隣の席
憂鬱な気分で教室へと向かう僕は今の時間が数学の授業なのか現国の授業なのかと考えながら階段を上っていた。自然と溜息が出たが、母に言われた「溜息は幸せを逃がす」という言葉を思い出し息を呑んだ。
あと数メートルで着く教室に背く様に窓に顔を向けながらゆっくりと一歩、そして一歩と歩き続けた。
そうだ。今日家に帰ったら昨日のゲームの続きをやろう! ノブナガの野望で天下統一を今日中に成し遂げようとかどうでもいい事を思いながら、教室のドアをゆっくりと開けたのだった。
案の定授業は始まっていた。しかし僕の予想とは反して授業内容は歴史の授業だった。
歴史の授業とは実にラッキーだった! 担当の教師はやる気がなく、事ある事に競馬やパチンコの話ばかりするろくでもない教師だ。今までの緊張が緩んだせいか僕は堂々と足を前に前に進めていく。
「高橋ぃ~俺の授業でよかったなぁ~。椿ちゃんの授業ならグランド50週は確実だったなぁ~」
担当教諭『五十嵐 大一』が眠たそうにハハハとニヤケながら声をかけてくる。
「50週なんてあまいっす・・・」
「椿ちゃんは鬼だから・・・うっ・・・めまいが・・・」
「椿様・・・・・・ポっ・・・」
三者三様の会話を聞きながらへこへこと愛想笑いをしながら自分の席へと向かう。
「また遅刻かよタク! そろそろ学習しろよな!」
「またじゃねーし! いつもはぎりぎりセーフだし!」
両手を頭に組みながらケラケラと笑いながら学年一の人気者『坂下 奏間』 が声をかけてくる。
奏間のからかいに適当に返事をし窓際一番後ろとは言わないが窓から二番目の一番後ろの席に向かう。なかなか静かでびみょーなこの席位置が実に僕らしく少し気に入っている。前の席にはバスケ部所属の背の高い男子がいたので居眠りも誰にも気づかれないし、窓を開けると少し遠慮がちに吹き抜ける風や眩しすぎない太陽の光が心地いい。これは誰でも逆らえない、逆らってはいけない悪魔の囁きなのだろう。
「……」
「……」
僕は教室に入った瞬間にいつもと違う光景に気がついた。僕の左側、つまり一番後ろの窓際の席。今まで机すら無かった場所に机と椅子が置かれていたのだ。そして、そこには見知らぬ女生徒が座っていたのだ。顔は机に突っ伏していたので分からなかったのだけど、腰まで伸びた長い黒髪の女生徒を僕は知らない。人付き合いが上手いわけでも、交友関係が広いわけでもない僕だが確かに確信を持てる。この人誰よ?っと。
薄いベージュ色のカーテンの隙間から射す光が彼女を包み込んでいた。その姿に僕は少し見惚れていた。長い艶やかな髪は彼女の顔を隠すように垂れていて、僕は一目だけでも顔を見てみたくなった。
「その子、今日転校してきた子。名前はたしか・・・たか・・こう・・忘れちゃった!」
隣の席の奏間が言ってくる。しっかり説明してくれようとしたのだろうが、名前も覚えてないらしく、「てへ!」と舌を可愛らしく出し紹介を諦めた。男に可愛らしいと表現するのは可笑しな話だが、奏間に限っては顔立ちが整っているので、基本なんでも似合ってみえる。そんな彼が少しうらやましく感じた。
授業中ずっと机に突っ伏している彼女に挨拶も出来ないまま授業終了のチャイムが鳴った。
きっと、あまり人と関わりたくないのだろう。なら無理に話しかけなくてもいいだろう。それに、あまり僕も他人と関わるのは好きじゃない。「お互い上手い距離で仲良くしていこう」そう心で呟き、僕も机に突っ伏すのだった。