エピローグ
手渡された番組の構成台本をパラパラとめくりながら、笛野レイナは控え室で呼び出しがあるまでの時間をつぶしていた。
リハーサルも終わり、あとは本番を待つのみである。
それにしても、これほど大騒ぎになっていようとは、あのときは自身想像していなかった。
第一報を東京へ知らせたとき、マネージャ以下、事務所の面々は最初簡単には信じてくれなかった。夜になってニュースが流れてやっとこさ、だった。
天変地異は、当事者でなければなかなか信じられないということを思い知った彼女だった。
ドアがノックされた。はい、と返事をすると、ドアも開かず、
「笛野さん、出番です」
との伝法ADの声。陸地球からロケスタッフとともに帰ってきたのだが、あのときは残してきた駅村ディレクターがどうなってしまうのかという不安で顔がひきつっていた。
今日、ここで再会し、駅村のもとで閉鎖した陸地球のスペシャル番組に参加するのは感慨深いものがあった。
あのとき陸地球で経験した出来事は生涯忘れられないだろう。地元放送局の虹岡DJとは、あれ以来ときどきメールを交わしている。
「はい、いま行きます」
笛野レイナは立ち上がり、座っていたパイプ椅子を丁寧に戻すと、退室してスタジオへ向かった。
空はどんよりと曇り、雨は落ちてはなかったが蒸し暑かった。南からの湿った空気が日本列島に流れ込み、と天気予報では言っていた。
校舎を出たツユミは、いかにも梅雨らしい気候に、肌寒かった北海道を思い出し、日本は広いなぁ、などと年寄りじみたことを思ったりした。
「はぁい、ツユミ」
後ろから声をかけられた。
「あれ? 来てたんだ……」
「さっき来たことやってん」
キミカが健康そうな歯を見せてニッと笑った。
同じ文学部。出席する講義も同じだが、今日は朝から姿を見ていなかった。朝といっても、午前中の講義は十時からのこのひとつだけだったから、遅刻してきては昼まで会えない、ということになってしまう。
今、十一時半をすぎたところ。十二時半からの講義までに昼食をすませてしまうのがパターンだった。
「学食、行こか」
近いし安いしメニューも豊富。これで味がよければ言うことないのだが、そこは所詮学食と割り切っていた。
「それはそうと、ゆうべの番組、どうだった?」
肩をならべて歩きながら、ツユミは感想を聞きたかった。
「今朝起きたら、駅村さんからメール入ってたわ」
「あ、あたしにもよ」
ツユミはケータイを取り出し、駅村からのメールを表示させる。
『昨日の放送、見てくれたかな? オレの撮った映像も使えて、結構いい出来だったと思うよ』
駅村本人を知っているだけに、番組は彼の言いたいことが前面に出ていると感じた。本人もしっかり出ていて、司会者を食ってしまいそうな勢いだった。ゲストの笛野レイナの冷ややかな態度がちょっぴりおかしかった。
キングブロッサムの花については「会話ができた」とまでは発表せず、人間や他の動物に影響する催眠能力を有していた、という説明に落ち着いた。会話となると、いささかリアリティに欠けるとの判断なのだろう。
メールは続く。
『そうそう、社会部への転属が決まったよ。これからあっちこっち飛び回り、正義のためにがんばるよ♪』
結局、今回の出来事は、駅村にとってはなにもかもがうまくいったわけなのだ。チャンスをつかむ見本を見せてくれたようで、これから社会へでていこうとするツユミたちにとってみれば、いい参考になったといえるだろう。
「ウチに来たメールといっしょやん。手ぇ抜きよったな」
キミカがツユミのケータイ画面をのぞきこんでいる。
「正義って、マジかいな。それに最後の音符がふざけとる」
「そうね……」
ツユミは弱く微笑んだ。
「返事は打ったん?」
「一応。あたりさわりのないこと書いて」
「ふうん」
「あんたは?」
「ウチも……」
「この件も、もうこれで終わりだね」
しみじみと、ツユミは思い返す。陸地球の閉鎖に伴うドタバタ劇は、ゆうべのテレビ番組の放送をもって過去のものとして世間から忘れ去られようとしていた。もしかしたら、警察から感謝状をもらえるかもしれないが、それとて個人的な出来事であり、世間には関係ない。
祭りの後の寂寥感に似た思い。世に知らされることのない事実に立ち会ったことも含めて、すべては二度と経験しそうにない思い出だ。
四階建ての校舎と校舎の間の小道がつきあたって左に折れている。そこを曲がった先に学食があった。ツユミたちが入学する前年に改装されて、ガラリと良くなったと聞いていたが、こぎれいではあるがごく普通の食堂でそれほどいいようには思えなかった。ということは、以前は想像もできないほどひどかったのだろう。
薄曇りの下でその建物だけが、はきだめに鶴の如く際だっていた。
「ん。まぁ、そうかもしれへんな」
「そうかもって……」
ツユミは、キングブロッサムの花と別れるとき、へんにあっさりしていたキミカをふと思い出した。
「まさか、あんた――」
あれほど固執していたキングブロッサムの花。非日常を楽しんでいたキミカが、すっかり満腹したように関心を示さなくなったのは、疲れのせいだろうとそのときは思っていた。
「なんか、隠してるんじゃない?」
なかば確信しながら、そう訊いた。
「確実なこととちゃうけどな」
「白状しなよ」
「第二章が始まるかもしれへんってことや」
あっさり認めた。
「って? どういうこと?」
もったいつけるキミカに、やや苛立つツユミ。
「あのな。植物に限らず、地球上の生物には雄の雌があるやろ。キングブロッサムにも、そういうのがあるんやっちゅうこと」
「えっ? 待って、それじゃ……」
「種の多様性をもたらすには、自分以外の個体と融合するのが一番や。異世界から異世界へと旅してんのが、あいつらだけやと思う? 他にも群があってもおかしないやろ」
「じゃ、今度はべつ異世界の通路が開くってこと?」
「たぶん。けど、それがいつかはわからんで」
「でも、キングブロッサムの花から、そこまで聞き出したんだから、だいたいいつごろかは、わかってるんでしょ?」
少なくとも、わたしたちが生きている間だろう。そうでなければ、キミカが喜喜として話すわけがない。とぼけた口調ではあるが、その奥に潜む期待をツユミは見逃さなかった。それにしても、まったく、いつの間にそんな情報を引き出したんだか。油断も隙もあったもんじゃない。
「さぁね……」
キミカは断言しなかった。
だが前例があるだけに、またまた警察からお呼びがかかるかもしれない。その可能性が大きいとみているのだ。花を手放しても、カケラは握ったままでいたのは、その理由が大きいに違いない。
もし、近い将来、再び異世界との通路が開いたとすると――。
ツユミはその場面を想像した。今回のように、何年かしてタネが飛散し、北海道に落ちたタネと合体する? どうもリアルに思い浮かべられない光景だった。だいたい、大雪山じゅうに散らばったタネは、自衛隊が回収したともきくし(なにせ地球が滅亡するかどうかという問題だから)、そうなると、彼らは繁殖できなくなるのだろうか? 地球の危機は去った? そんな単純なものだろうか。人を操る能力さえあるのに。あるいは、すでにそんなことは十分承知のうえで、したたかに振る舞っているのかもしれない。その可能性はおおいにあると考えられた。
だがどうなるにせよ、スケールが大きくて、想像が空想になりそうで、現実味にいささか欠けてしまう。
食堂入り口の自動販売機で食券を買う。キミカはAランチ。ツユミはカツ丼。ここでは気兼ねなく大喰らいできるのも○だった。
やや混雑していたが、トレイをもって見回していると、空いている席が見つかった。向かい合わせに着席。
「それより、今夜、彼氏の舞台、観に行くんやろ?」
会話が途切れたのを機に、キミカは話題を変えてきた。
ツユミはポンと手を打って、
「そうなの。いよいよ今日が初日なんだ」
ひと月半もの長い稽古をみっちりやっての公演である。どんなステージになるのか、指折り数えて楽しみにしていた。
「楽屋に花束でももってく?」
「それはちょっと……」
「じゃ、お祝い電報?」
「それもちょっと……」
「会えんの?」
「今日、時間とれるかどうかわかんないし」
「忙しいねんな」
「うん……」
でも。
彼、がんばってるんだし、その応援ができるってのは、やっぱりうれしい。これを最初にステップアップしていってほしい。
「ま、なんにしても、めでたいこっちゃ」
「いっしょに観に来なよ」
「そこまで野暮とちゃうで」
キミカはAランチの唐揚げをパクりと頬張る。
ツユミは肩をすくめ、箸を割ると、カツ丼を食べ始めた。熱っ。
【完】
参考図書
エキストラが見た芸能界の裏オモテ(著者:多田文明 彩図社)
こうすれば、あたたもTVに出れる(著者:木村哲人 第三書館)
NHKのそこが知りたい(編者:NHK広報局 講談社)
プロジェクトX 全島1万人 史上最大の脱出作戦(編者:NHKプロジェクトX制作班 日本放送出版協会)
報道センター発テレビニュースの24時間(著者:大林宏 白水社)
テレビラジオ・芸能の全仕事(発行:東放学園 ぴあ)
だれかに話したくなる!芸能界のウラ事情(著者:阿部よしき こう書房)
「キングブロッサムの遺言」に、お読みくださり、ありがとうございました。
あとがき、というか、制作秘話、ネタばらしです。
本作品はもともとは、百枚ほどの短編でした。
しかし短編では、スケールが大きいわりに全体を描けておらず、ストーリーも中途半端な状態で放置されていました。
これではせっかくの設定が生かしきれていないうえ、そもそも消化不良で可哀想だと思ったのです。
で、長編化に踏み切りました。
自分の小説を書くスキルも少しは上がっているだろうとの期待を込めて。
世界と二人の主人公の設定は同じで、あいまいだった〝遺跡〟の正体を明確にしました。
その謎を追うという形にすれば、読者に飽きて放り出されたりしないだろう、と。
そして、ストーリーは陸地球崩壊に向かって一気に突き進む――という展開で構想がふくらんでいきました。
放送局や警察を使った絡みは、よく知らないものですから、文献を何冊か読んでどうにかリアリティを出そうと苦労しました。
ついでながらマラソンもやらないので、大会を見に行ったりもしました。(マラソンのシーンは出てこないのですが)
女性二人がメインなので、字だけの小説ではコミックと違ってどちらのセリフかがわかりにくいだろうと思ったので、片方を河内弁にすることで、はっきりさせようとしましたが、いかがでしょう?
なかなか筆が進まず、完結までずいぶん時間がかかってしまいましたが、どうにか最後まで書けてなによりです。
お楽しみいただけたら、作者としてこの上ない喜びです。
もしも機会がありましたら、また別の小説でお会いしましょう。
最後に改めまして、ありがとうございました。
※本作は10年ほど前に書いたものなので、多少古いところがありますが、ご容赦のほどを。