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第6章『予言』

 放送が終わった。

 当初の予定時間を大幅にオーバーしての放送だったが、ともかく、伝えたい事はすべて電波にのせられた。

 おそらく陸地球じゅうのあちこちで流れていただろうから、かなりの人が放送を聴いていたことになる。その人たちが、これから起こるであろう異変の証人となってくれるはずだ。ただ、どれだけの人が今の放送を信じて、実際に現場を見てくれるか、だ。

 時刻はもうすぐ午後三時すぎ。

「ウチらももっかいキングブロッサムのところへ行ってみいひんか?」

 とキミカが提案したのは、中継終了後、スタジオの外へ出て調整室で一息ついていたときだった。一般リスナーからはまだメールも電話も来ず、局側は成り行きを見守っていた。スピーカーからは本局からの放送が何事もなかったかのように流れていた。

「せっかくやねんから、ここで待ってるより本物見に行こうや」

 きっと壮大やで、とキミカ。

 情報提供者とはいえ、ツユミとキミカはなにに縛られるということはない。駅村につきあって事態の推移を見届けてもよかったが、正式な意味での関係者ではなかったし、一応、キングブロッサムの花の言う異変をマスコミに伝えるという当初の目的は果たしたわけだから、いつまでもここにいるのもなんとなく落ち着かない。

「それもそうね」

 とツユミは応じた。

 せっかく陸地球に来ているのだから、現地で直接見たいではないか。たった一つの花が飛んでいった昨日とはちがい、空いっぱいに飛翔する花たち。それは想像するだけで涙が出そうな超自然的な光景だ。きっとテレビでも取り上げられ、永久に残される映像となろう。そんな歴史的な瞬間に立ち会えるなんて、長い一生、そうそうあるものではない。このスタジオで五時からの笛野レイナを見るより値打ちがある、と言ったら当人気を悪くするだろうか。

「じゃ、駅村さん、ウチらはこれで」

 とキミカは一礼する。

 キングブロッサムの花をよいしょと持ち上げ、颯爽と出ていく。駅村は引き留めようとはしない。ただ腕組しながら考えこんでいるふう。おおかた次の行動を練っているのだろう。が、キミカにつづいて出ていこうとするツユミを、

「あっ、ちょっと百合山さん」

 と呼び止めた。

 なにを言われるのだろうと足を止めると、

「また協力してもらうかもしれません。ケータイの電源、入れといてください」

「あっ」

 ツユミは携帯電話を取り出した。本番中からずっとOFFったままだった。



 R1はさっきとちがい、軽やかに走る。やはり二人用として作られているわけだから(仕様はあくまで四人乗りなのであるが)、三人も乗るのは無理がある。しかも駅村ときたら二人分ぐらいの体重がありそうだったし。

 カーナビを作動させ、最短ルートでキングブロッサムへ向かう。タネの飛翔はすべての遺跡で起こるらしいが、花を持っている縁でキングブロッサムの現象に立ち会うことにした。

 急いだ。時間から考えると、いつタネの飛翔が始まってもおかしくない。その瞬間に間に合わないかもしれない。

 その後、キングブロッサムの花からは、タネの飛翔時間についての正確な指定はない。もっとも、人間の作った二十四時間制の時刻の概念を知っていてこそ時間の指定ができるわけだから、その理屈からいうとキングブロッサムの花が時間を教えてくれるかどうかは甚だ怪しく、だから何時から始まるのかを知らせてほしいと思っても、無理ではないか――。

 それよりも花は陸地球との通路閉鎖をしきりと主張しだした。これはこれで非常に気になる現象であるが、今はそれにかかわっているときではない。

 R1はビルの建ち並ぶ市街地から砂漠へと出た。いっきに見通しがよくなって、いくつかの遺跡が視界に入った。前方に、広葉樹のようなシルエットのキングブロッサムが小さい。

「ねぇ、クルマが多くなってきるような気がしない?」

 ぼそり、とつぶやくようにツユミは言った。

「うん。ウチも気ぃついとったんやけど、突き当たりの駐車場へ入ンのに、つかえてんちゃうかな」

 日没にかけての遺跡が目当てにしては、クルマの量が多い。それに時間的に早すぎる。

「やっぱ、あの放送のせいかな」

「せやったら効果テキメンやな。こんなに聴いてた人がいてたやて、侮れんわぁ」

 キミカはしきりに関心する。

「呑気に構えている場合? せっかくあたしたちが第一発見者だってのに、目の前で見られなかったら、癪よ」

「そんなん言うても、しゃあないやん。まさか昨日みたいに、道路を外れて行くやてできひんし」

「人目もあるしねぇ……」

 ツユミは前後に首を巡らす。昨日は交通量も今よりずっと少なかったから目立たなかった。全然だれにも見られてなかったかというと、たぶんそんなことはなかっただろうが(なにしろ赤いボディカラーだけに、遠くからでも目立った)、わざわざ警察に通報したりしなかったのだろう。運がよかった。

 しかし今はまずい。

「罰金、高いのかなぁ」

「さぁね」

 前を行くクルマのブレーキランプが赤く点り出す。片側三車線もあるのに混雑するとは、相当な量のクルマだ。しかも観光バスの姿は皆無に近く、ほとんどがマイカーだ。

 カーナビの表示によると、キングブロッサムまであと一キロといったところ。

 ツユミはラジオを入れてみる。周波数を北海道中央放送に合わせた。タネ飛翔の目撃情報がよせられているかもしれない。

 キングブロッサムの花は、いっせいにタネの飛翔が始まるといったが、すべての遺跡で同時刻かどうかはわからない。多少のずれだってあるだろう。他の遺跡のタネの飛翔が先に始まっているかもしれない。

 ラジオからは、先ほど中継にわりこんだ番組がまだ続いており、さっきの男女二人のアナウンサーが何事もなかったかのようにしゃべっていた。特に変わった様子はない。メールや電話があれば随時紹介するのだろうが、しばらく聴いていてもそれはなかった。

 ラジオを聴いているうちにキングブロッサムについた。

 駐車場にR1を停め、車外へ出ると、日中に比べてやや冷えた空気に、上着の前をあわせた。

「寒いわね。もう少し着込んでくればよかったかしら」

 日が沈めばもっと気温が下がるだろう。それを思うとちょっと不安。

 周囲を見回すと、だれもがキングブロッサムを注目していた。それはまるでニューヨークかどこかのクリスマスツリーの点灯の瞬間を見ようと待っているかのようだった。人々の間に明らかになにかを期待する雰囲気があった。

 キミカもキングブロッサムをじっと見上げていた。夕方になれば、赤く色づき始めた太陽に照らされた遺跡は、それだけで十分絵になる光景で、これ以上なにもいらないようにさえ思えた。

「ほんとに始まるのかしら」

 今さらそんな弱気なつぶやきがもれた。ここに集まった人が全員タネのいっせい飛翔を見に来たわけではないだろうし、期待して来たとしてもたぶん半信半疑、というより「見れたらラッキー」程度だろう。

 とはいえ、もしもなにも起こらなかったら――。

 放送局を巻き込んでの大騒ぎの責任はどうなってしまうのか。駅村の首がとぶ? それで済むか?

 自分たちにはなにもないのかとキミカは心配したが、身元が知られているわけでなし、とほっとした。しかし、そもそもの元凶は自分たちなのだから気まずさは残るだろう。不幸にも駅村が職を失ったら、気の毒でならない。

 キングブロッサムの根元に移動する人は少なかった。高さ百メートルもあるのだ、遠目のほうが見やすいからだろう。駐車場がざわめいている。

 いつ始まるかわからないショー。

 ツユミはいったん車内に戻った。寒風吹きすさぶなかで待たずとも、フロントウインドウ越しでもちゃんと見える。

 キミカも入ったら、と呼びかけてみたが、返事がない。精神集中。真剣な表情で睨むように遺跡を見ている。

 いつまで待つ気だろう。日が暮れるまで? キミカのことだから、深夜になっても帰ろうなどと言いださないような気がした。

 ここへついてまだ十五分とたっていなかったが、一時間も二時間もいるような感覚がしていた。

 カーラジオは、ナツメロ。十年ほど過去のヒットナンバーが流れていた。あいかわらず通常番組がつづいているようだった。

 ツユミは後ろを振り返り、カーゴスペースのキングブロッサムの花を見やった。なにか言い出すかもしれないと思ったからだった。

 すると、突然強いメッセージが放たれて、ツユミはその衝撃に反射的に頭をかばった。

《始まる!》



 ほんの数瞬だったが気を失っていたかもしれない。が、駐車場に詰めかけた人のどよめき声が耳に入って、ツユミはキングブロッサムのほうを注目する。

 すると――。

 ツユミは瞠目した。

 陽光に照り映えるキングブロッサムの枝に咲く無数の花。まるで本物の花のようにさまざまな角度を向いていた。

 それらが、一つまた一つ、と角度を上に向けたかと思うと、つぎつぎに枝から離脱していく。

 最初はゆっくりと、周囲の環境をたしかめるかのように、おそるおそるといった感じで宙を移動していたが、ある程度の距離まで離れると、風に乗ってスピードをあげだした。

 予想していたとはいえ、しばし絶句して、

「ほんとに始まったわ……」

 そうつぶやくとツユミは車外へ出、キミカの傍らでその非現実的な光景を見守る。

 キミカは拳を握りしめ、食い入るように凝視みつめている。

 見る見るうちに、連鎖反応のように花の離脱ピッチはあがり、最後は鳥の群が飛び立つように、ほとんど同時に花が飛翔していった。だがそれは花が散るといった寂しいイメージではなく、雛が巣立っていくのに似た印象を与えた。

 最初のひとつからすべての花が分離するまでの時間は五分もなかった。まさしくあっという間だった。

 駐車場で見ていた人々から拍手がわいた。まるで花火大会だ。

 葉を落とした樹木のようなキングブロッサムがあとに残された。役目を終えたかのように佇んで。

「さ、行くで」

 余韻にひたっていたツユミの耳に、キミカのぴしゃりとした声が飛び込んできた。

 え? っと戸惑っていると、

「ぬかったわ。よう考えたらわかることやのに」

 キミカはR1の運転席に飛び込み、エンジンをかける。シートベルトをかけ、すぐに発進できる態勢。

 ツユミはあわてて助手席に収まった。キミカは同時にクルマを出す。

「どうしたのよ」

「周り見てみいや」

 キミカに言われて周囲を見る。駐車場の出口にクルマが殺到していた。

 あっと声が出た。

「もしかして……」

「そうやん。昨日のウチらといっしょや。飛んでった花、追いかけて、うまくいったら捕まえようって気ィや」

「でもそんな簡単に――」

「ウチらは拾たで。あんだけの数やし、しかも今度はキングブロッサムだけとちゃうわけやから」

 そのとき、静かな放送だったラジオが、やや興奮した声音でしゃべりだした。

『えー、ただいま番組宛にたくさんのメールが入ってきているようです』

 あのときの男性アナウンサーだ。時刻は四時前。かれこれ二時間もしゃべりつづけていることになる。

『何通か紹介します。まず二十八歳、男性の方からのメールです。

“今、千畳藤棚に来ています。実がいっぺんに外れて空中を飛んでいきました。ものすごい数です。ラジオを聴いて来てみたんですが、まさか本当に起こるとは思ってませんでした”

 ということです』

『こちら、ハンドルネーム・さっちんガールさん』

 と女性アナウンサーが次のメールを読み上げる。

『“びっくり! 鬼屏風の表面のレリーフが剥がれたと思ったら飛んでいったんですよ”

 こちらのメールには写真が添付されています。ラジオではお見せできませんが、たしかに写ってますね』

『ははあ……』

 男性アナウンサーが信じられないといった様子で声を漏らした。

『いやあ、これは驚きましたねぇ』

『メールは続々と入ってきているようです。とても読み切れないほどの数です』

 女性アナウンサーが興奮を抑えようとしているのがラジオ越しに伝わった。

『ええと、こちらに届いたメールによりますと、予告どおり、すべての遺跡で分離が起きたようです』

『あ、今リスナーの方と電話がつながりましたので、お話を伺います。もしもし』

 回線のつながり具合が悪いのか、少し遅れて『はい』と電話特有のくぐもった声がした。男性だ。

『お名前と、場所を教えてください』

『あ、はい。山村といいます。場所はペンギンタワーです』

 携帯電話らしい。少し聞き取りにくい。ペンギンタワーは、その名の通り、巨大なペンギンの像のような形をした遺跡だ。わかりやすい造形をしているので子供に人気があった。

『山村さん。ええと、どういう状況でした?』

『ちょうど帰ろうとしていたときにラジオを聴いて、で、Uターンして戻ってきたんです。それから二時間ほど待ってましたかねぇ、ガセネタかなと思って帰ろうとしたら、ペンギンのてっぺんのから岩の破片が次々とはがれて、まっすぐ上へあがっていって、それから風に吹かれたのか、西のほうへ飛んでっていきました』

『どれくらいの数でした?』

『何十個、いや、何百個かな。おかげでペンギンのアタマがなくなっちゃいましたよ』

『えっ? ペンギンタワー、今、頭の部分がないんですか』

『はい。ないです』

『ああ、そうですか……。あ、貴重な情報、どうもありがとうございました』

 ラジオを聴いているうちに、キミカの運転するR1は駐車場の外へ出ていた。市街地へは向かわず、遺跡を巡る外周道路を走っていた。

「どこへ行く気?」

「他の遺跡も見に行ってみんねん。全部見んのは無理やけど、二、三個所は回れるやろ」

「たったそれだけ?」

 時間がそれほど遅いわけでもないのに。

「道路が混んでくるかもしれへん。最初の放送では信じひんかった人が、今の放送聴いて押し寄せてくるかもしれへんからな」

「あー、それもそうか……」

「キングブロッサムの花に注意しといて。なにか言うてるかもしれへんし」

 現実に、予言したことが起きた。それを受けて、新たな情報を発するかもしれない。陸地球閉鎖についてのもっと詳しいことや、もっとべつの予言、あるいは、分離したタネが今後どうなるのか――。気になることは山ほどある。

 キミカはラジオのボリュームを下げた。

 ツユミは後ろを振り返り、トランクスペースに収まっているキングブロッサムの花の様子を見る。見つめつつ、何か言ってないだろうかと意識を集中した。

《広がる、広がる、タネよ、広がる。運んで、運んで、新たな世界へ。さすれば二つの世界は隔たる》

《運んで運んで、タネを運んで》

「なに?」

 ツユミは片眉をあげた。

 キングブロッサムの花のメッセージが言うところの事象は変わらないが、「運んでくれ」と言っている。

 いったい、だれに向かって言っているの? だれ――いや、なにがタネを運ぶというの?

 陸地球には、遺跡の他に人間の知らない何かがいるのだろうか。

 キミカがブレーキを踏んだので、ツユミの思考は中断した。

「心配してたとおりや」

「なに、この渋滞」

 数台先でクルマが停車しているようだった。

「ただの渋滞とちゃうで。見てみ」

 のろのろ運転で進んでいくと、何台ものクルマが路肩に停められ、道路を狭くしていた。なにもないこんな道ばたでいったい――。

 あっ、とツユミは声をあげた。

 道路上とその周辺の地面に、遺跡から分離したタネとおぼしき石のカケラが散らばっていたのだ。そして、それらを持っていこうとする人々。

 ツユミは口をあんぐりとあけて、その光景を眺めていた。

 ラジオからは次々と舞い込むメールを紹介しながらも、アナウンサーが石を拾わないよう呼びかけていた。が、眼前の出来事に対して、それはあまりに虚しい声だった。

 そのとき、ツユミの携帯電話の着メロが鳴った。メールではなく、呼び出しだ。ただ、登録されてない番号なので、だれからだかわからない。ちょっぴり緊張しながら通話ボタンを押した。

「はい。どなた?」

「オレ。駅村だよ」

「あ、駅村さん――」

 名刺はもらったが、そこに刷ってあった携帯電話の番号をうっかり登録し忘れていた。

「今どこ? すぐに戻ってこれる?」

「戻るって、さっきのスタジオですか?」

「そう。すぐこれる?」

 ツユミは送話口を手でふさぐと、キミカに向かって、

「駅村さんが、スタジオに戻れるかって」

「今ごろ北海道中央放送もてんやわんややねやろうなぁ。わかったわ。できるだけ早く行くわ」

「駅村さん、今、あたしたち、キングブロッサムの近くなんです」

「なに、キングブロッサム? なにか新しいメッセージはあったかい?」

「今のところは、特に目新しいことは言ってないです」

「そうか……」

 駅村、しばし考えている様子。「わかった。とにかく、戻れるようなら、戻ってきてくれないか」

「いいですよ」

 電話を切る。

 このまま進み、次の遺跡、千畳藤棚から市街地へつながる道路へ入るコースでスタジオへ向かうことにする。

「駅村さんのシナリオどおりにコトが進んでんのかなぁ」

 キミカがつぶやいた。

 ある程度はそうなっているのだろう。だが前例があるわけでなし、予想外の事象の発生はいつ起こるともしれない。そのとき、駅村がどんな行動をとるのか(対応できずに放りだしてしまうか)、とにかく予断を許さない。

 この状況を、はしゃぎながら見ていたキミカだったが、今は少し不安の影が心にちらついていた。傍観者の立場は無論かわりはしないだろうが、現実の非情さに足がすくみはしないだろうか――。

 千畳藤棚についた。平らな水平板の下に、それを支える脚が数十本――。その造形はテーブルというより、やはり藤棚だ。そして、千畳という名が示すとおり、巨大だ。高さは五十メートル、藤棚の広さはサッカーコートほどある。

 藤棚の下面から、玉のようなものが何百もぶら下がるように飛び出していて、「実」と呼ばれていたが、今回それらが分離して、タネとなったようだった。

 二人は走る車内から千畳藤棚にしばし見とれていた。

 考えてみれば、陸地球に来てもう二日目が終わろうとしているというのに、観光目玉である遺跡はまだ三つしか見ていなかった。全部で二十もあるというのに。キミカに言わせれば、スタンプラリーをやってるわけじゃなし、と返すだろう。

「少し見学していく?」

 そのまま通り過ぎてしまうのが惜しい気がして、ツユミは提案した。駅村にすぐに行くと言っておいてより道もないだろうが、キミカはそうやな、と同意した。

 どうしても駅村のもとへ行かなくてはならないという義務はないのだし、と気がゆるんだ。あるいは、駅村につきあってトラブルに巻き込まれる可能性を、無意識のうちに避けようとしたのかもしれない。

 広大な駐車場は二割ほどクルマが入っていた。

 適当なスペースにクルマを入れた。

 見たところ千畳藤棚には実は一つも残っていなかった。どうやら全部タネとして分離してしまったようだ。そして、風に乗りそこなったのか、周囲の地面には、実だったとおぼしき石がかなり広範囲に散らばっていた。台風が通った後の果樹園のようだ。

 ここでも人々が先を争ってその実を拾い集めていた。舗装されていない、立ち入り禁止の場所に踏み込んでさえして。罰金もなにも関係なかった。なかには用意よく、というか呆れるというか、トラックを持ち出してきている者もいた。外国なんかで暴動の際に、略奪が起きているのをニュースで流されることがあるが、ちょうどそんなふうにも見えた。

 おそらく陸地球のあちこちで同じ光景が繰り広げられているにちがいない。

 行こうか、と言い出したのはキミカだった。

「せっかくの気分が台無しや」

 拾い集めたタネを大事そうに抱えながらクルマへと戻っていく人たちを横目で見ると、キミカは回れ右した。

 自分たちと同じことをしている他人を見ているのが、どうしようもないほど嫌だった。

 そこからはどこへも寄らずにサテライト・スタジオへ直行した。



「駅村さん、いったい全体どうなってるんですか!」

 調整室に入ってくるなり、AD伝法は声を荒げた。

 空港で駅村と分かれたあと、てわたされたノートを懸命に読みとりつつのロケはたいへんな苦労を伴った。詳細なメモがあるとはいえ、ロケをイメージし、段取りを決め、現地の初対面の人と打ち合わせをしつつの収録など、初のディレクター仕事にしては、あまりに過酷であった。結果、時間ばかりがかかり、ロケは予定どおりにはすすまない、という事態と相成っていたわけである。

 どうにかこうにか切り上げて、ラジオの生放送にとサテライト・スタジオにやってきた伝法に、駅村は会議机越しに涼しい顔でこたえた。

「電話で話したとおりさ。緊急の仕事が入ったんだよ」

 伝法の後から姿を見せた笛野レイナに、「お疲れさん」と立ち上がって声をかけ、

「テレビ屋ってのはな、臨機応変に動かなきゃだめなんだよ。フットワークは軽く、だ」

 と、体脂肪率三十パーセントはありそうな体を揺らしてファイティングポーズ。

「それにしたって、前もって事情説明ぐらいしてくれても……。いま、街は大騒ぎですよ」

「その街の様子、カメラに収めてくれてるよな」

「もちろんです。こうしてる今も外でカメラマンが撮ってくれてます」

「さすが伝法ちゃん。ま、立ってるのもなんだ、すわってくれ」

 と、まるで自分の家のような態度で会議机を示す。

 伝法と笛野レイナが並んで腰を下ろすと、駅村はその向かい側についた。

 時間は午後五時前。五時からの生放送に備えてすでにDJの虹岡はスタジオに入り、スタッフも本番に向けての準備に忙しい。

 駅村は両肘を机に乗せ、軽く指を組み合わせた。

「電話では詳しく話せなかったから、ここで状況を一から言っておく。ただ、状況が状況だけに、ここでの放送もどうなるかわからん。通常の番組にならないかもしれん。ま、笛野くんの出番は三十分ほどだし、あまり心配するほどのことでもないか……」

 駅村は二人の大学生、峠キミカと百合山ツユミと出会ってからのことを要領よく話してきかせた。

「にわかには信じられないっスね……」

 伝法の感想は当然だった。普通、だれでもそう思うだろう。

 遺跡のカケラが空を飛ぶのは、自身の目で見たから疑いようもないが、石がしゃべるとなると、さすがに……。

「それで、駅村さんはこれからどうされるんですか?」

 黙り込んだ伝法に代わって、笛野レイナが訊いた。もうすぐ五時――ラジオの生放送が始まる。今日のゲストとして、しゃべることを打ち合わせる時間がどんどん減っていく。

「次の発表を行なう。そして、陸地球にいる人たちが自主的に避難してくれるよう誘導する」

「みんながみんな、信じてくれるでしょうか」

「予言は的中した。一人残らず警告に従うとは思えないが、大半は避難してくれると思うよ」

「残った人は?」

「自主的に脱出してくれない人にまで責任はもてない。そのころには自衛隊が出動してくれてるんじゃないか。いずれにせよ、おれたちはマスコミだからマスコミの仕事しかできない。で、笛野くんには、次の放送で陸地球閉鎖の予言を伝えてもらおうと思う」

「えっ? わたしが……? でも……」

「石がしゃべるのを実際に聴くまでは、納得できない?」

 笛野レイナはこくりとうなずいた。

「証拠はもうすぐ到着する。びっくりするぞ。なぁに、きっとうまくいくさ」

 駅村はぐっと背筋をのばして伸びをした。

 時計がちょうど五時を指した。



 R1は市街地に入った。

 タネは市街地にも飛んできていた。あるものは建物の屋根に落下し、あるものは車道の真ん中で邪魔になり、あるものは街路樹にひっかかった。

 パトカーが巡回して、それらの回収にあたりながら、人々に手を触れないよう呼びかけていた。それでも警官の目の届かないところで盛大に持ち去られていた。ラジオからも、石のカケラを拾いましたというメールが紹介されていた。なにしろ数がハンパではない。ひとつの遺跡から千個のタネが飛散したとして二万個である。珍しさも手伝うから、記念にと思うのも無理ない。

 クルマの窓から騒然とした街の景色を眺めていたツユミが、あたし思ったんだけど、と口を開いた。

「タネを拾った人はメッセージを受け取れるわけだから、あたしたちがスタジオに行く意味、あるのかしら」

「ん? どういうこと?」

 赤信号で停止。カーナビは、交差点を右折するよう指示していた。

「だから、放送局にも、そのメッセージが次々寄せられてると思うの。あたしたちが、わざわざキングブロッサムのタネを携えて行かなくても、もう知れ渡ってるんじゃない?」

「情報持ってんのはウチらだけとちゃう、ちゅうことやな」

「うん。そう思うでしょ」

 ここまで来る道中でもタネを拾った人を大勢見かけた。ということは、タネのメッセージ――陸地球が閉鎖されてしまうというニュースを知る者は、我々だけではない。放送局にもメールが来ているはずだ。サテライト・スタジオにタネを持って押しかけている人間がいるかもしれない。

 キミカはしかしうなずかなかった。

「けど、おかしいねん。さっきからラジオ聴いてるけど、そんなこと、言わへんで」

「じゃあ、タネの声が聞こえるのって、あたしたちだけってこと?」

「断言はできひんけど……」

「でもなぜ――?」

「わかるわけないやん。仮定の話やねんから」

 タネをきのう拾ったのと、今日拾ったのと、さしたる違いがあるとは思えない。違いがあるとしても、タネと接触した時間の長さぐらいだ。長さ! それが関係しているのか――?

「さ、着いたで」

 外を見ると、昼間来たスタジオ裏駐車場だった。

 キングブロッサムのタネをかかえ、スタジオのある建物へと入った。時刻は五時ジャスト。



 調整室――。

 本局のスタジオと違って、ほんの数人で手狭となった。

 北海道中央放送のスタッフ四人の他、新関東テレビの駅村・伝法の二名と笛野レイナ、そしてキングブロッサムを持って入ってきた峠キミカと百合山ツユミ。

 全員の熱気で暖房がいらないほどである。

 昼間来た場所だったから緊張することはないだろうと思っていたツユミだったが、室内の異様な空気にややたじろいだ。人数が増えたからというより、予言が的中したため、これからやろうとすることの重大さが、場の雰囲気を重くしていた。

 笛野レイナを間近にしているのも、ツユミにそう感じさせている要因のひとつだろう。

 会議机上に、例によってキングブロッサムの花が置かれた。

 北海道中央放送のスタッフは、すでに本番が始まっているため、それぞれの仕事についていた。

 それ以外が会議机についた。そして――。

 鮮明に、声が心に飛び込んできた。

《この世界が壊れてしまう前に、脱出しよう。ここはもうすぐ閉じられる》

《閉じてしまえば、行き来はできない》

 初めて声に接した笛野レイナと伝法ADの反応は、駅村や北海道中央放送のスタッフのときと同様だった。

 信じられず、しばし声を失った。

「これが、予言の根拠なのさ」

 まだ口あんぐりの二人に向かって、駅村が言葉をかけた。

「さ、了解したならスタジオに入ってくれ。もう本番は始まっている」

 五時からの番組でも内容が一部変更され、リスナーから届いたメールを紹介していた。

 勘違いやガセもあるかもしれなかったが、全体の概要は次のようなものであった。

 午後三時五十五分、陸地球内二十すべての遺跡から、ほぼいっせいに多数の破片が分離し、空中を漂いはじめた。それらは、陸地球の出入口を目指していたようだが、途中で落下するものも多く確認された。ただし、正確な数は不明。

 出入口からそのまま大雪山へ飛び出していった石もあるが、直下の市街地に落ちたのもかなりあるらしい。それを拾得した人も多い。

 それらの状況を把握した上で、笛野レイナはスタジオに入った。

 CMがあけたら、いよいよゲストコーナーだ。

「しかし妙だな」

 駅村はだれにともなくつぶやいた。

「どうしてだれもタネのメッセージについて言ってこないんだ……。こんなにも、タネと接触した人がいるってのに」

「ウチも気になっとってん」

 横からキミカが口をはさんだ。

 駅村、キミカを振り返り、

「心当たりは?」

「わかれへん」

 あっさり返す。

「きみたちを呼び戻したのは正解だったな」

 CMが終わり、次のコーナーを告げるジングルが鳴った。

 気谷ディレクターのキュー。

「みなさん、お待たせしました。今日のゲスト、笛野レイナさんです。ようこそ」

「よろしくお願いします」

 窓の外――歩道に詰めかけた人たちに向かって、軽く手を振る。オンエアが始まる前から人垣ができていた。通りがかりの人やら熱心なファンやら。

「たいへんなときに来られましたね」

「ええ……」やや戸惑い気味。

「陸地球は初めてですか」

「ハイ。ちょっとだけですが遺跡もみました。明日のマラソンにも出場するんですが……」

「実は今日、ゲストとして来ていただいた笛野レイナさんに、前もって質問をリスナーから募集していました」

「え、そうなんですか」

「はい。ですが、諸事情のため、急遽変更します。質問をおよせいただいたリスナーのみなさん、本当にごめんなさい。でも、たいへん重要なことですので、どうかご了承ください。では笛野さん、どうぞ」

 虹岡はいっきにしゃべった。普段の軽快なトークと勝手がちがい、その戸惑いが口調にも現れていた。

 バトンをわたされた形の笛野は、ひとつ大きく息をついた。

「実はわたし、さっきキングブロッサムの花の声を聴きました。それによると、陸地球の出入口が閉じてしまうそうです」

 いよいよ始まった。

 調整室で生放送の様子を見守りながら、ツユミは唾を飲み込んだ。テレビや雑誌でしか見ることのできない笛野レイナが、自分たちと同じ情報を共有して、目の前でそれをしゃべっている。なんとも奇妙な感じだ。

 そのとき、同じフレーズを繰り返していたキングブロッサムの花が、ちがうことを言ったような気がして、ツユミは振り向いた。

《世界が閉じる。それは明日》

 なにぃ!

 ぎょっとした。

 いっしょに聞いていたキミカがとっさに駅村に声をかけた。

 駅村は調整卓の前に立ち、腕組しながらスタジオ内を凝視していた。その背中に向かって、小声で「駅村さん!」と呼びかけた。

 くるりと振り向く駅村。怖い表情をしていた。真剣に放送を見つめていたのだろう。

「たいへんたいへん」

 と手招きした。

「陸地球、あした閉じてまうって」

「なんだって?」

《滅びゆく世界は分離される。それは明日。明日に通路は閉じられる》

 駅村はすかさず調整卓のマイクをとり、カフをあける。

「今、最新情報が入った。陸地球閉鎖はあしただ」

 陸地球の通路が閉じることで明日のマラソンへの影響云々と話していた虹岡と笛野レイナは、ヘッドホンに響いたその声に一瞬会話を中断した。

「ええっと、今、新たな情報が入ってきました。陸地球閉鎖は、あしたです」

 さすがの笛野レイナも声が少し震えた。

「時間ははっきりしません。通路が再び開くかどうかはわかりません。すみやかに脱出するようお願いします」

 こんなことを放送で言ってしまっていいのだろうか――。

 ツユミは漠然とした不安におそわれた。

 陸地球じゅうが大混乱に陥るのは火を見るより明らかだ。もはやマラソンどころではない。

 というより、自分たちも早く脱出しなければならない。のんびりしていたら、閉じこめられてしまう。すべてのライフラインを、通路をとおして供給されている陸地球にあって、それはサハラ砂漠の真ん中に置き去りされたに等しかった。いや、そんなことよりも、現社会との隔絶が恐ろしかった。当然それは「死」を意味していた。

 笛野レイナは、繰り返す。

「閉鎖する時間は、わかり次第お伝えします」

 窓の外の一般見学者も、互いに顔を見合ったりして、明らかに戸惑っているふう。なんの脈絡もなくこんなことを言ったのでは、なにかの冗談だと一蹴されるのがオチだが、今はちがっていた。遺跡の一部分が飛び回る予言を的中させた前例があった。いくらそれが信じ難いことであっても、起きる可能性は高いといえた。

 やがて見学者の何人かが駆けだしていった。おそらく避難の準備に行ったのだろう。

 そして、この生放送を聴いていた陸地球内の人の中にも、彼らと同じようにすぐに行動している人がいるにちがいなかった。

「やばいでぇ……」

 キミカは渋面をつくった。

「こんなトコで、のんびりしてる場合とちゃうやん。早よ脱出せな」

 明日の何時ごろ、というのがわからないのがさらに不安を煽りたてた。極端な話、時計の針が午前〇時を回った瞬間に陸地球が閉鎖されるということもあり得るのだ。

 不確かな情報は、様々なデマや混乱を生む。それがどんなものか想像できないが、ぞっとするような怖さを感じずにはいられなかった。

「うん、それもそうね」

 ツユミは同意した。かかる状況では、もはやマラソンだの観光だのといっている場合ではなかった。陸地球の出口が混雑するのは目に見えていた。ただ一本しかない道路、そこへクルマが集中したら大渋滞だ。

「あの、駅村さん……」

 ツユミはおずおずと声をかけた。まだ本番中だ。なんとなく、切り出しにくい雰囲気があった。

「あたしたち、帰っていいかしら」

 駅村は振り向いた。が、すぐに返事はしなかった。

 二秒、三秒と沈黙がつづいたあと、言った。

「いいでしょう。こんな状況ですからね、これ以上協力願うわけにもいかんでしょう」

 それは正論だったが、本心ではないはずだった。遺跡のタネの声が聞こえるのは、今のところツユミとキミカの二人が持ってきたキングブロッサムの花だけだったから、ここで引き取られてしまっては、陸地球の閉鎖時刻がいつなのかわからなくなってしまう。放送局にとっての貴重な情報ソース、というだけにとどまらず、陸地球の人々の安全にかかわってくる問題でもある。しかし、駅村に二人を拘束できる権利はない。

「あの――」

 ツユミは、駅村を気遣って言った。

「もし、なにか新しいことがわかりましたら、電話します」

 駅村はうなずいた。

「でも、これから先、電話はつながりにくくなるだろうからな。無理しなくていいよ」

「あ……」

 大地震の直後がそうであるように、きっと北海道全域から安否を確かめたり、その他問い合わせの電話が殺到することだろう。電話が通じにくくなるのは当然予想されるべきことだ。

 大規模災害をこの身で経験したことのない者にとっては、テレビで見て知識としては知っているものの、考えがそこへ直結していかないものなのだ。

 そのとき、廊下へのドアが開いた。

 暴力団を思わせるような厳つい顔の中年男が立っていた。上背がかなりあって、余計威圧感を周囲に放っていた。

 ただ、何日も着たままといった感じのややくたびれたスーツと、地味なグレーのネクタイが、ヤクザという印象から遠かった。

 男は、ごめんください、と言って、上着の内ポケットから取り出した物を開いて提示した。

「南富良野署の者です」

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