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第5章『サテライト・スタジオ』

 旭川空港。天気、晴れ。気温十二度。風はやや強い。

 ターミナルビルの前には数台のバスが暇そうに客を待っていた。笛野レイナらロケクルーの乗った飛行機はまだ到着していないようだ。すでに飛行機が来ているのなら、客待ちのバスはいなくなっているはずだから。

 駅村はエルグランドを駐車場に入れた。

 キミカは駐車場に入るのをためらったが、無料のようだったので駅村に続いて入っていった。

 R1を駐車スペースへ入れると、先にワゴン車を降りた駅村が歩み寄ってきた。

「ついて来なくても大丈夫だよ。信用ねぇなぁ」

 とあきれた口調で窓ごしに言う。このまま逃げられるのを心配してのこと、と思ったようだった。

 キミカは窓をあけながら、

「それより、キングブロッサム、見てぇな」

「? さっき見たじゃん」

「しゃべりだしてん!」

 キミカは窓から顔をつきだして叫んだ。そしてドアをあけて身軽く降りると、後ろへ回って後部ドアを開けた。

「ほら!」

 沈黙。花は、さっきと同じ位置に鎮座し、外見からはなにが変わったかはわからない。

 キミカは期待をこめて花を、そして駅村の反応を見守った。

 三人が集中して、花を見つめた。

 と……。

《我々が新しい世界へ旅立つときは近い。古い世界は枯れ、糧はもうない》

《新しき世界で発芽し、新しき生命が栄える》

 駅村の眉がぴくりと動いた。顎に手をあて、ううむ、とうなる。様々な考えが頭の中を高速でかけめぐっている様子。

 しばらくそうしてじっと花の声をきいていると、

「こいつはすごいな……」

 ともらした。

 キミカは小さく「やった!」とつぶやき、心の中でガッツポーズ。

「わかった。こんな奇妙な現象は初めてだ。すぐに対応を考えよう。一時間ほど待っててくれないか」

「ええで。アンジョウ、頼むで」

 たしかな証拠を提示できて自信をもったのか、キミカはタメ口になっていた。

 そのとき、ジェットエンジンの甲高い音が聞こえてきて、会話がさえぎられた。

「あっ、いけね。迎えに行かなきゃ」

 駅村は降りてくる飛行機を見上げた。

「ここで待っててくれないか。仕事が片づいたら改めて話をしよう」

 きびすを返すと、旅客ターミナルへ太った体をゆすりながら走っていった。

 キミカはその後ろ姿をニヤニヤしながら見送った。

 が、

「どうなるかなぁ」

 とツユミは心配だった。あのなんとなく軽い感じのテレビ屋がどうも信用できなかった。バラエティ番組の制作現場の人間といえば、みんなあんな感じなのかもしれないが。たとえばキングブロッサムの花のメッセージが、おもしろおかしいギャグのネタにされてしまい、まともに扱ってくれない、などということになるかもしれない。

 そうなったら、ツユミはともかく、想い入れの強いキミカにとっては憤懣やる方ないにちがいない。

 そこのところが気がかりだった。

 とはいえ、どちらへ転ぼうと、ここまで来た以上、逃げ出して知らん顔するわけにはいかない。結果がどうなるか、最後までつきあわなくてはなるまい。

 キミカは振り返った。

「さ、ウチらはもっともっとキングブロッサムの花の話を聞いとくで」

 明るい声に、ツユミは戸惑いを隠しきれずに言った。

「あんた、これからどんな展開を予想してるの?」

 えっ? とキミカ、不安そうなツユミに気づいて、笑顔をいっそうほころばせた。

「大丈夫やて。絶対うまくいくわ」

「それもあんたのカン?」

 キミカはこくんとうなずいた。



 駅村は旅客ターミナルのゲート前で腕組して、ロケクルーの到着を待っていた。飛行機がさっき着陸したところだから、もう間もなく出てくるだろう。予定では、このあと全員ワゴン車に乗り、陸地球の人気スポットのいくつかでロケをすることになっていた。

 駅村は、ロケハン(ロケーション・ハンティング)だった。先に現地入りし、あちこちで取材したりロケの許可をもらったりと、要は段取りに奔走していた。いざロケが始まれば、進行を取り仕切ることになる。現場を離れるわけにはいかなかった。駅村がロケのセッティングのすべてをやってきたのである。駅村がいなければ、残りのスタッフだけでは状況もわからず、まともにロケなどできないだろう。

 責任のある立場で、仕事を放り出すことなどできるはずがない。

 キミカとツユミ、二人の持ってきた話は魅力的ではあったが、すぐに食らいつくのは難しかった。

 だが――。

 もしそれが、社会的価値があるもので、且つ緊急性のあるものだとしたら……。

 たとえば大きな事故や犯罪、テロ、大規模な自然災害……。

 駅村は、すでに考えが傾きかけていた。しかし、独断で予定を変更してしまうには抵抗があった。もし失敗すれば、今度こそ首がとぶ。

 今回のそれは、通常の仕事をキャンセルしてまでの価値があるのかどうか、と聞かれれば、微妙だった。なにしろ過去に例がない現象だ。その現象がテレビ受けするようなものならいいが、ローカルニュース並のしょぼいネタだったら、目もあてられない。それこそ地元のケーブルテレビ局が扱うのがちょうどいい。

 だがここは異世界――なにが起こるかわからない。あの遺跡からして非常識な代物だ。非常識な現象が起きても決して不思議ではないし、これまでそれらしいなにかが起こっていなかったからこそ、なにかが起こるのではないか、という期待が常に人々の間でささやかれ続けてきた。そこへ今回の話である。まさしくふってわいたような話で、これをものにできればどうなるか――。

 テレビマンならずとも、心が踊るではないか。

 二十八年前、大雪山で陸地球が発見されたとき、世間の反響はものすごいものだった(当時駅村は小学生たったが、連日報道されるニュースはよく憶えていた)。それに匹敵するフィーバーが起こらない、とはいいきれない。

 駅村はそれを想像するだけで身震いした。

 駅村は現在、第二制作課に籍をおいていた。が、好きで第二制作課にいるわけではなかった。

 第二制作課は、低予算のバラエティ番組をいってに引き受けている部署だ。人気タレントに囲まれ、一見華やかだし、他人から羨望されるところもあるが、駅村はあまり楽しいとは感じていなかった。値打ちのない仕事にしか思えなかった。大量消費される娯楽番組からどうやって逃れようかといつも考えていた。

 もともとは社会部・報道課にいて、第一線で寝食を忘れて仕事にうちこんでいた。そんな駅村にとって、今の仕事に不満をもってしまうのも無理なかった。様々な事件・事故を取材し、試聴者に真実を伝えることこそがテレビの本来のあるべき姿だと。そんな駅村の意向を無視して人事異動をしてしまうテレビ局の考えもどうかと思うが(人材を活性化させ、常に新しい発想で番組づくりをやっていかなくては、他局の後塵を拝するという理由)、とはいえ、番組を任されている以上、手を抜くことはなかった。与えられた環境の中で常に高いクオリティを目指す努力を惜しまなかった。いつか、元の部署に戻れることを夢見つつ。

 そしてそのチャンスが巡ってきた――のかもしれない。だが判断を下すには情報が足りない。

 情報か、と駅村はつぶやいた。

 情報は自分で走って集めろ、と報道課時代の先輩が言った台詞を思い出した。やはりここは首をつっこむべきなのか――。

 飛行機を降りた乗客の一団が、大きなスーツケースを転がしながらゲートをくぐってくるのが見えた。

 駅村はそのなかにロケクルーの姿を探した。

 しばらくして、他の乗客とあきらかに雰囲気のちがう何人かが目にとまった。そのなかに、知っている顔がいた。

 駅村は手を振った。

「おおい、伝ちゃん」

 小柄な男が大きなスーツケースをよたよたと押しながら右手をあげる。

 ADの伝法である。

「おはようございます」

「ご苦労さん」

 駅村は、一団の後方にいる女に向かって、

「ども。遠いところを」

 と声をかけた。

「よろしくお願いします」

 笛野レイナは軽く一礼した。白い帽子が上品な印象を与えている。

 芸能人には仕事柄しょっちゅう会う駅村だが、その第一印象はさまざまだった。いかにも芸能人といった迫力を感じる人もいれば、普通の人っぽいタレントもいた。

 売り出し中のタレントの場合、その人が今後どれぐらいの人気を得るのかはだいたいわかった。笛野レイナは、大物の器だと、駅村は感じた。本人がどう思っているかはわからないが、眼の輝きがちがっていた。

 アニメ声優とはいえ、こないだまで他局のドラマに出演していたことで、知名度もあがってきていた。次のドラマのオファーもあるらしいが、プロダクションがかなり先まで仕事の予定を入れてしまうので、今回のような色モノの仕事が間にはさまることがあるのだ。たとえブレイクしたとしても、しばらくはそうした状況が続く。プロダクションも売り方を模索しているのだろう。よくあることだった。

 他のスタッフとは顔なじみだ。制作プロダクションの連中である。バラエティ番組に限らず、今のテレビ番組は、たいてい外部の番組制作会社と共同で制作される。テレビ局からはプロデューサーやディレクターなどの中心的な役割の部分にのみに携わる人間が出され、あとのスタッフはぜんぶ外部の番組制作会社の社員だ。すべてをテレビ局でそろえていてはコストがかさんでしまうのだ。しかしそれでは局内に番組制作のノウハウが蓄積されなくなってしまうが、目先の利益にばかりとらわれてしまう会社は放送局に限ったことではない。

 コストは制作会社とて同じで、カメラ、音声、照明、VE(ビデオエンジニア)の四人しか今回のロケには参加していない。北海道のような遠方へ出張するとなると費用もばかにならない。最低限の人員で対応しようとするのもやむをえなかった。

「おれ、北海道って初めてなんですよ」

 伝法はニコニコしながらそう言った。入社三年、第二制作課でずっと駅村の下で仕事をしてきた。もう業界にも慣れ、番組のコーナーを任せられるようになってきた。本人もまんざらでもなく、常に前向きに挑戦する意欲をみせ、事実、同期で入社した誰よりも出世しそうな勢いだった。

 駅村は、そうか、と意味ありげな微笑を返し、

「初めてついでに、ちょっと相談があるんだけど」

「はい? なんですか」

 駅村の笑顔の奥になにかの意図を感じとり、伝法は笑みをひっこめた。

 駅村はコホンと咳払いして言った。

「今回のロケ、おまえが取り仕切ってみないか?」

「えっ?」

 伝法は大きな目をぱちくりさせた。

「おまえらとのロケは何度もやってきた。要領ならわかるだろ」

「しししかし、おおれ、東京での打ち合わせだけしかしてないから、現地のこと、なにもわかんないっスよ」

 伝法は仰天し、どもってしまう。

「ノートはとってある。それに従ってやっていればできるさ」

 駅村は表紙の薄汚れた大学ノートを伝法の目の前につき出した。

 それは、駅村がロケハンの際に書き留めたメモだった。ロケの場所、設備のレイアウト、カメラ位置、照明位置、タレントの立ち位置、収録内容、予定稿(シナリオのようなもの)等が図解とともに詳細に書き込まれていた。台本がいい加減な分、このノートがロケの進行の指針となる。

「プロデューサーにはオレから話をつけてある。新規採用したADが次々と退職やめちまうんで、なかなか後身が育ってくれないんだ。このままじゃ将来、局内ディレクターがいなくなっちまう。いっちょ、やってみてくんない?」

 ADの仕事は過酷で、三日ともたない者さえいたから、駅村の主張は正論といえた。しかしプロデューサーへの了解などはとっていなかった。だが現場のことは駅村に一任されているので、プロデューサーがいちいち干渉することはない。この番組のプロデューサーとは長くいっしょに仕事をしてきたから、お互いに信頼関係ができあがっていた。文句を言われることもないだろう。もっとも、一口にプロデューサーといってもいろいろで、細かい性格でとやかく言う人もいるが。

「やってみてくんない?」

 駅村はもう一度言った。

 伝法はごくりと唾を飲み込んだ。

「わかりました。ぜひやらせてください」

「さすが伝ちゃん。快く引き受けてくれると思ったよ」

 駅村はノートを伝法の手に握らせると、

「それじゃ、あとは頼んだよ。オレは野暮用があるんで」

「ちょとちょと!」

 さりげなく言った駅村の一言に、伝法は顔色をかえた。

「同行してくれるンじゃないんですか」

 駅村は涼しい顔でこたえた。

「そのためのノートじゃん。それにオレに後ろで監視されてちゃ、やりにくいだろ」

「無茶です。現地の人と顔合わせもしてないのに」

「どうしても困ったときはケータイに入れてくれ」

 駅村は一同に向かって、

「では、みなさん、今回初めてこの伝法がディレクターをつとめますので、どうかご協力をお願いします」

 深々と頭を下げる。ちょっとオーバーな仕草に、スタッフは互いに顔を見合わせた。

「そんな、無責任ですよ」

 戸惑いの空気が流れるなか、声を発したのは笛野レイナだった。意外な発言に、全員が振り向く。駆け出しのタレントがディレクターに意見するなど、普通ありえない。たとえそれが筋の通った主張であっても。

「駅村さんは責任者なんでしょう。それが現場を離れてしまうなんて……」

 駅村はニヤリと笑い返した。

「そうだな。あんたの言うとおり、オレは無責任のろくでなしだろうな。だが伝法はちがう。たいへん優秀な男だ。だからきっとこのロケをうまくやりとげてくれるさ。さ、駐車場にクルマを停めてあるから、乗って下さい」

 そう言うと回れ右し、歩き出す。

 ロケクルーの面々は釈然としないまま、とにかく駅村のあとについていく。

 伝法は駅村に追いつき、歩きながら訊いた。

「でもいったいどこへ用事があるンですか」

 前を向きつつ駅村はこたえた。

「特ダネさ。それより伝ちゃん」

 と伝法に視線を投げ、

「笛野レイナはなかなかホネのあるやつだ。彼女なら、ロケもスムーズに捗るぜ」

 伝法は肩をすくめた。仕方ないな、という雰囲気だった。



 キミカとツユミは深刻な表情になっていた。

 キングブロッサムの花が告げる情報は次第に増えていったが、その内容は驚くべきものだった。

 静かな村に祭が始まる、というような、なにかわからないが楽しいことが起きるというイメージをもっていたのだが、どうも浮かれてばかりはいられないようだ。

《次の世界へ行かなくては。二つの世界をつなぐ通路が閉じる前に》

《通路が閉じる。もうすぐ閉じる》

 花はそう繰り返していた。はっきりと聞き取れた。

「これ……、テレビで取り上げられるだけじゃ、すまないんじゃない?」

 おずおずと、ツユミは言った。

 電波に乗る以上、どんなことでも多少の反響はあるものだが、ただの現象にとどまらなくなりそうだった。

 陸地球が閉じる。花はたしかにそう言った。もしそれが本当に、しかも突然起きたとしたら、陸地球にいる人は、閉じこめられてしまう。そして、おそらく、二度と出ては来られない。花はそこまで言ってはいないが、そう思えてならなかった。

「そうやな。陸地球に何人ぐらいの人間がいてんのか知らんけど、大脱出せなあかんわ。自衛隊も出動かな」

「だったら、テレビ局より警察じゃないの?」

 うーん、とキミカはうなった。さすがに事が重大なだけに、慎重な行動が求められる場面だった。

 そのとき、何人もの気配が背後を通りすぎていくのを感じた。振り返ると、五、六人の集団がワゴン車に乗り込もうとしていた。何人かは重そうな機材を抱えていた。そのなかに駅村の顔を認める前に、一人の女に目がいった。

 目深に帽子をかぶり、さりげなく顔を隠しているが、服装はあか抜けて、まるで掃溜めに鶴といった感じで目立っていた。――あれが、笛野レイナ。さすがにタレントのオーラを発している。

 駅村は、全員を乗り込ませると、運転席に回るのかと思いきや、閉めたスライドドアの前から動かない。

 と、ワゴン車が動き出した。手を振って見送る駅村。ワゴン車が行ってしまうと、きびすを返し、こちらへ向かってくる。

「あちゃ、笛野レイナのサインもらいそこなってもたわ」

 ため息まじりに言うキミカ。

「来たよ来たよ」

 近づいてくる駅村を見つつ、ツユミはなかば信じられない。それとも適当にあしらうよう、上司から指示があったのか――。だがそれならわざわざ直接言ったりせず、電話をつかうだろうし――。

「いや、お待たせ」

 駅村はうれしそうにやって来た。

「それより、たいへんなんや」

 ツユミが進み出て、早速解説をしだした。

「陸地球が閉じてまうって、言うてんで」

「なんだって?」

「うん。だから、これって、警察に言ったほうがいいんじゃないかって言いあってたんです」

「それはアンタが言うてただけやん」

 キミカがつっこむ。

「ほんとうかい?」

 駅村はキングブロッサムの花の声を聞こうと、身を乗りだした。キミカとツユミは沈黙する。

 キングブロッサムの花は言った。

《二つの世界をつなぐ通路はもうすぐ閉じてしまうから、行かなくては、行かなくては》

 駅村はまたもうなった。

「これは……。まいったなぁ」

 と、腕組みして考え込む。

「脱出せなあかんで」

「やっぱり警察に?」

 とツユミが言いかけると、

「いや待て。警察ではだめだろう」

「どうしてですか」

「こんなもの、信用すると思うか? 科学的な根拠に基づくデータを提示できて、且つ国が認めた研究機関が発表したんならともかく、こんな得体の知れないモノの言うことなんか、まず疑ってかかるだろう」

「あぁ、そっか……」

 言われてみれば、たしかにそうかもしれない。それは警察にかぎらず、常識的な人間なら、怪しげな事象を拒絶する。

 見かけによらずマトモなことを言うな、とツユミは感心した。

 しかし、それでは、キングブロッサムの花の話が事実だとしたら、どうなる? 警察や自衛隊の力を借りず、人々を脱出させることができるのか?

「こうなったらテレビ局の力を借りて、自主的に避難してもらったら」

 キミカが勢い込んで言った。陸地球で働いている人なら大抵クルマを持っている。旅行会社が企画するツアーの観光客ならチャーターバスをつかっているし、キミカやツユミのようにフリーであっても路線バスがある。道路は混雑するだろうが、全員の脱出は可能だ。

「いや、そう簡単にはいかんだろう。目に見えず、耳にも聞こえないキングブロッサムのテレパシーをどうやってテレビで伝えるんだ。どんな放送をしたって、まず視聴者は信じまい」

 駅村にそう言われて、キミカはキングブロッサムの花の前で、メッセージを一所懸命通訳している自分たちを想像した。ぞっとした。滑稽を通りこして、いっそ哀れであった。

「じゃ、どないしたらええねん」

 こんなはずではなかった。これから陸地球で始まる世紀のショーを売り込めるという、だれも経験できないような機会が巡ってきたと、期待に胸を踊らせていた。これまでにないほどの楽しい旅行になるはずだった。

 ところが。

 これがただの花火大会ですまなくなった。たしかに、一生の思い出にはなるだろうが、ひとつ間違えたら取り返しがつかなくなる。大勢の人々の命にかかわる。マジで事態は深刻だ。

「だがそうは言っても、なんらかの形で電波に乗せなきゃならんだろう。こいつの予告どおりに遺跡の花がいっせいに飛翔しはじめたら、トンネルが閉じちまうということも、信じてもらえるかもしれん」

 駅村の提案に、二人は砂漠の地平線に町を見つけたように期待をこめた。

「とにかく、考えてたことを実行に移そうと思う。陸地球へ戻るから、乗せてってくれないか」

「はい」

 キミカはこたえていた。



 ツユミたちが借りたスバルR1は、基本的には二人乗りだ。シートの後ろはトランクスペースで、今はキングブロッサムの花が収まっている。床を上げるとリアシートが現われるが、あくまで補助である。大人では窮屈なほど狭い。だが三人が乗るには、だれかがここに乗らないといけない。

 見るからに座り心地が悪そうなシートを眺めて思案していると、しくじったなぁ、と駅村がつぶやいた。

「ウチがここへ乗るわ」

 すると、ツユミが手を上げた。

「キングブロッサムの花のそばで声を聞いてたいねん。その代わり、駅村さん、運転たのむで」

「でもきみのクルマなんだろ」

「これ、レンタカーやねん。ウチら二人とも免許取りたてのペーパーやから、運転あんまり上手やないし。駅村さんやったら、慣れてるんちゃうん? ――ツユミもそれでええやろ」

「う……」

 ちゃっちゃと決められた勢いでツユミはうなずいた。が、異論はなかった。合理的な提案だ。

 助手席のシートを倒し、背をかがめながら先にキミカが後部座席に入る。五十センチぐらいの花とツーショット。駅村とくらべると小柄だとはいえ、やっぱり狭い。

「大丈夫?」

 ツユミは気遣って尋ねた。

「平気平気」

 どうみても居心地が悪そうなのだが、キミカは意に介しない様子。

 駅村が運転席につき、ツユミが助手席でシートベルトをかけた。すぐに出発かと思えば、駅村は携帯電話を取り出した。

 二百以上登録してある番号から一つを選び、ダイアルする。仕事がら交際範囲が広く、自分でも管理が行き届かないくらいだった。

「あ、お世話になっております。新関東テレビ放送・第二制作課の駅村です。昨日はどうもありがとうございました」

 慣れた口調でしゃべりだした。二言三言、前置きを交わして、ところで、と本題に入る。

「今からそっちへ行くんですけど、ちょっと電波を貸してもらえませんかね。いや、別件なんですよ。実は興味深いネタが入って……。はい。……はい。そうなんです。いいですか? ありがとうございます。では、詳しい説明はそちらで。……よろしくお願いします」

 通話終了。

「どこへ行くんですか?」

 ツユミは訊いた。駅村がどういうプランを考えているのか知りたかった。

 携帯電話を折り畳まず、無造作にダッシュボードへ転がすように置くと、ツユミのほうを向き、

「陸地球に、HCS(北海道中央放送)ラジオのサテライト・スタジオがあるの、知ってる?」

 話しながらエンジンをかけ、サイドブレーキをはずす駅村。

「んー、ガイドブックに載ってたような……」

「うちの系列局なんだ。夕方五時からの番組に笛野レイナをゲストで入れることになってるんだ。きのうもその打ち合わせをしてきた。そのほかにも今回のロケハンじゃ、いろいろと情報協力してもらった。協力ついでに、このことについて放送してもらおうかと思って」

 駅村はクルマを出す。駐車場から出ると、元来た道へ。

「新関東テレビに連絡しないんですか?」

 ツユミは訊いた。テレビ局の人間なら、自社の設備を使うのが当然だと思っていたから、なぜ系列とはいえ他局のを使おうとするのかと駅村の意図を図りかねた。

「連絡はするさ。でも今じゃない。状況がはっきりしてからだ。この状況だと、いくらおれが説明しても信じちゃくれまい。局に電話するのは、花の話が真実で、遺跡のタネが大量に飛び始めた時点で、だな」

「疑っているんですか?」

「そうじゃない。信じているさ。でも他の人は信じない。だが物的証拠が現われたら、自信をもって堂々と伝えられる。富士山が噴火すると言っても、だれも本気にしないだろ。あれと同じさ」

 狼少年、というのとはちがうが、本質的にはそうなりたくないのだろう。

「それに東京の本局に連絡しても、中継態勢が整うまでに、かなり時間がかかる」

「ヘリコプターを飛ばしても?」

「ヘリコプターなら数時間というところだろう。給油の問題があるだろうが、最大の課題は陸地球内では民間機の飛行が禁止されている、ということなんだ。中継が実現するとしても、どんな形になるか、今はぜんぜんわからない。いずれにせよ、地元の局に大きく協力してもらわないといけない」

 駅村の考えを知って、ツユミは少し安心した。少なくとも、ふざけた番組にするつもりはないようだ。

「テレビ局ってのは、情報ソースに飢えているんだ。絶えず『何かネタはないか?』って、犬みたいに鼻をくんくんいわせてる。常に新しい番組を提供しつづけなくちゃならないわけだからな。制作本数の少ない地方ローカル局もそれは同じだろう。いや、むしろ、地方に特化した番組づくりを求められるから、なおさらニュースを求めてるだろう。たぶん、協力は得られると思うよ」

 R1は、三人分の体重にあえぎながら、それでも健気にスピードを出していた。駅村の言うサテライト・スタジオに着くまで、どれくらいかかるだろうか。

 それまでずっと窮屈な姿勢で乗ってなければならないキミカを気にして、ツユミは後ろを振り返った。

「まだまだかかりそうだよ。気分悪くない?」

「あんたとは違うわ。それよりすごいわ。ビンビンきてる」

 キミカは興奮して言った。

「あんたら感じひん? めっちゃ聞こえんで」

 花との距離が遠いせいだろうか、ツユミにはキミカが言うほど声が聞こえなかった。

 キングブロッサムの花の声を聴くときは、いつも顔を近づけるようにしていた。ほんの少しでも離れてしまうと、もう聞こえなくなってしまうのかもしれない。

「で、なにか新しいこと、わかった?」

 キミカは目玉を輝かせながら、鼻息荒く言った。

「ビッグニュースや。今日の夕方、陸地球じゅうの遺跡から、いっせいにタネがばらまかれるんやて!」



 とうとうそのときがやってきたのか。それも今日の夕方、日没前らしい。

 今まで、もうすぐ、もうすぐ、とひどく漠然とした未来を言っていただけに、いつだろうという焦りに似た気持ちでいたのだが、それがいきなり今日だという。面食らった。しかも、夕方。となると、もう半日後である。

 急がなければならない。時計はもう正午を回っていた。

 陸地球に下りると、駅村はマクドナルドのドライブスルーに入った。のんびり昼食を摂っている暇はないと、ハンバーガーを買い込み(駅村のおごりで)、スタジオに急いだ。北海道へ来てまでお馴染みの味か、とキミカはぼやいた。

 北海道中央放送のサテライト・スタジオは、陸地球入り口のタワーから放射状に延びるメイン道路のひとつ――洒落た商店が並ぶ賑やかな通りに面した一角にあった。三階建てビルの一階、ガラス張りのスタジオに机と椅子が置かれ、若い女性DJがマイクに向かってしゃべっていた。その声は屋外につけられたスピーカーで外にも流されていた。今はちょうどリクエスト番組をオンエア中。

 その脇を通りすぎ、ビルの裏の駐車場へR1を回す。素早く駐車スペースに入れる(ツユミやキミカだと何度も切り返しをしないとうまく白線内に収まらない)と、駅村はスタジオへ向かう。ビルの表側は体裁よく造られていたが、裏はコンクリートむき出しの外壁。灰色のペンキを塗っただけの無愛想な鉄製ドアを当然のように開け、中へ入った。

 ツユミはハンバーガーの包みを持ち、キミカはキングブロッサムの花を抱えて、駅村のあとにつづいて建物のなかへ入っていった。

 明るい照明の廊下の左右に扉が点々とあり、駅村がそのうちのひとつを開けた。

「失礼しまーす」

 あとから来た二人が入る前に、ドアはパタンと閉まってしまう。いっしょに入っていこうとした二人は気勢を殺がれて立ち止まる。

 顔を見合わせた。

「入ってっちゃって、いいのかな?」

 キミカは肩をすくめる。

「いいんちゃう? 駅村さん、来たらあかんて言うてへんで」

「いっしょに来いとも言ってない」

「物事はええように解釈せなあかんで。出世せえへんで」

「キミカらしいわ」

 ドアが開いた。駅村が顔をつき出した。

「お二人さん、入って入って」

 静かに入っていくと、そこにはテレビなどでしか見たことのないものがあった。

 一方の壁に、巨大な操作卓。スイッチやらツマミやらがゲーム板のごとく天板一面に配置され、そこの前にすわると、畳一枚分はあろうかという大きさの嵌め殺しのガラス窓が正面に見えるようになっていた。

 いわゆる調整室という場所だ。

 調整卓の正面の窓の向こうは、さっき外の通りから見えたスタジオで、DJがマイクに向けて台本を読んでいるところだった。その声は調整室にも流れていた。

 スタッフとおぼしき人が四人いた。女性が一人、男性が三人。

 女性は鮮やかなオレンジ色のセーターにジーンズ。上背はそれほどでもないが、その服装のせいでこの部屋で一番目立った。年齢は四十歳ぐらい。入ってきたツユミとキミカを笑顔で迎える。笑うと糸目になった。

 女性は名刺を差し出した。

「北海道中央放送の気谷です」

 名刺の肩書きにはディレクターとあった。このサテライト・スタジオの責任者なのだろう。

 三人の男性はいずれも若く、一人は操作卓にへばりついてミキシングに集中しており、一人は女性の後ろに立って黙って一礼した。最後の一人は会議机の椅子にすわっており、「ども」と会釈した。

 ミキサーとADと構成作家ということだった。

「今本番中なので、そこにかけてお待ちください」

 気谷は会議用の長机のほうを指し示した。空いている椅子が五脚。

 そのひとつにキミカはすわると会議机にキングブロッサムの花を置き、ツユミはその横に腰を下ろした。壁にかかった大きなアナログ時計に目をやるともう二時に近かった。旭川空港までの往復にかなりの時間を費やしてしまったのだ。

 ツユミの真向かいに駅村がすわった。

「もうすぐ番組が終わる。それまで静かにお願いね」

 と気谷ディレクターが立てた人差し指を口の前にもってきて。

「はい」

 ツユミはうなずいた。本番中はお静かに、は放送の基本だ。素人でもそれぐらいは知っている。

 たぶん二時前に番組は終了するのだろう。今流れているのはエンディングテーマ曲だ。そのあとは本局からの放送となるのだろうか。

 とにかく待っている間に昼食にしよう、とキミカが言ったので、音をたてないように注意しながらハンバーガーの包みを開いた。ハンバーガーの独特の臭いが調整室に広がって、ちょっぴり気まずいが、気にせず頬張る。

「はい、オッケーでーす」

 気谷がスタジオ内のDJに番組の終了を告げた。

 DJはカフを閉じ、席を立って調整室へのドアを開けた。

「どうしたんですか?」

 いつもとちがう光景に、DJは首をかしげた。

 気谷は小さく肩をすくめた。

「さぁね。これから話を聞くので、虹岡さんもいっしょに聞いてちょうだい」

「はい……。いいですよ」

 なんの話かわからないまま、DJはうなずいた。いつもならスタッフ全員でオンエアの録音テープを聞きながらの反省会をするのだが……。

 会議机にツユミ、キミカ、駅村、気谷、DJの虹岡、構成作家がつき、ミキサーは調整卓の椅子を回し、ADは立って話を聞くことになった。

 では、と駅村は言った。全員の注目が集まると、会議机上に置かれたものを指し示した。

「ここにあるのは、キングブロッサムの花です。本物です。なぜここにあるのか説明する前に、今から一分間、じっと静かに聞き耳を立ててください」

 突拍子もないことを言う駅村だったが、その口調のあまりの真剣さに、だれも口をはさまなかった。

「いいですか……ハイ!」

 ツユミは緊張しながら、聞き耳をたてている一同を見守った。キングブロッサムの花の声がちゃんと伝わるかどうか、まだ心配だった。

 はっきり聞こえてきたといっても、花から離れていたり、周囲が騒がしかったりすると、届かない。

 それと、声の内容――。だんだん具体的になってきて、とうとう今夜タネのいっせい飛翔が起こる……というところまでわかった。そんなことをいきなり聞かされて、どう思われるだろうか。

 駅村は一分間といったが、わずか十五秒でどよめきが起きた。

「今の、なに? どういうこと?」

 気谷が瞳をキョロキョロ動かしながら口走った。あきらかに動揺していた。

「信じられない!」

 と構成作家が声を荒げた。

「みなさん、お静かに。落ち着いてください」

 駅村は、口々にわめきざわめくスタッフたちを鎮めた。

「この花が知性をもっているのかどうかは興味深い話題ではありますが、それは今はあまり重要ではありません。それよりも、花が我々に伝えようとしていることが事実かどうかという点です。もし事実だとしたら、大問題です。陸地球との通路が閉じてしまったあとでは、どうすることもできません」

 一同がうなずく。

「陸地球にいる人が一人残らず脱出するには、これが事実である、という証拠と証人が必要なのです。ぜひ協力をお願いします。もし事実でなかったら、それはそれでいいんです。試聴者の益になる放送を行なう、それがマスコミの役目なのですから」

 バラエティ番組のディレクターとは思えない迫力の演説であった。ツユミは内心「ほう」とつぶやいた。正直なところ、冗談ではすまない状況ではあるものの、どれだけ真剣に取り組んでくれるか、今の今まで不安があった。だがどうやらそれは取り越し苦労のようだ。

「申し遅れましたが、こちらの二人は、この情報ソースを持ってきてくれた、いわば第一発見者です。今回、特別に協力してもらうことになりました。峠さんと百合山さん」

 紹介を受けて、二人は改めて挨拶する。少し緊張する瞬間だった。

 場が静かになった。事の成り行きに、どう行動すべきか思考がまとまっていない、といった雰囲気が漂っていた。

 静寂を破ったのは、気谷ディレクターだった。

「なるほど、わかりました。我々にできる限りのことは協力しましょう。で、具体的にはどうしましょう」

 駅村は大きくうなずいた。

「これから北海道中央放送の電波でもって、遺跡のタネがいっせいに飛散されると伝えてもらいます。夕方、本当にそれが起こったら、今度は陸地球閉鎖を告げてもらおうと思います。もちろん、今回のことでの全責任は私がとります」

「夕方となると、あまり時間がないですね。次にここからのオンエアは十七時から、ゲストに笛野レイナさんを迎えてのトーク番組なんですが、それまで待っているわけにはいきませんね」

 今ごろ笛野レイナは、この陸地球のどこかでなにも知らず忙しくロケを行なっているのだろう。ラジオ出演のためここへ来たとき、状況はどうなっているだろうか。普通に放送できるか、それともそれどころではなくなっているか――。

「できれば今すぐ放送したい」

「今は本局のスタジオから番組を放送しています。そこへつないでもらって、割り込みましょう」

「いけますか」

「今日は土曜日ですから、この時間は『午後のコーヒーブレイク』を放送しています。パーソナリティによるトーク番組ですから、番組構成上、中継を入れても問題ないでしょう。私から局に電話します。虹岡さん、スタジオに入ってスタンバってちょうだい。駅村さん、それから峠さんと百合山さんでした? 虹岡さんといっしょにスタジオに入っててください」

 いっきにしゃべると、気谷はイスを蹴って立ち上がり、調整卓の電話を取り上げる。

「じゃ、こちらへ」

 DJの虹岡が立ち上がり、出てきたばかりの扉へ向かった。

 ついて行こうとしたツユミの携帯電話の着メロが鳴った。メール受信だ。

 取り上げ、表示。

 ざっと目を通し、あっと叫んだ。

「どうしたん?」

 スタジオに入って行こうとして、キミカは振り返る。

「明日のマラソン、中止になるかもしれないよ」

 ツユミの顔はやや蒼白になっていた。

 今朝、すったもんだしていたが、ちゃっかり彼氏にメールだけは送っていた。起こったことや、これから起こりそうなことなんかを、とりとめもなくメールしていた。

 返信はいつもすぐには来ない。今日もみっちりレッスンが組まれていて、メールを見ている余裕はないのだ。返信が来たということは、どうやら休憩時間になったらしい。

 そこには、明日のマラソンの開催を危惧する旨が書かれていた。

「なにを今ごろ言うてんの」

 キングブロッサムの花を両手に抱えながらスタジオに入ろうとしていたキミカは呆れた口調で。

 事態が進展すれば、当然、マラソンどころではなくなる。ほんの少しの想像力があれば、だれだって導き出せる結論だった。人々が陸地球から脱出しなければならないというときに、イベントで人を集めている場合ではない。

 だが、ツユミはそこまで気が回っていなかった。うかつにも、指摘されるまで、マラソンが中止になる可能性があるとは考えていなかったのだ。

 ツユミにとって、マラソンは重要なイベントだった。そのためのトレーニングもして、早くから準備をしていた。無論、オリンピックに出場できるレベルには程遠いのだが、といって単なる遊びの域でもなかった。

 それが、中止になるかもしれない。そう思うと貧血で倒れそうだった。季節は五月。本州ではすでにマラソンのシーズンではなくなっている。だからこれがシーズン最後のマラソンとなり、秋まで長いオフとなる。北海道くんだりまでやって来て、気合いは十分であったのに。

 立ち直れないほどのショックだった。

 半分放心状態でスタジオへ入るツユミに、虹岡が言った。

「本番中はケータイの電源は切っててくださいね」

 ツユミはその声に我に返った。手に持った携帯電話をしばし眺め、電源を切る。

「そんなガッカリしてる場合とちゃうやん」

 虹岡に促されるまま席につく(虹岡の横に駅村、その向かい側にキミカとツユミが並んですわった)と、キミカが言った。

「もっとエキサイティングなことが起きんねんで」

「そりゃあんたはいいでしょうよ」

「中止になんのを決めんのは、ウチらとちゃうねんから、しゃあないやん」

 キミカも、ツユミと同じように長距離は得意だったが、レベルはツユミほどではなく、だからそこまで執着もしていなかった。今度の旅行にしても、もし陸地球の観光というニンジンがぶら下がっていなかったら、いくらツユミの誘いとはいえ、わざわざ北海道まではるばるやってきたりはしなかったろう。

 マラソンが中止となって残念だという気持ちがひとつもないかといえば、そうでもないのだが、その理由が理由だけにあっさり前向きになれた。むしろ落ち込んでいるツユミが理解できない。

「マラソンやったらこの先なんぼでも出場の機会があるけど、今陸地球で起きようとしてんのは、日本の歴史に残ろうかという大事件やねんで。それを目の当たりにできるやて、興奮するなっちゅうほうが無理やわ」

 そういうけど――とツユミは言った。

「これは火山の噴火や台風災害みたいなもので、そんなに喜んでいいものじゃないでしょ」

 陸地球閉鎖による混乱。人々の脱出や経済的損失など、たしかにマイナス要素ばかりだ。

 せやけど、と反射的に反論しようとしたキミカだったが、言われてみればツユミの意見はもっともで、言うべき言葉を探した。

 そこへ、「本番入りますから、お静かに」と虹岡が割り込んだ。ヘッドホンに、調整室の気谷からの指示が入ったのだろう。

 どうやら無事に本局への割り込み放送の許可が下りたらしい。

 スタジオ内が緊張した空気で満たされた。

 壁の大きな窓ガラスから、さっきの通りが見えた。歩道を歩く通行人がちらりちらりとこちらをのぞく。まるで水族館の魚の気分だ。調整室からも、ちょうどそんなふうに見えるので、ラジオのスタジオのことは「金魚鉢」と呼ばれている。

 駅村といえば、スタジオに入って席につくなり分厚いシステム手帳を取り出して、新関東テレビの番組ロゴが印刷されたシャーペンでしきりになにやら書き込んでいた。どうやらこれからしゃべることを整理しているようだ。見かけによらず、仕事のできる大人といった印象。こんな男に出会えて、つくづく運がよかったと思うツユミだった。

 虹岡に言われて、全員が机の上に置かれたヘッドホンを装着する。頭を挟むタイプの無骨なデザインで、いかにも業務用といった感じ。

 すると、男女の軽快なおしゃべりが耳に飛び込んできた。今、生放送中の番組『午後のコーヒーブレイク』だ。

 しゃべっている男女は、二人とも北海道中央放送のアナウンサーで、もう何年もこの番組を務めているとのこと。

 CMになり、調整室にいる気谷の声がヘッドホンにかぶさった。ちゃんと聞き取れるように、ややボリュームが大きい。

「じゃ、まもなく本番です。リハーサルなしで、いきなりいきます。駅村さん、準備いいですか」

「オーケーです」

 本来なら、二、三度リハーサルをするのだが、今回はぶっつけ本番だった。ドキドキである。

「では、お願いします」

 CMが終わり、気谷の声が消えると、またさっきの二人の話し声が明瞭に聞こえてきた。

「えーと、ここで突然ですが、陸地球のサテライト・スタジオとつながっています。どうやら陸地球でなにかあったようです。虹岡さーん、なにがあったんですか」

 陽気な声。ちょっとしたハプニングが起こった程度にしか想像していない様子。

 虹岡は机の上のマイクのカフをあけ、滑舌よく話し始めた。

「はい、こちら陸地球サテライト・スタジオの虹岡です。さきほどまでここからリクエスト番組をお届けしていたんですが、その放送終了直後にスクープが飛び込んできたんです」

「ほっほう」

 と大げさな相づちの男性アナウンサー。

「では、ここでそのスクープを持ってきて下さった東京の新関東テレビ放送ディレクターの駅村さんを紹介します」

 気谷からキューの指示。

「はい、始めまして。新関東テレビの駅村です」

「駅村さんは、今回、番組のロケのために陸地球へ来られたんですよね」

 と虹岡。

「はい、笛野レイナさんが明日のマラソンに出場するので、そのロケに」

「このスタジオにも、今日の五時から生出演する予定です。楽しみになさっているリスナーもいらっしゃるでしょう」

 虹岡がさりげなく宣伝した。

「ああ、それでスクープっていうのは……?」

 なかなか本題に入らないことにじれて、男性アナウンサーがうながした。

「はい」

 駅村はちらりと手帳に視線をやり、

「昨日の話なんですが、陸地球の遺跡に、キングブロッサムというのがありますが、それの、ちょうど花の部分が分離して空を飛んでいったのが目撃されたんです」

 ほんの数瞬、間があいた。

「本当ですか?」と男性アナウンサー。

「ここからが重要です」

 駅村は口を挟ませなかった。にわかには信じられないことを話しているのだから、当然、否定的な発言が飛び出そうなものだが、それを許せば勢いが殺がれて言おうとしていたことが言えなくなるかもしれない。

「昨日目撃されたのは一つだけだったのですが、実は今日の夕方、大量の花が飛んでいくと予想されるのです。これは、キングブロッサムだけの現象ではなく、陸地球すべての遺跡にも起こります。もちろん他の遺跡は花の形状はしていませんから、なにが飛ぶかはわかりません。しかし、その飛行を目撃された方は、番組宛にお知らせください。メールの場合、写真を添付してくだされば大変ありがたいです」

 駅村はひと呼吸おいた。

「ちょっと待ってください……」

 男性アナウンサーがその間にやっと入った。声に、明らかな戸惑いが含まれていた。

 生放送。言い直しはできない。その影響を考えると、本局として慎重な対応が求められる場面だった。

「まず、キングブロッサムの花が空を飛んでいった、ということですが、昨日のいつのことなんですか」

 男性アナウンサーは、案の定、事実を確認しようとした。

「夕方だったそうです。実は、その目撃者にスタジオに来てもらってます。ここではA子さんとしておきましょう。A子さんは携帯電話のカメラでその様子を撮影されています」

「でも、あれって石でできてるんでしょう?」

 女性アナウンサーが言った。本質的な質問だ。常識的に考えて、そんなことがあるわけない。普通ならまともに取り合うような話ではないが、ここが陸地球であり、遺跡が今もって正体不明であるということが、まだ聞く耳をもたせていた。

「はい、たしかに石です。少なくとも、我々にはそう見えます。しかし、撮影もされていますし、なんらかの作用がはたらいているとしか考えられません」

 駅村は一貫して落ち着いて受け答えしていた。だが興奮していないわけではないらしく、額に汗が浮き、頬は上気して赤くなっていた。

「科学的な検証は専門家にゆずるとして、ここで重要なのは、これが昨日の一件だけにとどまらず、今日の夕方、まもなく、石のカケラが大量に飛び始める、ということなんです。――目撃者に、そのときのことを話してもらおうと思います。お願いします」

 駅村は、正面にすわるキミカを見つめた。

 発言を求められ、キミカはうなずいた。

 ラジオは声しか伝わらない。何人もの声が入り乱れると、だれがしゃべっているのか、聴いているほうはわからなくなる。ことに素人だと、スタジオという特別な環境の中で、落ち着いて話せなくなることもある。ツユミとキミカの二人がいたが、片方だけに発言をうながしたのは、駅村の賢明な判断だった。

「昨日、キングブロッサムの近くにいて、そろそろ次の遺跡へ行こう思てたんです。最初、なんかの見間違えかな、と思たんですけど、よう見たらキングブロッサムの花やったんです」

 いつもの早口からうってかわって慎重な口調。放送、というのを相当意識しているのがありありとうかがえた。いくら闊達なキミカでも、緊張するなというほうが無理だ。

 ツユミは、自分ならうまくしゃべれるだろうかと思い、声が裏返って赤面しているころを想像し、駅村が自分を指名しなくてよかったと、胸を撫で下ろした。

「高さは百メートルぐらいでした。車で追いかけながら携帯電話のカメラで撮影しました」

「ラジオですんで、お見せすることはできませんが、たしかにキングブロッサムの花でした」

 あまりの荒唐無稽さに、アナウンサーが絶句しているのがわかった。

 駅村は続けた。

「これはなにかの前触れではないかと考えられます。先ほども申しましたように、今日の夕方、遺跡から花の分離がいっせいに始まります。目撃された方は、ぜひ北海道中央放送までご一報を」

 駅村は口を閉じた。

 その後を受けて、虹岡が言った。

「はい、新関東テレビの駅村さんでした。ありがとうございました。遺跡から、なにかが飛び出したら、お知らせください。ご協力お願いします」

「ちょっと待ってください」

 話が締めくくられそうな気配に、男性アナウンサーはまるで金縛りがとけたようにしゃべりだした。

「今の話、本当ですか? 今日の夕方といったら、もうすぐですよね。どうしてそんなことがわかったんです?」

 来た。

 石が空を飛ぶという話だけでも奇異な目で見られるというのに、このうえ石がしゃべったなどと言った日にはどんな顔をされるだろう。

 ツユミは固唾を飲んで、駅村の次の言葉を待った。

 駅村はひとつ息をつき、言った。

「キングブロッサムの花が、直接我々にそう語りかけてきたのです」

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