その1
どうしよう…
純子はこの所ずっと悩んでいた。
こんな事、誰にも相談できないし、本当にどうしよう…
純子は大学を卒業して、都内にある建築事務所に勤めていた。
まだまだ見習いで、一人前の仕事を任せては貰えなかったが
毎日それなりに充実していた。
そう…1ヶ月くらい前までは…
始まりはインターネットで見つけたあるホームページだった。
女の人が、長い髪を切られて、丸坊主になっていく様子が映し出されていた。
そのサイトからあちこちリンクしてあるホームページも見た。
髪を切られる女性の画像ばかりいっぱい集めて公開しているサイト、
女性が断髪されたり、自主的に切ったりするエピソードを小説にしたサイト、
掲示板で、同じような好みを語り合っている人達…
純子は帰宅してから夜更けまで、PCの画面を見続けていた。
考えてみれば、自分もこういう人達と同じように「ヘアフェチ」と言う趣向を持っていたんだ…
PCの画面に映っている画像や文字を見ながら、改めて確信していた。
そして…
毎日見続けているうちに、純子は自分の中の願望に気が付いてしまったのだった。
『私も…髪を切りたい…こんなように丸坊主にしてみたい…』
学生時代から、いつも変わり映えのしない髪型にしていた。
今度こそはイメージチェンジしようと意気込んで美容院へ行っても
いつも『良いんですか?』と美容師に確認されると
「やっぱり、いつもと同じように…」
と怯んで、そう答えてしまう純子だった。
そんな訳で、昔も今も肩下辺りをウロウロしている普通のストレートの髪型にしている。
毎朝鏡を見るたびに、お風呂に入ってシャンプーするたびに
濡れた髪をタオルで包んで乾かすたびに
外を歩いていても、ショーウインドウや店先の鏡に映る自分をみるたび
『この髪を全部切ってしまったら…』
純子はそうなった自分の姿を想像していた。
胸がドキドキして、身体が熱くなった…溢れてくるような…熱さだった。
一度気が付いてしまった願望を、純子は持て余していた
毎日普通に仕事はしていたし、友達と飲みに行ったり、遊びに行ったりはしていた。
でも今は彼と呼べる存在がいない分、友達と過ごす以外は夜は家にいることが多く
そんな時は、ヘアフェチのサイトを見て、想いを募らしているのだった。
もし…本当にしちゃうとしたら…純子は具体的に考えてみた。
丸坊主にするのはすぐに出来たとしても、
刈ってしまった髪が、ある程度の長さ…つまり人前に出て
好奇の目で見られる事がなくなる長さまで伸びるには…
半年?少なくとも、それくらいは掛かるだろう。
カツラで過ごすとしても、それはそれで不便がないだろうか?
風邪の強い日や、仕事上、現場に行ってヘルメットを被ったりする事もある。
今のカツラがどれだけ良く出来ているかは良く判らないけど
もし脱げちゃったとしたら?
純子はそんな事を想像しているだけで、恥ずかしくて顔が赤くなってしまった。
ダメ…コントじゃないんだから、笑っておしまいにはならない。
じゃあ、カツラを使わないで、丸坊主のままで過ごす…
友達、事務所の人、あちこちの現場で逢う人達、アパートの近所の人
満員の通勤電車の人達、コンビニの店員、ビデオ屋の店員…
自分と関わる、例え親しく話をしない人だけでも、まだまだいっぱいいる。
友達や、仕事関係の人には「どうしたの?」と間違いなく聞かれるだろう…
もし純子の知り合いがある日突然、丸坊主にしてきたら
例えヘアフェチじゃなくても、普通は気になるだろうし、理由を聞きたくなるだろう。
そんな好奇の目の中、どうやって丸坊主にした理由が言えるのか…
「やってみたかったから」
そう言えば間違いではないけれど、たぶんその先『変わった人』扱いされてしまうかもしれない。
じゃあ、他に良い理由があるんだろうか?
病気のため?いや、そんな状態になってしまう病気だなんて言ったら、心配されるし
第一毎日ぴんぴんしている自分を見ていたら、嘘だってすぐに判ってしまう。
役のため?自分は女優でも劇団に入っている訳でもない、あまりに無理があり過ぎる。
浮気の罰に彼氏にされてしまった?ダメだ、そんな彼氏いないし、
そして、もしいると言っても、そんな事をしてしまう彼も自分も怪しすぎる。
家の大事な花瓶を割ってしまったので、反省のために?サザエさんのカツオじゃあるまいし…
ライターの火が引火して髪が燃えてしまった、床屋さんで寝ていたら男に間違われて、
カットモデルをしたらこうなってしまった、野球部に入ったから…
考えても無駄なだけだった。
「あのサイトで作っている断髪ビデオに出る…?」
純子が良く見るサイトでは、オリジナルのビデオを作り、素人のモデルが
おかっぱや丸坊主にされる様子が写っている。
「モデル代、仕上がりの髪型はご相談に応じます」
そんな風に書いてあったが、ビデオはやっぱり形に残るし、後々まずい事になるかもしれない。
ヘアフェチだと言う事が、もし誰か知っている人にばれたら…
「街を歩いていたらスカウトされて…」なんて言うのはやっぱり無理がある
「私はお金が欲しくて坊主になりたいんじゃないんだ」
そんな事も考えていた。
それに…切った後のこともそうだけど、それ以前にどこで切るか
いつも行っている美容院でちょっと切ろうと思っても怯んでしまってやめてしまう純子が
「丸坊主にして下さい」なんて絶対に言えない。
それに美容院で坊主に何てしてもらえるかもわからない。
床屋さんになんて、子供の頃以来行った事がないし、
行くと考えただけで、ドキドキしてしまってとても無理そうだ。
店の人にどうやって言うのか、他のお客さんがいたら…
それを考えただけで、純子の顔は真っ赤になってしまった。
自分でする…それだったらバリカンを買ってきてやれば、どうにかなるかもしれないけれど
やっぱり自分のアパートの狭い洗面所でするのは…イヤだ
それじゃつまらない…何がつまらないのか具体的には説明出来ないけど
それが純子のヘアフェチたる所以だったのかもしれない。
「あ~あ、やっぱり無理か…」
ひとり言と知りつつ、純子は大きな声でそう言った。
毎日を普通に過ごし、夜はPCに向かう日々が過ぎて行った。
丸坊主にしたい、と言う願望を抱えながらも、現実と願望は別なんだと
純子は自分に言い聞かせていたのだった。
そんなある日、いつもようにヘアフェチのサイトを見ていて純子は気が付いた。
「どうしてアメリカの女性は笑いながら丸坊主にされているんだろう…?」
純子が見ていた中には、海外のサイトもあり、
そう言うところの画像や映像に出ている女性は、大体が笑って髪を刈られている。
もちろん、そうじゃない人もいるけれど、それでも日本の日本人の女性より
笑いながらそうされている数が圧倒的に多かった。
「イヤじゃないんだろうか…」
イヤだったら笑っているはずないし、純子が気にしたのは、自分と同じその後の事だった。
それに…スタジオみたいなところで撮っている画像もあるけれど、
お店、床屋さんなのか美容院なのかは知らないけれど、一般のお店でやっている画像が多い。
画面の隅に写っている他のお客さんも、特別驚いた様子もなく知らん顔しているし
何よりも、刈っている人、刈られている人の陽気そうな様子が目に付いた。
「いいなあ~アメリカは女性の丸坊主が認知されて、受け容れられているのかなあ~」
純子はまた今夜もPCを見ながらひとり言を言っていた。
「私もアメリカに行ったら、こうやって坊主に出来るかな…知っている人もいないし
誰に理由を話さなくても良いし…」
そんな事を思いついて純子はハッとした。
「そうだ!私もアメリカに行けばいいんだ!そうすれば実現できるかもしれない」
思い付いてからの純子の行動力はすごかった。
アメリカに行く…行ってすぐに丸坊主にしたとして、その髪が伸びて「普通」になる頃まで
半年から1年くらい向こうに滞在して…
金銭的な事、仕事の事を考えて、少し落ち込んだ。
でも、今すぐ行こうって言う訳じゃない
計画を立てて考えれば、まったく無理な話と言う事もないだろう。
建築やデザインの勉強に行くとなれば、不自然じゃないし、事実勉強も出来る
お金は…ホンのわずかな貯金と、貰えるかどうかはわからないけど、退職金と…後は…言葉…
「よしっ!」
一年間でお金を貯めて、英会話も習って、住む所や学校も目星を付けて
純子は自分の願望を実現させる事を、1年計画で考える事にした。
1年半後、純子は計画を実行に移す事が出来そうになっていた。
当初の目標だった1年では、金銭的にも言葉の面でも不安があったけど
親を説き伏せて、多少の援助もして貰ったし、
英会話はつてを頼って、マンツーマンで安く教えてくれる人を探して頑張った。
純子は、その間ずっと髪を伸ばしていた。
もう肩下15センチくらいにはなっている。
「どうせやるなら、思い切り伸ばしてからの方が良いしね」
勤めていた事務所は、退職ではなく「休職」扱いになり、
戻って来てからまた復職出来るように、上司が取り計らってくれた。
「バリバリ勉強してきて、ココには戻らないかもしれません」
ささやかな送別会の時に、純子はそう言って笑った。
アパートも友人を介して、何とか決まった。
週に3回通うデザインスクールも書類を出し、返事を貰っている。
「後は向こうでアルバイトでも見つかると良いんだけどなあ~」
そして…
いよいよ純子の願望を実現する日が来るんだ。
ドキドキして眠れないのは、渡米して、向こうで暮らすと言う事だけではなく
かなりの割合で、そっちの方に緊張しているのもあるんだろう。
友達、同僚に見送られて、いよいよ純子はアメリカへ向けて出発した。