3)夏休みの並木道で少年がフグを埋めていた理由を考える
「じゃあ、フグを食べる動物っていないのかな?」
由美が呟いた疑問に「もしかしたら、モグラは食べるのかもしれないね。」と道俊が答える。
「時々、捨てるならくれって言われるから。ほとんどは持って帰って、調理して肉だけ食べるという人なんだけど、畑のモグラ除けに抜群だからって言っていた人がいたんだ。」
「モグラ除けになるの?!」
「市販の薬剤より、効くってさ。モグラの餌はミミズや虫なんだけど、クサフグの臭いはミミズの臭いに酷似していて、モグラは引き寄せられるようにクサフグを食うんだって。モグラ除けには曼珠沙華を植える事が多いけど、直ぐにモグラは曼珠沙華を避けて迂回の穴を掘るから、意味が無いという話だったかな。けれどクサフグを埋めれば、モグラは一発で姿を消すそうだよ。」
二人の会話を聞いて晃人は、モグラが畑から姿を消した事実が有ったとしても、それはテトロドトキシンに中毒死したモグラが確認されて、初めてモグラがフグを食べて死んだと言えるわけで、ただ姿を消しただけならばクサフグの持つ忌避効果が強烈に作用しただけかも知れないな、と思った。
「モグラの人には、フグを譲ってあげたの?」と質してくる由美に、道俊は
「あげないよ。畑に埋めると言うのは嘘で、食べるつもりなのかも知れないじゃないか。クサフグだって、調理師免許を持たない人が料理するのは違法なんだよ。」
と言って聞かせる。
「それに、なんてったってクサフグは冬場の貴重なトモダチだからね。」
「そんな事より、妹よ。一つ確かめたい事がある。」
晃人がリア王を演じる舞台俳優っぽい口調で由美を問い詰める。「なぜ港までやって来ようと思ったのだ? あんなにフナムシを嫌っていたのに。……道俊君が魚釣りが好きだという情報を仕入れて、この先、自分もやってみる心算に成ったのでは、あるまいな?」
由美の返事は聞くまでも無かった。耳まで真っ赤になっている。
と、同時に、晃人は道俊も同じくらい赤面しているのに気が付いた。
――やれやれ。席を外した方が良さそうだな。今日に限って言えば、釣り竿よりもキューピッドの矢を携えている方が相応しいらしい。
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「芳野が埋めてたのが干からびたフグなら、こんなに頭に来てナイよ!」
由美の怒りは収まらない。「アキ兄も聞いたでしょう。アイツ『トモダチ』って言ってたんだよ? ビニール袋の中は、釣って来たばかりのフグみたいだった。」
――日の出が4時半だとすると、3時間程度の釣果か。狙いをフグに絞れば、道俊君なら7、8尾のクサフグを釣り上げていても不思議じゃないな。
晃人はコーヒー牛乳に口を付けると、少し考えてから
「よし。シャワーを浴びて服を着替えてこい。直接、彼から考えを聞いたら、オマエも納得出来るかも知れないよ。事情が分からない内に、腹を立てるのはフェアじゃないだろ。」
フェアじゃない、という言葉が由美には響いたらしい。
「速攻で着替えて来るから、ちょっとだけ待ってて。」
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オリーブ色のTシャツに白のキュロットという服装で、再び由美がリビングに姿を現したのは、晃人が今日のレポート作成を諦めて、一切合切をカバンに仕舞い、牛乳を飲み終える前だった。
ショートボブの髪の毛は濡れたままだ。ドライヤーを使っているヒマなんか無いという気持ちなのだろう。
「アニキ、行くよ。芳野君の住所は分かってるから。」
「いや、先に現場へ行ってみよう。オマエが目撃した場所だ。現場百遍って言うだろ。捜査の基本だ。」
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陽が上がってしまっているから、アスファルトは焼け初めている。
鯰石川の堤防の土手を登り、青々と茂った葉桜の並木の下に辿り着いた時には、家から近いものの二人ともホッとする思いだった。木々の幹ではクマゼミが激しく鳴いている。
「結構な量のモグラ塚があるなぁ。」
土手の法面の芝生には、芝を凌駕する勢いでメヒシバやイヌビエなどの雑草が生い茂り、もこもこと盛り上がった土塊が雑草の間を縦横に走っている。
「モグラ塚って、あの土が盛り上がったトコ?」
由美の質問に、晃人は「そう。」と答える。
「モグラがミミズを探して、地表直下を掘りまくった跡だ。モグラが他所へ行ったら、残された穴をネズミがちゃっかり間借りしてる事が多いけどね。」
由美は、ふぅん、と考え込むと「大雨が来たら、ヤバイんじゃないの?」と呟く。
晃人も「まあな。」と妹に同意する。
「堤防が壊れる時のメカニズムには、浸透・浸食・越水なんてのが有って、どれも堤防を構成する土盛りが水に削られるのが原因なんだが、土盛りが中まで水浸しでグズグズに成ってしまえば、削れたり流れ出したりするのは早いわな。モグラ塚で芝の表土が痛んでいたら、水はより浸透し易くはなるだろう。……で、オマエが道俊君を見たのは、どっちだ?」
「も少し上流。猫神社のあたり。」
行ってみよう、という晃人の提案に、由美は素直に頷いた。
歩いている並木の下には、ミミズが地中からあちこちに這い出して、干からびている。
中には普通サイズのミミズだけでなく、ドバミミズと呼ばれる人差し指くらいのミミズも混じっている。
由美は小さく悲鳴を上げると、遊歩道まで雑草の茂った土手を滑り下りた。
しかしそこにもミミズのミイラは散らばっている。
「由美、登って来い。遊歩道も同じだろ。直射日光で暑いだけ損だ。」
晃人の呼びかけに、由美は不承不承土手を登ると
「死んでるミミズは、モグラのせいなの?」と声を荒くした。
「魚釣りの餌用にミミズを捕まえるテクニックで、ミミズの居そうな地面に棒を突き刺してガサガサ動かすという方法が有るんだ。」
「モグラの襲来と間違えて、ミミズが土から出て来るの?」
ご名答、と晃人は答えると「この様子じゃ、だいぶモグラが暴れているみたいだな。」と続けた。
「でも、今までミミズの死骸なんて、見なかったよ?」
「気にしていないから、気付かなかっただけだろう。人間の目は――いや、意識は、かな?――興味の無い対象は視えないように出来ているから。……ミミズが死んでいるのは、今日に限った事ではないと思うね。」
「ええっ?! 毎日こんなに死骸が出てたら、遊歩道なんか一週間で埋まっちゃうよ?」
「出るそばから食べられていたら、増えないだろ? 虫や鳥、小動物なんかが片端から消費するんだ。」
見てごらん、と晃人が指さした先では、正にアリの群れが乾いたミミズを運んでいる最中だった。
「曼珠沙華、効いてないのか。」由美がポツンと感想を言う。「芳野君は、それが気掛かりで?」
晃人は「そうなんじゃないか、と思うんだ。釣り好きの彼なら、遊歩道でミミズが大量に死んでいる理由には、簡単に思い至っただろうからね。」と応じる。
「もう直ぐ、台風のシーズンだから。大雨が降った時に、堤防の表土が痛んでいるのは、ちょっとばかし気味が悪いだろ? 鯰石川の水位も今より上がるのは確実だし。だから、ヒガンバナより確実に効くというクサフグを試す気になったんだ、と思う。猫を巡る騒動で、この辺り一帯の野良は、数を減らしているのは間違い無いんだから。地域猫として餌をもらっている個体は、モグラやネズミを積極的に襲わないかも知れないし、神社から他所にもらわれて行って、絶対数も減っているんだろ?」
「そんな大切な実験なら、ちゃんとそう話してくれたらいいのに!」
「……お前、道俊君に聞いてみたのか? なんでそんな事してるのって。」
由美は俯いて小さな声で「聞いて無い。」と答えた。消え入りそう、という形容が適当な声だった。「ウソ吐かれたと思って、頭に来て走って帰ったから。」