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第2章『遺跡』

 片側三車線の広い道路は渋滞もなく、スムーズに流れていた。道路の両側に立ち並んでいるのは観光ホテルや土産物屋ばかり……。絵にかいたような観光地の光景だった。歩道は広く建物も全体的に統一され、まるでどこかのテーマパークを思わせた。

 旅行会社のチャーターだろう、観光バスが前を走っている。

「さて、と」

 ガイドブックを手に、助手席のツユミは、

「まずは双立大仏からね。カーナビのスイッチはどれかな……」

 ダッシュボードの数あるスイッチの一つに触れてみる。と、モーター音とともに液晶パネルが、舌が出るように出てきて、立ち上がった。ガイドブックと同じ地図が表示される。縮尺率は三〇〇〇分の一。さっきのレンタカー屋やドライブインもちゃんと表示されていた。真ん中にクルマの位置と進行方向を示す矢印が赤く上を向き、目的地を入力するように待機している。

「双立大仏っと」

 付属の説明書を読みながら、ツユミがセットする。

「双立大仏。セットしました」

 カーナビが、きれいな合成音声でこたえてくれた。

 人工衛星によるGPSが使えないので、カーナビはタワーと各地に建てられた携帯電話用アンテナによって現在位置を特定する仕組みになっていた。

「さ、いくよ」

 カメラをかまえながら、ツユミははしゃぐ。

 街は東西南北の四つの区画に分かれていて、それぞれが札幌・函館・富良野・小樽の雰囲気が中途半端に持ち込まれていた。計画的に作られた街だからこういう部分がいかにも作り物っぽかった。歴史もなにもない観光地にそれなりに色を持たせようとすれば、こうなってしまうのもやむをえないのかもしれない。

 ちょうど今走っているのは、小樽ゾーンだった。レンガ倉庫を模した建物が窓外をすぎていった。

 と思ったのもつかの間。時速五十キロで市街地を疾走すると、すぐに街が切れた。

 街は小さいのである。ホテルなどの観光産業のみで成り立っている街であるうえに、異世界ということもあって自由に住居をかまえることを制限されていたからだ。

 街を出ると、あとは荒涼とした大地がどこまでもつづくのみ。そこに道路だけが延びており、さながらアメリカのアリゾナあたりの光景を連想させた。

「へえー!」

 思わず感嘆の声をあげるツユミ。

「日本にもこんな広い土地があるなんてねぇ……」

「言うとくけど、ここ、日本とちゃうで」

 ステアリングを握り、前方を見ながら、キミカ。

「わかってるよ」

 しかし外国というわけでもない。地球上のどこでもないこの空間。ここが観光地としてだけの利用に限定されているのは、なんともったいないことか。しかし、それが国の方針なのだから仕方がない。登記上、個人の所有物にはできないのだから、利用方法もかぎられる。不法投棄なんかをされてはかなわない。

 クルマのスピードがあがった。まわりのクルマがいっせいにスピードをあげたので、キミカも仕方なしにスピードをあげたのだ。

「市街地ぬけたら信号もないし、まるで高速道路やわ」

 免許はもっていてもクルマは持っていないペーパードライバーだったから、どうにも運転がぎこちなかった。スピードがあがったことで、さらに緊張が高まってきた。

「あんまりつらいようだったら、運転代わるわよ」

 その様子をみて、ツユミが声をかけた。

「だいじょうぶや。すぐ慣れると思うわ」

 もっとも、運転を代わったとしても、ツユミもペーパードライバーだったから、たいした違いはなかったろうが。



 ツユミはビデオ撮影に集中することにした。

 道路は街を出た途端、八車線に広がった。とにかく土地がありあまっているのだから、いくらでも広い道路が造れる。制限速度も設定されていなかった。制限速度が決められていないのは、国内(厳密には国内ではないが)ではここだけだ。

 道路の外側は見渡すかぎりの荒野だった。大小さまざまな岩石がいちめんに転がっており、まるで火星の地表のようだった。草一本さえ生えていないから、よけいに殺伐とした印象を与えた。

 雨はまったく降らなかったから、植物が育たないのも道理だった。冬、大雪山が深い雪におおわれても、雪が降ることはなかった。気候は地球とちがって場所によって変化することはなく、どこでも一様だった。気温に若干の変化はあったが、それだけだった。

 直径三百メートルの穴からの降水量だけでは、真下の街を濡らすぐらいがせいぜいだった。

 そんな不毛な景色を延々とカメラにおさめていてもおもしろいはずもなく、ツユミはほんの一分ほどで携帯電話を折り畳むと、遠くに小さく見える遺跡を見つめた。

 道路は一直線に遺跡に向かって延びていた。せっかくのカーナビも意味がない。

「なるほど、これだけ広い道路がありゃマラソンをやろうって気になるのもわかるわ」

 ツユミはしみじみと言った。「景色も雄大だし」

「雄大すぎて、かえってしんどいで。走ってても景色がぜんぜん変わらへんねんから、気ぃもまぎれへんやん」

「うーん。たしかに……。市街地ならともかく、ここじゃ距離感もつかみにくいし」

「行けども行けども進んでる感じがしぃひんっちゅうのは、精神的につらいで」

「テレビで言ってたから、わかってたつもりだったんだけどなぁ。実際にこの目で見ると、やっぱ迫力がちがう」

 遺跡の観光ついでにマラソンコースの下見も兼ねていたから、感じた印象は切実だった。

「でも、ま、べつに優勝をめざしているわけでなし、完走するのが第一よ」

「せやな」

 そこまで一所懸命ではない。あくまで趣味の領域をでない市民ランナーなのだ。

 前方――双立大仏の巨大な姿がいよいよ迫ってきていた。

 道路はT字形に左右に分かれ、遺跡どうしをつなぐ環状道路を形成し、突き当たりには広大な駐車場が造られていた。

 二人を乗せた赤のR1は、クルマの流れにのってスムーズに駐車場へと吸い込まれていった。が――。

「なんや、無料で駐車できるんとちゃうん?」

 料金所が偉そうにそびえ立っていた。

「ガイドブックにものってたわよ。ええっと、料金は……」

 キミカは手早くページをめくる。

「一時間二百円。観光地にしては良心的な値段ね」

「やられたぁ」

 お金を百円ずつ出し合い、R1を駐車場に入れる。あいている駐車スペースはいくらでもあったから、さして考えるでもなく適当に停めた。車庫入れにはすごく自信がなかったので、アタマからつっこんだ。

「はい、とうちゃーく」

「ご苦労さん」

 キーを抜いてクルマをおりると、キミカは両手を天に突き上げてグッと伸びをした。

 駐車場は高速道路のドライブインのようで、レストランが併設された大きな売店が賑わっていた。「搾りたて牛乳のソフトクリーム」のノボリが五本も立てられて目を引いた。

「さ、行くで」

 キミカは売店とは反対の方向へ歩きだす。

 ツユミはカメラをそちらへ向ける。

 そこに――。まるでビルのようにそそり立つ巨石が、圧倒的な存在感をもって目の前にあった。双立大仏である。その名のとおり、二体の仏像のように見えた(もちろん仏像なんかではなく、作りも仏像ほど複雑ではない)。しかもまったく同じ大きさ形なのだ。自然にできたとはどうしても思えないのもうなずけるだろう。

「さすがにでかいわねぇ」

 ツユミがつぶやいた。

「キミカ?」

 急に立ち止まった友人を振り返って、

「どうしたの?」

 キミカはじっと遺跡を凝視めていた。まるで自身が遺跡になったかのように、動かず。

「やっと来れたんやなぁ、と思って」

 キミカは言いながらまだ視線をはずさない。

「ちっちゃい頃から、ずっとここへ来たかってん」

 やっとツユミを見返して、

「ウチの死んだおじいちゃんが、陸地球が発見された当時の調査隊にいてたって話、したことあったっけ?」

「え、そうなの?」

 初耳だった。

「生前、おじいちゃんによう話聞かせてもらっとってん。せやからいつか陸地球へ来よう思て」

「話って、どんな? 調査隊っていうんなら、一般に公開されていないような秘密でもあったとか?」

「そんな秘密やてあらへんて」

 キミカは顔の前で手をひらひらと振った。

「――でも、これを持ってきてん」

 とウエストポーチをまさぐり、布にくるまれたものを取り出した。袱紗で包んだ進物のように丁寧にひろげると、現われたのは拳大の石。

「なにそれ? 大事そうに」

 キミカは含み笑い。

「これ、キングブロッサムのカケラやねん」

「なにい?」

 ツユミは声が大きくなる。キングブロッサムといえば遺跡のなかでも人気があり、二人が双立大仏の次に行く予定にしていたところだった。

「おじいちゃんが調査のときに、何個かサンプルを研究用に持って帰ってきたんや。これがそのうちの一つ」

「なるほど。そういうことね。―そうよね。いまじゃ、無理だもんね」

 ツユミはうんうんとうなずいた。

 遺跡を傷つける行為は禁止されていたから、そのカケラを持っている人はそうそういないだろう。

「やっと夢が叶って、ここへ来れたわ」

 キミカは感慨深げな眼差しをそそり立つ巨石に向けた。

 ツユミも同じように見上げた。

 高さは八十六メートル。重さは推定七万トン。ごくありふれた花崗岩だが、石英が表面を覆う構成で、全体に光沢があるところが、切り出した石ではありえなかった。

 遺跡の周囲半径五十メートルほどがきれいに舗装されていた。大勢の観光客が遺跡を見上げたり写真を撮ったりしている。

 二人もそのなかへ入っていった。

 さえぎるものがなく、風がときどき吹き抜けて砂埃が舞ったが砂嵐のように強烈ではなく、陽は暖かで観光日和といった感じ。

 キミカは近づいて手のひらを当ててみた。柵が張り巡らされているわけではなく、触るのは自由だった。ざらざらした表面が少し痛かった。

 ツユミもまねしてみる。

「普通の石ね……」

「それを言うたら、ミもフタもないやん」

 ツユミを振り返り、

「マチュピチュに行ってもおんなじこと言うで」

「正直な感想よぉ」

 そう言うツユミの背後、キミカの視線の先に夫婦らしき中年の男女が「ただの石だね」などとつぶやいているのが耳に届いた。

 思わず吹き出してしまう二人だった。



 時計はまもなく午後三時をまわろうとしていた。

 陽のあるうちにホテルへチェックインするつもりだったから、街まで引き返す時間を考えると、見て回れる遺跡はいいところあと三つほどだろう。

 搾りたて牛乳のソフトクリームのおいしさに感動して、双立大仏をあとにした。

 遺跡から遺跡へと移動できるように造られた道路にのって二番目の遺跡(?)キングブロッサムへと向かう。一本道で、もはやカーナビの必要はないのだが、健気に地図を表示してナビゲーションしてくれている。距離は約六キロ。渋滞がなければ一〇分ほどで着く。

 キミカは、R1の運転にもだいぶ慣れてきた。ぎこちなさがやや消えて、緊張していた唇も柔らかくなってきた。

「ラジオでも聴く?」

 と、余裕の一言。

「じゃ、FMでも入れてみようか」

 ツユミはダッシュボードに手をのばす。カーナビの液晶パネルの下あたりに、カーステやらエアコンやらのスイッチが集中的に配置され、クルマに乗り慣れていないと操作に戸惑う。手間どりながらいじくっていると、音楽が流れ出した。流行りのJポップスが車内を満たした。



 まったく渋滞することなく到着した。これぐらいの時刻になると、日帰りツアーの観光バスはいなくなっていたから、駐車場はがらんとして広すぎる感じだった。

「うわぁ、こっちのほうが全然いいわぁ」

 R1を降りると、ツユミははしゃぎ声をあげた。

「テレビやガイドブックで見るのと迫力がちがうわ」

 手にしたケータイカメラをかまえるのも忘れて。

 キミカもその場に立ち尽くしていた。

「これやこれ。これが見たかってん!」

 その遺跡に冠された名はキングブロッサム。いっぱいに枝を広げた巨木のイメージ。その枝には、数え切れないほどの「花」が咲いていた。もちろん本物の花ではなく、そんなふうに見えるだけなのだが、枝ぶりの見事さから、遺跡のなかでもその人気は高かった。

 高さ百五メートル、幅百二メートル、中央の幹部の直径は十五メートル。堂々とした威容であった。双立大仏と同じく石でできていたが、構成成分の割合はやや異なっていた。より白かった。

「カメラにはおさまりきれへんわ」

 二人そろって感動のあまりしばらく佇んでいたが、やっと金縛りから解放されたかのように歩きだした。

 地球上、どこを探してもこれほど大きな樹木はないだろう。高さだけならカナダのセコイヤ杉があるが、キングブロッサムのような幅はない。

 ゆっくりと、歩みよっていく。見上げていると首が痛くなってくるほどだ。枝に咲いた花は直径五十センチほどの薄い円盤形で、思い思いの方向を向いて陽の光をあび、微妙な色を浮きだしていた。

 陽は傾きかけてはいたが、まだ赤くはなっておらず、明るい光が陸地球内に降り注いでいた。しかしやがて日没を迎えるようになると、キングブロッサムの表面が鮮やかに彩られ、奇蹟のような光景が現われる。もうしばらく時間がたつと、それを目当てに集まってくる人で駐車場も混み始めるだろう。

 周囲の舗装されたところで仰向けにひっくり返ってキングブロッサムの枝の広がりを眺めている人がいた。

「ほんとに木みたいね」

 ツユミがいまさらながらつぶやいた。

 うん、とうなずくキミカ。

「不思議ね。どうやってこんなもの作ったんだろ」

 現在の人類の技術でこれと同じものが造れるか、と問われたら、おそらく無理だろう。

 堂々と公開されているオーパーツに心を魅せられ、さまざまな仮説や物語が無数に作られていったのも無理からぬことだろう。ちょっと困った新興宗教などもやたらと出現したりした。

「そんなん、どうでもええねん。ウチはありのままを受け止めて、心に感じようと思うねん」

 ツユミはキミカを一瞥し、「ははあ……」と声を漏らした。

「そうね。キミカの言うとおりかもね。それがいちばんいい見方なのかも」

 キミカは幹を注意深く見始めた。

「カケラを掘り出した跡を探してるの?」

 うん、とキミカ。

「二十八年も前のことやから、残ってるかどうかわからんけど、あったら感動やん。わざわざ持ってきたんやし。ホンマにキングブロッサムのカケラなんかどうか。これかな?」

 石の表面に不自然な窪み。その形状を確かめるように指で静かに撫でてみる。

 周囲を気にしながらカケラを取り出した。ここでだれかに見つかったら、遺跡を壊したと誤解されかねない。幸い、観光客は途切れていた。

 窪みにカケラをはめ込んだ。

 ぴったり収まった。

 まちがなく、カケラはここから切り取られたのだ。二十八年間、自宅にあった石ころは、たしかにキングブロッサムの一部だった。

「ツユミ、写真写真」

「ああ、そうか」

 とあわててケータイカメラで撮影。

「なんか、あっけないわね」

 シャッターボタンを何度も押しながら、ツユミは率直な感想をもらした。

「せやな。他人から見たら、そうやろうな」

 カケラを包みなおし、ウエストポーチにしまいながら、キミカはこたえた。

「でも、ウチにとっては意味のあることやねん」

 ツユミは肩をすくめた。そうだろうな、という納得のポーズ。

 ふと、キミカはなにかを探すかのように周囲を見回す。

「ねぇ、いまなんか聴こえへんかった?」

「え? なに?」

「気のせいか……」

 つぶやくと、今度はじっくりと、遺跡の景観を楽しむことにした。



 しばらくの間、眺めていたり写真を撮ったりしていたが、どちらからともなく「休憩しようか」と言いだして、キングブロッサムの足元から離れようとしたのは、それから何分後だったろうか。

 回れ右して、駐車場横の売店に向かおうとしたときだった。

 視界の端になにかが動いたような気がして、キミカはもう一度キングブロッサムを見上げた。

 そして、目を凝らしてそれを発見した。

「ツユミ! あれ!」

 反射的に指さす先に視線をさまよわせるが、ツユミはなにがあるのかわからない。

「え? なに?」

「木の上のほうや!」

 さっきまでとうってかわってひどく興奮している。

「ほら、花が動いてるやろ」

「ええ?」

 まさか、と思うようなキミカの台詞に怪訝な表情を浮かべるが、それでも探すのをやめなかった。

 そして、ツユミもやっと見つけた。視力がそれほどいいわけではなかったから、目を細めながらようやく。

 ケータイカメラをもっていることを思い出し、かまえる。ファインダーに捉えるのに一瞬手間取る。ズームイン。小さな液晶画面に、一つの花がたしかに動いていた。

 枝から分離して、空中をゆっくりと移動しているのだ。

「どうなってんの?」

 撮影しながら、我が目を疑うツユミ。

 見ているうちに、花は、風に乗ったかのように移動速度が上がりだした。

「あかん。やばいわ」

 キミカが叫んだ。

「キミカ、クルマに戻るで」

「え?」

 急な展開に、目を丸くする。

「早よ行かな逃げられてまうで!」

 言うが早いか駆け出すキミカ。

 ツユミはあわてて後を追った。

 飛び込むようにR1のシートにおさまると、キミカはキーを差し込むのももどかしくエンジンをかけた。なりだしたFMなんか聴いているような気分ではなく、止める。

 助手席に乗り込んだキミカがシートベルトをする前に発進。

 窓ごしに見上げると、浮遊花はキングブロッサムから離れ、どこかへ飛び去ろうとしていた。

「思たとおりや。追うで」

 駐車場を出て、外周道路へ。

 ハンドルを握りしめ、前方と浮遊花を交互に見ながらキミカ。目付きがちがっていた。

「キミカ、あぶないわよ」

 上がっていくスピードメーターを見つつ、ツユミが心配する。

「ここで逃がしてたまるかぁ」

 浮遊花はR1でも十分追跡できるスピードだった。

「いったいどこへ行くつもりなのかしら」

 このままこの道路をすすむと、次の遺跡千畳藤棚に着く。果たしてそこへ向かっているのか――。

 ケータイカメラを浮遊花に向けながら、しきりに首を傾げる。

「あれって、石でできてるんでしょ。石が飛ぶなんて、つくづく陸地球って非常識よね」

「せやから、ありのままを受け入れるんやんか」

 そんな気持ちでいなければ、やっていられない――そうキミカは言おうとしているのだ。

 浮遊花を見失わないよう、必死の追跡が続いた。

 浮遊花の飛んでいる高さはキングブロッサムの大きさから百メートルほどだと思われたが、もうよくわからなくなっていた。まるで風に流されてゆく風船のようだった。

「やばいなぁ。だんだん道路から離れていきよる」

 キミカがいらついた声でつぶやいた。

 たしかに浮遊花は次第に外周道路から離れ始めていた。街とは反対側、より外側へと向かっているのだ。千畳藤棚とは関係ないらしい。

「このままだと見失っちゃうよ」

 地上よりもずっと短い黄昏がすぎれば、周囲は闇に覆われる。街の明かりは心細いほど遠いし、路肩に立てられた照明ポールは道路しか照らしてくれない。見失ってしまうのは時間の問題だった。

「もう無理だよ」

 ケータイカメラで撮影しながらも、ツユミは半分あきらめムード。

 そのとき、キミカは思い切った行動にでた。

「ええい!」

 かけ声とともにハンドルを大きくきったのだ。

 R1は道路を外れ、石だらけの荒れ地に入った。タイヤが砂を巻き上げ、石を踏みつける。サスペンションで吸収しきれない振動が車体を大きく揺らした。オフロード仕様でないから、振動が激しくしゃべることもできない。うかつになにか言おうとすると、舌を噛んでしまう。だからツユミは抗議の視線をキミカに送るのみだった。

 キミカはそんなツユミの思いに気づいているのかいないのか、とりつかれたようにひたすら浮遊花を追う。

 だが、舗装された道路とちがって、R1の速度は著しく落ちていた。いくらアクセルを踏み込んでも、タイヤが石に邪魔されて思うようにスピードがでない。逆にスピードがでてしまうと、軽くできた車体のことだから、転倒しかねない。

 キミカの懸命な追跡にもかかわらず、浮遊花との距離は目に見えて開いていった。

 これ以上追跡しても、もはや状況がよくなるとは考えにくかった。

 キミカは追跡を開始してから初めてブレーキを踏んだ。R1は激しい労働から解放されたといった感じで停止した。

 キミカは悔しさに両手をハンドルにたたきつけた。

「くそぉ……」

 ツユミは、すっかり落胆した様子のキミカにどう声をかけていいかわからずしばらく逡巡した。

「さ、もう今夜泊まる宿へ行かなくちゃ……」

 やっと、それだけ言った。

 キミカはうなずいた。

 冷静に考えてみれば、こうなる結果は予想できたはずだった。空を飛んでいくものを、クルマで追いかけようなんて。だいたい追いつけたとして、それからどうしようというのか。空中に浮かぶ花を見ながらなすすべもなく、指をくわえているしかないではないか。

 うなずいたものの、まだ動こうとしないキミカに、「さぁ」ともう一度うながす。

 キミカはようやくR1を発進させた。

「早く戻らないと、やばいよ」

 ツユミが険しい表情で言った。

「道路から外れて、こんなところを走っているのがバレたら罰金とられちゃうよ」

 陸地球の環境は条例や特別な法令によってきつく守られていた。罰則は厳しく、重いものになると懲役刑まで課せられた。

 そのことは、キミカもよく知っているはずだったが……。

「ああ、せやな」

 切実な現実をつきつけられて、キミカはR1を一直線に道路へ向かわせる。だれにも見つからないよう祈りつつ。

 等間隔に立つ照明ポールで、道路の位置が遠くにわかった。

 キミカはそこへ向けてわき目もふらずにR1を走らせる。

 その間、ツユミは携帯電話でホテルにチェックインが少し遅れる旨を伝えた。

 キミカが急ブレーキをかけた。

「なに?」

 不意討ちをくらったような格好のツユミは唇をとがらせた。

「ちょっとまって」

 シートベルトをあわてながら外すと、キミカはドアを開けて前方を注視しながら降りたった。

「どうしたの?」

 不審な顔でツユミは訊く。

 キミカの様子がただごとでないと感じつつも、クルマを降りようとはしなかった。それよりも、だれかに見つかって罰金をとられてしまうことのほうが気がかりだった。

 ツユミはR1の前へ出ると立ち止まった。目を細めて地面を見つめる。やがてしゃがみこむと、転がっている石を大事そうに両手で拾いあげた。

 フロントウインドウごしにゆっくりと振り返ったキミカの胸の前で抱えられているものの形が、ツユミには最初よくわからなかった。

 麦わら帽子かな、と思った次の瞬間、ニヤッと笑ったキミカの顔を見て、ついに気づいた。

 それは――。

 キングブロッサムの花だったのだ。

「いったいどうして……」

 ツユミもR1を降り、間近で見ずにはいられない。

 直径五十センチほどの円盤形。中心にソフトボール大の膨らみがあって円盤部を支えているような格好。

 冷たく硬い手触りはまぎれもなく石である。

 それは、たしかにキングブロッサムの花だった。しかし、飛んでいってしまったものとはちがう。

「飛んでいったんは、あれが最初とちゃうかったんや」

「ってことは、まだほかにも?」

 そう言って周囲の地面をきょろきょろと探してみるが、それらしいものは見当たらなかった。

「どうする気よ?」

 キミカがR1の後部ドアをあけ、キングブロッサムの花をなんのためらいもなく積み込もうとしていた。

「ちょっと待ちなよ」

 ツユミはあわてて駆けより、キミカの手をつかんだ。

「あんた、なにやってんのか、わかってんの?」

「記念やん。一個ぐらい持って帰ったって、わからへんわ」

「ばれたら罰金とられるよ」

「ばれへんて。土産物屋で売ってたイミテーションや言うたらええねん」

「そんなこと……!」

 ツユミは目をまるくして絶句した。

「とにかく早よ行こ。おなかもすいたし。ホテルでごはん食べよ」

 キミカはツユミの危惧などぜんぜん意に介さない。さっさと運転席に乗り込んだ。

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