきた髪を、
もう一度、しかも剃ってしまうなんて…と不安になった。
「でもカッコいいと思うけどなあ~気持ち良いし…」
ピーの言った気持ち良い、が心に響く。確かに気持ち良いかもしれない
(あと半年以上あるから大丈夫だよね…?日本に帰ったら絶対に出来ないし…)
不安よりも好奇心の方が勝る、純子はじゃあやってみる、とピーに告げた。
「ほんとに?良いの?じゃあ、ついでにお願いがあるんだけど…」
アシスタントの女性に準備を言いつけ、ピーは純子に耳打ちする。
「写真を撮らせて欲しいんだ…君がスキンヘッドになっていくところを…
店の宣伝用に使わせて貰うだけだから」
写真を撮られるなんて、恥ずかしい…一度は断ったけれど
ピーの再度の頼みに、純子はOKしてしまったのだった。
準備が整い、カメラ担当の男の子が側に立つ。
「ビデオだけど、後で編集していい部分だけ写真にして使うから」
ピーは純子の髪を軽く湿らせながらそう言った。
ビデオカメラが、もう小さな作動音をたてて、純子の様子を録画し始めているようだった。
「じゃあ、いくよ」
その作動音をかき消すようなバリカンの大きな音が響く。
前回使ったのよりも、何だか大型のバリカンのような気がする。
「この前よりも、短いよ。まあその後でつるつるに剃っちゃうから…」
つるつるに剃る…純子はそのフレーズにドキっとしていた。
前髪にバリカンが近づいてきて、そしてやや伸びた髪に食い付いた。
大きさが変わっただけじゃない…こんなに違うのかと思った。
まずは刈られている感触、そして刈られた跡…
前回は5ミリくらいはあったので、髪の色が残っていたし、地肌も丸見えではなかった。
でも…バリカンが通ったあとは、髪は1ミリよりも短く、地肌が青く見えるほどだ。
「すごい…」
思わず声が出てしまった。ピーが目だけで笑い、そしてまたその隣にバリカンを走らせた。
4~5センチに伸びた髪が、また根本からバッサリ刈り落とされていく…
たいして長くもない髪だから…と思っていたのに、
ひざの上や床に落ちて溜まった髪はたくさんで、純子はそれにも驚いていた。
横、後ろとどんどん青い地肌が広げられていった。
その間のバリカンの動き、純子の表情を、あらゆる角度でビデオカメラが狙う。
どんな表情をして良いのか戸惑いながら、純子は久しぶりのバリカンの感触を味わっていた。
「さて、次はいよいよ剃るからね」
ピーはそう言うと準備を始める…『剃る』純子には初めての体験だった。
シェービングクリームが塗られる、その感触…そしてそおっとあてられた剃刀の感触…
目をつぶり、純子はそれをじっくりと味わっていた。
ピーが丁寧に丁寧に、すべての髪を剃り落とした。
「目を開けて…キレイだから見てごらん…」
純子が目を開けると…そこにはまったく変わってしまった自分の姿があった。
「あっ…」
さすがにちょっとだけショックだった、でも新鮮な嬉しさも同時に溢れてきた。
「触るの怖い気がする…」
自分の身体の一部なのに、こうして生々しくあらわにされたのを見ると怖い気がした。
純子のスキンヘッドは、友達にも思いの外好評で、みんなに撫ぜられる羽目になった。
陽気な彼女達は「私が剃ってあげる」と先を争い
4~5日経つ毎に伸びてきた髪を剃りたがったりした。
夏の休暇が終わり、普通の生活に戻ってからも
伸びかけの純子の髪を触っては「伸びてるよ、ちゃんとお手入れしないと…」
そう言って、つるつるの手触りをリクエストしては純子を困らせた。
「これじゃ伸びるヒマがないよ~」
純子はあと数ヶ月で日本に帰る、それまでに「普通に見える髪型」になっていないと…
でも、友達の言葉は、同時に純子の気持ちでもあった。
一度味わったスキンヘッドの感触を、すぐに捨ててしまうのは惜しいような気がしていた。
今度だけ…次は伸ばさなくちゃ…そう思いつつ、スキンヘッドを楽しんでいたのだった。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎていく…
滞在を延長するにしても、とにかく一度は帰って来なさい、と親から催促もされていたし
何にしても、いつまでもニューヨークにいる訳にもいかなかった。
仕方なく純子は帰国の準備を始めていた。
「でもねえ~この髪、どうしよう…」
さすがにスキンヘッドではなくなっていたけれど、坊主から少しだけ伸びた感じ
日本では「わ~短いねえ~」と言われてしまう髪型だろう…
「まあ、スキンじゃないだけましか…ニューヨークで流行っているって事にしよう」
連日のお別れパーティやら、帰国の準備やらで純子は慌しく過ごしていた。
日本に帰って来てからは、何だか向こうでの生活が夢のように思えていた。
結局、元いた会社に戻り、新しい仕事も増えていた。
ニューヨークで勉強してきた事を生かせるように、それなりに頑張る気持ちではあったし
やはり日本語が通じると言うのは、楽だった。
成田で、職場で、知り合いを驚かせた髪も、今はちょっと短めのショート、くらいに伸びていた。
「ま、あれは向こうだけのお楽しみだったからね」
いくらアメリカ帰りでも、日本ではそこまで弾ける勇気はない。
仕事と家と、また普通の生活が純子に戻ってきていた。
久しぶりにネットに繋ぎ、あちこちヘアフェチサイトを見て回っていた時、
純子は心臓が止まるほど、驚いた…
「これ…私…!?」
そのサイトに載せられていた画像は、間違いなく純子自身だった。
「やだ、どうして…」
スキンヘッドにした時の画像だった。
額の真ん中から、バリカンを入れられている純子
うつむいて、後ろの髪を刈り上げられている純子
青々とした地肌が、真っ白なシェービングクリームで覆われていく様子
そこに剃刀があたり、もっと青白い地肌が出されていく様子
恥ずかしそうに、でも嬉しそうにその頭を触っている純子の画像もあった。
「顔、丸わかりだし、どうしよう…こんな姿…お店の宣伝に使うだけだって言ったのに…」
パソコンの画面を見つめて、そう言った。
でも、純子が見ているのは、確かにあの店のサイトだった。無断で使われた訳でもない。
宣伝になるかどうかは別として、良いインパクトにはなるだろう…
「誰か知っている人が見たら、一発で判っちゃうなあ~まいったなあ~」
ヘアフェチサイトからでなくても、見つかる可能性もあった。
そう考えると、ハラハラするような気持ちになった。でも…
「まあ、良いか、どうしてもって頼まれた事にすれば…」
向こうでの出来事だと、言い訳はいくらでもあるだろう。
純子はもう一度改めて、自分の画像を見ていった。
あの時の感触や気持ちが蘇ってきて、身体が熱くなる…
そして言った…
「でもねえ~どうせなら一番最初の、ロングから丸坊主にした時を撮って
それも載せて欲しかったなあ~あっちだってかなりすごかったんだから」