第8章『遺跡の正体』
少し前――。
北海道中央放送、陸地球サテライト・スタジオ――。
ツユミとキミカ、それにキングブロッサムが去ってしまったあと、事態は急展開を迎えていた。
一人残った若い警官へ駐在所から指示が出され、それを放送に乗せる、ということを中心に行われた。北海道中央放送の通常番組はラジオ・テレビ共すべて変更された。
台風が接近しているわけでも、津波警報が発令されたわけでもない。起きるかどうか確実に証明されていない事象をもとに、避難誘導を行なう。それは微妙な放送だった。あくまでも自主避難であり、命令や強い指示は出せなかった。
リスナーからの反響もすさまじい。陸地球内のリスナーはもちろん、北海道全道、あるいは海を越えた青森や岩手からも電話やメールが押し寄せた。事の真偽を確認する内容のものがほとんどだったが、なかには知人の安否を尋ねるもの、あからさまな抗議、マラソン関係者からの非難、果ては終末論を唱えるものなど、さまざまざった。
もし地震予知によって避難を呼びかけるときも、これと似たようになるかもしれない。
「しかし、困りましたね」
伝法は、戦場のようなあわただしさのなかで、手持ち無沙汰でつぶやいた。ここにいてもラインの仕事ができるわけもなく、今後の身の振り方に考えが及ぼうとしていた。
「――あの娘たちがいなかったら、いったいいつ陸地球の閉鎖が始まるのか、わかりゃしない」
伝法と同じく、やることのない駅村はうなずいた。
「警察から知らせてくれるのを待つしかあるまい。すでに事態はおれたちの手を離れてしまったからな」
「だったら我々も脱出しましょう。ここにいても、することはないんだし」
伝法は、どちらかいえばミーハーで、派手な世界にあこがれて、最初から制作二課を希望して新関東テレビへ入社した。駅村のように報道に対する思いは強くなかった。身の危険をおかしてまで取材を敢行しようなどという熱意はなかった。彼の心の根底にあるのは、どうしたら人に楽しんでもらえる娯楽番組を制作できるか、というものだった。
閉鎖するという陸地球から、なるべく早く脱出し帰京したかった。
「そうもいかんだろう」
「どうしてです?」
「なに言ってんだ。オレたちゃまさに渦中にいるんだぜ。こんないい番組ソースが目の前に転がってるっていうのに、逃げてる場合か」
「そりゃ、たしかにそうでしょう。おれもテレビ屋ですから、そこんとこ、思わないでもないですよ。でも――」
伝法は金魚鉢のほうに顎をしゃくった。笛野レイナが予定時間を超過してまだスタジオにいた。DJの虹岡とともに放送をつづけている。
「彼女はタレントですよ。無事に帰してやらなきゃなんない」
笛野レイナの表情は真剣そのもので、自らの役目をちゃんと心得ているのが見て取れた。真面目な性格なのだろう。将来が楽しみな逸材だ。
「そうだな」
駅村はうなずいた。それは思わないではなかった。というより、ずっと懸念していたことだった。どうしたものかと思案していた。むろん、彼女を危険な場所に長居させるわけにはいかない。なるべく早く陸地球の外へ脱出させてやらないと……。
スケジュールのこともある。この北海道での仕事のあと、アニメのレギュラー番組のアフレコ収録やCMの撮影があると聞いている。
そのとき、調整室の隅で携帯電話を切った警官が、気谷ディレクターに向かって言った。
「役場から避難勧告が出されました」
えっ? という気谷の表情。
「早かったわね……」と口の中でつぶやいた。
ということは、NHKをはじめ、すべての放送メディアに情報が均等に伝えられることになる。もう北海道中央放送が独占スクープをほしいままにはできない。取材や中継部隊が各局から押し寄せてくるだろう。
そして、脱出する人がさらに増える。正式に避難勧告が出た以上、陸地球に残っているすべての人々が脱出する。そのサポートに警察のほか、自衛隊だって出動してくるだろう。
潮時だな、と駅村はつぶやいた。と、携帯電話がポケットの中で振動しだした。表示を見ると、プロデューサーからだった。
駅村は調整室から廊下へ出ると、通話ボタンを押した。
「おっ、やっとつながったか」
甲高い骨ばった声が耳にとびこんできた。東京を離れてほんの数日だったが、ひどく懐かしく感じた。
おはようございます、と駅村は業界挨拶を返したが、そっちはえらいことになっとるだろう、とすぐに本題に入った。
「どうもこうも。避難勧告ですよ。大混乱になるでしょうよ」
「報道局もあわただしく動きだした。ヘリで現地へ向かったようだ。特番でもって中継するつもりだろうが、陸地球内には入れない。地上へ降りても、道が一本しかない以上、そこが警察によってふさがれていたら、やはり中へは入れない。子細な取材ができるのは、おまえしかいない。しっかり頼むぞ。そして必ず無事に帰ってこい」
「わかりました。いいレポートを待っていてください」
駅村の口からニヤリと笑みが漏れた。心は決まった。
電話を切り、伝法、と呼びかける。
「すぐに笛野レイナをつれて、脱出してくれ。おれは取材を続ける」
「え? でも……。撮影スタッフがそこまで手伝ってくれませんよ」
伝法の懇願で、陸地球内の今の様子を収録してくれている撮影クルーだったが、新関東テレビの報道局の所属でもない、バラエティ担当の外注スタッフに、これ以上契約外の仕事をさせるわけにもいかない。
「大丈夫さ。予備の小型カメラを借りるし、いざとなったらケータイカメラでインターネット経由の生中継をするさ」
あとは頼む、と言い棄て、駅村は出ていった。
呆気にとられていた伝法だったが、こうしちゃいられないと、行動をおこした。
マイクロバスは渋滞に巻き込まれていた。
なにしろ、陸地球から出る道はただ一本。避難指示が出されたとあって、これまで本気にしなかった者や、半信半疑で態度を決めかねていた人(避難というより脱出だから大げさになる)、さらに北海道中央放送のラジオを聞いていなかった人がこぞって家財道具をクルマに積んで脱出しようとしていた。台風での一時的な避難というのではなく、二度と戻ってはこられない永遠の別れ(そんなことはだれも確信をもてないのだが)であるだろうと察していた。
大渋滞を起こすのも道理だった。翌日のマラソンの開催を控え、普段よりも観光客が多かったことも混雑に拍車をかけた。警察が要所要所で交通整理をしているが、それで渋滞が解消されるわけでもない。
マイクロバスはじりじりと動く。時刻は夜九時すぎ。弁当をたいらげ満腹になったせいか、それとも旅行の疲れか、寝息をたてている人も何人かいた。一方で、なかなか進まないバスに、不安を覚えて寝付けない人もいた。
ツユミは状況を確認しようとケータイサイトをあちこちアクセスしてみるが、情報が交錯していて内容の真偽が確かめられなかった。日付が変わる午前十二時になると同時に陸地球が閉鎖されるという、ツユミたちにとっては明らかにデマとわかる情報が飛び交っていたところを見ると、他は推して知るべし。
北海道中央放送や警察等の公式サイトがもっとも信頼できるとはえ、その情報量は少なかった。
そこで、遺跡の言葉をきいた、という非公式の勝手サイトがあるのでは、と思って探してみるのだが、なぜかそれは皆無であった。
携帯電話を閉じ、ふう、と息をつく。
「だめ。ちっとも状況がわからない」
「おかしいなぁ」
横でキミカが首をひねった。ある程度この件についての経過を知っているだけに、手放した後のキングブロッサムの花がなにを言っているのか気になる二人だった。
「警察が意図的に情報開示を制限してんのは想像つくねんけど、その他の遺跡のカケラが沈黙しつづけてるっちゅうのは……そんなわけないって思うねんけどなぁ」
役場が避難指示を出したということは、役場にそうさせた情報源――つまり、ツユミたちが持っていたキングブロッサムの花と同じように、しゃべる石を確保したのだと推測していた。
あれだけ大量にばらまかれた遺跡のカケラは大勢の人に拾われていたし、それらがいっせいにしゃべりだしているはずだとしても不思議はない。にもかかわらず、インターネットのどこを探してもそんな書き込みに出会わない。ツユミの携帯電話はテレビチューナが内蔵されていなかったし、ラジオも持ってなかったから、ネット以外のメディアでなにかを知ることはできなかった。
「もしかしたら、しゃべるのは、わたしたちが持ってたキングブロッサムの花だけなのかしら」
ツユミは、自信なさそうに言った。
「ウチもそう思う。でも、だとしたら、なんでそうなんかがわかれへん」
そのとき、ケータイの着メロが鳴り出した。表示を見て驚いた。校山だったのだ。
「はい」
いったい何事だろうかとツユミは緊張した。
「校山です。今どちらですか」
「えっと、バスの中です。陸地球の外へ向かっているところ。でも渋滞でぜんぜん動かないんです」
「ではまだ陸地球にいるんですね」
「なにかあったんですか?」
ツユミはただならぬ様子を感じ取った。
「申し訳ないが、またこっちへ来てほしいのだが」
「えっ?」
「協力していただけませんか」
ツユミはキミカに向かって、
「校山さんが、また来てくれって言ってるよ」
「どういうこと?」
理由は聞いてない。ツユミは肩をすくめる。
キミカはちょっと思案し、言った。
「来てくれっちゅうんやから、行ったったら? どうせこのままバスに乗ってても、陸地球の外へ出るには何時間もかかりそやで」
ツユミはうなずいた。電話口に向かい、
「わかりました。いいですよ。でもそっちの場所が……」
「そのまま電話を切らないでください。迎えに行きますから」
同乗のフロント係りに手短に事情を説明すると、マイクロバスを降りた。
周囲を見回し、目印になりそうな建物を探した。
ガソリンスタンドと牛丼屋のチェーン店があった。どちらもすでに営業を休止していた。
それを伝え、言われたとおりに通話を切らずに待っていると、ほどなくしてパトカーがやって来た。激しくサイレンを鳴らし、回転灯も派手派手しく。渋滞もなんのその、対向車線を逆行し、そこのけそこのけと一般車両を蹴散らすように。
あれに乗るのかと思うと、ちょっと退いてしまうシチュエーションである。
目の前で停止した。
乗っていたのは若い警官が二人。校山ではなかった。
後部座席に乗るとき、周囲の視線をいっせいに集めた。逮捕された犯罪者ではないのだから、堂々と乗ってやる。
警官は無線で無事合流できたと告げる。
出発。再びサイレンを鳴らしつつ、走行。
「なにがあったんですか」
ツユミは尋ねた。駐在所で、役場の出張所へ行くと言って出ていった校山刑事。あのあとなにがあったというのだろう。あれから時間もたっていることだし、キングブロッサムの花はより詳しいメッセージを流しているだろう。今さら何の用事があるというのか、ツユミにはまったく見当がつかなかった。
協力してほしいといって、なにをさせられるかわからないから、訊かずにはいられなかった。が、サイレンがうるさくて自分の声さえ聞こえない。これだと会話は無理だとツユミは口を閉じた。
渋滞で少しずつしか進まないバスと比べると、パトカーは快適な乗り物だった。制限速度も関係ないし赤信号もへっちゃらだ。特権階級の気分。これで陸地球の外まで送ってもらえたらラッキーである。
が、そんな調子のいいドライブもわずか数分で終了した。
どこをどう通ってきたのか、地理に不案内な上に夜中であったために(もう十時前)さっぱりわからなかったが、それほど広くもない駐車場に入った。
サイレンはやんだが、まだ耳の奥がじんじんしていた。
警官たちとパトカーを降り、すぐ目の前に建つビルを見上げる。三階建ての消防署だった。はしご車とポンプ車が並んで車庫に収まっている。救急車は出払っているのか、いなかった。
ともかく、なんで消防署? ここに校山がいるというのだろうか。しかし役場の出張所へ行くと言ったはずだが。なにかの事情でここへ移動したのだろうか。
そんなことをとりとめもなく思っていると、
「こちらへ」
と警官にうながされた。
キャリーケースをゴロゴロと引きずりながら消防署へと向かうツユミとキミカ。なんとも奇妙な光景である。
大きな車庫の横にある出入口。その右横には「陸地球消防署」と書かれたプレートがあった。疑いようもなく消防署である。が、左横には「富良野市役所陸地球出張所」とのプレートがかかげられていた。
ははあ……。
消防署と共同の建屋――というより、消防署に間借りさせてもらっているようなものなのだ。独立した建物に出張所を置くより安上がりになるからなのだろう。
両開きのドアの片側だけを開け、四人がつらなって内へ入る。玄関ホールと呼ぶにはややしょぼい空間が奥へとつづいている。広報ポスターがべたべた貼られた壁に沿って進んでいくと突き当たりに受付のカウンターがあって、その向こうでは煌々とした明かりの下、土曜日の深夜だというのに召集された職員たちが数人、慣れない業務に忙殺されていた。
たしかにここは役場の機能を果たす出張所のようである。避難指示もここから出されたのかもしれない。電話のベルが鳴り響いている。これから徹夜でここに詰めて、人々の避難をすすめていかなくてはならないのだろう。気の毒な役回りだったが、これも給料のうちだと思ってくれ。
警官たちがカウンターをパスし、階上への階段を昇る。ツユミたちもキャリーケースを抱えながらついていく。
二階についた。開けっ放しになっている大会議室のドア。そこへ入っていく。
いくつもの会議机をよせて作ったスペースには、陸地球の大きな地図が広げられ、そしてその側に――キングブロッサムの花が、偉そうに置かれていた。
それらを神妙な顔つきで囲む十人ほどの男たち――たぶん、役場の偉い人――の中に、校山がいた。
それにしても、なんとあわただしい一日であろう。午前中に一度陸地球から出て旭川空港へ行ったと思えば、また陸地球へとんぼ返り、北海道中央放送のサテライト・スタジオで衝撃の生放送を経験し、そのあとキングブロッサムにて花の大飛翔という歴史的瞬間に立ち会い、再びサテライト・スタジオに舞い戻ったら、今度は駐在所に連れて行かれ、すぐ解放されてホテル荷物を取りに帰ってマイクロバスに乗り、やれやれやっと陸地球から脱出――と思いきや、次は役場の出張所である。
正直、ハードな行程である。が、二人とも徹夜が平気な二十歳。マラソンにも出られる体力があった。興奮していたこともあって、疲労感はなかった。
部屋に入ってきた二人を見て、校山は顔に似合わない笑みを浮かべた。
「やぁ、待っていましたよ」
「どうしたんですか?」
ツユミはやっと質問した。パトカーに乗る前からずっと口にしたかった疑問。胸の奥のもやもやした気持ちがどうにも我慢できなかった。
校山は、ひとこと言った。
「キングブロッサムの花が、しゃべってくれなくなったんだ」
「えっ?」
ツユミとキミカは同時に声を上げた。
予想外の言葉だった。
今ごろキングブロッサムの花がどれだけ多くのことをしゃべっているだろうかと想像し、それらの情報がひとつも耳に入ってこなかったことに寂しささえを感じていたから、まさかここで当惑した校山を見ることになろうとは思ってもみなかった。
しかし――。
だからといって、二人を呼び戻してどうしようというのだろう。キングブロッサムの花が突然沈黙した原因さえはっきりしないというのに、どんな対策がとれるというのだ? 二人に何を期待して、何をさせる?
校山の意図が読めなかった。
「それはいつからなんですか?」
ツユミがその場でつっ立っていると、キミカが前へ出た。
「ここへ来てから気がついたんだが、考えてみると、駐在所を出てからは、声を聴いていない。そう、きみたちと別れてからは」
「なるほど」
キミカは訳知り顔な笑みを浮かべた。何か思い当たることでもありそうな態度で。
「ツユミ、呼びかけてみよ」
「なんでしゃべらなくなったのか、わかってんの?」
「確信はない。でも、やるだけやってみようやん。わざわざ来たんやし。もしアカンでも、ウチらのせいとちゃうやん」
校山も、百パーセントの解決を期待しているわけでもないだろう。おそらく万策尽き、藁をもすがる思いで、といえば言いすぎかもしれないが、ともかく条件を元へ近づけるしか方法がないということなのだ(ツユミとキミカがいたときはたしかにしゃべっていたのだ)。だからここで失敗したとしても、がっかりはされるだろうが決して責められたりはしないだろう。
キミカはつかつかとキングブロッサムに近よった。ツユミはそのあとをついていく。
「どうするの?」
ツユミは短く訊いた。
キミカは呆れ顔で振り向いた。
「なに言うてんの。あんたが言うてたやん、会話しいひんかったって」
彼氏からの電話で、そのことに気づかされた。キングブロッサムとの会話。もし問いかけたら、通じるのだろうか。そして、どんな返答があるだろう。
「でも……」
キングブロッサムの花はしゃべってくれないと言っている。それは単に、休息しているだけなのかもしれない。初めて声を聴いた夜の翌朝、しばらくしゃべってくれなかったように。
「ウチがやるわ」
緊張した空気が漂うなか、キミカはキングブロッサムの花に向かって、口を開いた。
「こたえて。陸地球はいつ閉じんの?」
直後、頭の中に声が響いた。
《明日である。陽が昇り、陽が没するちょうど中間に》
これまでで一番はっきりとした声だった。だんだん人間の言葉のように変化してきて、もはや普通に会話できるレベルにまでなってきている。
おおっ、というどよめき。はじめて声を聴いた役場の人には衝撃が大きい。
キミカはニヤリと笑った。
「ビンゴだ……」
校山がつぶやいた。ツユミとキミカを呼んだのは正解だった。
「でもどうして」
ツユミにはなぜかわからない。どうしてキミカが話しかけたら反応しだしたのか。
「これはウチの私見やねんけど――」
「いや、それはあとだ」
校山が割り込んだ。
そう。今は理由をあれこれ詮索している場合ではない(考えたところでこたえがわかるはずもないのだ)。それよりもっと多くの情報を聞きだし、住民たちに伝えなければならない。
「日の出と日没の中間と言ったな」
校山は今のメッセージを吟味するようにつぶやき、
「ということは、正午か?」
「いや、キングブロッサムが時計を理解してるとは思えへん。言葉通り、昼間の真ん中のことやで」
「となると、ここでは日の出が早く日の入りが遅いから……午前十時か十一時ごろ……?」
日付が変わる瞬間でないことがわかってほっとする役場の職員。
「それだけあれば、全員脱出できそうですね」
ひとりが言って、うなずく一同。
「確認してみよう」
キミカがまた話しかける。
「陽が昇り、陽が没するちょうど中間とは、昼の、陽の最も高いときか」
《然り》
即答した。
「ちゃんと返事をしたぞ」
会話が成立したことに、改めて校山は目を見張った。
数時間前には考えられなかった。キングブロッサムの花からは、まるで聖書の一節のような断定的なメッセージが発せられるのみで、とても会話ができそうな人間くさい雰囲気はなかった。
それがどうだろう。校山は警察官として認めたくはなかったが、この物体に知性があるということなのか――。外見は石であるが、生きて、しかも思考する。今まで人間はあれを遺跡だと思いこんでいたが、とんだ見当違いだ。それは海岸の岩にへばりつくフジツボが、とても生きているようには見えないように。
役場の職員が大急ぎで明日の日の出と日の入りの時刻を調べる。
ほどなくして、判明した。
日の出、四時七分
日の入り、十八時五〇分
そのちょうど真ん中は、
午前十一時二十八分
時刻がはっきりした。
しかし現実には夜明けにはすべての住民の脱出を完了したいところだ。そう計画をたててちょうどいい。
「よし、この調子でどんどん訊いてくれ」
校山はさっきとはうってかわって晴れやかな表情で言った。
なにを訊けばいいのか、というキミカに、校山は次々と質問を発した。
キングブロッサムの花はそれらの質問にきちんとこたえ、陸地球閉鎖のプロセスが、霧が晴れるように明らかになっていった。
「陸地球の閉鎖は、一瞬で終わるの?」
《世界の分離は徐々に起こる。つながっている部分がせばまっていき、ついにはその痕跡すらなくなる》
「どの程度の時間?」
《日が没してから、暗くなるまでよりまだ短い》
「閉鎖したあと、再び開かれることはあるの?」
《それはない。この世界は滅びてしまう。滅びるから、つながっていられなくなるのだ》
「もしこの世界に取り残されたら?」
《滅びゆく世界には、何者も存在できない。世界とともに消えさるだろう》
「閉鎖は、北海道にも影響を及ぼす?」
《世界がつながっていたことによる影響はない。ただ、我々が移りゆくのみ》
「あなたらが小さく分離したのは、生き延びるため?」
《然り。我々は新たな世界で生き続ける》
一同は顔見合わせた。
つまり、遺跡はやはり「生き物」であり、ただの石ではない、ということになる。してみると、あれは植物のようなもので、種をばらまいたことになるのか。あるいは珊瑚のような群体で、活動している表面部分から分離した卵が空中へ漂いだしたのか。
いずれにしても、地球上の生物のカテゴリーに照らしあわせて考えてもぴったり当てはまるわけはなく、あくまでイメージにすぎない。
そもそも、言語によるコミュニケーションができるという段階で、もはや他の生物とは明らかに違っている。
九官鳥のように、言葉を発するだけなら、単に書面を読むプログラムを実行しているにすぎないが、「会話」となると、そこに高度な知能が備わっていないと不可能である。
ともかく、陸地球閉鎖の詳細は明らかになった。テレビ・ラジオを通じての住民への情報提供や、現場での指揮・段取りの精度の向上など、動きやすくなった。会議室から次々と人が飛び出していった。
自衛隊が到着した、という知らせも入り、いよいよものものしくなってきた。
それにしても――。
住民の脱出について必要な情報は引き出せたのだが……。
やや人数の減った会議室で、冷静に考えられるようになってみると、ますますもって遺跡の謎に対する好奇心がわきだしてくるものである。
これまで解明できなかった陸地球や遺跡についても淀みなく語ってくれるのなら、それは学術的にどれほど貴重なものになろう。
そして、それは、キミカかツユミにしか聞き出せない……。となると、二人の値打ちはますます上がることになる。
「ご協力、感謝します」
そのとき、あらたまった口調で、校山が言った。
「あなたたちも、すぐに脱出して下さい」
校山にとっては、陸地球や遺跡の謎よりも警察官として職務のほうが当然大事で、頭はそのことでいっぱいだった。住民の速やかな脱出――それさえ完遂できればよかった。
協力してくれたツユミとキミカも、ただの観光客であったから、できれば早く脱出してほしかった。
しかし、二人にはそれが意外な発言に聞こえた。校山の立場がそう言わせたのだと理解できなくもなかったが、わざわざ呼びつけておいて、用がすんだからさっさと退場というのも味気ない気がどうしてもするのだった。
「ちょっと待ってーな」
キミカが訴えた。
「ウチら、ホンマにもう帰ってもうてええんか? キングブロッサムの花がまだ大事なことを言うかもしれへんやん」
「しかし……」
校山は言いよどんだ。
すでに情報は十分だといえた。陸地球がこのあとどうなっていくのか、時刻や時間についてはややおおまかではあるものの、概略はつかめた。いつどうなるか予測困難な火山の噴火や地震などの自然現象に比べればずっとましであった。
キングブロッサムの花が人間ではない以上、細かな発言を求めるのはそもそも無理ではないかと思っていた。もちろんそれは勝手な思い込みにすぎないのだが、五十年も生きてきたうちにしぜんと染み付いてしまった「異質なものへの抵抗」が、そういう思考として帰結したのである。
それに、これ以上細かな情報をもらったところで、かえって混乱するのではないか、いう危惧もあった。
校山の次の一言が発せられるまで、長い沈黙が流れた。キミカもツユミも、じっと待った。
が――。
口を開いたのは校山ではなかった。
《そこの人間よ》
キングブロッサムの花であった。
テーブルの周囲にいた一同のどよめき。そして水を打ったような静寂。
だれも予想していなかった。まさか、キングブロッサムの花のほうから話しかけてこようとは。
「なに?」
キミカが返事した。呼ばれたのはおそらくキミカだったから。なにを言われるのだろうと、期待と不安が交錯して、心のなかで身構えた。
《我らを、次の世界へと運んでほしい》
「我ら? われらって、どういう意味?」
《人間のいう「遺跡から分離したタネ」である。自ら飛翔して次の世界へたどりつけたものも多いが、うまく飛翔できず地上へ落下したものも多かった。それらを救ってほしい》
無理だ――、そう声を上げたのは校山だった。
「我々には時間がない。人々を安全に避難させなくてはならん。石ころを拾い集める余裕などない」
その通りだ。すでに深夜となって、闇の中、人手を割いて遺跡のタネを探しまわるのは、時間的にも不可能だ。
情報を提供してくれたキングブロッサムの花の申し出には協力してやりたい気持ちが人情的にはなくもないが、できないものはできない。
校山は言を継ぐ。
「だいたい、そんな形でタネをばらまいたということは、子孫を残すのに失敗する確率が高くなると見越してのことなのだろう」
植物の繁殖方式なら、そういう理屈になる。大量の遺伝子をばらまき、そのうち数パーセントでも生き残り、成長して次の代へつなげられればよしとする。
キミカが補足するように、言った。
「そんなことまでせんでも、拾っていった人はいっぱいおるで」
おそらく記念にと、旅行者が道路に落ちていた遺跡のタネをクルマに運び込む光景を何度も目撃した。もちろんタネのすべてがそうやって陸地球の外へ運び出されたわけではないし、それがどのくらいの割合だったか知るべくもないのだが。
《それは知っている。われらがそうはたらきかけたからだ》
「なんやて?」
さりげなく言った言葉だったが、衝撃が走った。
一同の表情に、驚きと同時に険しさが浮かんだ。校山の目がギラリと光った。
キングブロッサムの花は、人間を操った、といったのか……。
ツユミは、初めてキングブロッサムの花に対して薄気味悪さを感じ、無意識のうちにキミカの背後に体を入れた。
キングブロッサム――いや、陸地球の遺跡を、その外見から、人間たちは甘くみていたのではないか。どんな能力が眠っていたのか、よく知りもせず過小評価していたのではないか――。
《人間は、われらを運搬できる能力を有している。その非常に高度な技術を、ほんの少し借りたいだけである》
「協力しろと? 植物、いや、地球上のどんな生き物にも、人間に協力を求めるなどということはできんというのに」
校山が吠えるように言い、
「こいつらに――」と続けかけた校山を、キミカが制した。
「待って。じゃあ、あなたと同じように、他の遺跡のタネも人間にしゃべりかけたって言うの?」
この個体だけではなかった。ここにあるキングブロッサムの花だけが特別な存在で、唯一しゃべるわけではなかったのだ。他の個体も同様の能力をもっているのだ。
しかし。
ツユミがいくらインターネットの検索をかけてみても、そんな記述は皆無であった。それはいったい、なぜ?
《然り。会話ののち、同意のもとに実行してくれたわけではないが、深層意識へ通じたために、われらの要求にしたがってくれたのだ》
つまり、催眠術のようなものだ。頭の中に聞こえるといったキングブロッサムの花の声を思えば、なるほど、という気もする。はっきりとした声でなかったなら、てっきり自信の欲求だと勘違いしても不思議ではない。
ツユミもキミカも、そうなっていた可能性があったわけだ。だが、まだ肝心の疑問が解けない。
「でもどうして、わたしたちがいるときだけ、声がちゃんと聞こえるようになるのさ」
ツユミがつぶやいた。
たぶんツユミたちがいなくなったら、再びキングブロッサムの花は沈黙し、校山たちは知らず知らずのうちに操られてしまうかもしれない。
「それはたぶん、ウチやからやろうな」
キミカは不敵な笑みを浮かべた。思い当たるフシがあるらしい。
ウエストポーチをまさぐると、厚い布にくるまれた拳大ほどの物体を取り出し、会議テーブルに置いた。
「あっ、それ……」
ツユミは憶えていた。きのう、キングブロッサムの幹にはめこんだカケラだった。二十八年前、発見されたばかりの陸地球へ調査隊の一人としてやって来たキミカの祖父が、研究用にと持ち帰ったというキングブロッサムのカケラ。
仏壇に置かれていたその石と、キミカは生まれてからずっといっしょに育った。幼いころから、毎日それを見ていたのだ。
「これがなにを?」
布の中から現われた石を見て校山が問うと、キミカは自分の考えを披露した。
「遺跡から分離したカケラが知能をもってるんやったら、この石も知能をもってるんちゃうかって思うねん。ウチはずっとこいつの言葉を聞いとったんかもしれへん。だからこれより強い花の言葉がしたとき、自然と声が聞こえたんかもしれへん」
「でもそれだと、キミカ以外には声が聞こえないってことになるじゃん」
「そこやねん。ひょっとしたら、ウチが声を増幅して中継してるんとちゃうやろか」
「増幅て……あんたが?」
「だから、あくまで仮説やん。だって、ウチが他のヒトとちがうところいうたら、それぐらいしかないで」
「どっちにせよ、それもキングブロッサムの花に聞いてみれば?」
「いや待て。それを解明するよりも、もっとこれの特徴を聞き出すべきだ」
校山は、唾を飛ばしながら割り込んだ。
遺跡のタネは、人間を操ることが可能である――。キングブロッサムの花はたしかにそう言った。
市民の安全を守る警察官としては、そちらのほうが重要だ。遺跡の意志が自らの生存にためにはたらくのは生物としての本能であり、そのためには手段を選ばないのも生物としての原則である。他者の生命を奪う食物連鎖の仕組みがそれを象徴している。
それは理解できるが、市民の生命に危険が及ぶのなら、どれほど学術的価値のあるものであろうとも、厳粛に対処せずにはいかないだろう。
「峠さん、訊いてくれないか。タネを人間に運ばせると言ってたが、どこまで運ばせるんだ。運んだ人間には、どんな影響があるんだ」
峠キミカはニヤリと笑い、
「これでまだしばらくはウチらの力が要りそうやな」
「キミカったら、ヒーローにでもなるつもり?」
ちょっと不謹慎な気がして、ツユミはつっこんだ。
「なに怒ってんの?」
「べつに怒ってるわけじゃ……」
「警察に協力してんねんで。感謝状のひとつでも貰えんのとちゃう? なぁ、校山さん」
「引き続き協力をお願いします」
校山は折れた。
キミカはキングブロッサムの花に向き直り、校山の質問を発しようとした。
そのとき、あわただしく役場の職員が駆け込んできた。
「たいへんです。陸地球へ向かうクルマと自衛隊が、陸地球の出口で揉みあってます」
「なに?」
校山は怪訝な表情で問い返した。
「こんな夜中に陸地球に入ってくるクルマだって? そいつはニュースも見てないのか。いや、それより、道路の閉鎖はしてたんじゃないのか?」
旭川署からの応援が道道212号線において、交通整理をしているはずだった。陸地球から脱出してきたクルマをスムーズに誘導したり、逆になにも知らず陸地球へ行こうとするクルマを制したり。
「それが、多数のクルマが陸地球へ向かってきているんです」
職員はハンカチで額の汗を拭う。暖房のせいで、ちょっと動いたぐらいでも汗ばんでしまう。
「どういうことなんだ?」
「詳しくはわかりませんが、宗教団体が関係しているようです。陸地球に関連する宗教のようで」
校山は苦虫を噛みつぶしたような表情で舌打ちした。
「出入口の自衛隊と小競り合い、というわけか」
陸地球発見よりこんにち、さまざまな宗教団体がそれを拠り所にしだした。新たに発足した新興宗教ばかりでなく、既存の宗教までもが陸地球の存在を神になぞらえるようになった。もちろん、大半が素性のしれない怪しげな宗教団体だったが、現代の科学では解明しきれない超自然的な陸地球は、神秘性を求める宗教にはもってこいの場所であり、ノストラダムスの予言のように、なにかがおこるのではないかという期待も風潮として常に消えはしなかったものだから、今回の陸地球閉鎖のニュースをきいて、いてもたってもいられなかったのだろう。
しかし、現場で人々の避難に骨をおっている者にとっては迷惑甚だしかった。陸地球に進入するなど、避難の邪魔になるより、もっと質が悪い。いってみれば自殺行為に等しい。
職員は部屋の隅に置かれたテレビに歩みよる。チャンネルはNHKに合わせてあった。通常の番組を中止し、陸地球閉鎖のニュースを流している。レポーターが、富良野市役所前から中継しているが、それほど新しいニュースが入ってくるわけでもなく、さっきから同じ原稿を読み上げてばかりいた。
職員はチャンネルを変えた。
画面にヘリコプターによる上空からの中継が現われた。映っているのは一本道の道路。暗闇のなか、延々とつらなるヘッドライトの列が渋滞のためのろのろと動いている。
画面の隅に「道道212号線上空」というテロップとHCSのロゴ。北海道中央放送だ。
ツユミは駅村のことを思い出した。
サテライト・スタジオで別れてから、いったい今ごろどこで何をしているのだろう。避難指示までだされ、こんな大騒ぎにまで発展して、たぶんめちゃくちゃ忙しく動き回っていることは想像にかたくない。
画面に駅村が映るのではと期待したが、ヘリコプターに乗っているレポーターの声は駅村のではなかった。べつのレポーターが乗っており、興奮した口調でしゃべっている。ときどき電波の状態が悪くなるせいか、画面が乱れ、音声が途切れた。
『陸地球から続々と避難するクルマがつらなっています。まるで帰省ラッシュのようです』
聞き取りにくいレポーターの声。
陸地球内は飛行禁止であったから、ヘリコプターは入り口までしか行けず、レポーターも現場の詳しい状況までは伝えようがなかった。入り口付近では自衛隊が活動していることだろうから、大雪山上空すら飛行できないかもしれない。
画面がテレビ局のスタジオにかわった。北海道中央放送ではなく、キー局の新関東テレビのニュースキャスターが映っていた。どうやら深夜のニュース番組らしい。場合によっては通常番組を変更してこの報道をつづけるかもしれない。
『ここで電話がつながっています』
とニュースキャスターが言った。
『たまたま別の番組で陸地球へ来ていた当・新関東テレビの駅村ディレクターです』
なんと。やはり、他の放送局に先んじて報道体制をしいているのは、誰あろう駅村の行動力のなせる技だったのだ。
『駅村さん、聞こえますか?』
まずニュースキャスターが先に呼びかけた。
『はい、聞こえます』
すぐさま返事があった。画面に、大雪山陸地球の位置に赤い印をつけた北海道の地図が現われ、「電話・駅村欽大ディレクター」のテロップ。
『そちらは今、どういう状況ですか?』
『ハイ。わたくしは今、陸地球の一番にぎやかなメインストリートのひとつに来ています。陸地球は入り口を中心にして放射状に道路がのびて街が広がっていますが、その中心に近い場所です。この時間になるとすっかり人通りもなくなるのですが、今は多くのクルマで道は渋滞しています』
『それは脱出するクルマで混雑してるんですか』
『そうです。警察が整理にあたっています。観光客を優先し、住民たちは各自のクルマで脱出しています。わたくしも、警察官からすみやかに脱出するように注意されました』
『警察からの発表によりますと、陸地球の閉鎖は明日、十一時半ごろとなっていますが、陸地球全員の脱出は可能でしょうか』
『さきほどに比べて渋滞はいくらかましになっているように思われます。たぶん明朝には住民の脱出も完了しているでしょう』
『陸地球が閉鎖される兆候はなにか見えますか?』
『いいえ。兆候がどんなものなのか、想像もつきませんから、たしかなことは申し上げられませんが、目に見える異変はわたくしのところからは確認できません』
さすがに元社会部だけあって、落ち着いたしゃべりかた。さまになっている。
『ところで、公式に役場から避難指示が出される前に、HCS(北海道中央放送)ラジオが避難を呼びかけていたわけですが、その放送に駅村さんはたずさわっていたんですよね』
『はい。陸地球のHCSラジオのサテライト・スタジオから放送しました。もともと笛野レイナさんがゲスト出演をするので、そのセッティングのために来ていました』
『その番組中、避難をよびかけた、というわけですか』
『はい、そうです。あくまで自主的に、ですが』
『しかし、なにを根拠に避難のよびかけを? 聞くところによりますと、避難のよびかけをする前に、陸地球閉鎖のある前兆が確認されたといいますが』
『にわかには信じ難い現象ですが、遺跡から、石の一部が分離して飛んでいったのです』
『こちらにも、その映像は入ってきています。まるで羽化した虫が飛んでいくようです。ですが、これと陸地球の閉鎖との因果関係がよくわからないんですが』
『はい。前日にも遺跡の一部が分離していたのですが、その石はテレパシーのような手段で人間にしゃべりかけてきました。それによると、石は遺跡にとっては種のようなもので、陸地球が閉鎖する前に通路をとおって北海道にたどり着き、繁殖するのだそうです』
『そんなことがありうるのですか? 石がしゃべるなんてことが』
『事実です。スタッフ全員が声を聞いています』
画面が北海道地図からニュースキャスターに戻った。果たしてこのまま話を続けていいものだろうか、という戸惑いがニュースキャスターの表情にあらわれていた。常識的な人間なら、だれでもそうなるだろう。
『で、その石はいまどこにあるんですか?』
『警察です。おそらくそこで、詳しい情報が引き出されていると思います』
『わかりました。ありがとうございました。気をつけて取材をつづけてください』
半信半疑なのはこのニュースキャスターに限らない。実際に聞かなければ、まず信じられまい。そして、キングブロッサムの花の声を聞いた人間はほんのひとにぎりにすぎない。実に説得力に欠ける。が、いきさつを信じられずとも、陸地球の閉鎖はいまや確かなことと受け止められている。疑って陸地球に残って、もし事実だったら取り返しがつかない。
電話でのあわただしい報告では、いまひとつ正確に顛末を伝えられなかった駅村であるが、このままで終わるはずがない。きっと、なにか大きいことをやりとげるに違いない。
『たった今、新しいニュースが入ってきました』
ニュースキャスターが、届いたばかりの原稿をちらりと見やり、読み上げる。
『陸地球の入り口に、何台ものクルマがやってきて、避難誘導をしている自衛隊ともみあっている模様です。繰り返します――』
役場が発表したのだろう。
『もう一度上空のヘリを呼んでみましょう』
ニュースキャスターが呼びかけると、数瞬の間をおいて、画面が切り替わった。ヘリコプターのタービンエンジンの音が、静かな夜の光景に耳障りだ。
『はい、こちら大雪山の上空に、まもなく入ろうというところです』
『陸地球の出入口は見えますか?』
『いいえ。ここからでは見えません』
ヘリ同乗の中継カメラが山中へとつづく道路の先へとズームするが、ヘッドライトの列は山蔭の向こうへ隠れてしまっていた。
『陸地球へ向かうクルマは確認できません。ただ、自衛隊からの連絡で、これ以上は近づけません。陸地球から浮遊してきた石と衝突する危険があるということです』
肝心の宗教団体と自衛隊が押し問答している場面は見られそうになかった。
ヘリもクルマも近づけない。ということは、陸地球の内部で何が起こっているのかは、どの放送局も直接見られないわけで、駅村とHCSの独壇場のようになってしまっている。もちろん、他の放送局も行動を起こしているだろう。ただ、陸地球から脱出してきた人の話を聞くことがあっても大した情報は得られないだろうし、放送局に直接送られてくるメールに至っては、現象が現象だけに奇異なものが多く真偽のほどが明らかにできず(なかには相当量のいたずらメールも含まれているに違いなく)鵜呑みにして放送するわけにもいかない。そんなわけで、やきもきしているのではないかと想像できた。
状況に唖然としながらも、ニュースキャスターは言った。
『テレビをご覧のみなさま、くれぐれも陸地球へは行かないようにお願いします。ここでCM』
CMが始まると校山は視線をさっきの職員に戻し、
「かれらについては、自衛隊に任せるしかなかろう。我々の仕事は、陸地球に一人の人間も残さず脱出させることだ」
自主的に脱出する者はなんらかの手段でもうすでに出口に向かっているだろう。
残るは、脱出したくとも足をもたなかったり、そもそも避難指示が出ていることを知らなかったり(陸地球が閉鎖するなど信じていないのも含む)、そして、なにより厄介なのは、何かの理由で自らここへ留まりたいという者だ。
一軒一軒みていって、救助しなければならなかった。
脱出を拒む人には粘り強く説得する。しかし深夜ともなり、呼び鈴をおしても出てこないかもしれないし、宗教的信念を持って居座られたりする場合はより困難となろう。状況によっては腕ずくで連れ出さなければならなくなるかもしれない。
そう考えると、明日の十一時半というタイムリミットは短いともいえる。むろん、それなりの人員は動員する。警察、自衛隊、消防署と、さまざまな関係各所が協力して救出活動にあたる。そして、それを指揮するのがこの役場に設けられた対策室であり、校山はその一人だった。
校山は、会議机のキングブロッサムの花を見つめる。
「なぁ、さっき中断した話やねんけど――」
キミカが発言した。
「このキングブロッサムの花、探知機になるんとちゃう?」
なに? といった感じの顔の校山。
「だから、人間にタネを運ばせるよう仕向けたっちゅうたやん。そこまでの能力があるんやったら、人間がどこにいてんのかもわかるんとちゃう? いや、脱出しようとしない頑固者でも、キングブロッサムの花なら自主的に脱出するようできるんとちゃうかな?」
「ちょっと待ってよ。キミカ、それじゃわたしたちも陸地球内中を走り回ることになるじゃないの」
「しかし――」
校山は言い淀んだ。果たしてアテになるのか。
人間以外のものは(訓練を受けた警察犬はべつ)、どうも素直に信用できない校山だった。
「できる?」
キミカはキングブロッサムの花に尋ねた。
《可能だ。短い距離なら人間の存在を探知できるし、特定の行動へ導くことも可能である》
「決まりや」
きっぱりと、キミカは言った。
他に効果のありそうな手を打てない校山も、同意せざるをえない状況だった。