2)GWに中学校での親猫派対反猫派の対立の話を聞く
「そんな事って何? 割と深刻な問題なんだよ!」
由美が口を尖らせて反論する。「現に、これまでの交友関係に優先して、猫派か反猫派で友人関係が再構築されつつあるくらいなんだから!」
由美が『友人関係が再構築されつつある』なんて言い回しを使うのは、道俊君の影響だろうか、などと晃人は考えを巡らせる。
「町が野良猫モンダイで割れているって噂は知ってるけど、学内でそこまでコジレるってのは、変な話だな。」
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ナマ中の近くにある鯰石神社は、『猫神社』という異名を持っており、猫の刺繍のお守り袋や猫をかたどった土鈴など、猫グッズが充実している。
代々の宮司さんが、必ず『社猫』を飼う決まりがあるくらいだから、全国の猫好きに聖地認定されて参拝客も多い。
ただ、他所から猫を捨てに来るマナー違反の飼い主もいて、増える猫には手を焼いていた。
グッズ販売の収入が増えても、それは捨て猫の不妊化手術の費用や餌代・駆虫剤などで右から左に消えてしまうのだ。(神社が猫グッズ販売を始めたキッカケが、猫関係の支出を賄うためだったのが、そもそもの始まりなのだが。)
さて、そもそも鯰石神社が何故猫を飼うようになったのかというと、今から270年ほど前の大地震の時に、地面が揺れ始める直前、境内に巣くっていた猫が一斉に大声で喚き始めて地震を知らせたからだと伝えられている。
断層が走っていて震源の浅い地震が多い土地柄だから、単なる伝説ではなくて、そんな宏観現象――大地震の前触れとして起こる異常現象――が起こっていたとしても不思議は無い。
晃人も中学時代の歴史の先生から
「猫神社が正式には鯰石神社なのは、茨城県の鹿島神宮や千葉県の香取神宮と同じく、大地震を起こすと考えられていた巨大ナマズを抑える『要石』が祀られていたからじゃないのかな、と考えているんだよ。」
という余談を聞いた事がある。
それがなぜ猫神社になってしまったのですか? という晃人の質問に
「当時の村人の記憶が上書きされたんだろうね。要石――ここの神社では鯰石だけど――それを祀っていても地震は起きた。けれど、地震の発生は猫が前もって教えてくれた。猫を大事にして前知らせをキャッチする方が、より効果的な対策が採れるのではないか、そう考えたんじゃないかな? だから鯰石は地名としてだけ残り、神社は実質的に猫神社になった。根拠の無い想像だけどね。」
先生はそう回答してくれたのだった。
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こういった土地であるせいか、地域住民は猫に対して寛容だったのだが、風向きが変わったのはマダニが媒介するウィルスが深刻な感染症を引き起こす事がニュースになり始めてからだった。
『重症熱性血小板減少症候群ウィルス』(SFTSウィルス)と呼ばれる病原ウィルスである。
マダニの15%以下程度の個体がこのウィルスを保有していて、マダニに噛まれる事によって人間が感染・発病する事がある。
発病した人は高熱を出し、消化器や神経に異常が見られたあげく、死亡する事もある。
致死率は30%以下。
人への感染は、腕や脚が露出した服装で草むらに分け入った時などが考えられているけれど、飼い犬や家猫が屋外でダニを付着させて家に持ち込んだとしか考えられないケースもある。
晃人は大学に入学して以降、普段は鯰石から遠く離れた県庁所在地の学生寮に入っているため、ネットでマダニのニュースに接しても「怖いねェ。うかうか知らない猫や犬とは遊べないねェ。」などと、学生食堂で友人と食事をとりながら他愛も無い感想を述べあった程度の反応だった。
身近に被害の出た地域以外では、日本中のほとんどが似たようなリアクションだっただろう。
けれど鯰石では近くで感染が起きたわけでもないのに、反猫派の一部がSFTSウィルス感染の恐怖を『熱狂的な情熱』をもって煽り、町に分断と対立をもたらしたのだった。
普段なら地方選挙の時期限定で、コンサバ派対リベラル派みたいな、日本全国でよく在る対立が表面化する程度のナアナアな地域であるのに、なぜか対立は激化の一途をたどって、先鋭化した反猫派は役所に野良猫駆除を申し入れた。
猫は私有地にまで侵入し、糞尿を垂れ流したり、花壇を荒らしたり、飼育している小動物を襲ったりするから、反猫派の言い分も理解出来ない話では無い。
一方で猫は愛玩動物に分類されるから、役所も『保護』は出来ても『捕殺』は難しい。
『ノラ猫に餌を与えないで』と、公共地に役所名義で立て札をたてるのが精一杯だった。
けれども、不十分な対応だとはしても役所が具体的に動いたという事実は、主張が認められたという満足感を反猫派にもたらし、駆除騒ぎは多少ながら鎮静化した。
猫神社も『鯰石神社に猫を捨てないで下さい。』とホームページにトピックを立てて、猫を飼い余して捨てに来る人に注意を促している。
愛猫家の聖地だから、他県からの引き取り手も多くて、対立は小康状態を迎えていた。
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再び対立が激化する事になったのは、鯰石川の河川敷で明らかに毒餌を食べたと思われる衰弱した地域猫が見つかってからだ。
邪魔だ不快だという理由で、みだりに『愛玩動物』を殺せば、それは器物破損として立派に犯罪となる。
また死んでいなかったとはいえ、被害に遭った複数の猫が見つかったのが、猫神社に近い河川敷の桜並木の土手だった事が決定的だった。「神社の猫に毒を使うとは、やり口が汚い。」と親猫派の怒りが沸騰したのだ。
役所に苦情を捻じ込んだり、『猫は不潔で危険な生物!』『猫の横暴を許すな!』などと勝手に立て札を増やしたりしていた反猫派の急進的なグループメンバーは、親猫派の厳重な監視下に置かれるようになったのだった。
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「そこまで事態が悪化していたのか。」
晃人の感想に、由美は強く頷く。
「だから、私たちの力で学校だけでも何とかしたいなって。」
「ナマ中に、反猫グループの親の子がいまして。」アタリが有ったのか、道俊がリールを巻きながら由美の言葉の後を受ける。「村八分に近い状況なのです。中学で猫好きと猫嫌いが争っても、何の解決にもならないのに。地域猫運動の後押しをしたり、親の協力を得て手分けして神社に猫を捨てに来る人を注意したりする方が、まだ前向きだと思うのですが。」
――ふむ、ふむ。ただ「なんとかしたい」だけじゃなく、有効かどうかは分からないけど、全員参加で問題に取り組む事で、両派の折り合いを計り融和をもたらそうと考えているのか。具体的な行動内容を思案しているのが偉いじゃないか。
晃人は道俊の目論見が成功するかどうかは微妙なところだとは思ったが、掛け声だけではなく自分たちに実行可能なプランを策定した道俊の態度に好感が持てたし、そんな道俊を好ましく思っている由美の気持ちも分かった。
「あっ! 釣れてるよ芳野クン。……でも残念。」
由美が道俊の釣り上げた獲物を『残念』と評価する。針にかかっていたのはクサフグだ。
肉は無毒だが、皮や血液・内臓なんかにテトロドトキシンという猛毒を持っているから、外道扱いされる魚だ。
道俊はクサフグにダメージを与えない様に丁寧に釣り針を外すと「大庭さん。クサフグって可愛いんだよ。」と笑い、海に放した。「真冬なんかに、寒くて他の魚が全然姿を見せない時でも、クサフグだけはググググってアタリを送ってくれるんだ。」
晃人も「そうだなぁ。一日粘って、最後に一匹来てくれたフグには、ほおずりしたくなる事だってある。」と道俊に同意する。「オマエだけだよ、俺の相手をしてくれたのはってね。」
「それにしては、捨てられて日干しになってるフグが結構いるけど?」
由美の疑問に「価値観の違いだね。」と道俊は応じる。
「糸や針を噛み切っちゃうし、狙った魚の餌を横取りするから。嫌いな人は嫌いなんだよ。」
由美は、ふぅんと頷いてから「でも芳野クンみたいに逃がしてあげればイイのに。ただ殺すだけなのも可哀想だし、鳥が間違ってたべちゃったりするかもしれないし。」
こちらを横目で眺めているのは、この港に居付いているアオサギだ。ときおり釣り人が投げてくれる小魚を楽しみに待っている。
「アオサギはフグを食べないよ。その辺で日向ボッコしてる猫も。」
道俊が由美に言って聞かせる。「クサフグは普通でも皮にもテトロドトキシンを持ってるし、興奮すると皮膚への分泌量が多くなるんだ。ハコフグだったらテトロドトキシンじゃなく、バフトキシンを出すみたいなんだけど。人間が手で触ったくらいでは害にはならないけど、忌避作用があるんで、捕食者は手を出さない。餌では無いと感じるんだね。」
「ニンゲンが痛んだお惣菜の臭いを嗅いで『こりゃダメだ!』って判断する感じ?」
「腐敗臭と分泌毒の忌避作用とは、厳密に言えば違うのかも知れないけど、雰囲気的にはそんな感じ。……家から出た事の無い過保護の座敷犬や座敷猫だと、危機感知能力が劣っているから、フグを咥えちゃう事はあるかも知れないけど。」
「咥えたら死んじゃうじゃん!」
「咥えたくらいなら、大丈夫だろ。」ビックリした由美に、晃人が落ち着けというように言い聞かせる。
「毒には致死量ってのがあるんだよ。噛んで、血や内臓が口から入れば小動物だと直ぐ死んじゃうだろうけど、生噛みだったらフグの丈夫な皮膚は破れないだろ? 皮膚表面の微量の毒くらいなら問題なかろう。」




