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第10章『陸地球崩壊』

 トーテムポール城は、陸地球の遺跡の中でも、市街地からもっとも遠いところにあった。ほかの遺跡は、市街地からほぼ三十キロ圏内にあるのに対し、トーテムポール城だけは四十三キロもあった。とびぬけて遠いのである。

 そのため、宗教団体のなかには、そこを特別視するところもあった。さしずめ、もっとも神に近い、といったところか……。

 そこに、大勢の人間が集まっている――。おそらく宗教関係者だろうという駅村の意見は正しそうだった。それ以外には、ちょっと思いつかない。

「カルト教団か……」

 つぶやく校山の渋面が、問題の困難さを物語っていた。狂信的な人間ほど、扱いに難しいものはない。長く警察官をしていると、過去にはそんな人間とのやりとりも幾度かあった。彼らの心はこの世にはなく、別世界にあった。別世界――陸地球は、まさにそれにふさわしいかもしれない。ともかく、そのとき、重い疲労感だけが残ったように記憶していた。

 ただ、今回は今までとちがった。こちらにはキングブロッサムの花があるのである。唯一の、だが強力な切り札だ。もっとも、強力すぎて、こちらの手にあまるかもしれないが。

 太陽が地平線から現われた。ちょうど真正面。行く道を照らす希望の光のようで、一行の未来を祝福しているかのような気にさせた。陽光は水平に差し込み、やや眩しすぎたが。

 それでも、乾いた大地を朝日が褐色に染めている、実に映える景色に、ため息さえもれてしまう。陸地球が閉鎖されればもうこの光景は今日限りで見られなくなる。見納めだった。その事実がそれをより美しく見せているのかもしれなかった。

 感傷に浸っている場合ではない。最後の大仕事が控えているのだ。

 スピードをあげ、飛ばして飛ばしてトーテムポール城へ。

 やがて、小さく見えていた遺跡のシルエットが次第に大きくなり、それと同時にその足元に何台もの車両があるのが視界に入ってきた。

「どれぐらいの信者がいるんだろう……」

 車両の数が思っていたより多かったのか、駅村が険しい表情でつぶやいた。

「花はどう言ってる? さっきよりだいぶ近づいた。人間の個体数はわかるか。それともまだ接近しないとわからんか」

 校山が駅村の疑問を引き受けた。

《六百五十三の意識が存在する》

 キングブロッサムの花は断言した。朝日の出現で信者たちのテンションもあがり、そのため距離があっても意識を捉えられたのかもしれない。

「六百五十三人!」

 ツユミは声を上げた。まさかそんなに多いとは!

 怪しげなカルト教団では、せいぜい数十人というところだ。それが五百人をこえているとは。

「一つの宗教団体だけやないんかもしれへんな」

「あるいはな。同じ御神体を崇めている教団がいくつもあったって、不思議じゃない」

「そんなことより、彼らを全員脱出させることができるの?」

 ツユミは、傍らの石を見つめる。一人二人ならともかく、それだけの人間を一度に改心させるとなると、非現実的な気がした。いくつもの石が共同でかかれば可能だとは思うが、たった一つでは……。

《我のみではすべての対象の行動を操るのは不可能である》

「ううっ」

 校山がうめくのも当然だ。

 キングブロッサムの花の発言にはおよそ感情というものがなかった。どんな重大な事実を述べようとも、淡々と語るのみである。

「悠長に言ってくれるぜ」

 と毒づく。

 キングブロッサムの花には、もとよりなんの責任もない。校山たちの懸念なぞ、どうでもいい。人間がどうなろうと、知ったことではないのだ。感情が現われていないのはそのためというわけではないだろうが、花を責めるわけにもいかないところが校山には歯がゆかった。

「で、解決策はないのか?」

《そなたの目的を達成するためには、我のほかにも我らのタネが必要である》

 校山はブレーキを踏んだ。

 スピードが上がっていて、同乗の三人は前へつんのめる。シートベルトが分厚い皮下脂肪に食い込んだ駅村はショックが小さかったが、後部座席のツユミとキミカは無防備だった。前部シートに頭がめりこんだ。悲鳴も上げられない。

「なんやの?」

 キミカは座席から転げ落ちたキングブロッサムの花を拾い上げ、元の位置に戻す。

 校山が体をひねって、切羽詰まった目を向けた。

「ちょっと待てよ。つまり、遺跡のタネをかき集めてこないといかんということか」

「つまりも何も――そう言ってましたよ」

 横から口をいれた駅村を剣のような鋭い目付きで一瞬睨み、

「わかっておる。確認したかっただけだ。しかし――」

 校山は、昇りつつある朝日を一瞥し、忌々しげに顔をしかめた。

「もう夜も明けた。我々に残された時間はわずかだ。いまから遺跡のタネを拾い集めてる余裕があるかどうか」

 希望の光どころか、その明るさが無神経にさえ思えた。

「少しずつでも、クルマに乗せられさえすれば、なんとかなるんじゃないかしら」

 ツユミは提案した。六百五十人もいっぺんに避難させようとするから無理がある。少人数ずつなら、クルマに乗せることができるだろう。そして、乗せられたら、あとは陸地球の外へまっしぐら。

「ツユミ、それはアカンで」

 キミカが顔の前で手をひらひらさせた。校山と駅村もうなずいた。

「クルマに乗せられたとしても、脱出の途中で催眠がとけたら、どんなことをしでかすかわからない」

「といって、いっぺんに救出しようにも、六百五十人もの人間を残りの車両で運ぶのは無理だ」

 校山がリアウインドーの向こうを顎でしゃくった。

 振り返って見ると、自衛隊の装甲車が二台とその後ろに普通乗用車が数台。最初、対策本部のある消防署を出発したときに従えていた車両は、夜中に救出した住民を乗せ、一台また一台と陸地球の外へと走り去り、今の時点では四分の一ほどに減っていたのだ。しかも大勢乗せられるマイクロバスはなく、隊員輸送用の装甲車でもせいぜい十人ほどしか乗れない。ギネスに挑戦する気で無理矢理クルマに押し込んだとしても、全員の収容は不可能であった。

 となれば、信者たちには、自身で乗ってきたクルマで脱出してもらうしかない。

 それには、完全に彼らの意識をコントロールしていなければならない。それを実行するのに、キングブロッサムの花が、自分ひとつでは足りないというなら、どこかからか集めてこなければならない。

「でも、集めるっちゅうてもなぁ」

 キミカは、窓外の、道路の向こうに広がる荒野を眺めた。それらしきものは見あたらない。だいたい、落ちていても、ただの石と区別がつきにくければ、かなり骨の折れる仕事だ。

 全員の救出に間に合うのかどうか危惧するのもうなずけた。

「あと石がいくつあればいいんだ?」

 とにかく集めよう、と校山。

《四十一個体もあれば》

「四十一個! そんなたくさん、どうやって運ぶんだ?」

 駅村が目を丸くした。

 校山は舌打ちした。

「おまえ、最初からそのつもりだったんじゃないか?」

 キングブロッサムの花が、陸地球から出られなかったタネを救出してほしいと願い出たことを憶えていた。それはできないと校山は拒否したところ、キングブロッサムの花はあっさり引き下がった。

 今思えば、あるいはすべてを見越していたのかもしれない。人間を、もしかすると凌駕する能力を持つなら、そこまでの策を巡らすのも可能であろう。買い被りかもしれないが、今の校山はそこまで用心深くなっていた。

「本当に四十一個も必要なのか? 我々に石を運ばせるのが目的じゃないのか?」

 犯人を尋問するときのような口調になっていた。険悪な空気。

 キングブロッサムの花はいささかも動揺することなくこたえた。

《我が語るは真実のみ》

 校山はまた舌打ちした。

「我々の負けですよ」

 駅村が観念したように言った。

 校山は咳払いした。

「だが、時間がないぞ。四十一個も集められるか?」

「街のほうへ戻ったらどうやろ」

 キミカが提案した。ツユミも同意する。

「うん。遺跡の街にもいっぱい飛んでいってたし、道路のないところで探し回るより集めやすいかも」

「ううむ」

 校山は犬のようにうなった。時間が残り少ない。あまり手間はかけられない。が、他に手段がないとなれば、迷っている場合ではなかった。

 事態を各所へ伝えるため、校山は無線機のマイクをとった。

「それにしても、四十一個とは、中途半端な」

 駅村が言った。が、おそらく、キングブロッサムの花に十進法の概念はないだろうと、全員が思っていた。



 市街地にとってかえし、遺跡の石を集めてまわった。人間たちは、キングブロッサムの花の言いなりだった。指示されるがまま、さまざまな石を拾っていった。キングブロッサムの花のように、形のはっきりしたものは、どの遺跡から分離したのか推測できたが、ただの大きな石のカケラのようなものもあって、もともとどの遺跡の一部分だったか判然としないものもあり、そしてそれらはとても知性ある存在であるようには見えなかった。

 キミカの能力を介してコミュニケーションが成り立っている故、他の石の声は聞こえなかった。キングブロッサムの花が、知性があると断言しても、とてもそうは思えなかった。墓石のほうが、まだそれらしい。

 きっちり四十一個の石が集められたが、パトカー一台だけでは載せきれず、装甲車にも山と積まれた。

 作業を終え、徹夜明けの長丁場になるのを予想して持ってきていたゼリーで全員が手早く朝食をとったころには、もう二時間が経過していた。

 時刻は、六時すぎ。陸地球閉鎖まで、あと五時間。

 それまでに、トーテムポール城で、宗教的儀式を執り行なっているであろう人たちを救出しなければならない。普通なら、強制的にでも連れ出すしか方法しかなく、それだともっと大人数であたらねば無理だろうし、たとえ十分な人数をそろえられたとしても、相当な抵抗の前に、数時間のうちに救出できそうな見込みはない。

 だから遺跡の石の力に頼るところ大で、失敗したら救出をあきらめるしかない。

 心情的には、偏った思想にこりかたまって残りたいと強く望んでいる人たちを無理やり助けずとも、本人の好きなようにさせてあげればいいと、それで死のうが生きようが知ったことではないと言いたいところではあるのだが、まさかそういって突き放すわけにはいかない。

 ともかく出発した。

 遺跡の石はトランクに入れたので、パトカーの車内にはキングブロッサムの花だけが特別扱いされて、いた。

 校山の踏み込むアクセルがやや重くなったぐらいで、変化はなにもなかった。

 時計を気にしながら、作戦の成功を祈りつつ、現場へ向かう。

「とにかく、やつらがなにをしているか知らんが、まだ人間でいることを祈るぜ」

 校山が口にした不安の意味をわかりかねて、「どういうこと?」とツユミ。

 すると駅村が解説した。

「つまり、今彼らがたぶん宗教的な儀式を執り行なっていると予想されるが、それがどんなものかによって、救出がスムーズに行なえるかどうかがかわってくるということ」

「なにが、『つまり』やねん。ぜんぜんわからへんやん」

 キミカはすっかりタメ口で、遠慮がない。しかも河内弁だものだから、よけいなれなれしく聞こえてしまう。

「回りくどい言い方せんと、はっきり言うたらええねん」

 駅村を小さく肩をすくめ、言ったものかどうかと少し迷ったが、結局言った。

「カルト教団だと、我々の理解をこえたことをやってたりするわけさ。たとえば猟奇的な殺人なんかでトランス状態になってたりしてたら。内臓はらわたを抉られた死体なんか、見たくないでしょ――」

「ひいっ」

 ツユミは悲鳴を上げた。

「たとえば、の話ですよ。ま、そうなってなきゃいいな、ってこと」

 駅村はそれほど深刻ぶった口調ではなかったが、ツユミとキミカは強烈な想像をしてしまう。

 おぞましく、目を背けたくなるような狂気の儀式。あり得ないことでないだけに、二人は顔を見合わせてしまう。

 だが、もう後戻りはできない。ツユミはともかく、キミカはキングブロッサムの花との“通訳”なだけに、クルマの中で目をふさいでいるわけにもいかない。つらい任務だった。

 キミカは両の拳を握り、「よし」と覚悟をきめた。

 フロントウインドウに、煙突のようなトーテムポール城が近く見えていた。

 その足元には、何十台もの車両……。

「いったい何をやってるんだ……」

 校山が誰にともなくつぶやいた。

 助手席では駅村がビデオカメラを回す準備。放送にのせられるかどうかはわからないが、ニュースソースであるのは確かだし、とにかく撮影しておかなければ。

 トーテムポール城を囲んでいる人々の姿が視認できた。全員が黄色い――おそらく同じ服装のようである。それだけで絶望的に嫌な予感がした。もはや疑う余地はない。皆既日食を見るために方々からやってきた人たちのようなものではなく、ある統一した目的を果たすために組織された集団だ。

 トーテムポール城の駐車場に入った。何台ものクルマが、広い駐車場に停め置かれていた。ひいてある枠線を無視して、思い思いの停め方をしているので、何台ぐらいあるのか見当がつかない。

 そこへパトカーを先頭に、自衛隊の装甲車が連ねてやってきた。異様ともいえる光景故、注目されてもよさそうなのに、集まっている人々にこちらを気にかける、そんな気配はない。

 和太鼓の音が響きわたっていた。何かの儀式がとり行われているのは明らかで、気が滅入りそうであった。が、猟奇的殺人が行なわれているのではないようで、ひとまずほっとする。

 トーテムポール城を取り囲む人数は、キングブロッサムの花が述べたように、ざっと六百五十人はいそうだった。その場にひざまずき、唄をうたっているのか、念仏でも唱えているのか、口が動いていた。和太鼓の音が大きくて声は聞き取れないが。

 校山が、目を細めながらパトカーを降りた。手にマイクを持っている。拡声器のスイッチを入れていた。

 いきなりキングブロッサムの花を使うのではなく、まずは呼びかけてみようというわけである。おそらく無駄であろうが、それはしなければならない手順なのだ。

 和太鼓のリズムを打ち破るように、最大ヴォリュームで校山の声が吐き出された。

「みなさん、ここは危険です。陸地球には、現在避難指示が出ております。すみやかに陸地球の外へ避難してください。ここは危険です。直ちに避難してください」

 周囲に危険な兆候はなにも見られず、いつものさわやかな朝の景色が広がっていた。そんな中で、校山の言動はむしろ滑稽でさえあった。狼が来たよ、と叫び回っているようで。

 無視されると思ったが、何人かが振り向いた。しかしその眼には一様に敵意がみなぎり、指示に従おうとする者は一人もいなかった。

 和太鼓がやんだ。耳と腹に響いていた音が消えると、やたらと静かになった。

 と――。集団から一人が前に進み出てきた。

 黄色い、一枚で体を覆う、まるでレインコートのような服装の集団の中で、その一人だけが純白の、軍服のような硬いシルエットの服をまとっていた。どうやらリーダーらしい。教祖、と呼ばれているのかもしれない。

 急ぐでもなく、しっかりとした足取りで歩み寄ってくる。この場にいる誰もが注目しているのを意識した、偉そうな歩き方だった。

 駐車場の中へ踏み込み、校山の二十メートルほど手前で立ち止まった。意外と背が高い。

 髪は短く刈り込んでいたが、男ではなかった。四十才ぐらいの中年女。化粧気がないので、実際はもっと若いのかもしれない。

 両手を広げ、彼女は言った。

「我らは、神の下僕です。今日のこの日、ついに地球を脱し、神の元へ参るのです」

 意外と声量があった。この声で演説されたら、信者になってしまおうという気になりそうだった。

「我らは神に近いこの場所で祈りを捧げているのです。神が我らをお導きになり、真の自由が与えられるのです。我らの念願を妨げることは神の怒りにふれるでしょう。早々に立ち去るがよろしい」

 完全に信じきってしまっている。いや、自らの願望が真実であると錯覚しているのだ。最初はただの想いであったものが、信者たちを説法している間に現実のものだと勘違いしてしまうのだ。信者たちも疑うことなく帰依しているから、その相乗効果もあって、ますます揺るぎない信念となっていく。純粋な想いだけに、そこから目覚めるのは簡単ではない。

 だが、彼らの信じるのは、現実ではない。この世界にいたら干からびて死んでしまう。死ぬことが神の元へ行くことならば、必ずしも間違いとも言い切れないが、別の宇宙へと切り離されてしまう世界にいる神とは、彼らの信じる神であろうか。

 ともかく、短時間で彼らを説得するのは不可能だ。さっそく奥の手を使うか――。

 教祖の演説はつづく。校山――進入者全員に対して、というよりも、注目している信者に対して、その演説でもって教祖の威厳を誇示していた。それだけ自分たちの意志は固いのだと主張して、脱出への抵抗を見せていた。

「我らはトーテムポール城の声を聞きました。これぞ、我らの信仰が正しい証拠」

 なにぃ!

 その一言で衝撃が走った。

 彼らも遺跡とのコミュニケーションに成功しているのか! キミカ以外に遺跡の石の声が聞こえる者が、ついに現われた。いても不思議ではないはずなのに、ついぞそんな人がいるとは伝わってこなかった。他には誰もいないのかと思っていたが、やはりそんなことはなかった。

 だがそれがカルト教団の教祖だとは――ありそうなことだった。彼らなら、遺跡について、その方向はどうあれ、学者並に詳しいに違いないだろうから。

 しかし……。

 真実を知ってなおこの場所に留まるというのか。それでよし、とするのがこの教団の教義なのか。

 固まったままの校山を見てあきらめたと思ったのか、話はすんだとばかり、教祖は回れ右して、信者の集団の中へ帰っていこうとした。

 校山はまだ車内にいるキミカに向かって、

「今の話は本当か?」

 とっさに確認する。

《母体は外部への出力能力をもたない。トーテムポール城が、かの人間たちを誘導することはない。かの人間たちの近くにトーテムポール城のタネは存在しない。したがって、かの人間たちが、我が種族と現在において、コミュニケートしている事実はない》

「では、でまかせか」

「もし接触してるんやったら、とっくに外へ誘導されてんでぇ」

「他の個体と願望が違うってことはあるのか?」

 校山は慎重に聞いた。

《我らはそれぞれ別の個体であり、その意識もそれぞれが個別に有する。しかしながら、目的は種の保存のみである》

「タネを陸地球へ運び出すよう操るわけだな」

《左様》

「決まりだ」

 校山はうなずいた。無用な心配だった。教祖の言ったことはただのはったりだ。いや、嘘を言ったという認識はなく、本当に聞いたと思っているのだろう。内なる声に耳を傾けているうちに、願望が錯覚を生じさせたか。ともかく、当初の予定のとおり、救出作戦の開始である。

 校山が合図すると、各車に積まれていた遺跡のタネが搬出されだした。ツユミ、キミカもパトカーを降りる。キングブロッサムの花はキミカが持って。

「さ、あの人らを説得してや」

《では、我らをあの人間の近くへ置くがよい》

 見ると、信者たちは何事もなかったかのように再び儀式を始めている。和太鼓の音も再び響きだした。

 そのとき――。

 空のあちこちが、フラッシュした。雷のようだが、雨雲は見えず、雷鳴もしない。青い空が強烈に瞬く。

 それは数秒にわたって続いた。

「始まったの?」

 ツユミは直感した。陸地球の閉鎖の前兆に違いない。

「こりゃすごいぜ」

 ビデオカメラを空へ向けて、駅村がもらした。

「もう時間がないということだ」

 校山の表情がいっそう険しくなった。

「あれが閉鎖の前触れなんか?」

 キミカの問いにキングブロッサムの花は即答。

《いかにも。世界が、切り離され、崩壊が、起こるのである》

 ツユミはその声の調子に変化を感じたが、

「ぐずぐずしてはおれんな……」

 と苦々しく呟いた校山にさえぎられて、何も言わなかった。気のせいだったかもしれないし、今はそれどころではないのだ。

 信者たちが感嘆の声をあげている。

 空の異変に、来るべき神との融合の瞬間を感じとり、感動に涙激しくなる者もいた。教祖はますます陶酔し、両手を広げたかと思うと、何事か叫んで地面にひれ伏した。

 和太鼓もより一層力強くなる。

 彼らを救出するなどということが、果たして可能なのか――。そんな不安を抱かせる熱狂ぶり。

 だが臆してはいられない。遺跡の石の力を信じ、作戦を遂行するのだ。

 役場の職員や消防隊員や自衛隊員らが遺跡の石を抱えながら、トーテムポール城を取り囲む信者たちを、さらに遠巻きに囲んだ。そしてそろそろと背後に忍びよった。

 信者たちは祈りに集中していて、そちらには目もくれない。

 キミカとツユミは固唾を飲んでその様子を見守る。ビデオカメラを構える駅村もレポートもせず、ひたすら撮影に専念していた。

 遺跡の石が置かれた。置くと同時にすみやかに離れ、もとのクルマのところまで後退した。

「これでいいの?」

 ツユミが、キミカに抱えられたままのキングブロッサムの花に訊いた。

 肯定の返事。準備完了である。

《我らの意志を、人間らに、働きかける》

 空がまたフラッシュしだす。さっきよりも長い。陸地球の閉鎖が間近いと不安にさせる現象だ。一刻も早く脱出しなければという焦りさえ感じさせた。

 一分が経過した。信者たちに変化はない。ただひたすら祈っている。この世の最後が来ないように祈っているようにも見えたが、実際はその逆だ。世界の崩壊こそ、彼らの願いだ。

 その信者たちが、一人、また一人と立ち上がる。おお、おお、と言葉にならない声を発して。

 どうやら始まったらしい。遺跡のタネの呼びかけに、信者たちが反応している。

 救出隊の面々は、現われだした効果に希望を感じつつ、見守り続ける。

 信者たちの気配の変化に気づいたか、教祖が振り返った。置かれた遺跡の石を抱え、駐車場へと向かっていく信者たちの姿が目に入り、狼狽した声で叫びだした。

「おお、我が聡明なる信者たちよ。祈りを絶やしてはならぬ。なにをしているのだ。戻らぬか」

 が、だれも振り向きもしない。それどころか、石を運びだそうとする信者の数は増えていく。和太鼓を叩いていた男もバチを棄て、一直線に石へと向かう。

 教祖はその後を追い、ふと足が止まった。彼女の頭の中では、自らの信念と遺跡のタネの声が混じりあっていることだろう。遺跡の声が外部からのものとは気づかないに違いなく、自己矛盾に苛まれているかもしれない。なぜかその石をもって陸地球の外へ行かなければならないという強い意識がはたらいて。

 一同が静かに注目するなか、ついに教祖も駆け出し、ただの石にしか見えない遺跡のタネを大事そうに抱えると、その重さによろけながらも駐車場へ向かう。

 校山が小さくガッツポーズした。

 信者たちのクルマが次々と発進していく。教祖の乗った黒いベンツが最後に駐車場を出ていくと、あとには救出隊だけが残された。

 静かな見送り。

「まったく、信じられないぜ……」

 駅村がつぶやく。

 確かに。これほど鮮やかにきまるとは。少しは苦労するのではと、カルト教団の信念と、遺跡のタネのテレパシーによる鍔迫り合いが、葛藤のように信者たちの中で渦巻き、苦悩するのかと思いきや、あっさり勝負がついてしまったといった感じ。拍子抜けである。つまり、それほど強い力をもっているということなのだ。本気を出せば、キミカでさえも操られてしまうのかもしれない。それに気づいて、ぞっとした。

 ツユミはキミカの腕の中のキングブロッサムの花に視線を落とす。今の成果について黙して語らず。満足そうな意志表示があってもよさそうなのに。問われれば述べるが、すすんで話そうとはしない。

「さ、我々も急ごう」

 校山がパトカーのドアを開けた。

 空のフラッシュはより激しくなってきた。陸地球の崩壊が間近であるのは、だれの目にも明らかだ――そう思えるほどの現象だった。

 全員、クルマに乗り込むと、すみやかに出発。

 陸地球閉鎖まで、あと三時間。



 本当なら、今頃、マラソンのスタート地点の駐車場で、テント内の受付でゼッケンと記録計測用RCチップを受け取り、参加賞のラベンダーの香り付きまくらをもらって、スタートラインでピストルが鳴るのを待っているところなのだが……。

「いつまで通路を通れるの?」

 タワーへの道を急ぐ車内で、ツユミは訊かずにはいられない。

 それはだれもが抱いている不安だった。陸地球の閉鎖がどんな過程を経て完了するのか、だれも知らないのだ。徐々に門が閉じていくが如く通路が狭まっていくのか、突然消滅するのか。通路が閉じる他に、それに伴うどんな現象が起きるのかもわからない。空の激しいフラッシュもそうなのだろうが、キングブロッサムの花からは事前にその情報を得られていなかった。それどころではなかった。

《通路の、完全なる閉鎖は、急速に、やってくる。閉鎖の直前では、通路を安全に、通過できない。人間の、時間認識からすれば、完全閉鎖の、約四十三分前に、強力な電磁波により、炭素系生物の構成分子が、大きく影響を受ける》

「電磁波?」

 なんだかこれ以上しゃべられたら、専門用語が飛び出してきそうな気がした。ツユミは時計を見て、素早く計算した。

「ということは……あと二時間十五分ほどあるわけね」

「余裕やん」

 キミカが鼻をならす。

 十分だ。ずっと先を走るカルト教団のクルマもちゃんとスピードをだしてくれているし、このまま行ければ、無事脱出できるだろう。

 そのとき、思ってもみなかった現象が起きた。

 フロントウインドウに水滴が落ちてきたのである。雨が降ってきたのだ! 陸地球発見以来、二十八年間、降雨が観測されたことはただの一度もない。

 駅村はビデオカメラを回しながら、解説する。声は高揚していた。

「雨です。陸地球に、雨が降っています。ぽつりぽつりとですが、確かに雨です。これも間もなく陸地球が閉鎖される、その前兆でしょうか」

 おそらくそうだろう。キングブロッサムの花はいちいち言わないが。

 雨が強くなってきた。校山はワイパーを作動させる。雨つぶを散らしながら左右に動くワイパーの向こうに、陸地球から出るための螺旋道路――タワーが見えた。

 市街地へ入った。

 ここまで来れば、もう大丈夫だ。

 心配していた天変地異も起こっていない。そんなものは起きず、巨人の瞼が閉じるように、穏やかに出入口は閉鎖してしまうのかもしれない。

 雨は降り続いているものの、それは大きな障害ではない。視界が妨げられるほどの大雨ではない。

 だが、排水溝などの降雨対策はまったくとられていないため、あっという間に道路に水が浮きだした。タイヤが派手に水飛沫をあげた。

 タワーのスロープに入った。二車線の登り坂。籠の中のようなタワー内部を旋回しながら昇っていく。

 二百メートルの高さにまで昇っていく様はさながら山道を行くようで、雨でけぶる陸地球の市街地や遠くにかすむ遺跡は、まさしく見納めだった。乾いた大地が貪欲に雨を吸い、一面茶色が濃くなっている。

 登りはじめて数分。螺旋道路のところどころに取り付けられた標識に、「出口までの高さ あと30メートル」という文字を見つけたとき、パトカーが大きく揺れた。

「きゃあ!」

 ツユミは悲鳴を上げて、前部座席のシートにしがみついた。

 校山がブレーキを踏み、パトカーは急停止。

「地震?」

 キミカがそう叫んだ。パトカーが停止してもまだ揺れているのである。

 大きな揺れは数秒で唐突にやんだ。

 だが車内の全員が、再び揺れだしたりしないかと、その瞬間に備え身動きひとつせずにいた。

「おさまったか――」

 校山が窓越しに車外を見回す。

 かなり大きな地震だった。

「震度六ぐらいはあったで」

 興奮した口調でキミカ。

「くそっ、ぬかった。いまの地震、撮り損なっちまったぜ」

 駅村は悔しそう。テープ残量とバッテリーを気にしながらの撮影では、電源まで切ってしまうことが多いから、不意に何かが起こっても対応できなかった。特に、これから陸地球が閉鎖されるのだから、バッテリー切れなんかでそれを撮影できなかったとしたら、一生の不覚である。

「タワーはかなり強い地震でも倒壊しないよう設計されているから大丈夫だと思うが……後ろの自衛隊はどうなってる」

 校山の問いに、ツユミはリアウインドーから後方をうかがった。自衛隊のトラックがゆるゆると登ってくるのが見えた。

「動いてるわ。なんともないみたい」

「そうか。じゃ、行くぞ。ゴールはもうすぐだ」

 アクセルを踏み直し、パトカーは進みだす。

「でも余震が来るで。急いでここを抜けな」

 すかさずキミカが注意した。

 もたもたしてはいられない。さっさと地上へ出てしまわなければ。

 が、坂道を上がっていくうちに、急いで行くわけにはいかない事態に遭遇した。

 先を走っていたカルト教団のクルマがガードレールを突き破り、落下防止のために張られた金網に絡まっていたのである。しかも教祖その人が乗っていたベンツだった。

「こりゃいかん」

 校山はパトカーを停め、降りてその場へ駆けよった。

 傾いた車内をのぞきこむと、後部座席に教祖と、運転席に信者が、ともにぐったりして動かない。

 キミカも降りて、様子をうかがう。

「死んでるの?」

 と、歩みよりながら。

「いや。気を失っているようだ。きっとまともにぶつかったんだろう」

 と校山。

 ツユミも降りようとすると、駅村に呼び止められた。

「ちょっと、こいつを頼むよ」

 と、ビデオカメラを手渡された。

「ええっ、どうしたらいいの?」

 ケータイカメラなら使っているが、家庭用とはいえこんな高機能のハイエンド・カメラなんか触ったことすらない。

「大丈夫。スイッチは入っているから、ファインダーをのぞきながらレンズを向けてくれていたらいい」

 そう言って駅村は事故車のところへ。ちょうど校山が車内の人を引きずり出そうとしているところだった。手伝おうというのだ。

 災害の現場を報道する者にとって、人命救助にどう対応していいか葛藤があるだろうと漠然と思っていたが、そういうことではないのだと、ツユミは感じ、そこへカメラを向けた。

 教祖を車内から出すと、駅村が背負い、後方からやってきた自衛隊のトラックへ載せようと歩み出す。自衛隊のトラックからも隊員たちが降り、荷台に乗せるのを手伝った。

 校山はさらに運転席でのびている男を救出しようとしていた。ただ前輪が縁石に乗り上げ、脱輪していたから、あまり前の方へ目方をかけたくない状況だった。

 そのうえドアが衝突で変形して大きく開かない。隙間から引っ張り出そうとしていたが、大柄な男で、校山は手間取っていた。キミカがドアを引き、閉じてしまわないよう支えている。

 しかしそこへ、地震の第二波がきた。

 さっきのより大きい。

 どすん、と突き上げるような衝撃のあと、立っていられないほどの揺れが襲いかかってきた。

 タワーの鋼鉄構造体がミシミシと音をたてる。

 ツユミは歯を食いしばってパトカーにしがみつきながらビデオカメラを回し続けた。激しく揺れるファインダーの向こうに、事故車がさらに外側へとずれていった。

 大きくたわんだ金網がクルマの落下を防いでいたが、それもいつまでもつかわからない。

 キミカは路面にしゃがみこみ、運転席の男を助けだそうとする校山も体が自由にならない。

 まずい!

 そう思ったツユミだったが、どうすることもできない。自衛隊員たちも、助太刀しようにも、この揺れでは如何ともしがたい。

 見るみるうちにクルマは路面を滑り、前半分は完全に道路の外。かろうじて金網で落下をまぬがれていたが、その金網が破れかかってきた。

 校山は鬼のような形相で、男の腋の下へ入れた腕に力をこめる。腰を落とし、重心を低くしてから、後ろへ倒れるようにして引っ張った。

 クルマがさらに外側へ。後輪が浮いた――かと思うと、車体が傾き、金網の破れ目からすり抜けるように落ちていった。

 ツユミは反射的に目を閉じた。

 地震がおさまった。時間にしてほんの十秒ほどだったが、やたらと長く感じた。

 地鳴りがやみ、嘘のように静けさが戻ってきた。

 ツユミはおそるおそる目を開いた。

 路上に校山がへたりこんでいた。そしてそのすぐそばに、大柄な男がのびている。

 ツユミは大きく息をついた。まだ動悸が激しい。

 ピースサインをするキミカの背後で、自衛隊員がかけつけ、まだ気絶している男をトラックへと収容していった。

 校山がやっと立ち上がり、パトカーに戻ってきた。

「急ごう。次の地震には、タワーが耐えられんかもしれん」

 それはあり得た。

 普通の地震なら、あとから来る余震はだんだん小さくなる。だが、世界が崩壊へ向かっていくのなら、次第に規模が大きくなっていくだろう。

 倒壊までいかなくとも、もしタワー内道路が通れないほど損傷したら、覚悟を決めなければなるまい。非常階段があるにはあるが、これを使う事態となればいよいよ絶望的だといってよかった。

 再び螺旋道路を登ってゆく。さっきの地震の爪痕があちこちに見られた。道路の継ぎ目がずれていたり、ひびが入っていたり、鋼鉄の筋交いが骨折のように割れている個所もあった。すさまじい破壊力だ。遺跡も無事ではすまないだろう。いくつかは転倒しているかもしれない。もはや確認はできないが。

 急いでいるとはいっても、猛スピードを出せるわけではなく、歯がゆかった。それでも、地上までの表示板が「あと20メートル」「あと10メートル」と確実に減っていくのは心強かった。

 車内は静かだった。無事に脱出できるのか、という不安がいいようのない緊張感となっていた。

 時間的には余裕はあったが、地震がきてはどうしようもない。

 螺旋道路が、残すところあと一周となった。地球の空が頭上にあった。ついに、たどりついたのである。普段なら、ごく当たり前の瞬間で、つい昨日も通ったというのに、地球側の道路へ踏み込んだ途端、沈黙していた車内に、まるでマラソンのゴールテープをきったかのように歓声が上がった。

 道路の五百メートルほど前方で、自衛隊が陸地球への進入を阻むバリケードを築いていた。陸地球にいたのとは別の新興宗教の団体とまだもみあっているのだろうかと心配したが、どうやら排除されたらしい。それらしい様子は見受けられない。

 バリケードが開いて、次々と脱出してきたクルマを通している。信者たちのクルマは、陸地球の外へ出ても、まだ遺跡のタネの暗示が効いているようで、引き返そうとすることもなく走ってくれている。いったいどこまで行くのだろうか――。

 自衛隊のほかに、警察車両もいた。回転灯の明滅で遠目でもそれとわかった。

「校山さん!」

 と、バリケードを、さながら凱旋パレードのようにゆっくり通過しようとすると、呼び止められた。

 制服姿の警察官がパトカーに近づいてきた。うっすらと無精髭が下顎に影を作っていた。たぶん、昨夜から一睡もせず職務を果たしていたのだろう。

 校山はパトカーを止める。

「作戦は完了だ。陸地球からは全員脱出した」

「はいっ」

 血走った目で校山を見つつ敬礼。

 非常事態に備えて待機していた救急車に、事故車に乗っていたカルト教団の教祖と信者が運ばれていく。

 そのとき、どよめきが起こった。

「あれを見ろ!」

 駅村が背後を指さし叫んだ。後部座席のツユミとキミカは同時に振り返る。

 今出てきたばかりの陸地球への入り口に、靄のようなものが白く漂っていた。それは沸き上がる雲のように陸地球から発生していた。

 ついに閉鎖が始まったか――。しかし……。

「もう閉鎖されるの!? まだ一時間半はあるのに」

 キングブロッサムの花が予告した陸地球の閉鎖時刻は十一時半。それがそのとおりにならなかったことに、ツユミは大きく驚いて。

「どういうことやの?」

 キミカが石に訊く。

 雲が沸き立つ現象は、まだ閉鎖そのものではなくその前兆なのかもしれない。だが、湯の中にドライアイスを放り込んだ如くの光景に、「前兆」とは言い難い迫力を感じ、とてもあの中をつっきって行けるとは思えないほどだった。

《すでに、閉鎖は、始まっている。件の現象が、やがておさまるとき、世界は完全に、分離される》

 ヘルメットをかぶった自衛隊員の一人が、校山に近づいて、言った。

「ここから退避してください。どんな危険があるかわかりません」

 花火を見物しているわけではないのだ。噴火する火山に似た危険が伴うのやもしれない。溶岩や火山弾が飛んでくるのではないだろうが、誰が見ても何かが起きそうな気にさせた。一応、避難したほうがいいと、勧めにきたのだ。

 駅村はパトカーを降り、入り口を撮影していた。世紀の瞬間を撮り逃すまいと、夢中でファインダーをのぞいている。この様子は自衛隊でも撮影していたが民間による記録となると、この場には駅村しかいなかった(ツユミもいたが、ケータイカメラのフラッシュメモリには空き容量が残っていなかった)。貴重な映像ライブラリとなるだろう。

「危険はないのか? これから何が起こる」

 校山は、改めてキングブロッサムの花に尋ねた。すでに陸地球の避難は万事完了していた。任務は完遂したのだから、危険があろうとなかろうと、ここへ留まる理由はなかった。本来なら、さっさと南富良野署へと帰るべきだった。だがもし危険がないとすれば、ここですべてを見届けたかった。

 花はしばしの沈黙のあと、こたえた。

《通路は、閉鎖しようとしている。……もう、入ることはできない。しかし、危険は、通路のみであり、その周囲には、及ばない》

「じゃ、ここから見てる分には安全なんだ……」

 ツユミはホッとしてつぶやいた。

《左様》

 雲の中に、雷のようなフラッシュが瞬いた。陸地球の中で見た、あの光だ。一回、二回、三回……。その間隔が次第に短くなっていき、地震が起きた音だろうか、地響きのような音も聞こえてきた。

 しばらくはそれがつづいた。

 タワーの鋼鉄の骨組みが引きちぎられるような、ぎしぎしといういやな音。まるで、死にゆく陸地球の悲鳴のよう。

 今まさに陸地球内中の建物が倒壊しつつあるのだろうか。そして遺跡も――。

 なにもかも、直接見ることはできない。陸地球がどんな様子なのかわからない。

 二十八年間の長きにわたって、その姿を見せていた異世界は、まだまだ多くの未知の部分を残したまま、人類の前から永遠に消え去ろうとしていた。

 キングブロッサムの花が予言した閉鎖の時刻がいよいよ迫ってきた。

 午前十一時十八分――。

 空気の流れが変わった。

 風が、通路へ向かって吹き出した。

 霧が竜巻のように渦を巻き、そして穴へと吸い込まれていった。

 霧が消えた。

 そのあとには――。

 通路はなくなっていた。代わりに直径三百メートルの円形の広場が現われていた。通路の跡――。だが、そこに超自然的な「通路」があったとは思えない。それらしい痕跡はまったくなかった。大雪山の、静かな自然が戻っていた。

 自衛隊員たちが、おそるおそるそこへ近づいていく。

「終わったん?」

 キミカが尋ねた。

 陸地球とのつながりが絶たれたことで、もはやただの石になってしまったようにも思えたが、

《通路は閉じた。ふたつの世界は、完全に分断され、今や、互いにどんな干渉も、受けない》

「安全てこと?」

《消滅した世界との通路が、存在する以前と、その環境に、なんら違いはない》

「あいかわらず回りくどい言い方やな。そんであんたは、今度は北海道で、キングブロッサムに成長していくわけやな」

 キミカの後を受けて、校山が言った。

「そして、今度は地球を滅ぼすわけか」



 一同が瞠目した。

 キングブロッサムの花は、嘘がばれた子供のように黙りこくった。

「地球を滅ぼすって、どういうこと?」

 ツユミは、その台詞を校山が言ったことに衝撃をうけた。

「校山さんもやっぱりそう思う?」

 キミカがしたり顔で言う。

「あんたもゆうべ聞いたやろ。つまり、こういうことやん。世界が崩壊してまうから、別の世界へ避難するんじゃなくて、世界を崩壊させてもうたから、別の世界へ移動すんねん」

「世界を崩壊させてしまったって……」

「なんで陸地球が、砂漠以上に不毛で生き物がぜんぜんおれへんねやと思う? 惑星の寿命かな、とウチも最初は思ててん。でもそうとちゃうねん。惑星のエネルギーを吸いつくしてもうたんや」

「キングブロッサムが?」

「キングブロッサムだけとちゃう。遺跡全部が、や。生きていくのに、ひたすら惑星のエネルギーを吸い取っていった。その結果、生き物の住まれへん星になってもた。そしていよいよエネルギーが底をついてきたとなって、地球との間に通路を開いた。いったいそれにどれぐらいのエネルギーがいると思う? 陸地球は最後の一滴まで搾り取られた。遺跡はタネを飛ばし、役目を終えて、今終焉を迎えた。たぶん、そんなところや」

「だったらどうして、タネを運び出すのを手伝ったりしたの」

 遺跡が惑星を滅ぼしてしまうというのがわかっているのなら、それを防ぐことはできなかったのか。地球も陸地球と同じ結末を迎えてしまうなど、そう簡単に受け入れられるものではない。

「それに気づいたんは、ついさっきや」

 キミカはふっと息を吐く。「それに、あんだけぎょうさんのタネ、自然に飛んでいったのもあるし、防ぎようがないで」

「でも、そんな……。涼しい顔してる場合?」

「まぁ待ちいな。今日、明日にでも地球が滅びるわけとちゃうやん」

 校山がうなずいた。

「おそらく、地球が死の惑星になるとしても何百万年、いや、何千万年か先になるだろう。それまでに人類はたぶん絶滅してしまっているだろう」

「それは……そうかもしれないけど……」

 ツユミは口ごもった。

 地球上で栄華をきわめた種はこれまですべて絶滅している。人類もその例に漏れず、いつまでも繁栄しつづけられはしないだろう。それは以前から言われていることで、とくに新鮮味があるでもない。どころか、急激な環境破壊のため、あと数百年ももたないかもしれないとさえ言われている。

 その間、遺跡のタネは、気の遠くなるほどの時間をかけて、まるで鍾乳石のように少しずつ成長していき、ついには巨大な石像となっていく。もっとも、何千個と放たれたうち、そこまでになるのはごくわずかだろう。陸地球の遺跡がたったの二十であったことから、流れゆく年月の間で失われていくものもあるのだ。そして地球は、エネルギーを吸収しつくされたとき、本来より早く宇宙から消えてなくなる。遺跡はその直前、どこかの星への通路を開き、子孫をばらまく。

「言うてみたら、遺跡は、地球を侵略しにきた異次元人っちゅうこっちゃ」

 キミカはそう結論した。侵略といっても、人類とは時間スケールがあまりに違いすぎて、戦いが起きるわけではない。それはちょうど、ゴキブリは地球上のどこにでもいて繁栄してはいても、人間と地球の覇権をかけて争うべき対象ではないのに似ているかもしれない。

「本当なの?」

 ツユミはキングブロッサムの花を見る。が、すぐにはこたえてくれない。

 キングブロッサムの花が、どんな内容でも即答しなかったことはなかった。言うのをためらっているのか――。

「図星?」

 と、キミカが指摘した。

「そうじゃないわ。思考速度が落ちてきてるのよ。きっともうすぐ会話もできなくなる」

「なにい?」

 大げさに驚くキミカに、ツユミはわざとらしさを感じ、

「キミカも気づいてたんでしょ」

「まぁね……そうなるんちゃうかって、なーんとなく思とってん」

 キミカは両手を頭の後ろで組んだ。

 確実に、キングブロッサムの花からの返答がだんだん間延びしてきていた。思い起こせば、最初にキングブロッサムの花の声を聞いたとき、ひどく高速でところどころでしか意味を拾えなかった。それが、時間がたつにつれ聞き取れるようになり、会話も可能となった。それは人間に合わせてくれているのだとも解釈できたが、単に思考速度が遅くなってきて、結果、人間とのコミュニケーションが容易になったにすぎないかもしれなかったのだ。

 遺跡には、ひとつでも多くのタネを新しい世界へ渡すのに、その手助けをしてくれる生物へ、はたらきかける思考速度を変化させていく必要があったのだろう。そのように進化してきたのだ。

《かの人間の……思考は、……正しい》

 ゆっくりと、キミカの意見を肯定した。自らが、星を滅ぼすと。しかし隠していたわけではないし、嘘は言ってもいない。人間が尋ねなかっただけだ。

 遺跡にとって、人間の探求心などどうでもよく、真実を伝えなければならない義務もまったくない。目的は種の保存、その一点だけで、そのためならどんなことでも正当化される。それこそ星が滅びても。正面から質問すればこたえただろう。しかし、それどころではなかった。この避難騒動が終息してからゆっくり聞き出せばよい、という考えでいた。ところが今やそうはいかないことになった。

「たぶん、明日には、何を言ってるかわからへんようになるんやろな」

 使命は全うされた。他者とのコミュニケーション能力はもはや必要ない。不要な能力が衰退していくのはごく自然なことだった。

 貴重な証言者が失われようとしていた。研究者がこの事実を知ったら、卒倒するほど残念がるだろう。かれらからもたらされるのは遺跡のことだけでなく、これまでかれらがわたり歩いてきた別の宇宙の歴史もわかるのだ。それらをあらいざらい聞き出すには何年もかかるかもしれない。

 ツユミの携帯電話の着メロが鳴りだした。その場の空気にそぐわない陽気な音楽にやや恐縮しながら出る。

 ツユミの彼氏だった。

「今どこにいるんだ?」

 あわてた様子で尋ねてきた。時刻は、陸地球の閉鎖が予告された十一時半を少しすぎたところ。ツユミのことが心配で、つながりにくくなっているにもかかわらず、きっと何度もかけていたのだろう。のほほんと受け答えすると悪い気がして、力強く言った。

「あたしなら大丈夫だよ」

 彼のほっとする気配が電話ごしに伝わってきた。

「無事だったんだな」

「うん。いろいろあったけど」

 いろいろあった。電話では語りつくせないほど。

「心配してたんだぞ。テレビでもネットでも状況がよくわからなくて」

「ごめんごめん」

 無性に会いたくなってきた。電話じゃなく、直接会って話したい。

「これから埼玉に戻るよ。そしたら、いっぱい話そ」

「まだ北海道にいるのか?」

「そうだよ。だから、帰れても、今夜かな」

「そうか。気をつけて帰ってこいよ。おまえの顔を見るまで安心できない」

「家族みたいなこと言わないでよ。わかってる。キミカもいっしょだし、平気平気」

「とにかく、待ってるからな」

「うん」

 電話を切った。

「見せつけてくれるやん」

 キミカがニヤニヤしていた。

「これからすぐ帰る?」

「旅行の日程はもともと今日までで、マラソンが終わったらその足で帰るつもりで飛行機の切符もとってあるもん」

 時間的にはそう悪くない。

「でも、これどうしよ?」

 キングブロッサムの花である。

「どうするって、校山さんに託すしかないやろ」

 キミカはあっさりこたえた。もう固執していないようだった。舞台の幕はもう下ろされた。もはやこれを持っていても、しかたない――ということなのだ。

「ずっとしゃべってくれるんやったら値打ちあるけど、ただの石になってもうたら、駅村さんも困るやろ」

「ん……まぁ……」

 陸地球に関しては、おそらくその後ドキュメンタリー番組が制作され、駅村がその陣頭指揮をまかされるだろうが、その中で遺跡の声をどう扱うかは難しいところだった。ひとつまちがえばいかがわしいオカルト番組になってしまうし、それは駅村の望むものではない。すでに沈黙してしまったキングブロッサムの花を登場させても、河童のミイラ以上に胡散臭くなる。

 そこまでわかっているからこそ、キミカには未練がないのだった。この件について、もう自分が必要とされることはない。

「校山さんが責任もって、どっかの研究所に持って行ったらええねん。もともとウチらのもちもんやないんやし、校山さんもそのつもりやろ?」

 落とし物は警察へ。それが一番無難な選択だろう。地球のエネルギーを吸い取る、などというものなら、できれば遠ざけたいという心理があって、ツユミは大きくうなずいた。

「ああ、そうだな。こいつは本官が預かろう。そしてしかるべきところへ持っていくことにする」

「決まりや」

「でもキミカはもっと遺跡に興味あるかと思ってた」

「ここでゴンタこねてもしゃあないやん。いろんなことが解って、一応、ウチは満足やで」

「ホントに?」

「ホンマホンマ。それより、ぐずぐずしてたら飛行機に乗り遅れんで。校山さん、空港まで送ってよ。救出に協力したんやからそれぐらいええやろ。おなかぺこぺこやし、お昼ご飯おごってくれたらうれしいわぁ」

「キミカってば、図々しい」

「わかった、送っていこう」

 と校山は言った。おごる、とまでは言わなかったが。

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